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思い出の車 ③

January
16
2009

 車に愛着が湧くと手放してから非常に後悔することがありますね。車が好きで・・・、お酒も飲まないし、ほとんど遊びにも行かない僕の息抜きが車・・・なんて、自分で自分に思い切り言い訳をするんです。それで、次々に目移りしてゆく。買ってもいないのにドライブしている姿を想像しちゃって、夢にうなされる期間が始まるともういけません。これが約半年くらい続いちゃって、気が付くとディーラーに居た、なんてこともありました。借金だらけで、ほぼ一文無しの状態だったWiNDyの創業から約2年後、見た瞬間に熱にうなされ続けた車が、HONDA S2000 でした。

 

3)後悔してる車・・・「HONDA S2000」 

 

 以前にHONDA INTEGRA TYPE R (1996年製)に少し乗って(約1年で弟に譲り渡しました。)、HONDAのあのVTEC TWINCAM 4気筒に参ってしまいました。突き抜けんばかりの吹き上がり!6000rpmから上はまさに悦楽の世界です。VTECという可変ローラーアーム切り替え式のツインカムヘッドは、まるでマジックボックスです。レブリミットは8,400rpm、そこをSPOON製のECUで8,800rpmまで!これを弟に自慢したとたんに譲れということに(笑)。物凄い、鮮烈な体験で、昔女房が乗っていた4A-GのカローラFXを初めて運転したときのような感動を味わいました。譲ってしまってからは、本当に寂しい日々。その憂鬱が覚めやらぬうちに出てきたのが「S2000」だったのです。

 

 

 もちろん、名車「S6/S8」の伝統を受け継ぐこの車は2シーターオープンカーで、実用性ゼロ!もうただ道楽のために乗るんです。出来れば2シーターといえど他人は絶対に乗せたくないので、ほとんど一人で乗っていましたね。こういう車を販売するとき、まず「コンセプト」という図が必ず登場します。人と車の一体感の追求・・・とかね。でも、こういう車は本質的に理屈じゃないし、どちらかといえば反社会的な存在に近いかもしれません。だから、自分ひとりでこっそりと楽しむべきなんです(笑)。エンジンはなんと最高出力を8,300rpmで発揮する市販車としては超高回転型のF20C型。4発でチェーン駆動とくればそれだけで涙がチョチョぎれます。得意のローラー式VTECヘッドを載せたエンジンは・・・・。と、絶賛したいところですが、いささかHONDAの技術陣はやりすぎじゃない?と感じましたね。それはエンジンマウントです。F3みたいにダイレクトなのですが、振動もダイレクト(苦笑)。INTEGLAみたいなスムーズネスに少し欠けるから、上まで回すとかなり手ごわいです。レブリミットは市販の状態で確か9000rpmだったかな?恐ろしくブンまわります。ショートストロークのミッションは6MTでかなりローギアード。クラッチもデュアルプレートで相当に強い。そして強いといえば、ボディの剛性で、オープンカーとは到底思えない強さがありました。ですから、はっきり行ってドリフトなどは自由自在です。ヒール・アンド・トゥで減速しながら重心を前輪にかけつつアクセル・オンで、左右どちらにも思いのままスライドしますよ。お叱りを覚悟で告白すると・・・秘密の練習場でかなり練習しましたね(苦笑)。

 

 唯一気に入らない点は、デジタルメーターであったこと。F1では当たり前らしいですが、やはりSPEED&REVカウンターは、アナログ式以外に(生理的に)受け付けないですね。反対に絶対的に素晴らしいのは、エンジンもサスも素晴らしいのですが・・・・オープンカーであるという事実。初めて乗ったときは、「驚きと感動」で涙でました。自動車というのは、本来屋根なんかなくて・・・、というカー雑誌の記述が非常にリアルに感じられましたね。信号で止まったとき、隣に来たバイクのライダーさんと会話できちゃうんですよ。これって一種のカルチャーショックに近かったかもしれません。また夜間走行でオープンで走ると、田舎道などは、闇が怖いんです。なんともいえない恐怖につつまれる。ここで初めて夜というのは怖いものなんだと思い知るわけです。もう、毎日がこういう体験の連続でしたね。だから、できる限り、オープンで乗りました。あるとき、田舎道で暴走族に取り囲まれました。「おい!格好つけてんじゃねーよ!」「オラオラオラ!」と叫びながら僕の車の前や横を蛇行運転しています。正直、このときは、なぜか度胸が据わっていて、結構言い返した。暴力沙汰にはなりませんでしたが、オープンカーというのは、こういうことがごくごく日常に起こりえるものなのです。通学の子供達と会話できちゃったり、となりの車の運転手さんから、声かけられたりと、なんだか急にフレンドリーな気分にもなりました。

