2009.01.20
半世紀からの挑戦…ハングリーには銭も歳も関係ねえ!
考えてみれば、何もかも「大山倍達正伝」の発売が最大の契機だったと言えるだろう。さすが超メジャーの新潮社から刊行されたという事実の影響は、私の予想を越えて周辺の環境を一変させた。
過去、20冊違い著者を出してきた私だが、<本当に親しい友人>以外から「オマエの本を読んだよ」なんて連絡は一切なかった。
そうなのだ、約2年前の「大山倍達正伝」から何もかも変わったのだ。
その好例が、急激に<コジマの親友>と名乗るバカが増えた事である。念を押しておくが、その95%が<自称>である。書店の陳列棚で私の著書を見付けたか、新聞・雑誌の広告で私の名前を見たヤツらだろう。中にはNetを覗き、私の悪評を知って好奇心を抱いたバカもいるかもしれない。
だが、そんなヤツらに限って私の著書など「銭が勿体ない」と買いもしないし、興味もないから読んでなどいないのだ。その癖、30年以上も音信不通だったのに馴れ馴れしくも親友ヅラして私に連絡をしてくるのだ。ヤツらは決まって私の実家に電話をし、親から私の携帯番号を訊き出す。私がいくら止めても親父は聞いてくれないから困ったものである。
はっきり言っておくが、私には小中学生時代の<友人>など1匹もいない。高校・大学時代の友人ならば何人もいる。特にゼミの仲間は今でもかけがえのない大切な友人だと思っている。もっとも皆この不況の中、なかなか会う機会がないのだが…。
とにかくだ。物書きとして少し名前が売れてくると自称・<昔の親友>なる人間からやたらと電話がくるようになった。相手のペースに乗って愛想よく「久し振り!」なんて答えていると、ヤツらに「俺はコジマの親友でさ…」なんて更に吹聴されかねない。だから私はウンザリしながらも、暫くは相手の話を黙って聞いている。するとヤツらは調子に乗る。そして必ずのようにヤツらは言う。さも<親友>のように…。
「もういい歳なんだから無理するなよ。会社経営も大変だろうし、作家先生も大変だろうけど、程々にな。今度こっちに帰る時は教えてくれ。故郷がいちばんの癒しだぜ」
先日はこんなヤツもいた。中学時代、私を常に脇目で見ながら冷笑を浮かべていたガリ勉野郎だ。その癖、1度たりともテスト・模擬試験で私を越えた事はなかった。ろくに話した事もないヤツだ。
「コジマが立派な作家になったのは知っていたけど、極真空手って暴力団と通じてるんだろ。それにキミは今じゃ作家やりながら東京では大物ヤクザっていうの!? フロントなんだって? そうじゃないと格闘技の事なんか書けないよね。そこで頼みがあるんだ。実は今度、Y市(私の地元)に戻って小さなレストランを開店するんだけど、コジマはYでも梁川組の梁川さんと兄弟だよね。不良とかこないようにキミから梁川組に頼んでもらえないかな。もう私もいい歳だし、君みたいなヤクザじゃないから地元でのんびり生活したいんだ。余生かな。その為に会社を早期退職したのよ」
ヤツがこんなに長話を、それも馴れ馴れしく私にするのを聞いたのは<初めて>の事だった。中学時代は1度もない。私は呆れて言葉もでなかった。
そんな事を私に依頼したいのならば、言葉遣いというものがあるだろう。何の確証もない噂を信じ込み、私を作家と言いながら著書の感想ひとつもない。挙げ句に私をヤクザと決めつけた。梁川は確かにガキの頃からの<兄貴>ではある。地元では遥か昔から公然の事だが、何故、私があんなヤツの為に骨を折らねばならないのだ! 何が<早期退職>だ! 単にリストラされただけだろうが…。
大体、こんな自称・親友なんてヤツらに限って決まったように同じ事を口にする。
「お互い歳なんだから」
「年齢相応に丸くなろうよ」
「織田信長も言ってただろうよ、人間50年って。後は煩い女房の愚痴でも聞いて余生を送ろうよ」
過去、20冊違い著者を出してきた私だが、<本当に親しい友人>以外から「オマエの本を読んだよ」なんて連絡は一切なかった。
