今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた、狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。
米国はなお若い国だ。しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。
米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではないと理解している。それは、自ら獲得しなければならないものだ。私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。
むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。
私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。
私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。
私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。
彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。