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2009-01-18 19:28:02 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-井野博満先生と田中三彦先生の主張内容の分析-

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【講演要旨】桜井淳所長は、原子力発電技術に関する井野博満先生(元東大教授、現東大名誉教授)と田中三彦先生(元バブコック日立技術者、現翻訳家)の学会口頭発表や学会誌論文の内容を見ていないため(実際には存在しません)、現在の彼等の主張内容に学問的価値が存在するのか、それとも運動論の世界なのか、疑問に思っていますが、原研での研究や経験、それから個人的に実施した技術論や安全論の研究から判断する限り、後者の立場での主張と受け止めており、彼等の主張内容が良く読み取れる資料としては、「浜岡訴訟判決書」等が挙げられ、それらから判断して、彼等の主張内容は、今の日本機械学会や日本原子力学会の学問と比較し、相容れないものがあり、彼等は、学会の学問が間違っていると主張しているものの、裁判では、学会の学問を採用しているため、彼等の主張は、ことごとく否定され、まったく相手にされないくらいの負け方をしており、傍目にも気の毒なくらいですが、井野先生の応力腐食割れや田中先生(彼は、バブコック日立勤務時に、仕事仲間の日本製鋼が原子炉圧力容器を製造していたことすら知らなかったようですが、実際には、同社HPから確認できるとおり、昔からの技術蓄積により、現在、世界でもトップクラスの技術と製造実績を有しています)の安全係数・安全裕度についての技術的解釈については、勉強不足が否めず(岩波新書や月刊誌「世界」の論文でも確認できます)、裁判の証人としては、不適格で(裁判で互角に闘うには、原子力界で、少なくとも十数編の原著論文と約20年の経験が必要です)、そのようなことを弁護士の海渡雄一先生に助言しておきましたが、彼も運動論の世界に生きており、助言が生かされることは、まったく有りませんでした。

2009-01-18 17:02:01 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-名大の黒田光太郎先生の主張内容の分析-

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【講演要旨】桜井淳所長は、名大の黒田光太郎先生について、その学問的業績や物の考え方(哲学)をまったく知りませんでしたが、第7回日本科学技術社会論学会(2008.11.8-9, 阪大豊中キャンパス)での口頭発表の予稿原稿(A-2-1 WS 柏崎刈羽原子力発電所地震災害の政策的意味-(2)原子力発電所の耐震安全性)を読むことにより、 主張内容の一部が多少なりとも理解できるようになり、要約すれば、(1)現象を物理的に考えており、(2)金属の使用条件は、弾性変形の限度内に限り、塑性変形の領域では、たとえ、微小であっても一切認めない、(3)現代技術には、微小塑性変形を検出・評価する手法が存在していないため、塑性変形の有無を判定できない、というものですが、工学では、塑性変形の領域での使用を認めていないわけではなく、そのように把握しているのは、専門家でありながら勉強不足であり、たとえば、建築分野では、具体的には、高層ビルの震災後において、降伏応力を超えた塑性変形の領域での使用を認めており(桜井所長が鹿島建設執行役員に行った半構造的直接面接方式での聞き取り調査、本欄バックナンバー参照)、そのような事例をどのように受け止めているのであろうか。
2009-01-18 16:12:12 stanford2008の投稿

桜井淳所長が推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(4)-東大T教授を訪問して謝罪の予定-

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桜井淳所長が推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(4)-モンテカルロ界を代表して東大T教授を訪問して謝罪の予定-



桜井淳所長が、日本のモンテカルロ研究の発展史を論考してみたときに、やり残したまま手付かずとなっている仕事がひとつあり、心の棘となっているそうですが、それは、日本の放射線遮蔽の安全規制では、高エネルギー分野(モンテカルロ法以外に適切な方法がないそうです)を除くと現在でもモンテカルロ法は傍流と位置づけられており、クロスチェック解析機関が決定論的手法の傍証に使用する程度で、安全規制でのモンテカルロ法に対するこのような扱いが、日本のモンテカルロ法の発展を大きく阻害してきたそうですが、その原因を追究してみたところ、安全規制に大きな影響力をもつ東大原子力工学専攻の教授陣の大方が、反モンテカルロ派に染まっていることであって、それはモンテカルロ法に技術的な問題があるのではなく、真の原因は、かつてモンテカルロ界を牛耳ってボスとして専横の限りを尽くしたK.Uに対する東大教授陣の生理的拒否反応にあること(またK.Uの学歴に対する不信感もあるそうです)を桜井所長は見抜いたそうですが、それを決定付けたのは、桜井所長も所属していた遮蔽のある委員会で、K.Uが東大T教授(当時は助教授)を30分間に亘って吊るし上げ、最後にバカヤロウと面罵した事件がそうだそうですが、この事件は、東大を反モンテカルロ派に追いやりモンテカルロ法を安全規制からシャットアウトさせる原因となった歴史的な愚行だそうで、その後、桜井所長は、モンテカルロ政権の主導権をK.Uから奪取し、東大M教授(故人)をモンテカルロ界に引き入れることに成功し、そしてK.Uを永久追放することで新しいパラダイムを切り拓いてきたそうですが、モンテカルロの歴史的汚点であるK.Uのとった非礼に対して、桜井所長は近いうちにモンテカルロ界を代表して東大本郷キャンパスのT教授を訪問、謝罪し、過去の歴史を清算しなければならないと考えているそうで、これはモンテカルロ界のパラダイムシフターを自認する桜井所長に課せられた使命だそうです。

2009-01-18 14:26:46 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-地震研究者の石橋克彦先生の主張内容の分析-

