R先生
日本でいま活躍している哲学者の中で私が目標にしているのは梅原猛先生です。もうかなりの高齢で、70歳台後半くらいになるのでしょうか。梅原先生は、京大文学部哲学科卒・同大学院修了(特別研究生)であり、歴史から仏教まで、広範囲の問題をテーマにしており、際立った特徴は、仏教の深い理解にあるように受け止めております。
仏教は、宗教(religion)の中の単なるひとつの種類に他なりませんが、語源は、ラテン語のreligioに由来すると言われており、その意味するところは、「不思議な事物に接した時の畏怖や不安や疑惑の感情」と「その感情を引き起こす対象に対する態度・行動」のようです。まさに哲学の精神です。内村鑑三先生は「宗教とは人生に対するそのひと自身の解釈」と言っています。
宗教を分類すると世界宗教(三大宗教と言えばキリスト教・イスラーム教・仏教、キリスト教の母胎はユダヤ教、イスラームとはアラビア語で平和・従順・純粋・服従という意味)と民族宗教(ユダヤ教等)になります。ユダヤ教は民族宗教の中でも最も民族性が強固に意識されている宗教です。神は、アブラハムとその子孫に祝福を与え、ユダヤ民族は、アブラハムを父祖として神に従ってきました。紀元前13世紀、アブラハムの子孫であるイスラエル人は、モーセの引率によって奴隷生活を強いられていたエジプトを脱出し、シナイの荒野に到着しました。モーセは、イスラエルの民を救出した神ヤハウェから十戒を初めとする神の意思を明示した律法を教示され、神と契約を結びました。
日本の宗教は、神道か仏教(天台系・真言系・浄土系・禅系・日蓮系・その他)であり、キリスト教信者は、少数派の中の少数派であり、約1.5%に過ぎません。(宗教には、雨後の竹のこのごとく、数多くの新宗教(神道系・仏教系・諸教系・単位法人系)が誕生しましたが、私は、そのような物には、関心がありません。)
ですから、日本のマスコミでは、必然的に、キリスト教よりも、仏教を採り挙げています。梅原先生等がなぜ仏教を語るのかはそのためでしょう。私は、仏教だけでなく、むしろ神学としてのキリスト教・ユダヤ教・イスラーム教とその神々を研究したいと考えております。そのために、東大大学院人文社会科学系研究科で学びたいと考えております。宗教学・宗教史研究室のある法文二号館の3階の廊下の隅には、特別の展示場所を設けて、インドのヴィシュヌ神、2階には仏陀像が展示してありますが、それは、宗教学・宗教史研究室の理念の象徴ほど強い意味はなくて、インド学・仏教学の理念の象徴のようです。
ところで宗教学者の島田裕巳先生をご存知でしょうか。島田先生は、東大文学部卒・同大学院人文社会系研究科修士課程修了・博士課程修了(宗教学・宗教史研究室)で、若くして、当時タブーとされていた宗教評論を切り拓き、抜群のセンスと能力により、宗教学のスポークスマン的存在でした。しかし、新宗教のヤマギシ会に入信したり、やはり新宗教のオウム真理教を研究対象にする等、特に、日本女子大教授(40歳そこそこで教授でしたから、相当優秀だったのでしょう)であった1995年のオウムサリン事件の直前に、サリン工場の施設を宗教施設として神聖な物と記した論文を発表したり、日本女子大の教え子に入信を勧めたりしたことが社会人として常識の範囲を超えていたとの批判を受け、日本女子大教授を辞職せざるを得ませんでした。
それから最早13年、島田先生は、現在、文筆家・宗教家・東大先端科学技術研究センター客員研究員として、精力的に宗教評論を展開しており(http://blog.livedoor.jp/shhiro
中でも、日々の執筆活動・講演等の日常を赤裸々に語った「島田裕巳の「経堂日記」」http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/
がおもしろいのですが、私は、そこまでオープンにしたいとは思いません)、とは言っても、内容は、新宗教の社会的問題等が多く、私の関心事ではありませんが、それでも、困難に直面しても、哲学によって、みごとに立ち直り、カムバックしたことは、まことに慶賀すべき事であり、どうか、過去の苦い経験を忘れず、これから新たな宗教評論を目指していただきたいと念願しております。島田先生は、まだ、50歳台半ばですから、もう一度、日本の代表的な大学での教育・研究の機会も残されており、幸運が訪れることを願ってやみません。
私の哲学の種本は、これまでのプラトン『国家論』、ダーウィン『種の起源』、ヘーゲル『論理学』、マルクス『資本論』、それから、新たに、『聖書』と『宗教』(仏教と神学)になりました。これから、神学研究で一次資料に当たるため、ヘブライ語とラテン語を勉強しなければなりません。研究の基礎的方法論は東大大学院人文社会科学系研究科で学ぶ予定です。
桜井淳