そうなのだ、約2年前の「大山倍達正伝」から何もかも変わったのだ。
その好例が、急激に<コジマの親友>と名乗るバカが増えた事である。念を押しておくが、その95%が<自称>である。書店の陳列棚で私の著書を見付けたか、新聞・雑誌の広告で私の名前を見たヤツらだろう。中にはNetを覗き、私の悪評を知って好奇心を抱いたバカもいるかもしれない。
だが、そんなヤツらに限って私の著書など「銭が勿体ない」と買いもしないし、興味もないから読んでなどいないのだ。その癖、30年以上も音信不通だったのに馴れ馴れしくも親友ヅラして私に連絡をしてくるのだ。ヤツらは決まって私の実家に電話をし、親から私の携帯番号を訊き出す。私がいくら止めても親父は聞いてくれないから困ったものである。
はっきり言っておくが、私には小中学生時代の<友人>など1匹もいない。高校・大学時代の友人ならば何人もいる。特にゼミの仲間は今でもかけがえのない大切な友人だと思っている。もっとも皆この不況の中、なかなか会う機会がないのだが…。
とにかくだ。物書きとして少し名前が売れてくると自称・<昔の親友>なる人間からやたらと電話がくるようになった。相手のペースに乗って愛想よく「久し振り!」なんて答えていると、ヤツらに「俺はコジマの親友でさ…」なんて更に吹聴されかねない。だから私はウンザリしながらも、暫くは相手の話を黙って聞いている。するとヤツらは調子に乗る。そして必ずのようにヤツらは言う。さも<親友>のように…。
「もういい歳なんだから無理するなよ。会社経営も大変だろうし、作家先生も大変だろうけど、程々にな。今度こっちに帰る時は教えてくれ。故郷がいちばんの癒しだぜ」
先日はこんなヤツもいた。中学時代、私を常に脇目で見ながら冷笑を浮かべていたガリ勉野郎だ。その癖、1度たりともテスト・模擬試験で私を越えた事はなかった。ろくに話した事もないヤツだ。
「コジマが立派な作家になったのは知っていたけど、極真空手って暴力団と通じてるんだろ。それにキミは今じゃ作家やりながら東京では大物ヤクザっていうの!? フロントなんだって? そうじゃないと格闘技の事なんか書けないよね。そこで頼みがあるんだ。実は今度、Y市(私の地元)に戻って小さなレストランを開店するんだけど、コジマはYでも梁川組の梁川さんと兄弟だよね。不良とかこないようにキミから梁川組に頼んでもらえないかな。もう私もいい歳だし、君みたいなヤクザじゃないから地元でのんびり生活したいんだ。余生かな。その為に会社を早期退職したのよ」
ヤツがこんなに長話を、それも馴れ馴れしく私にするのを聞いたのは<初めて>の事だった。中学時代は1度もない。私は呆れて言葉もでなかった。
そんな事を私に依頼したいのならば、言葉遣いというものがあるだろう。何の確証もない噂を信じ込み、私を作家と言いながら著書の感想ひとつもない。挙げ句に私をヤクザと決めつけた。梁川は確かにガキの頃からの<兄貴>ではある。地元では遥か昔から公然の事だが、何故、私があんなヤツの為に骨を折らねばならないのだ! 何が<早期退職>だ! 単にリストラされただけだろうが…。
大体、こんな自称・親友なんてヤツらに限って決まったように同じ事を口にする。
「お互い歳なんだから」
「年齢相応に丸くなろうよ」
「織田信長も言ってただろうよ、人間50年って。後は煩い女房の愚痴でも聞いて余生を送ろうよ」
話にならない。
そんなヤツらには、私はただ冷たく機械的に「よろしく」とだけ言って強引に電話を切る。
《アホか! 何がいい歳だ? この田舎者が…》
心ではそう思いながら、必死に私は堪えるのだ。
田舎の百姓の間ではそれが<常識>というものなのかもしれない。みんな鼠色のヨレヨレの背広着て、鼻の頭と頬を赤らめ、皺だらけの連中ばかりだ。20歳になったら大人として振る舞い、30歳になったら結婚もして子供の3、4匹も作って父親ヅラし、町工場ではベテランぶって後輩に説教を始め、40歳になれば「男、四十にして惑わず」の如く会社も家庭も何もかも知り尽くした顔になる。そして50歳を越えたら最早、余生云々と言い始める…。
