高清水有子の皇居の花だより
「スイセン」
- 2009年1月15日 11:27
- 花だより
わたしが好きな花のひとつがスイセンです。
今 皇居・東御苑の二ノ丸庭園で愛でることができます。
スイセン 宮内庁ホームページより
スイセンは、その姿が清らかでいい香りがします。
学名のナルキッサス(NARCISSUS)は、ギリシャ神話でも登場します。
美しい青年 ナルキッサスが、水面にうつる自分の姿に見とれて
そのまま花になったのが"スイセン"だというのです。
自分自身に酔いしれている人をナルシストと呼ぶのも、ここからきています。
日本では「日本水仙」が最もポピュラーです。
また、雪の中でも春の訪れを告げるところから別名を「雪中花」といいます。
日本にはずいぶん昔から馴染みのありそうなお花ですが、季節の花々も
詠まれる「万葉集」をはじめ、平安時代の文学や漢和辞典にスイセンは
登場していません。
そのためスイセンは、平安末期に渡来したとみられているそうです。
室内の一角に、スイセンがあるだけで雰囲気が素敵に変わります。
スイセンついでに、ひとつスイセン(推薦)・・・
現在発売中の文藝春秋2月号を皆さまはお読みになりましたでしょうか。
皇室特集で保阪正康氏が綴られた「秋篠宮が天皇になる日」は、とても読み応え
があります。
タイトルにインパクトがあって、一瞬驚きましたが、その内容は各所の取材を
丁寧に重ね、これまでの記者会見と客観的な事実を保阪流に表現されている
ように受けとめました。
実際に現在、秋篠宮殿下が信頼を寄せていらっしゃる先生方のお話も紹介して
いますので、とても説得力があります。
微力ながらわたしも、取材協力をさせていただき保阪氏と直接 会話したひととき
は取材者として有意義なことを学びました。
ところで、2002年10月に出版された「皇后四代」(中公新書ラクレ)は明治から
平成の4人の皇后陛下の素顔と役割が、関係者の証言や時代背景、文献など
から多くのエピソードとともに紹介されています。
私が皇室取材をするときに、必要な資料のひとつとして持ち歩いていたものです。
実は、その著者が保阪正康氏でしたので今回の「秋篠宮が天皇になる日」の
取材協力以前からお会いしたいジャーナリストの先輩でした。
保阪先生、今年は古希をお迎えになりますね。おめでとうございます。
ますますお元気で、ご活躍を・・・
「天照大神」
- 2009年1月12日 20:54
- 歴代天皇
今年最初の「歴代天皇の詔勅研究会」(みことのり普及の会主催)に
出席しました。
今年のテーマは、日本の骨格が成立した神勅の研究です。
古事記、日本書紀の内容にふれる貴重な1年間になりそうです。
第1回の研究会では、詔勅、国体論研究の第1人者で「日本の宝」と
師事されるかたも全国にいらっしゃる井上順理文学博士(鳥取大学名誉教授)
の講義でした。今年、93歳の井上先生は 今なお現役で講演や執筆に励まれて
います。
「天照大神宝祚天壌無窮の神勅(第7詔)」
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みづほのくに)は、
是吾(これあ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし) 皇孫(すめみや)就(つ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。
寶祖(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(めつち)の
むた窮(さはま)りなかるべきものぞ。
いつもの研究会で朗読する文章に比べて短いので、あえて そのままをご紹介
しました。
私たちが普段使っている言葉や読み方ではないので、最初は戸惑いますが
独特のリズムがまるで祝詞のようで興味深いです。
この短い言葉のなかに、国土を讃美し、皇位継承の大原則がのべられ、国家
統治の理想、皇孫に対する激励と祝福が表現されているそうです。
神勅は、ひとが作ったものであることはまぎれもない事実ですが、誰がいつ作った
ものかは明らかになっていません。しかし、個人的な作為ではなく公な立場で
民族的に国の総力をあげて編纂されたものであることは確かだそうです。
世界には、いろいろな神話が存在しています。
たとえばギリシャ神話は有名です。
日本の神話とギリシャ神話の決定的な違いをご存じですか?
