January
17
2009
車の快感はどこから来るのか?瞬時に吹け上がるエンジン、思い通りのラインをトレースできるハンドリング、手首だけで決まる節度あるミッション、その気にさせるインテリア、自己主張の塊のようなエクステリア。快適な乗り心地。最先端のメカニズム・・・等々。どれもが重要な要素だとは思いますが、一つだけ突出していても他が並以下ならば快感は相殺されてしまいますし、突出する部分がないと短期間のうちに飽きてしまう。実用性重視のセダンやワンボックスでも、過剰な性能のスポーツカーや高級セダンでも、多かれ少なかれ同じように感じると思います。今、世界の流れはハイブリッドカーへ。そしてやがては代替燃料車も登場するでしょう。燃費効率を極限まで追求しちゃうとみな同じようなデザインになってしまいますね。エンジン + モーターのハイブリッド車は、燃費がいいのは歓迎ですが、これからはデザインを思い切り個性的にやってしまっていいのではないか、と思います。市販車は空力特性などは、あまり気にしない。多少のロスが出ても、スタイルが楽しい方が断然いいし、売れると思う。これから世界中のメーカーがハイブリッドへ参入してくる時代ですから、デザインはより一層重要なファクターになるはずです。
僕が好きなスポーツカーの世界で、果敢にチャレンジしてほぼすべての部分で敗れ去った国産スポーツカーこそが、HONDA NSX でしょう。
4)チャレンジした車・・・「HONDA NSX」
いままで僕が所有した車の中で、もっとも思い出深い車のことをどうしても書きたかった。「オリジナルな自動車の生産」という無謀な夢を抱き、破れた後もチューナーになろうと足掻いていた。その車にのめり込んだ15年間の最後の車こそ、HONDA NSX です。そして、このNSXが僕の運命を決定的に左右することになろうとは、当時は夢にも思いませんでした。
□ NSXを買っちゃえ!
当時僕は疲れ果てていました。バブル崩壊後、今とは比較にならないほど厳しい状況に立たされていた中小企業。そんな中で星野金属の再生は困難を極めていました。親会社は生産を片っ端から海外へシフト、完全に産業の空洞化の波が星野金属を直撃した。増え続ける借入金の返済目処は立たず、仕事も急激に落ち込むばかり。毎日深夜まで働いても将来の希望がまったく持てない時期。新たな受注は赤字覚悟。当時の状況は、確かに今よりも酷かったと思います。コツコツと蓄えた貯金の大半は資金繰りへと消え、きっと僕は毎日酷い顔をしていたのだろうと思いますね。そんなある日、女房が「NSXいいね。欲しいでしょ?」と話しかけてきた。「夢かなぁ」 「買う?買っちゃおうよ。」 「買えないよ」 「買えるよ、ほら!」 差し出したのは内緒で蓄えていた預金通帳。 「毎日、こんなに苦しい思いで頑張っているのだから、何かなきゃやってられないよね・・・」 それから数ヵ月後、家族で実車展示のある前橋のHONDAディーラーへ出向くことになりました。もちろん購入する意思などなく、ただピクニックがてら実車を見てみたかったのですね。
ディーラーでは「売約済」の札が張られたシルバーのNSXが展示してありました。憧れの車を目の前にして、気持ちは高鳴りましたね。ヨチヨチ歩きの長女が、ドアノブに手を触れた瞬間に、フロアの奥から営業マンの声が・・。 「あっ!ダメですよ!子供に触らせないで!」「高価な車ですから・・触らないようにお願いしますよ!」 他のお客にも聞こえんばかりの大きな声で注意を受けました。「えっ、普通にフロアに展示してあるのに?」 いくら高価なスポーツカーといえど、展示している以上、そして注意事項の掲示もなく、通常の車と同じ扱いである以上、触るでしょう。僕は「それほど貴重なら一般展示すべきではないでしょう?」と反論しました。「売約済みってあるでしょう?」「ありますね、なら、もし僕がここで買ったなら、こうして一般展示されちゃうわけですか?」「・・・・・」 バブルが崩壊したとはいえ、当時はまだまだ余韻が残っていてNSXの実車は地方のディーラーにとってもきわめて貴重だったのでしょう。また当時の僕達家族の身なりが粗末だったので、見込み客ではないと瞬時に判断されたからでしょうか。憧れの車を目の前にして僕達家族は、憮然として家路につきました。帰りの車内で女房は・・・「バカにしてるよね?」「人をみてるよね」「そんなに貧乏にみえたのかな」とボソボソと言ってました。「無性に腹が立つな」「うん」 NSXの第一印象は最悪なものになりました。
それから一週間後の日曜日、「買う?」「買うか?」「買っちゃえば!」「買っちゃうか!」(笑) 早速市内のHONDAディーラーへ。それもボロボロのジーンズと粗末なシャツ姿。髭も剃らず髪もボサボサ。女房も古着まがいの服装で出かけましたね。「あの~~、NSXください!」(苦笑) 「NSXでございますね、すぐにカタログお持ちいたします。」と丁重な対応。コーヒーを振舞われて待つこと数分、店長と担当営業の方が対応してくださいました。先週の前橋での出来事を話すと「申し訳ございません。そこはうちの店です。営業は○○というものです。厳重に注意しておきますので。」「では、NSX下さい!」「はい、今、ご注文いただきますと納車は1年8ヶ月後でございます。」「わかりました。今日注文して帰ります。」 それから2時間ほど注文手続きを行い帰りました。帰宅後、予約金を100万ほど入れなきゃならないけど、お金あるの?と女房に聞くと顔色が冴えない。「そんなに高いとは思わなかった・・」 差し出された通帳の残高は285万円でした(苦笑)
□ 10ヶ月後に納車!?
