2009年1月14日 (水)

「いのちを守るための緊急アピール」発表

社会司教委員会では、昨日、「いのちを守るための緊急アピール」を発表しました(全文は中央協議会のHPのこちらへどうぞ)。社会司教委員会とは、「日本のカトリック教会として、時のしるしを見極め、社会の中にあって予言的な役割を果たすこと、また社会の非福音的な事象に対して、教会の内外に福音の立場を明示し、社会の福音化に寄与することを目指」すために設けられている委員会です(中央協のHPより)。社会系の各委員会の担当として司教協議会会長から任命されている司教さんたちがメンバーとなっています。私もカリタスジャパンの責任司教として任命されていますので、担当司教の幸田司教とともに、社会司教委員会のメンバーとなっています。(なお一部ドラフト段階の文面が出回っているようですが、正式な文章は中央協のHPを参照下さい)

アピールの一番訴えたい事は、次の一文に述べられています。

「この緊急事態にあたり、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、多くの人がいのちの危機に直面しているということを訴え、今、特にその最悪の結果である「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたくこのアピールを出すことにしました」

このアピールは決して、教会として何もしていないからこれから新しく何かを開始しなくてはならない、というスタンスではありません。もちろん必要なところでは新しく始めなくてはならないでしょうが、すでにこういった問題に対応して活動を始めた方々や、これまで何十年もの長い間にさまざまな支援活動を行ってきた方々の働きに対して、協力と支援を強めていこうと(そして感謝も)呼びかけるものです。

問題は突発的に発生したものではなく、長年の歴史の中で積み上げられてきたものですから、おいそれと解決が見いだせるものではないのでしょうけれど、まず小さな問題に一つ一つ取り組んでいくところから、全体へと波及していく事を望みたいという姿勢です。全体としての大転換は政治にしかその力がないのかもしれません。宗教としては個々の方々の心の転換から入り込んで行ければ、とも思います。

とはいえ、「 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです(ヤコブ2章15節から17節)」と聖書にあるとおり、目前の事態に具体的に行動しない限りは意味がありません。自分にできる範囲をわきまえて、取り組みを考えていきたいと思います。

それから、カリタスジャパンの社会福祉部門で取り組んでいる「自死」の問題についても、経済情勢と切り離せいない相関関係があるという指摘もありますから、これについてもこれまでの啓発への取り組みを強めていきたいと思います。

いずれにしても問題の現実とその背景を知らない限りはふさわしい対応をとる事はできないのですから、常に学ぶ姿勢も持ちたいと思います。

アピールにもあるとおり、今後カリタスジャパンでは募金を呼びかけ、さまざまな支援活動に対する援助を行っていきたいと考えていますので、今週中にも具体策を検討して参ります。

|

2009年1月12日 (月)

そして大阪

釜ヶ崎へ出かけた先週の金曜日、その前に大阪司教館で社会司教委員会が開催されました。経済と雇用という社会全体を包み込む問題にどう対応するのか、個別対応や普遍化ができないので難しい課題ですが、まず現状を見つめて良く理解し、それぞれの現場での行動を促したり、またはすでに取り組んでおられる多くの方々の活動を支援する意味も込めて、社会司教委員会からのアピール文を発表する事になりました。現在、文章を整えていますので、明日、火曜日には公表となる予定です。全国一律に同じ行動をとる事はのできないでしょうし、それぞれの地域における状況にも違いがあります。教会が立ち位置を何処に置くのかを考えたいと思います。またカリタスジャパンでもこのアピールに呼応して、募金を開始する予定です。カリタスジャパン自体が実働部隊を持っているわけではないので、具体的に行動をとる事はできませんが、どのような形の援助となるのかは、これまでの災害救援を参考にしながら、それぞれの教区の担当者の皆さんと詰めていきたいと思います。

|

2009年1月11日 (日)