ギリシャ神話は、今のギリシャ民族とは全く違う先住民の神話ととらえられています。
その時代の民族が滅亡しているからです。
しかし、日本の神話は我々の民族の神話であり現実と切っても切れない関係に
あります。それは、現実の反映であり歴史的な根拠もあるので、歴史から切り離す
ことができないものなので「生きた神話」といえます。
そして、神話だけれども古い歴史も入っているという特徴があるのです。
私はまだ、この分野の研究会に入って日が浅いので未熟ですが、諸先輩方にご指示
いただきながら、もっともっと研鑽を積んで皇室取材で役立てていきたいと思います。
今年は皇紀2669年です。
2600年以上の歴代天皇の歴史にふれることは、現実的に無理な状況ですが
できる限り その歴史にふれる時間をつくり、興味深いテーマをわかりやすく
お伝えしていきたいと思います。
「マンサク」
- 2009年1月 9日 10:04
- 花だより
今年最初の花だよりは、花言葉"幸福の到来"の「マンサク」です。
とても縁起がよく、皆さまの幸福を願ってこの花を選びました。
今、皇居・東御苑の南西に位置する野草の島で愛でることができます。
シナマンサク 宮内庁ホームページより
大芝生の南側にあるこの周辺では、センリョウ(千両)とマンリョウ(万両)も
見られます。景気がよさそうな一帯です。
センリョウ(NO.2937)
マンリョウ(NO.2950)
いずれも宮内庁ホームページより
マンサクは、春の他の花に先駆けて"まず咲く"から"まんさく"と呼ばれている
そうです。また、たくさんの花をつけるので、「豊年満作」から名づけられたという
説もあります。
黄金色の花は、とても香りがよく、特にシナマンサクは花が咲くときに前年の枯れ葉
が落ちないでついていることが多いので、受験生にとっては縁起の良い花と言えそう
です。
我が家の長女は、まさに受験生・・・"幸福の到来"を願っています。
大吟醸「まんさくの花」という、優しく華やかな香りとのど越しのすっきりとしたお酒が
あります。平成20年全国新酒鑑平会金賞受賞蔵の日の丸酒造(秋田県横手市)
のお酒です。
お祝いの席にもお薦めです。
今年の花だよりは、さらに発展して 楽しく美味しい情報も満載でお伝えしたいと
思います。
どうぞ ご期待くださいませ。
「高野槇」
- 2009年1月 5日 12:12
- 花だより
『新年 明けまして おめでとうございます。
本年もどうぞ よろしくお願い申し上げます。』
高野槇
雲ひとつない青空に向かって、まっすぐに伸びている高野槇です。
日本固有の常緑針葉樹で、高野山に多く生えていることからその名
がつけられました。
秋篠宮家の長男・悠仁さまのお印として知られています。
まっすぐに素直に成長してほしいという願いが込められたお印です。
大きなものでは、高さ40メートル以上にもなるそうです。
この高野槇は夫が氏子の会の一員として、様々な行事や活動でお手伝い
をさせていただいている荻窪八幡神社のシンボルであり、御神木のように
大切な存在です。
"千年の杜・五百年の高野槇"で地元に親しまれていて、毎年 初詣には
家族で参ります。
荻窪八幡神社のご由緒は、第59代宇多天皇の寛平年間(約1100年前)に
創祀されたと伝えられています。
御祭神は、応神天皇で毎年9月には例大祭が行われます。
3年に1度の神社神輿の渡御には古式ゆかしい装束に身を包んだ人々や
ご神馬の行列もあって、雅な雰囲気を味わうことができます。
今年 平成21年はその年にあたり、今からとても楽しみです。
実は、この高野槇は10年ほど前から枯れが目立つようになり、専門家に見て
いただき養生をしてきました。我々地元住民もその状況を、心配しながらも
静かに見守っていました。
ここ2~3年は、ずいぶん元気が回復したように見えます。
冒頭にご紹介した写真からも明らかですが・・・青空に映える緑の針葉がそれを
物語っています。
ところで・・・
今年も私の始動は、新年一般参賀からでした。
参賀者は約7万5000人だったそうです。
皇居前の行列
橋の上にも大勢の国民
天皇陛下は、「今年が国民にとり少しでも良い年になるように願っています」
とあいさつをされました。
陛下のお顔色やお声のようすから、お元気そうなようすが感じられて安堵しました。
午前と午後 合わせて5回、宮殿・長和殿のベランダにお立ちになり手を振って
お応えになりました。
雅子さまは6年ぶりにすべてに出席されました。また、昨年7月に20歳になられた
高円宮家の次女・典子さまも初めてご出席になりました。
3年後には眞子さまが、6年後には佳子さまも出席されることになります。
今年はさらに気を引き締めて、伝えるべき大切なことを誠実にリポートして参ります。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
今年もどうぞ よろしくお願い申し上げます。
「感謝の気持ちを込めて」
- 2008年12月28日 16:21
- その他
西暦2008年、皇紀2668年も、わずか数日となりました。
この1年、皆さまはどのようにお過ごしになりましたでしょうか?