 

  デザインは・・・正直あまり秀作とは言えません。実車は驚くほどロングノーズで、2シーターだからショートデッキ。でも重量配分を前後比50:50に拘りすぎたのか、キャビンは足元が窮屈です。大柄の僕にはバケットシートの横幅も全然足りない。HONDAの車は概してシート幅の基準が狭すぎます。で、頑強なフレーム構造もあって、デザインの制約が見た目以上に大きかったのかな、とも思いました。もう少し、フェンダーラインを強調した緩やかな曲線が欲しかったかなと。フロントのフェンダーとライトの角度がきつく、深海魚みたいです。もう少し、古典的なラインでもよかったのではないかと感じました。

 

 長い人生の中で、一度はオープンカーに乗ってみるというのもいいかも知れませんね。きっと生きてる実感みたいなものを肌で感じることが出来ると思いますね。その後、約3年間所有した後、徐々に忙しくなっちゃって手入れも出来なくなりました。車庫においてあるS2000を眺めたとき、しっかりとメンテも出来ないようじゃ、もったいないと思い、衝動的に手放しました。それが、いまでは物凄い後悔となって残っています。すでに7年が経ち、今年は50歳となります。もう、そういう機会は持てないかも知れないですね。

 

 

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思い出の車 ②

January
15
2009

 車好きが高じて趣味でメカニックについての勉強をしだしたのは28歳前後くらいから。モノづくりの端くれであったことも、意欲を掻き立てられて、いつしか将来の夢は「オリジナルな車を作ること」になった。その夢は、バブル崩壊とその後の失われた10年によって儚く散ってしまいましたが、かなり準備をしていたこともあって今は、非常に悔いが残っていますね。実際に当時企画を練っていた構想は、後に「光岡自動車」さんが、ほぼその通りのビジネスを実現されたので、心から尊敬しています。

 

2)勉強した車・・・「日産FAIRLADY Z(4代目Z32) VG30DETT」

 

 そういう背景もあって、「車作り」は断念しましたが、僕のメカニックに対する意欲は衰えませんでした。そして第二の目標を立てた。それは車のチューナーになりたいということでした。当時、星野金属には、少し体裁を整えるとすぐにでもエンジンチューンが出来るほどの機械設備がありましたので、これを何とか上手く使ってビジネスする以外にバブル後の超絶不況を乗り切る手段はないかな、と思っていました。その当時、乗っていた車が所謂、Z32といわれた日産Fairlady Zでした。色はイエローパールマイカ。黄色ですが、マイカの効果で晴天では非常に反射率が高く薄いイエローに、雨天でははっきりとした濃いイエローに見える非常に表情の豊かな良い色でした。後にランボルギーニ・ディアブロにこのZ32にヘッドライトがそのまま搭載されて発売されましたが、ディアブロは「黄色い悪魔」などというニックネームがあったのでちょっと嬉しかったのを覚えています(笑)。

 

 

 Fairlady Zといえば、若い頃からの憧れでしたので、この車と過ごした4年間は本当に楽しかった。そしてほぼ自力でのチューニングを始めたのもこの車でした。愛車はFairlady Z 2by2 。後席がある実用的なモデルです(ちなみに2シーターもあります)。エンジンはV6 3000ccのツインターボ仕様。馬力自主規制ギリギリの280psを発揮します。この車、曰く付きで、同時期に名車R32(スカイラインTG-R)が開発されていましたが、日産としては「羊の皮を被った狼」の方に力が入るのは当然で、実際この車(Z32)はドタバタの開発だったと聞きます。当時、シーマで一発当てた日産は鼻息が荒くて、バブル経済を背景にして実に様々な新車ラッシュでした。それだけに、このZ32が登場するころは、スケジュールがタイトで、かなり手抜きがあったと言われています。開発終盤でスケジュールが押せ押せになっていたとき、アメリカの排気ガス規制をクリアするために非常に裏技を多用したという話もあります。ちなみに北米仕様は320psくらい出ていたということですが、国内では自主規制で280psに抑えなくてはいけません。そのために、日産が使った奥の手とは・・・・。これは後で書きます。

