【ガザ市(パレスチナ自治区ガザ地区)澤田克己】「近くの住宅が爆撃されているのだろうと思っていたら、突然、こちらに砲弾が飛び込んできた」--。イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃で、国連人道問題調整事務所(OCHA)が今月9日、住民が住宅1軒に集められて砲撃され約30人が死亡したと報告した、ガザ市ザイトゥン地区の現場に19日入った。
住民は国連報告の通り、閉じ込められた住宅が砲撃を受けたと証言。イスラエルがイスラム原理主義組織ハマスの掃討と主張するガザ侵攻で、同軍の支配下にある無抵抗の住民が殺害された実態が明らかになった。
住民によると、イスラエル軍がザイトゥン地区を急襲したのは4日午前8時ごろ。兵士は住民に銃を突きつけ、アラビア語で「静かにしろ。外に出ろ」と命令した。集落の住民を何軒かの住宅に分けて閉じこめた。説明は何もなかった。
アラファトさん(36)は「自宅から出ることを拒否した兄は、その場で射殺された」と話す。ブラヒミさん(45)は他の住民とともに1軒の民家に閉じ込められた。誰も何も話さず、ただ泣き声だけが聞こえてきた。5日朝、外から爆発音が聞こえた。イスラエル軍は住民が集められていることは知っていたはずだ。だが、砲弾が部屋に飛び込んできた。繰り返し行われた攻撃で多くの人が死んだ。
ブラヒミさんも両足を負傷したが、無事だった人たちと一緒に、Tシャツで作った白旗を掲げて逃げ出した。
イスラエル軍は侵攻の際、民家を拠点とするため住民を強制的に立ち退かせることがあり、今回もそれが理由だった可能性はある。だが、なぜ無抵抗の住民を集めた住宅を攻撃したのか。軍は「(事件について)調査する」と述べただけだ。
現場では攻撃から2日後、許可を得た赤十字国際委員会(ICRC)がけが人を救出。その後、イスラエル軍は現場の住宅に再び激しい爆撃を加え、完全に破壊したという。
毎日新聞 2009年1月20日 東京夕刊