私は、1日1日を大切にと心がけて過ごしたつもりですが、
振り返ると???の日も正直ありました。
まだまだ修行が足りません。
ただ、家族がみな元気に仲良く過ごすことができたことは家庭人としては
「努力賞」をいただけるでしょうか。
楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、辛いことなど、そのすべてが個々の
歴史です。
将来につながる各々の歴史は、人生を歩むなかできっと役立つはずですよね。
☆「皇居の花だより」を毎回、お読みくださっている皆様へ☆
皆様からのメッセージは、事務所を通じて届いています。
たくさんの激励、ご意見など、お寄せくださりありがとうございます。
取材活動のとても大きな力と、心の支えになっております。
心より感謝申し上げます。
新しい年が、皇室にとってよき年でありますように・・・と願いつつ誠実に取材を
して、伝えるべき大切なことをしっかりとリポートしていきたいと思います。
来年は、また新たな挑戦も考えておりますので時期が来ましたら、お知らせ
します。そして、皇居のお花の情報はさらに詳しくお伝えしたいと思っています。
それでは皆様、良き年末年始をお過ごしくださいませ。
「国宝 玉虫厨子」
- 2008年12月18日 14:48
- その他
国立科学博物館では、12月21日まで興味深い展示がされています。
ミニ企画展「蘇る技と美 玉虫厨子」が開催されています。
我々先祖の、すばらしい伝統の技と美しい芸術を鑑賞することが
できます。
国宝 玉虫厨子 国立科学博物館ホームページより
「玉虫厨子」は飛鳥時代に製作され、法隆寺の金堂に安置されています。
仏堂形の厨子(仏像を安置する両扉の箱)は、日本の国宝に指定されて
います。
透かし彫りの飾り金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めていたことから
「玉虫厨子」といわれています。現在は、玉虫の羽は一部に残るのみです。
詳しくはこちらで・・・
http://www.kahaku.go.jp/
飛鳥時代の技と美にふれる貴重な機会です。
この週末 いかがでしょうか。
「第109代 明正天皇(めいしょうてんのう)」
- 2008年12月16日 11:55
- 歴代天皇
今年最後の「歴代天皇の詔勅」研究会に出席しました。(みことのり普及の会主催)
詔勅(みことのり)は、私たちが普段使うことのない言葉で綴られていて(まだ未熟
な私には特に)読み進めるだけでも難しいのですが、テンポと響きがとても美しい
ので好きです。
毎回、その綴りにふれるだけでも、気持ちが清らかになるような心地よさが不思議
な快感です。
古来の大和言葉が 先祖代々 日本人の心に知らぬ間にインプットされている
のでしょうか。
さて、今回のテーマは
「第109代 明正天皇(めいしょうてんのう) 譲位の宣命」(1193詔)です。
明正天皇は、第48代称徳天皇以来 859年ぶりにご即位になった女帝です。
父は御水尾天皇、母は徳川和子(まさこ)徳川家康の孫で秀忠の娘です。
徳川将軍家を外戚とする唯一の天皇です。
この宣命は、明正天皇が21歳の時、弟君である御水尾天皇の第四皇子紹仁
(つぐひと)親王に譲位をするときのものです。
実は、この譲位によって男系が維持されました。
ちなみに、明正天皇の呼び名は、第43代元明女帝と第44代元正女帝のふたり
の女帝から一文字づつ取って、「明正」とされたそうです。
明正天皇は、宣命のなかで我が身がいかに徳がないかを示しています。
それは、歴代天皇が"徳"を積む心を大事に国を治めてきた背景がある