あれから1ヶ月おきに納車までのウエイティングタイムは縮まって行き、納車は10ヶ月後でした。キャンセルが続出したのが原因だそうで、その状況はいまの景気後退と酷似しています。しかし困り果てたのは僕で、納車までに貯金しておこうという計算がもろくも崩れ去りました。方々からかき集め何とか半分まで(涙)。後はローン!仕方ありません。納車の日、帰宅してから早速街へ女房を誘って乗り出しました。当時、次女の出産を2ヵ月後に控えた女房は、その乗り心地の堅さに「なんて乗り心地悪いの?お腹に振動が・・・」。HONDAが威信をかけて送り出したスポーツカーですから、当時の車の基準では相当に「硬い」サスペンション設定でした。以来、女房の評判は芳しくありませんでした(苦笑)。
納車されたNSXはダークグリーンメタリックの外装にレッド皮の内装というイギリス製スポーツカー定番の配色を奢りました。グリーンのNSXってきわめてレアだったみたいです。エンジンはV6 ナチュラルアスピレーション3000cc VTEC。鍛造ピストンとチタンコンロッドで軽量化と強度を確保しながら最高出力280psを7300rpmで発揮します。REV.LIMITは8000rpmという定番の高回転型。いままで経験した4気筒VTECの軽快さの代わりに、非常に質感を伴ったフィーリング。6000rpmを超えてバルブリフト量が多くなると甲高いTWINCAMサウンドへ変身します。その境目の心地良さは涕目ものです。これをMIDにマウント。つまりこのサウンドは背後から聞こえてくるんですね。速度を増すにつれ、音質が微妙に変化してくる。こいつはもう病みつきですか。サスは変形ダブルウィシュボーンで、フロントフェンダーを覗き込むとアルミ鍛造アームが誇らしげにサスを構成しています。ステアングはリニアな感触のノンパワー式。これはこれで車庫入れには一苦労。ターボ車(FAIRLADY Z32)で大トルクに慣れていたせいかパワーはまったく感じられませんでしたが、アクセルのつき、所謂リニアなレスポンスは非常に気持ちのいいものだということを再認識させられました。ただし、フェラーリのような圧巻の吹け上がりと回転落ちは期待できません。あくまでも実用的なスポーツカーを目指したのだそうです。シートは、これは大柄の僕には珍しくジャストフィットでした。非常に秀作だったと思います。しばらくは僕にとって夢のような日々となりました。
□ 徐々に違和感が・・・
僕にとって飛び切り高価な車。家計を犠牲にしてまで手に入れた車。それがNSXでしたが、半年くらいすると徐々に違和感を覚えるようになりました。矢のような直進安定性のかわりに、期待したほどレスポンスの出ないコーナリング。MIDにエンジンを搭載する車を万人が楽しめる・・・そういうコンセプトが、この車のスポーツカーとしての資質を、そぎ落としていたのだと思います。運転はきわめて快適、つまりあらゆる走行性能が安定方向へ振られていることの証明でしょう。これなら、むしろトルコン(オートマチック)車の方がいいのかもしれない、と思うようになりました。減速時(ヒールアンドトゥ)のアクセルレスポンスもINTEGLAの方が数段軽快でした。もっとも、この車でそんなシフトダウンをするのは気恥ずかしいというのもありましたが・・。実用性はまったく問題なかった。普段の足として何の覚悟もなくエンジンスイッチを入れることができます。乗ることに躊躇いがない・・・そんな車だったと思います。