そんな生き方もいいだろう。私は否定しない。たが、それを強制されるのは堪らない。
《歳なんて関係ねえんだよ。細胞が老いても精神が若けりゃいつまでもバリバリなんじゃ。俺がよく体調を崩すのは稽古やトレーニングのオーバーワークが原因じゃけん。老いたのとは訳が違うんじゃ。
矢沢永吉サンも、吉田拓郎サンも中島みゆきサンも、松任谷由実サンも、みんな<アラウンド60>なのに40年近くも第一線で走っとるやんけ!! 歳、歳いうヤツは勝手にジジイになってくたばりやがれ!》
普通ならば黙っている。
心でそう思っても「よろしく」のひとことで電話を切る。
だが、これまた余計なことを更に言い出すヤツらがいる。
「まあオマエもよ、会社の社長になって、好きな本書いて…。作家先生じゃん。金もたくさん稼いでるようじゃない? ブログを読んでるとハワイだとかグアムとかさ、沖縄なんて、俺ら貧乏人は一生に1度いけるかどうか分かんないのに、年中いけて羨ましいよ。だから、もういいじゃない、<金持ちケンカせず>って言葉があるようにさ。人間、丸くなるのも大切よ」
「なんでそんなに稼ぐの? 会社経営して本を書いて印税ガッポガッポなんじゃないの! お金稼ぐ為に悪い連中なんかとツルんでるなんて噂も聞くよ。ヤクザになって脅しながら本を無理矢理買わせてるって聞くよ…。あっ、ごめんごめん。うちはまともな庶民ですから、海外旅行も沖縄旅行もいけず、夏は大洗の民宿に1泊するのが唯一の楽しみですから、怒って怖い人連れてこないでね。梁川さんには内緒にしてね。俺はただ、もう歳なんだからあくせくしないでこっちに帰ってきたらと言いたいの。東京は身を滅ぼすって言うじゃない。田舎の親父さんとかと一緒に住んで、もうお金の心配はないんだろうから、楽しくやろうよ」
そんな時、私は完全に堪忍袋の緒が切れる。絶対に黙ってはいない。ケンカ腰で怒鳴りつける。「親友」に向かって…。
「オマエなあ、俺は銭のためだけに働いとるわけじゃないんだよ。俺には夢があるんだ。あの矢沢永吉みたいにな、いつもハングリーでもがいてもがいて夢を追い掛けとるんだよ。銭? そりゃあオマエの10倍や20倍は稼いどるよ。今は出版不況とはいうけん、こんな時がチャンスなんだ。けどな、コジマは銭のために本書いとるんやない。1冊書いてウン百万稼ぎました。1千万印税が入りました。ハイよかったです、なんてチンケな気持ちで商売やっとらんのじゃ。昔、コジマを舐めた連中には全員、頭を下げさせちゃる。オマエも例外やないけえ、覚悟しとけや。コジマはなあ、もっともっと物書きとしてのし上がるけえ! ところでな、俺が実質的に離婚しとるなんて事、オマエらとっくに知っとるやろ? そういう話は早いんじゃ、百姓の間ではな。オマエの女房、ブクブク肥ってる癖に顔は皺だらけなんだってな。彫刻刀で彫ったようなジクザグの皺が額に何本もあるって聞いたけん。俺はそのオマエの女房の1万倍、マブくて頭がよくて仕事が出来る最強最後の女性と結婚するけえ。そんで1億のマンションに住んでやるけん。俺にはなあ、夢が山ほどあるんよ。その夢があるから40だろうが50だろうがコジマはハングリーなんじゃ。ええやんか、オマエは一生頑張ってせいぜい5泊7日のパックツアーでハワイにでもいけや、一生に1度の思い出にな。テメエ自分が貧乏人やとアピールすんなや。コジマはな、今も心の中は昔と同じ貧乏人よ。じゃけん、上を目指している人間はそういうのをハングリーっていうんじゃ。くたびれた背広着て悟った事ぬかすオマエはハングリーやなくて、ただのオイボレの貧乏人って言うんじゃ、このアホが! このまま満足して死んでけや!」
銭を稼いだら「貧乏人」じゃないだと?