 

 サスペンションはダブルウイシュボーンでしたが、非常に乗り心地を重視したためにバネレート、ショックレートともに不足がち。バネ下の重量も相当に重く、急発進でドタドタと跳ねてしまう頼りなさ。ふわふわな感触の5MTは、節度のあるものよりも僕は好きでした。納車後、まずディーラーで日産純正の整備解説書を購入していただきました。約1ヶ月はメカニズムの勉強を懸命に行いましたね。そして次第にこの車の欠点が見えてきました。まず気になったのは駆動系の接続剛性が非常に弱いと言う点です。通常エンジンの振動対策はマウントで行いますが、あまりやりすぎると駆動系との接合で遊びがなくなります。かといって緩いと剛性がでない。まさにこのZ32はその欠点がモロに出ていた車でした。早速知り合いの整備工場でミッションを下ろしてみたら、その柔な取り付けに唖然でした。ミッションケースはマシニングの加工ミス(ミスホール)が随所に(数箇所)見受けられ、自動化が間に合わなかった様子が伺えました。ギアのシンクロは容量不足で気を使ってシフトをしないといけないと思いましたし、クラッチの圧力不足も非常に心配でした。ちなみにZ32の場合、ミッションを下ろすにはマフラー等排気系を外す必要があります。このとき、触媒前のフロントパイプ(確か内径45mm)に35mmに(パイプ径を)制限するワッシャーが溶接されていました。???これはどういう意味?と話題になりましたが、実際のところ考えられるのは触媒の容量不足、出力規制値をクリアするため、トルク不足をクリアするため、です。後日確認した裏話では「日本の規制に輸出仕様のままクリアするためらしい・・・」ということで、とどのつまりお金と時間をかけないで手っ取り早く自主規制をクリアしようとする狙いだったのだろうと思っています。それにしても、ターボを2個も搭載した高出力スポーツカーの命といえる出力とレスポンスを犠牲にしてしまう車作りに大いなる矛盾を感じました。

 

 そして、快適に走行するにはどうすればよいかを考えた末、まずは柔なシャシーの補強を溶接で30箇所程度行った後に、ミッションを乗せました。ミッション周りの剛性は溶接補強を入念にやりました。これで、乗り心地は凄く改善しました。当初は堅くなって嫌だなと思っていましたが、シャシー剛性を高めると乗り心地が良くなるので驚きました。メカニックに言わせると「そこがドイツ車との違い」と言うことでしたが、納得できる整備でした。次にブレーキです。違法改造になるのか非常にきわどい線でしたが、まずブレーキホースをゴム製からステンレスメッシュ製に交換しました。パッドはENDLESSというメーカーのTYPE Rという非常に柔らかなものをチョイス。これで、Z32がまさに別の車に生まれ変わりました。半年後、ショックをビルシュタインに交換すると乗り心地はそのままポルシェでした(本当に感動でした)。

 

 エンジンは基本的にノーマルですが、ターボのブースト圧を最大1.0まで高めた仕様。抜けないのでマフラーは車検適合の藤壺技研製に変えました。本当は柿本改にしようか迷ったのですが、暴走族みたいな音が嫌いでした。補器はブースト計をダッシュボードの中に、EBCとセットで。これらの取り付けはほぼ自分ですべて行いました。エンジンルーム内は、ターボ周りのホース類をすべて強化型に交換、パッキンもすべて締め替えました。後にエンジン系の改造はエスカレートしましたが、ここでは書くのを躊躇います。上記の仕様でエンジン出力は約420pc程度は軸出力で計測できました。トルクは55kg前後だったと思います。公道を走るときはノーマルで。287.6psという計測シートが記念に残っています。

 

 ここ、群馬県は自動車産業が盛んで、地元に富士重工業がありますが、隣市には日産系のコンピュータなどを生産している日本電子という中堅企業がありました。そこで自社製品(アフターマーケット向け)として、ドライブコンピュータを開発していたのですが、知り合いの伝でほぼ初期型の製品を譲っていただきまして、それを搭載していました。エンジンの電気信号を拾って演算すると、リアルタイムの馬力(計算値)、トルク(計算値)から0-400m、0-1000m等任意のタイム計測が可能であり、また燃費等もデジタル表示されるという優れもので、これは非常に楽しく活用しました(当時搭載車は日本でも数台だったと思います)。ちなみにこれを搭載するためには、ECU(エンジン・コントロール・ユニット)から信号を拾わねばならず、助手席の足元の床下に搭載されたECUを取り出すとき、ベニア板で蓋がしてあったのには閉口しましたね(苦笑)。これをきっかけに、エンジン制御にのめりこみまして・・・もしかしたらこれが今の仕事に大いに関係しているのではないか、と思っています。