そして極めつけは、あのデザインでしょう。イメージは、ジェット戦闘機のキャノピーだそうで、なるほどそういうイメージはあると思いますが、フロントフェンダーからリアフェンダーまでのライン、リアのまったく理解できないオーバーハング、リアウイングの処理。ドアあたりまでは戦闘機でも、そこから後方は爆撃機です。ゴルフバッグが積める実用性の高いトランクを設けた・・・バブル期ならでは、の発想ですね。大手の自動車メーカーでは、いろいろな意見がでるのでしょう。それがHONDAといえども、そんな発想をする人がいるなんて・・・。こういう車は一人に全権を任せて作るべきだと思いますね。なにもかも、合議で作られた・・そんな中途半端さが随所に見られる感じでした。1年をともにする頃からは、所詮国産スポーツカーってここまでなのかな、と思うようになった自分が、悲しかったですね。
□ アルミシャシーはまさに芸術的
個人的な感情は別にして、このNSXの作りは、同じ金属加工屋の目で見てもほとんど芸術的でした。ボンネットをあけるとフレームが垣間見えます。その一つ一つになんとも合理的な加工が施されています。接合方法も多彩な技が随所に用いられている。金属加工品としてみると、世界最高のアルミの芸術です。振動吸収対策の方法や、はめ込み結合の方法、さらにはサスペンション取り付け部の補強方法など、これらはみな「目から鱗」の世界でした。エンジンもサスもフレームも、パネルもすべてアルミ製・・・。その加工技術はただ事ではないと思いましたね。その意味でこの車を所有する機会を持てたのは、僕にとって運命的であったのかもしれません。徐々に虫が騒ぎ始めて、1年後からはECUやメーターパネル、マフラーを交換してゆきました。しかし、オリジナルの絶妙なバランスを高回転化するECUを装着したことで、損なってしまいました。あの、乗りやすさは、ECUの絶妙なチューニングが大きなファクターであることを思い知らされた。僅かREVを800rpmあげるために、低速トルクを大いに犠牲にしてしまいました。これは大きな失敗だと今でも後悔しています。
□ NSXからWiNDyが生まれた
NSXと生活をともにした期間は都合6年間に及びます。もし、この車が僕の傍らになかったなら、僕はバブル崩壊から延々と続く苦しい時期に耐えることは出来なかったと思います。車の存在というのは、特に男にとっては、それほどに存在感の大きいものなのだと思います。まさに人生の一部を形作る重要なファクターに違いない。良くも悪しくも僕は普段の生活をこの車と過ごしました。そしてその最後の夏、激しい夕立で洪水となった通勤路で全損事故(自爆)を起こしてしまいました。しかし、CPUクーラーを発売し、波に乗ってその秋からケースの設計に取り掛かるという忙しさから、悔いる暇もありませんでした。1998年11月、スティールで作られたMT-PRO2000を目の当たりにして、「これでは売れない、売る意味がない」と呆然としました。そのとき、NSXのことを思い出し、アルミで作れないか?と発想したわけです。まさに、WiNDyアルミケースは僕にとってNSXの生まれ変わりのような意味がありました。
NSXはHONDAが初めて挑戦したピュアスポーツであったと思います。確かに初期のS6/S8は素晴らしいチャレンジだったと思いますが、NSXの方が上でしょう。大企業であるがゆえの中途半端さは随所に垣間見えましたが、それでも、そのチャレンジスピリットは賞賛に値すると思います。ビジネス的には完全に失敗だったと思われますし、生産中止となった今、復活は望むべくもありません。今後、この厳しい経済環境のなかで、この車に匹敵する車種はほぼ絶望的な状況でしょう。しかし、NSXからは、主査の上原氏をはじめスタッフの皆さんの情熱は、ひしひしと伝わってきました。僕はモノづくりに携わる人間として、NSXに賭けたスタッフの皆様の熱意が非常に貴重なものに思えました。その気持ちを僕はWiNDyに伝えてきました。良作もあれば失敗もあったと思いますが、どの製品にもすべて持てる最大限の情熱を注ぎ込んでいます。そして、それは今でも変わらぬ姿勢です。
Posted by 有海啓介 | この記事のURL |