私はガキの頃からずっと他人から「貧乏人」と呼ばれて育った。だから、絶対に金持ちになってやると思ったこともある。そのために、「男は頭と力だ!」と信じて早稲田に入り極真空手を学んだ。そのうち私は矢沢永吉を知った。
矢沢さんも、ひとつの道を極めていく過程で「銭が欲しい」という渇望を超えて<夢>に生きた。矢沢さんはいまも走っている。たった1曲のために2000万円を舞台装置にブチ込む。それは<見栄>ではない、<夢>のためなのである。
正直いって、私は今の自分を<金持ち>と思ったことはない。現状に<満足>したこともない。いつも心の中はハングリーのままである。
走らなければならないのだ!
戦わなければならないのだ!
年齢も銭も関係ない。
私はただ、<夢>を掴みたいだけなのだ。
「貧乏人がハングリーで、サクセスしたらハングリーじゃないっていう、活字の遊び? これは大勘違いであってね。ハングリーって何なの? お腹すかせてること? 四畳半で裸電球照らしてること? そんなの単なる貧乏人っていうんだよ。ハングリーってのは億万長者だろうが、ドヤ街にいようが、今に見ておれって何かに挑んでるやつのことをいうんです」
矢沢永吉
(1994年・44歳/E.YAZAWA-CLUB・矢沢語録より)
私も半世紀を生きた。
しかし、私は立ち止まるつもりは毛頭ない。あまりバカはするなと<神様>に厳重勧告を喰らってしまったが…。
<夢>はまだまだ遠い。
(了)
そんなヤツらには、私はただ冷たく機械的に「よろしく」とだけ言って強引に電話を切る。
《アホか! 何がいい歳だ? この田舎者が…》
心ではそう思いながら、必死に私は堪えるのだ。
田舎の百姓の間ではそれが<常識>というものなのかもしれない。みんな鼠色のヨレヨレの背広着て、鼻の頭と頬を赤らめ、皺だらけの連中ばかりだ。20歳になったら大人として振る舞い、30歳になったら結婚もして子供の3、4匹も作って父親ヅラし、町工場ではベテランぶって後輩に説教を始め、40歳になれば「男、四十にして惑わず」の如く会社も家庭も何もかも知り尽くした顔になる。そして50歳を越えたら最早、余生云々と言い始める…。
そんな生き方もいいだろう。私は否定しない。たが、それを強制されるのは堪らない。
《歳なんて関係ねえんだよ。細胞が老いても精神が若けりゃいつまでもバリバリなんじゃ。俺がよく体調を崩すのは稽古やトレーニングのオーバーワークが原因じゃけん。老いたのとは訳が違うんじゃ。
矢沢永吉サンも、吉田拓郎サンも中島みゆきサンも、松任谷由実サンも、みんな<アラウンド60>なのに40年近くも第一線で走っとるやんけ!! 歳、歳いうヤツは勝手にジジイになってくたばりやがれ!》
普通ならば黙っている。
心でそう思っても「よろしく」のひとことで電話を切る。
だが、これまた余計なことを更に言い出すヤツらがいる。
「まあオマエもよ、会社の社長になって、好きな本書いて…。作家先生じゃん。金もたくさん稼いでるようじゃない? ブログを読んでるとハワイだとかグアムとかさ、沖縄なんて、俺ら貧乏人は一生に1度いけるかどうか分かんないのに、年中いけて羨ましいよ。だから、もういいじゃない、<金持ちケンカせず>って言葉があるようにさ。人間、丸くなるのも大切よ」
「なんでそんなに稼ぐの? 会社経営して本を書いて印税ガッポガッポなんじゃないの! お金稼ぐ為に悪い連中なんかとツルんでるなんて噂も聞くよ。ヤクザになって脅しながら本を無理矢理買わせてるって聞くよ…。あっ、ごめんごめん。うちはまともな庶民ですから、海外旅行も沖縄旅行もいけず、夏は大洗の民宿に1泊するのが唯一の楽しみですから、怒って怖い人連れてこないでね。梁川さんには内緒にしてね。俺はただ、もう歳なんだからあくせくしないでこっちに帰ってきたらと言いたいの。東京は身を滅ぼすって言うじゃない。田舎の親父さんとかと一緒に住んで、もうお金の心配はないんだろうから、楽しくやろうよ」