 

 ECUに関しては、ほぼ独力で燃料供給用の3次元マップを解読したり、ホットワイヤー式のエアフローメーターを改良したり、吸気流量を計測したりといった経験が、ケース内部エアフローに生きています。正直、このときの空気の粘性とか空気は壁伝いに進むとか実に様々な経験値が得られましたね。V6エンジンやS6エンジンなどで吸気の場合、各シリンダーに同じ密度の空気を供給することがいかに難しいことか、ということもケース製作の大きなヒントになっています。いまでも時々見かけますが、僕にっては忘れられない一台となりました。

 

 

 

 

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思い出の車 ①

January
14
2009

 昨日GT-R Vspec のことを書いたら、急に自分の乗っていた車の思い出が甦って、少し書きたくなりました。男にとって車というのは「人生」の思い出を記す日記みたいなもので、車を思い出すと当時の自分の境遇や出来事が鮮やかに甦ります。僕はPCケースを作っていますが、PCが車のように「人生の日記」みたいな役割を果たせる存在になって欲しいと常々思っていました。特に、自作なんかしてると、余計に思い入れが生まれて、愛着も出て。だからいいケースを、個性的なケースを使ったほうが、より出来事が鮮明に刻まれるかな、なんて思っています。では、僕の思い出の車達です。

 

 1)忘れられない車・・・「HONDA PRELUDE(2代目) XZ ALB」

 

 

  人生で初めて手にした車がこのPRELUDEでした。色は濃紺だったかな。XX ALBというのが最上位グレードで、以下XX、XZ ALB、XZ、XCと続きます。だから上から3番目のグレードと言うことになります。手に入れたのは中古車で走行距離17,000-km。しかし当時のことなのでこの走行距離というのはまったく当てにできません。(中古販売の場合、メーターの巻き戻しなど当たり前の時代でしたから」購入価格は¥700,000-です。

 

  日本初のアンチスキッドブレーキを備えていて、Grossで1800cc 120psのデュアルキャブ仕様。排ガス規制でエンジンヘッド横に副燃焼室がついた代物で、いまの規格だと90psくらいの出力だと思われます。鬼のように固いノンパワステのステアリングは現代人には車庫入れ不可能でしょう(苦笑)。低くワイドなボディシェイプとワイドトレッドの組み合わせはチェーン装着に一苦労。変形ダブルウイシュボーンサスのアッパーアムが、タイヤ内側上方数センチにまでせり出して、ショートアームを補っています。それでも、コーナーではキャンバー変化が激しくて、ほとんど曲がりません(苦笑)駆動方式はFFで、コーナーで(アクセルを)抜けば超アンダー、入れるとトルクステアで行き先不明の怖い性質でした。でも、機能や性能はともかく、ゆったりとデートするには当時の定番で、その低いスタイルはまるでシャコタンチバラギ仕様(笑)。上の写真は後に追加されたツインカム仕様のB20型ですが、これも乗りましたが、かえってパワーがあるぶん、暴れやすかったなという印象でしたね。

 

 購入後の走行距離は約2年半で60,000km、通産77,000kmでクランクメタルが鳴り出しました。ロッカーアーム方式のエンジンヘッドからはオイル漏れが・・・。ALB(4輪アンチスキッドブレーキ)は、まったく効果なし。それでも愛着満点。毎日清掃してピカピカで乗ってましたね。1アーム方式のワイパーも凄く素敵(後にメルセデスCクラスでも採用!)。何より、そのスタイルは日本車として突出した個性を放っていました。これより5年ほど前に初代トヨタ・ソアラがでまして、そのスタイルが話題になりましたが、ピラーの処理やウエストラインは明らかにPRELUDEの方が格好よかったと思ってますね。

 