からだといいます。つまり国を"武"で治めることは論外なのです。
その意味で、父 御水尾天皇がその後の天皇に 徳川の血を入れたくない
という気持ちがあったようで、様々な現象が起きています。
明正天皇の母である徳川和子と御水尾天皇との間に生まれた皇子(男子)
は、皆 早世 つまり幼くして逝去しています。なぜ そのようになったのか
今もなぞ・・・ですが、第112代霊元天皇までのすべての天皇は御水尾天皇
の皇子皇女です。
明正天皇は、弟君に譲位後は生涯 独身でした。
歴代女帝の8人10代の方々も、皇后か あるいは帝がまだ幼いので皇女を
たてて成長を待ち、年齢に達すると親王に譲位し、自身はすぐに身をひいて、
ひとり身で生涯を過ごされています。
詔勅(みことのり)から、日本の歴史をたどる研究はとても興味深く、時間が
いくらあっても足りません。
女帝論を考察する上で、時代背景も重要であり 今後の皇室に関連した様々
な議論にも参考になる研究会でした。
私が特に印象に残ったことは・・・
国を治めるのに大切なのは"武"ではなく"徳"という、脈々と受け継がれている
貴い御心です。
「一般参賀」
- 2008年12月12日 11:05
- 皇居
先日、用事があって皇居に行って参りました。
この日は、穏やかなお天気にも恵まれて富士見櫓もくっきり青空
に映えていました。
富士見櫓
こちらは、二重橋の奥に見えているおなじみの伏見櫓をバックに・・・
ところで、皆さんは皇居に入ったことがありますか?
普段は閉められている、皇居正門から皇居内に入ることのできる機会が
1年に2回あります。
天皇誕生日と新年1月2日の一般参賀の機会です。
この日は、宮殿・長和殿のベランダに天皇皇后両陛下はじめ皇族方が
お立ちになり、国民のお祝をお受けになります。
そして、天皇陛下がお言葉を述べられます。
宮殿
ベランダの設営も完了
あと10日ほどで、天皇陛下の御誕生日です。
皇居では、一般参賀の準備が進められていました。
各種 看板も準備されて
参賀の要項はこちらで紹介されています。
○天皇誕生日 一般参賀
http://www.kunaicho.go.jp/17/d17-01.html
○新年 一般参賀
http://www.kunaicho.go.jp/17/d17-02.html
お時間のある方は、是非 どうぞ・・・
清々しい気持ちで1日を過ごすことができます。
「紀子さまの手話」
- 2008年12月10日 11:52
- その他
「紀子さまの手話」
12月8日の式典で秋篠宮妃紀子さまが、手話でお言葉を述べられました。
永田町にある憲政記念館で、「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」
(主催 財団法人 聴覚障害者教育福祉協会 会長 山東昭子氏)が行われました。
今回で31回目を迎える行事です。式典には塩谷立文部科学大臣、大村秀章厚生労働副大臣も出席しました。
憲政記念館
紀子さまは昨年の30回の記念式典よりご臨席になり、今回で2回目のご参加
です。
紀子さまは、7~8分に及ぶお言葉のすべてを手話でお話になりました。
手話の専門家ともいうべき、手話通訳の方によりますと紀子さまの手話は
動きが美しくしなやかで優しさにあふれているそうです。
手話にも、お人柄があらわれるようです。
紀子さまのお言葉の内容は、
「現在は以前にくらべて子育ての環境は大きく改善され、障害者も社会の中で
ともに助け合うというノーマライゼーションの考え方が行き渡ってきました。
しかしこれまで聴覚障害をもつ子を育てるなかで、計り知れない努力をされて
きたと思います。
