ウィンウィンジャーナル No.14(2009.1.16) 

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<著者インタビュー>

『ネットで暴走する医師たち』著者、鳥集 徹 氏

 聞き手 藤本浩喜(シーニュ)

 


『ネットで暴走する医師たち−<医療崩壊>の深部で何が起きているか』内容紹介:インターネット上のブログや医師限定サイトの掲示板などを舞台に、患者・遺族、マスコミを匿名で誹謗中傷する「ネット医師」たち。彼らの誹謗中傷は、検証を経ないままにネット上で増幅して「事実」化し、現実の医学界の言説にも影響を与えているという。本書では、「奈良県立大淀病院事件」「杏林大学割り箸事件」「福島県立大野病院事件」に関して、ネット上に実際に書き込まれた誹謗中傷文を公開。さらに取材をとおして、誹謗中傷が生まれ広がっていく過程を明らかにし、その背景にある病理を検証している。

出版社:WAVE出版/定価:1575円/ISBN:978-4872903836

鳥集徹(とりだまり・とおる)氏:1966年兵庫県西宮市出身。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。会社員、フリーライター、出版社勤務等を経て、2004年からジャーナリストとして活動。最前線で活躍する医師500人以上を取材した経験を生かし、医療分野を中心に週刊誌・月刊誌等に執筆している。07年3月には『週刊朝日』でタミフル寄付金問題をスクープ。また、06年から08年にかけて、月刊誌『論座』に福島県立大野病院事件のルポを発表したほか、朝日新聞「私の視点」にも医療問題について寄稿。執拗な取材で医療界のタブーに斬り込む、気鋭のジャーナリスト(本書著者紹介文より)




Q 出版して1ヶ月、反響はどうでしょうか

 (インタビュー当日の12月29日では)まだ本屋さんに並んで10日もたっていないので、これからです。自分の周りの反響があるくらいですね。知り合いの医師や、医療事故被害者・遺族の方々には、出版の意義は理解してもらえたように思います。あとはアマゾンのレビュー欄を見ていただいたらと思いますけど、この本を読まれたくない人がたくさんいて、その人たちが多少、ネガティブキャンペーンをされていますね。


Q この本を出版した目的は

 ネット上に医療事故に遭われた遺族に対する誹謗中傷やデマがあって、それは人権侵害でもあり、場合によっては民事上または刑事上の責任を問われる、明らかな不正行為なわけです。まず、そのひどさを訴えたかったのですが、それにとどまるわけではなく、僕が一番問題にしたかったのは、そうした情報を、多くのお医者さんが鵜呑みにしていたということなのです。

 たとえば、本で取り上げた大野病院事件などは典型ですが、加藤医師が逮捕されたとき、医師の方々が憤って、抗議活動を展開しました。それ自体は正当なことだと思うのですが、一方で、振り返ってみれば、その時は正確な情報がなかったにもかかわらず、声明文などで「事故は不可避だった」と言い切っていました。その後、僕が現地で取材をしたり、裁判を傍聴したり、ご遺族からお話を伺ったりしていくうちに、実は間違った情報がたくさんあったという事実がわかってくるわけです。しかし、ネットと口コミによって、一般のお医者さんでもそうした間違った情報を信じていたし、それだけではなく、医学界の重鎮であるようなお医者さんまでもが、「大野病院事件の遺族は政治家に頼んで警察を動かした」というようなデマを信じていたのです。

 このように、誹謗中傷やデマがネットや口コミによって伝わっていくことで、大野病院事件をはじめ、さまざまな医療事故の医療界における評価がゆがめられているという、その現実が僕は一番恐ろしいと思うんです。