 遠出をするたびにどこか故障!フットブレーキが利かなくなったり(すぐに床まで抜けてしまいます!)、Pブレーキのワイヤーが伸びたり、ワイパーアームの根元が折れたり(笑)。リトラクタブルヘッドライトが夜間走行中にパカパカと閉じたり開いたり(苦笑)。いま思うと七転八倒の車生活を送ってました。でもこの車で覚えた技術も結構あって、5MTで回転数を合わせるとノンクラ(クラッチを踏まずに)シフトできることや(最後の20000kmくらいはほとんどクラッチを踏みませんでした。)、トルクステアの対処法など勉強になりました。1度、東名高速の養老SEで大雪に閉じ込められ夜を明かしたこともあったけ・・・。

 

 後年、自作ケースつくりを始めたとき、このときの愛着というか、そういう気持ちの持てるケースを作ろうと頑張りました。初めてだから完璧なものは到底無理ですが、それでも使っていて愛着が持てれば、それはいいケースかなと。MT-PRO2000はまさにそんな作品でしたね。

 

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日産GT-R Vspec

January
13
2009

 GT-R Vspec  価格はなんと1575万円!年間メンテナンス費用は推計150万円!国産のスポーツカーでこの価格というのは、あまりに凄すぎる。キャッチフレーズは「誰でもどんな時でも最高のスーパーカーライフを楽しめる」「自分とクルマが一体化したレーシングライクな走りを求める人」がターゲットと言うことですが・・・。若い頃から車好きで、知識だけは豊富になった僕にとって、このGT-R Vspecの存在は確かに羨望だけれど、歳をとってきて、苦労も十分味わって、気が付くと価値観が変わってきたかなと思います。

 

 いつも、バブルが崩壊した直後に、スーパースポーツカーは登場するんです。以前乗っていたNSXなんかも、バブルの絶頂で発表されて予約だけで納車は数年先とも言われていました。価格もプレミアが付く始末。しかし、発表から2年を経ずに確かバブルが崩壊しちゃって、ディーラーではキャンセルの山だったと記憶しています。ほぼ全財産と借金とで買ったNSXは、いかにも走りそうなスタイルですが、今思うと全然どう走っていいのかわからない車でしたね。NAエンジンは感覚的に気持ちがいいけれど、加速は悪いし、かといってワインディングをきびきび走るのには、重すぎて、なおかつMIDエンジンだからリバースが怖い。腕がないので、常に安全な運転しかしようもない。但し高速走行での燃費の良さには驚かされました。100km/h巡航では16km/lは楽に走る。省エネスポーツNo.1でしたね。しかし、結局のところ、スポートカーというのは、公道を楽に走れるものではないと思います。ピュアなものほど公道では疲れます。引き締まったサスは、体調が悪いと最悪で、良くても厳しい舗装は随所にありますし、首都高の継ぎ目が苦痛です。だから、本当に楽しかったスポーツカーは、実はインテグラなんです。TYPE Rという少しストロークの長い1.800ccエンジンが最高にご機嫌に吹け上がる!その後、S2000も乗りましたが、エンジンのフィールはインテグラがベストだった。パワーもちょうど良かったし、FFが気にならないハンドリングです。所詮僕の腕じゃ、インテくらいがちょうど良かったみたいですね。

 

 そんな経験から、このGT-R Vspecの凄さはちょっと想像できないくらいなのかもしれないですが、カーボンセラミックブレーキなんてほとんどF1の世界です。高出力のツインターボエンジンを味わえるのは、公道では高速の入り口から100km/l加速ぐらいでしょうか。とにかく「立ち上がり」を味わうには、面白いのでしょうが、それ以上現実には判らないのかも知れないですね。サーキットでは思い切って走れるでしょうが、それは日常ではないので。

 

 景気が悪くなって、遅れてきたスーパーカーにならなければいいけど。いつかステアリングを握ってみたい車ではありますけど。でも、欲しいとは思わなくなりました。車に対する価値観が変わったし、それ以上に人生に対する価値観も変わったせいかもしれません。車はもう卒業ですか・・・。

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PROシリーズ

 新年から「限定10台」で発売を開始した[ALTIUM VR2000GMBi PRO]はおかげさまで6台をお求めいただきました。現在慎重に製作が進んでいると言うことですので、いましばらくお待ちください。このPROシリーズのきっかけは、ある建築デザイナーのコメントでした。

 