そのような中で、強い勇気と希望を持ちながら、(聴覚障害児を)大事にしっかり
と育ててこられた事に敬意を表します。
聴覚障害に対する理解が深まり、安心して暮らせる社会になることを願います」
会場に集まった多くのお母さんたちは、紀子さまのお言葉に元気と力、希望を
いただいた・・・と、笑顔でお話されていました。
実は、昨年 紀子さまが初めてこの行事にご出席になるにあたり、聴覚障害児を
育てた母たちの手記「ハマナスのうた」をお読みになり臨まれました。
紀子さまはこの手記について、
「我が子の誕生、障害の発見、言葉の獲得、学校の卒業、就職、結婚と懸命に
生きてきた経験がつづられているなかから、子どもが悲しみ・悩みを抱えつつ
親と支えあいながら自立していく力を身につけ、社会人として巣立っていく喜びは
深く心に響いて参りました」とお話になっています。
今回 受賞されたお母さんたちの胸元には、鮮やかな紅色のハマナスの花
がつけられました。事務局のかたが、心をこめて手作りしたお花です。
ハマナスは、海岸の砂地に生え、酷寒、風雪、炎天など自然の厳しさに耐え、
春になれば甘い香りをもつ美しい紅色の花を咲かせます。
皇太子妃雅子さまの御印がハマナスです。
式典の後半には、ろう学校の小学部の子どもたちが太鼓演奏したり、
全国聾学校作文コンクールで、最優秀賞を受賞した作品が発表されました。
私も今、子育てをしている母の立場で 多くのお母さんとの対話を通して、
とても大事なことを学んだ一日になりました。
「祝賀レセプション」
- 2008年12月 8日 11:41
- その他
12月5日 タイ国王陛下81歳御誕生日 祝賀レセプションに
出席しました。
ここ最近の報道で心配されるタイ国内の状況が少しでも良い方向
に向かいますように・・・と、タイの知人と話をしました。
すると、「日本のエンペラーのご体調はいかがですか?」と気遣い
の質問をされました。
タイの皆さんは、"日本の皇室"に敬愛と親しみの気持ちをお持ちです。
また、皇室とタイ王室との交流の歴史も長く、そのことをタイの方々は
よく知っています。
また、タイの家庭料理で定番の食材ともいえる「ティラピア」は、日本の
天皇陛下が贈られた魚です。「仁魚」とも呼ばれていて、天皇陛下の
お名前「明仁」から一文字いただき名づけられました。
天皇陛下が皇太子時代の昭和39年、タイを公式訪問されたとき
タイ国王からタイの山奥に住む苗(びょう)族のたんぱく質不足の
問題をお聞きになりました。
魚類学者の陛下は、飼育が容易なティラピアを50尾、タイ国王に
贈られました。
ティラピア(仁魚)は、タイ国内で養殖され国民の栄養状態の改善に
貢献しました。さらに、1973年にはタイからバングラディシュへ
食糧支援として50万尾が贈られました。
陛下の慈愛は、タイの人々を助けるとともに さらにタイ国民が
バングラディシュ国民を助けるという善意の輪が広がりました。
そしてまた、次世代の秋篠宮殿下はタイでは最も有名なプリンスです。
タイの人々も殿下が天皇陛下の次男であることをよくご存じで
"お髭の殿下"と親しみの気持ちを抱いているようです。
その秋篠宮殿下は先日(11/30)、43歳の誕生日を迎えられ、
記者会見では紀子さまとご一緒にご公務のこと、お子さまがたの事など
率直なお気持ちをお話になりました。
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/akishino-kaiken-h20.html
レセプションでお会いしたタイ王国はじめ各国の方々は、
「私たちもエンペラーのご快復をお祈りしています」と。
私もお健やかな日々を心からお祈り申し上げます。