2009.1.12
鎌田茜さん・・・与えられている日々を大切に
「どう死ぬかではなく、どう生きるかが問題なのです。
生きている日々を大切に生きていきたい。
周りの人々に感謝しながら。」
「病気を治す事が私の目標ではない。
輝きながら生きる事が私の目標です。」
昨日、見たテレビ番組
”ママは生きる! 1歳7か月息子&母の闘病全記録"
(札幌の鎌田さん、がんと闘いながら子育て)
看護士をしていた22歳の時に、あごにしこりを感じ、検査の結果
悪性リンパ腫でした。この時、初めて余命宣告を受けた 鎌田茜さん。
癌と闘い、半年後に職場復帰。。。そして、中学校の
同級生だった夫 守さんと結婚。
1年後にお腹の中に新しい生命誕生・・・しかし、流産・・・
悲しくて、悲しくて。。。もう一度、新しい命を与えてくださいと
願って、8ケ月後に与えられた、新しい命。
しかし・・・左顎下に小指大の腫れがあるのに気づきました。
2006年3月のことでした。がん肉腫でした。
子供をあきらめなければ、茜さんの命の保証はない・・・と
医師に告げられ・・・茜さんが下した決断は、
子供を生むまで、一切、癌の治療をしないことでした。
「茜の存在が大事だけれど、茜が笑顔で楽しく生活しているのが
一番だから、もし茜が死んだとしても俺が子どもを育てていく」 と守さん。
6月、襲いかかる激痛に耐え、妊娠17週目に入るのを待って手術。
胎児がいたため麻酔の追加ができず、腫瘍の一部を残して
傷口が閉じられました。
「子どもを諦めて再手術しましょう。手術しなければ、
出産までの命の保障は母子ともにありません」 と告げる医師。
「アイスピックで突き刺されているような痛みでした」と茜さん。
出産にいたるまでの間、癌の痛みに耐えて、憩(かい)君を出産。
「可愛くてしょうがない。生まれてきてありがとう」
そんな幸せな3人の生活に突きつけられた
2回目の余命3~6ケ月の宣告。
2007年12月25日、定期健診の後、家族3人で食事をして
クリスマスを過ごそうと計画していた茜さん・・・しかし・・・
肺に癌が転移しているのが見つかりました。
「憩(かい)のために、死ぬわけにはいかない。
この子の記憶に残るまでに私は生きなければならない」
27日まで、夫婦ふたりで泣いた・・・と茜さん。
「仕事から帰ってから、憩(かい)を中心にして親子3人で
たわいもなく、1~2時間遊びます。
他の人から見たら、何が面白いんだろうって思うかも
しれませんが、あたりまえの、こんな時間がとても貴重です」と守さん。
茜さんは、今も、元気に前向きに、癌と闘っています。
食事を玄米菜食にし、野菜はすべて無農薬の有機農法の野菜。
一日 数回の半身浴(免疫力を高める) 。
昨年12月にホノルルマラソンを目指しましたが、体調不良のため、断念。
茜さんは、ホノルルマラソンに出場するために、現地でのもしもの為の
医療体制、そして憩(かい)君のお世話をしてくれる人も
すべて自分で手配していました。
「親子で2度目のクリスマス(2008年)を迎えられる
なんて考えていなかった」と茜さん。
一日、一日を大切にして生きる事の大切さ、いのちの重たさ・・・
そして生きる事への努力・・・それは、また自分を含めた周囲の
人々への感謝であり、いのちへの尊さへのrespectであることを
伝う滴で目を真っ赤にしながら見ていた夫と私に教えてくれました。
鎌田茜さんについて、もっと詳しくはこちらで。
追記:
mixiで鎌田茜さんで検索をかけましたら。。。10日に札幌で
講演会をされていたのですね・・・残念でした。
脳に癌が転移されたようです。。。年末に緊急入院をされて
退院されたばかりですが、1月10日に講演会をされています。