 「建築家やデザイナーや、ビデオクリエーターや、もちろんミュージシャンなんかもそうですけど、とにかく仕事で使うツールには非常に拘るんです。なぜなら、常に拘った見方をしていないと自分が気付かないうちに普通になってしまうのです。もちろん普段の生活は普通にしていますが、仕事で普通ではいけないわけで、常に自分の立ち位置を意識していないと怖いんです。普通化する恐怖というか・・・。だからパソコンだって特別じゃないといけないと。これは贅沢とかじゃなくてPROとしての飯の種なんですよ。」

 

 僕だってケース製作、パソコン製作に関してはかなりPRO意識があるので、この話には凄く自然に共感できたのです。それで、ALCADIAで思い切り批判されてた当時、持論がなかなか理解してもらえなくて相当くさってた時期で、この話を聞いて急に気持ちが楽になった思い出があります。「拘る」と言うのなら思い切り拘ってみようということで、シャシー全体をシャンパンゴールドでアルマイトをかけて、なおグっと渋いオリジナルのガンメタリックを塗装して仕上げてみようと。何年も使い続けても変わらない、劣化しない素材品質。もちろんときとき拡張とかメンテで内部をあけるとそこはシャンパンゴールドのサプライズがある。張り詰めた緊張が一瞬和らぐようなサプライズ、そして改めてPROを意識できるようなサプライズがある。もちろん、フルオプション+搭載可能なオプショナルパーツを思い切り装着する。拡張しようと思いついたとき、オプションパーツがなくてネックになってしまうようなことは絶対にあってはいけないと思ったからです。現在、日本でPROをお使いのユーザー様は約250名ほどだと思いますが、うち恐らく約半数の方がPROのクリエーターの皆様で、残りが自作上級者の方だと思います。

 

 VR2000GMBi PROは当然のことながらIntel CORE i7プラットフォームにフル対応した非常に冷却性能の高いモデルとして、PROの皆様にご満足いただけると思います。

 

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続・渡辺善美衆議院議員

 TVで記者会見してたね。今日離党届を提出したと言うことです。遂に政変のトリガーが引かれたという感じがしないでもないですね。面白いのは、内閣閣僚のコメント。金子一義国土交通相は「けしからん・・・・」、鳩山総務相は「なんかわびしい・・・」。まず「けしからん」のは、相次ぐ失策、相次ぐ首相交代で国政を、そして経済対策をメチャメチャにぶっ壊した自民党でしょう?マジで「けしからん」よね。それから「わびしい」のは、支持率急降下で選挙も出来ない麻生内閣でしょう?次の総選挙で完全敗北が決定している自民党でしょう?マジ、「わびしい」ね。石破農相も「自分の意見が聞き入れられないから離党と言うなら政党は機能しなくなる」とまでおっしゃってますが、「国民の意見を聞き入れない政党こそ機能を失うのであって、それは十分に離党に値するでしょう。でも与謝野経済担当相は正論を言ってますけど。

 

 渡辺議員の主張はまさに正論そのものでしょう。でも、いまの日本はこの「正論」を堂々と掲げて行動するのが大変に難しいんですね。特に政治の世界では、堂々と「建前と本音」などと言ってのけるほど、居直った世界なので、国民の目から見てまともな行動をしている政治家の少ないこと。今の自民党政治は、建前は「議会制民主主義」などといってますけど、もはや完全に衆愚政治に堕ちたといってもいいのではないかと思いますね。コロコロと何度も内閣を改造しちゃうと、大臣は行政の専門知識さえままならぬままに、大臣のポストに付きます。1年やそこらで、今度は違う政治家が大臣に・・・。こんなことで、官僚を統制できるはずがない。だからまともな政治が出来るはずもないというのが、今の偽りのない姿でしょう。それでも、政党に所属することが政治家への第一条件であるということで、党の公認をもらいたくて仕方ない。選挙から政治活動、ポスト、官僚統制などなど、微妙にすべてが「党」という組織を通じて、関連しあって繋がっていて。こういう政治システムでは、あらゆる方面で立法と行政が機能しないという事実。それを目の当たりにして、何も主張しない、何も行動できない党所属の議員達などよりも「正論」を掲げ行動した渡辺善美議員のなんとすがすがしいことか!

 

 たとえどのようになろうと初心貫徹して、新しい政治の波を作って欲しいと思います。国民は皆、心の奥底では渡辺議員を応援しているでしょう。あまりの清清しさにちょっと感動しています。

 

 

 

 

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