Q 引用先ともなった医師専用の掲示板を運営するソネットエムスリー社(m3社)からWAVE出版へ、文書による遺憾表明と違法性指摘の文章が届いたそうですね

 ええ、WAVE出版側はすでに対応しているはずです。今のところ、正当な論評の範囲内で引用したもの、というのがWAVE出版の見解です。

 ただ個人的に思うのは、誹謗中傷やデマ、個人情報の流出は明らかに不正行為です。人権侵害でもあります。そもそも、その医師専用サイトの中で、そうした法的にも責任を問われかねないことがなされていたわけです。もしそういうことがなかったら、みだりに覗くことは倫理上問題があると言われても仕方がないと思うのですが、僕は、そういうことがあるんだということを世に問いたいがために、複数のお医者さんからの情報提供を受けて、あえて出したというわけです。

 もし、m3社、もしくはちゃんと利用しているお医者さんたちが、僕がやったことに対して、そういうことはけしからんと言うのであれば、それは僕に言うことではなくて、不正行為となる書き込みをした人たちに言うべきではないでしょうか。またm3社にとっては、企業価値が貶められることを問題にしたいんだろうと思いますけど、企業価値を貶めているのはだれかということです。そして僕が問題にしているのは、企業価値のことだけではなく、医師全体のことなんです。誹謗中傷している人にわかってほしいのは、いくら相手が憎いからといって、職業人としてこういう不正行為をしていたら、医師全体の評価を落とすということなんです。


Q しかし逆に、この本が、医師全体の評価を落とすのではないでしょうか

 あるお医者さんからも、「医師がみんなこんなふうだと誤解されないか心配」という感想をいただきました。もちろん、本の中にも書いていますが、多くの医師が誹謗中傷やデマを書くようなことをしているわけではありません。あくまでもほんの一部なのです。

 しかし、この本がちょうど完成した頃に取材した東京のとても有名な病院のお医者さんなのですが、「杏林大学割り箸事件の遺族の母親は、亡くなった息子さんに対して虐待をしていたと聞いたことがある」と言うんです。その方はとても良心的な医師なのですが、そうした人にまでこうしたデマが広がっているとなると、やはり一部の医師にとどまる問題ではないと言わざるを得ませんし、医療者にネットや口コミの情報に対する批判精神が足りないことは、やはり問題だと思うのです。

 ですから、こういう本が出されることで医師全体の評判が落ちると危惧するのではなくて、勇気をもって、こんなことをやめようと言うお医者さんが一人でも二人でも出てきて世に発信してくれたら、逆に、患者側、医療事故被害者や遺族の評判はがらりと変わると思うのです。医療界全体がネットリテラシーを上げて、どうすれば公平に、医療事故被害者の声も聴けるのかということを考える契機にしてくださったらと思います。


Q ネット上の問題への対応はネット上でもよかったのではないでしょうか。あえて本という媒体に載せて、広く知らしめようとした理由は何でしょうか

 あとがきにも書いたように、勝村久司さんから本を書かないかと言われたということが、理由としてもちろんあります。

 また、僕は以前、ブログ上で大野病院事件について議論しようとしたことがあるのですが、そこに、今思えば「ネット医師」の人たちなのですが、彼らがたくさん集まってきて、僕にいろいろ反論をしてきました。そのとき、医療事故被害者や遺族など一般の人も読んでいるから誹謗中傷だけはやめましょうと何度も伝えたのですが、「マスゴミ……」「ジャーナリストの風上にもおけない……」などさんざん書かれ、とても嫌な思いをしました。それから、悪いことをしたと今も思っているのですが、僕は失敗して、投稿してくださった方のIPアドレスをブログにさらしてしまったことがあるのです。そのことも執拗に責められましたし、あげくの果てには、僕がやったことでないことで学歴詐称だと言われたりもしました。

 結局、ネットでの議論には限界があると思って、そのブログの更新はやめました。そこに集まってきていたネット医師たちからは逃げたと言われていて、そのことはずっと、僕の意識につきまとうだろうし、仕方がないと思っています。ただ、この経験から、まだ正面きって議論できるほどネットの世界は成熟していないと思いました。それが、議論をするなら本や雑誌など活字媒体にするべきだと考えた理由でもあります。

