【ガザ市(パレスチナ自治区ガザ地区)澤田克己】イスラエル軍が大規模な攻撃を加えたパレスチナ自治区ガザ地区の最大都市ガザ市。被弾により陥没した道路や崩壊した建物が一段と多く目立ち、病院や国連関連事務所では火災の跡が痛々しく残っていた。「信じがたい惨状だ」。被害にあった関係者は、口々に怒りをつぶやいた。
19日、町を取り巻く畑にはイスラエル軍の戦車が踏み荒らした深いわだちが残っていた。地上侵攻の際、イスラエル軍が設置した検問所は撤去され、住民が自由に通過できるようになっていた。
市中心部に建つアル・クッズ赤新月社病院。14日夜に砲撃を受け、事務棟は崩壊、隣に建つ病棟には火災の跡が見られた。「火災は病棟の方にも広がってきた。だが、イスラエル軍の戦車が邪魔したから、消防車が来たのは2時間もたってからだった」。職員のサミ・エマリさん(23)は、消防車の進入を止めたイスラエル軍の対応を批判した。
病院内にいた250人の患者は、砲撃の被害を避けようと建物中央部の廊下に集まり、恐怖に震えながら一夜を明かしたという。
ガザ市はイスラム原理主義組織ハマスの関連施設が多いことから、特にイスラエル軍の標的とされた。同軍が「武器の集積所になっている」とみなして攻撃したモスク(イスラム教寺院)の被害も目立つ。ただ、なぜか、モスクは建物全体ではなく、象徴であるミナレット(尖塔(せんとう))だけを破壊した例が多かった。
周囲の住民は「イスラム教徒に恐怖を与えようとしただけだ」と激しい口調でイスラエルを非難した。
市内を歩くと、ビニールなどが燃える異臭が鼻についた。15日に攻撃を受けた国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のガザ本部事務所だった。
イスラエル軍の砲撃は、北部地区に配布する食糧3000トンや、医薬品、毛布、マットレスなどを備蓄した倉庫を繰り返し襲った。空気と反応して激しく燃える白リン弾とみられる攻撃を受けたため、消火が極めて難しく、4日後の今もなお小さな炎が倉庫のあちこちで揺れていた。
UNRWAの米国人職員、スコット・アンダーソンさん(41)は「国連施設が攻撃されるなんて想像もしなかった。イスラエル軍には、きちんとした位置データも渡してあったのに……。近くに駐車していたタンクローリーなどを退避させるのが精いっぱいだった」と力なく話した。
毎日新聞 2009年1月20日 東京朝刊