そんな時、私は完全に堪忍袋の緒が切れる。絶対に黙ってはいない。ケンカ腰で怒鳴りつける。「親友」に向かって…。
「オマエなあ、俺は銭のためだけに働いとるわけじゃないんだよ。俺には夢があるんだ。あの矢沢永吉みたいにな、いつもハングリーでもがいてもがいて夢を追い掛けとるんだよ。銭? そりゃあオマエの10倍や20倍は稼いどるよ。今は出版不況とはいうけん、こんな時がチャンスなんだ。けどな、コジマは銭のために本書いとるんやない。1冊書いてウン百万稼ぎました。1千万印税が入りました。ハイよかったです、なんてチンケな気持ちで商売やっとらんのじゃ。昔、コジマを舐めた連中には全員、頭を下げさせちゃる。オマエも例外やないけえ、覚悟しとけや。コジマはなあ、もっともっと物書きとしてのし上がるけえ! ところでな、俺が実質的に離婚しとるなんて事、オマエらとっくに知っとるやろ? そういう話は早いんじゃ、百姓の間ではな。オマエの女房、ブクブク肥ってる癖に顔は皺だらけなんだってな。彫刻刀で彫ったようなジクザグの皺が額に何本もあるって聞いたけん。俺はそのオマエの女房の1万倍、マブくて頭がよくて仕事が出来る最強最後の女性と結婚するけえ。そんで1億のマンションに住んでやるけん。俺にはなあ、夢が山ほどあるんよ。その夢があるから40だろうが50だろうがコジマはハングリーなんじゃ。ええやんか、オマエは一生頑張ってせいぜい5泊7日のパックツアーでハワイにでもいけや、一生に1度の思い出にな。テメエ自分が貧乏人やとアピールすんなや。コジマはな、今も心の中は昔と同じ貧乏人よ。じゃけん、上を目指している人間はそういうのをハングリーっていうんじゃ。くたびれた背広着て悟った事ぬかすオマエはハングリーやなくて、ただのオイボレの貧乏人って言うんじゃ、このアホが! このまま満足して死んでけや!」
銭を稼いだら「貧乏人」じゃないだと?
私はガキの頃からずっと他人から「貧乏人」と呼ばれて育った。だから、絶対に金持ちになってやると思ったこともある。そのために、「男は頭と力だ!」と信じて早稲田に入り極真空手を学んだ。そのうち私は矢沢永吉を知った。
矢沢さんも、ひとつの道を極めていく過程で「銭が欲しい」という渇望を超えて<夢>に生きた。矢沢さんはいまも走っている。たった1曲のために2000万円を舞台装置にブチ込む。それは<見栄>ではない、<夢>のためなのである。
正直いって、私は今の自分を<金持ち>と思ったことはない。現状に<満足>したこともない。いつも心の中はハングリーのままである。
走らなければならないのだ!
戦わなければならないのだ!
年齢も銭も関係ない。
私はただ、<夢>を掴みたいだけなのだ。
「貧乏人がハングリーで、サクセスしたらハングリーじゃないっていう、活字の遊び? これは大勘違いであってね。ハングリーって何なの? お腹すかせてること? 四畳半で裸電球照らしてること? そんなの単なる貧乏人っていうんだよ。ハングリーってのは億万長者だろうが、ドヤ街にいようが、今に見ておれって何かに挑んでるやつのことをいうんです」
矢沢永吉
(1994年・44歳/E.YAZAWA-CLUB・矢沢語録より)
私も半世紀を生きた。
しかし、私は立ち止まるつもりは毛頭ない。あまりバカはするなと<神様>に厳重勧告を喰らってしまったが…。
<夢>はまだまだ遠い。
(了)
samurai_mugen at 20:52
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