―ネットの世界が成熟していないとは

 何が一番成熟していないかというと、匿名性の問題もありますが、エディターシップと言いますか、編集機能がないことだと思うんです。もし間に編集者がいたら、誹謗中傷やデマを書く人は、言論の資格なしということで出てこられないはずです。

 ネットでは、生の声がダイレクトに出てきます。それは決して悪いことではないのですが、私たちが知っておかないといけないのは、そのような場の言論というのは、やはり、言葉は悪いかもしれませんが、相対的に価値が低いということなんです。

 逆に、ネットの発達によって、相対的にジャーナリズムの価値が下がっていて、ネットにこそ、新聞に書かれないような真実が書かれていると思う人が実際にいます。しかしそうではなくて、新聞に書いてあること、雑誌に書いてあることは物足りないと思うかもしれませんけど、その裏で僕らがやっている作業は何かといったら、情報の取捨選択なんです。本当にその情報が正しいかどうかということを、資料や相手の生の声にあたって確かめるという泥臭い作業をしています。たった1行を書くのにどれだけの苦労があるかということを、多くの人はわかっていないと思うんです。もちろん、マスコミ関係者の中にも、わかっていない人はいると思います。今回の出版で、多くの人にそのことに気づいて欲しいと思っています。


Q 本に引用されている誹謗中傷文を読むと、確かに目をそむけたくなるものも少なくありません。なぜ、ここまでするのでしょうか

 僕は、誹謗中傷やデマを書き込むことは擁護できないけれども、気持ちを斟酌すると、やはり患者と医師との関係が大きく変わったということが、最大の要因ではないかと考えています。1999年がこうした問題のエポックメイキングの年だったと思うのですが、その年に、横浜市立大学の患者取り違え事件があり、都立広尾病院事件があり、杏林大学割り箸事件がありました。それを契機に医療事故報道が右肩あがりに増えました。それをお医者さんたちは「医療バッシングが増えた」とよく言いますが、逆に外の社会からすれば、それはバッシングというよりも、それまでとても信頼していた医療に、実はこれだけの医療事故が隠されていたということに気づいた驚きの表現だと思うんです。

 そして、そうした変化とともに、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンの概念が医療の中に入ってきて、医師の権威が相対的に下がって、急に患者と対等ということになりました。一方患者のほうは、患者の権利が強調されることによって、権利意識が拡大したと思うんです。

 そうしたときに、医師と患者の信頼関係を結べるものは何かといったら、コミュニケーションしかありません。たとえば、どこまでは患者さんの要求に応えられて、どこからは応えられないかということを確認するために、あるいは、患者さんに納得して治療を受けてもらうために、きちんとコミュニケーションをとって信頼関係を結ばなければなりません。それから、チーム医療の時代と言われていますから、コメディカルの人たちとのコミュニケーションも重要になってきます。そうした人たちに信頼されていないと、ますます医療というのはスムーズにいかなくなっていると思うんです。

 その状況の中で、コミュニケーションが不得手な人は、信頼関係が崩れてしまうと自分も折れてしまうんだろうと思います。そういう自分の弱いところを何とか守りたい、その表現として、だれかを攻撃してしまうのではないかと思うんです。

 ある「ネット医師」の人は、僕と会ったときに、目を合わせて話せるまでに30分以上かかりました。そういう人でも、ネットの世界では一目置かれるんですね。それでさらにエスカレートしてしまうんだと思います。


Q 本の中でも、医師による誹謗中傷の理由を「今にも折れそうな自分の心を守らんがための、一種の心理的な防御反応」と考察されていますね。そして「コミュニケーション不全症候群」とも。この考察から、具体的に取り組めることは何でしょうか

 これは本の話を逸脱するかもしれませんけど、たとえば模擬患者を取り入れた教育など、医療界の中に医師のコミュニケーション教育を重視しようという動きがありますよね。そういう地道な活動がまず大切だと思います。さらに、もっと深く掘り下げて、医学部の入試のあり方とか、医師のプロフェッショナリズムはどうあるべきかを見直すことから始めないといけないのかもしれません。