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【講演要旨】桜井淳所長は、研究分野が異なるため、元神戸大教授・現神戸大名誉教授の石橋克彦先生の学問的な業績や物の考え方(哲学)を正確に把握していたわけではなく、新聞や月刊誌の記事、それから、「浜岡訴訟判決書」等の断片的な情報から、基本的な哲学を推定していましたが、第7回日本科学技術社会論学会(2008.11.8-9, 阪大豊中キャンパス)での口頭発表の予稿原稿(A-2-1 WS 柏崎刈羽原子力発電所地震災害の政策的意味-(3)核施設の地震災害リスクについての基本的考え方)を読むことにより、すべての疑問が解消し、要約すれば、石橋先生は、(1)現行の軽水炉安全審査指針中の耐震安全指針や安全審査の制度・審査委員の資質を全面的に否定しており(新指針の策定過程と学問的根拠の否定)、(2)そのような中で推進されている原子力発電所の安全性に根源的な疑問を呈し、(3)環境・エネルギー政策の将来を考えれば、脱原子力を図り、ソフトエネルギーへの政策的移行こそが唯一の解決策、と主張しており、主張内容だけから判断する限り、日本の反原子力運動の最左翼と位置付けられます。
2009-01-16 12:49:16 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会科学系研究科のH先生への質問等 -神学研究の方法-

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東大本郷キャンパス法文二号館のH先生の研究室にて(2009年1月15日、14:30-15:30)。Qは桜井所長の質問項目の要旨、AはH先生の回答内容の要旨です。途中の立ち入った専門的な質問・回答内容は、差し障りがあるため、意識的に削除して編集してありますが、概ねつぎのとおりです。



Qキリスト教(イエス・キリスト・聖書)を研究するにはクリスチャンでなければならないのでしょうか。

A研究者として研究対象にするわけですから必ずしも必要というわけではありません。


Qヘブライ語を知らなければ研究できないのでしょうか。

A研究分野にもよりますから、必ずしも必要とは限りません。


Q聖書研究には歴史実証主義と聖書解釈主義がありますが、世界では、どちらの流れが主流なのでしょうか。

A半々です。


Aイエス(人間)とキリスト(神格化されたイエス)の歴史的記載の境界は明確になっているのでしょうか。

Q分かっていません。


Q古代哲学や古代科学史等の研究でもみな同じで、研究のひとつの方法には、一次資料に遡って解読・解釈するというのがありますが、どのように解読し、意味をどのように解釈するかですが、その一次資料とは、オリジナルな研究を実施するために、研究者が独自に探し出すことから始めるのでしょうか、それとも、世界のどこかの大学や研究機関に、そのような資料が体系化され、保存されていて、それを入手して、解釈するところから始めるのでしょうか。

A後者です。独自に発見するというのはめったにありません。


Q米大ベストスリーのハーヴァード大・イェール大・プリンストン大は、兄弟校であり、みな、建学精神がキリスト教ですが、それらには、大学院神学研究科があり、いまでも世界の研究の中心的役割を果たしておりますが、それらの研究方法を東大と比較した場合、何か相違点があるのでしょうか。

A特に相違点があるとは思えません。同じと受け止めてよいと思います。


Q私は、東海村の日本原子力研究所で、約30年間、物理(炉物理研究と原子炉安全解析)の研究等に携わり、30歳台半ばに、東理大大学院理学研究科で学位審査を受けました。50歳台半ばに、東大大学院工学研究科で、原研時代の仕事の総仕上げとしての学位論文「核燃料サイクル施設の安全評価法の研究」をまとめました。さらに、40歳台初めから本格的に着手した社会科学の研究成果を体系化するため、5年前から、東大大学院総合文化研究科広域科学専攻(前半は広域システム科学系、後半は相関基礎科学系)に在籍し、社会科学の研究で学位論文をまとめてきました。原研時代は、大きく言えば、典型的な機械文明下の単なるひとつの歯車に過ぎなかったわけで(組織人は、職位に関係なく、すべて、ひとつの歯車)、次の社会科学の研究では、科学批判を基本哲学にしていたため、原研時代ほど自身を押し殺した殺伐としたものはありませんでしたが、それでも、なおかつ、満足感や心癒されるものは、何ひとつ見出せませんでしたので、長い間温めていた最後の研究テーマとして、「ローマ帝国の歴史と文化及び国教としてのキリスト教」、特に、キリスト教を中心とした神学の研究をしてみたいと考えるようになり、いま、人間と神の境界の世界に入り込みたいと念願しているところですが・・・・・・。

A珍しいケースになります。そのような哲学は京大の西田幾太郎哲学の流れです。


Qこれから問題を整理して方針を出したいと考えていますが、たとえ他分野で博士学位を取得していても、バックグラウンドや指導教官とのつながりからして、修士課程を超えて、いきなり博士課程の試験を受けることは、できないのでしょうか。

Aケースバイケースになります。


Q具体的に先生にお世話になるにはどのような方法と手続きが必要になるのでしょうか。

A具体的に考えてみましょう。



法文二号館は、正門から見て、右側の二番目の建物で、古い建物であるため、通路は、迷路のようになっており、目的とする研究室が、なかなか見つからず、あせりましたが、通りかかった学生に案内していただき、助かりました。2階と3階の廊下の隅には、高さ30cmくらいの座った姿での石像が飾ってありましたが、早足で通り過ぎたため、歴史上の誰の石造なのかまで確認しませんでしたが、次回に訪れる時には、ぜひ、確認し、もしそれらに東大の宗教学の基本理念が込められているのならば、その意図するところを解読してみたいと考えています。

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