―対話の可能性はいかがでしょうか

 そうですね。本の中でも、大淀病院事件の遺族に対して誹謗中傷の書き込みをしたハンドルネーム〈鬼瓦〉さんが、遺族の前にちゃんと来て、顔を見て謝罪したエピソードを紹介しました。そのことによって、〈鬼瓦〉さんがもつ遺族への偏見も解消しましたし、遺族もこれ以上彼を責めたくないと言っていました。いきなり直接、対話をするというのは難しいと思うんですけど、間に立つ人がきちんといたうえで、お互いが話し合えるような環境をつくっていくことはとても大切なことだと思います。

 この件では〈鬼瓦〉さんの勇気も評価しないといけないと思っています。彼にとっては大変なことだったと思うんです。


Q 医師の過酷な環境についても考えないといけませんね

 医師というのは24時間365日がんばらないといけない過酷な職業だと、ものすごくお医者さんは言いますよね、もちろんそういう過酷な労働条件は、改善しないとだめです。それは当然だと思います。寝起きふらふらで手術するなんて絶対にいいことはないんです。

 ただ、現役でばりばりやっているお医者さんの中には、これだけ一生懸命がんばっているからこそ腕が上がるんだという人もいます。僕は年間最低50人以上、全国のお医者さんの取材をしていますが、いま医療崩壊、医療崩壊と言われているので、やはりそれを意識した質問をします。先日お会いした30代半ばくらいの脳外科のお医者さんに、いま大変な状況じゃないですかと聞いたら、きょとんとして「そんなことはないよ」と言うんです。でも休まないと体がもたないんじゃないですかと聞いても、休みたいと申し出れば休めるが、休みたいと思わない、目標としている先生の手技を一例でも見逃したくないからと言うんです。

 このように、同じ過酷な環境といっても、病院とスタッフによってぜんぜん違うんです。ボスが人間味あふれていて、努力すればそれだけ力がつくというような環境にいるお医者さんは、しんどくたってがんばれると思うんです。だけど一人医長で放り出されて、ぜんぜん教えてくれる人がいなくて、しかも公立病院で予算もぜんぜんなくて、重症の患者さんもたくさん来るけど、だれも助けてくれないとなったら、それはいやになります。

 医療崩壊で大変だという病院や地域も絶対あるし、うまくやれている医師や病院が存在することも事実です。一面的に考えず、個々によって違うということは踏まえておくほうがいいと思います。


Q 「はじめに」には、「さまざまな力が働き、対立を演出された患者と医師の関係」とあります。この文章の意図することは何でしょうか

 誹謗中傷をする「ネット医師」たちは、医療界の中で、仕事に充実感を感じられないなど、つらい立場にいる人が多いのではないかと思うんです。その中には耳を傾けるべき意見もあると思うのですが、彼らの多くは原因を外部に求めすぎていると思います。「医療のことをまったくわかっていない厚労省の官僚が悪いんだ」「医療を攻撃するマスコミが悪いんだ」「わがままばかり言う患者が悪いんだ」と。

 そうしたネット上にたまっていた彼らの憤懣が、小松秀樹さんの著書を契機とした医療崩壊の議論に乗ることによって、一気に噴出したのではないかと考えています。そのときに、「敵対するもの」として過度に演出されていったのが、医療事故被害者や遺族であったり、患者であったり、またマスコミでもあったと思うんです。こうした経緯を伝えようとして、「さまざまな力が働き、対立が演出された」と書きました。

 僕は、彼らの言うことを100%否定しているわけではないんです。いい面もあったと思うんです。まず、マスコミの報道が一面的であるという批判は本当に真っ当だと思うし、医療者がこんなに大変な思いをして働いているんだということも、彼らのおかげでわかったところもある。患者さんの中にも権利意識が浸透して、クレーマーと言われてもしかたがないような人もいる。そして医師数抑制、医療費抑制という政策が批判された。これらのことはけっして悪くない。

 だけど、それらを主張するなかで、誹謗中傷があったということは決してよくないことですよね。


Q 最後に、何かメッセージがあれば

 これは本には盛り込めなかった僕の今後の課題になるんですけど、これからは、患者と医師の関係はどうあるべきかを考え、その関係を再構築していく必要があると思うんです。先ほど99年がこうした問題のエポックメイキングの年だったとお話ししましたけど、そこでパターナリズムではない、患者と医療者の新しい関係性はどうあるべきかという問題が出てきたように思うんです。まだ、それからたった10年しかたってないんですよ。それ以前のパターナリズムの時代は、西洋医学が導入された明治時代から100年、もしくはそれ以上続いていたはずです。急に理想的な関係に変われるはずないじゃないですか。新しい関係性を考える時代に入ってまだ10年と考えたら、逆に、すごく劇的に、いい方向に変わってきていると思うんです。

―いい方向とは?

 患者の「知る権利」や「自己決定権」が尊重され、がん告知もされるようになったし、手術や抗がん剤治療もリスクを十分説明してから行われるようになりました。それに、「患者主体の医療」ということをどの病院も理念としてかかげるようになりましたよね。よくなっているところもあると思うんです。モノとか労働環境という意味での医療崩壊ではなく、患者と医療者の関係性という側面だけを見て言えば、いま起こっている混乱というのは、生みの苦しみだと思うんです。だから、一時的に患者の権利が拡大して、一方で医療者もそれに合わせたけど耐えられなくなった。じゃあどうバランスをとるんですかというのはこれからの話だと思うんです。

―もう少し具体的に聞かせてください

 たとえば、今まで患者のクレームとしてしか見ていなかったものでも、それが不当かどうかということはそんなに単純にわかるものではないと思うんです。窓口でどなる患者さんがいたときに、医療者側からしたらクレーマーにしか見えないかもしれないけど、患者さんから見たら、不当だと思わざるをえなかったかもしれないわけです。だから認識のギャップとかコンフリクトが生まれるわけですよね。今、多くの医療者が言っているクレーマー理論の中には、こうした双方の立場から事実を多面的に評価するという観点がないように思います。

 言いがかり的なクレームをすべて聞かないといけないわけではもちろんないけれど、実はクレームというのは、気づかなかったことを気づかせてくれる、価値を生み出すものでもあるわけです。実際、一般企業の中には「クレームは宝の山」と考えて、商品開発に生かしているところがたくさんあります。ですから、今後は患者からのクレームをどう受けて、どういうふうに医療の価値を高めていくかという観点に立たないと、患者と医療者のいい関係は結べないと思うんです。それはメディエーターをしている方などが感じていることかもしれないですね。

 医療者は、「こんなことを被害と言われたり、医療事故と認定されたりしたらやっていられない」とよく言います。しかし、患者側からすると、純粋に医学的な観点からだけでなく、実際のコミュニケーションを含む診療の一連のプロセスにおいて、「被害」と言わざるをえないような経験をしているのかもしれません。単純な言い方かもしれませんが、そこから学ぶことによって、今後それを乗り越えることができるかもしれないわけです。

 さらに、患者と医師の関係を考えたとき、100%のインフォームドコンセント論が絶対正しいというわけではなくて、もしかしたらその中にパターナリズムもあったほうがいい場面だってありますよね。そういう意味から言えば、個々の患者−医師関係における多様性というものを、いかに医療の中で受け入れられるようにしていくかということが大事だと思います。

 ですから、単純なクレーマー理論ですませるのではなく、もっと深く、患者と医療者の関係性はどうあればいいんだということまで掘り下げていかないといけないと思います。そこの掘り下げ方がまだ足りずに、医療に異議申し立てをした患者に「クレーマー」とレッテルを貼って、医療者側が終わろうとしているのだったら、コンフリクトは止まらないと思うんです。「訴訟リスクが医療崩壊の一因」と言われることが、医療事故被害者・遺族にとってどれだけ辛いことか、医療者もマスコミ関係者も、よく考えてみてほしいと思います。そういうことをもっと言っていきたいなというのが、僕の次の思いですね。


―ありがとうございました

 


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