釜ヶ崎へ

写真で何度も見て知っていたはずの場所だったのですが、実際に初めてそこへ出かけていって、かなりの重さを心に抱え込みました。先週末、東京での会議が終わってから、金曜日と土曜日にかけて、大阪の釜ヶ崎へ出かけてきました。イエズス会社会司牧センターである「旅路の里」で開かれた一泊研修に参加してきました。JR環状線の新今宮駅を降りると道路を挟んで目の前に、何度も映像で見てきた「あいりん総合センター」が異様を放ってそびえていました。

2008年後半から続いている世界的な経済危機は、日本に於いても特に非正規労働者の解雇などの問題として、多くの人に直接影響が及び、同時に大多数がその勢いを現実に肌で感じる問題となっています。カリタスジャパンで社会福祉部門を担当して、現在特に自死の問題にも取り組んでいる幸田司教によれば、日本の自殺者は企業の経営破綻が急増した1997年度末以降、つまり1998年3月以降に急増している事が明らかだと言います。そして現在の経済状況は10年前よりも悪いのです。ここで宗教が何らかの役割を果たせなければ、その存在意義がないとまで思ってしまいます。

日比谷公園での「年越し派遣村」で、職も住むところも奪われた非正規雇用者の存在はクローズアップされ、政治においてもさまざまな動きがあるようですから、その意味であの行動は影響力を発揮したという事でしょう。そうであれば、長年にわたって日本の建設業を支えてきた日雇い労働者の存在は、その本家本元として注目されるべきであろうと感じました。

釜ヶ崎支援機構代表の山田実さんに、歴史的背景や現状、今後の見通しについてお話を聞き、夜間緊急避難所(シェルター)や、支援機構のさまざまな活動を見学させて頂きました。また夜の釜ヶ崎もぐるりと見て回りました。推定で三万人はいるといわれる釜ヶ崎の居住者のうち、三分の二が日雇い労働者だといいます。何とか仕事があり収入があれば、簡易宿泊所に泊まる事ができるものの、この経済状況では当然に仕事も減っている事から、野宿をせざるをえない人も多いのだといいます。

その対策として設けられているシェルターはこの地区で二カ所で、合計1,040人収容。食事はなく乾パンを支給。プレハブの中には二段ベットが整然と並んでいました。そのチケットを求めて多くの人が夕方5時頃に、あいりんセンターをぐるりと囲んで並んでいました。それでもこの越年期、野宿となる人も多く、数日前にはこの地域だけで164人を数えたといいます。

日雇いの仕事も確実に減少しており06年11月には1日の平均現金求人数が2500件以上あったものが、07年11月には2000件。そして08年11月は1792件と、徐々に減っています。非正規労働者の雇用問題が深刻化する中、これから夏にかけてその影響が、目に見える形で釜ヶ崎に現れるのではないかという指摘も耳にしました。

さまざまな歴史的政治的経済的背景がそこにあり、一人ひとりの人のさまざまな事情が複雑に絡んで出来上がっている現実ですから、簡単に理解する事はできませんが、しかし、この日本の大都市の一角に、ひとりの人間が路上で死んでいても、たいしたニュースにもならない。そんな街が存在している事が、わたしの心に重くのしかかります。

土曜の朝5時少し前に、もう一度あいりんセンターへ出かけ、シャッターが開くと同時に始まる求人の様子をみせて頂きました。そしてお昼前には、三角公園で行われる炊き出しに足を運んでみたりと、ほんの少しの間だったのですが、釜ヶ崎全体とその周囲を何度も何度も回る事ができました。

二日間だけの体験ですから、それですべてが分かるわけもありませんし、背景もまだ良く理解していませんから、何かをコメントできるものではないのですが、とにかく今の日本の現実の一つとしては、重く心にのしかかる現実でしたとだけ、報告させて頂きます。

|

2009年1月 6日 (火)

東京などへ

今年の会議が、早速水曜日からスタートしますので東京へ。その前にちょっと静岡の母のところに足を伸ばし、新潟へ戻るのは土曜日に。次の更新はたぶん土曜以降になるでしょう。11日の日曜日「主の洗礼」の主日は、新潟教会でミサの後、ヨゼフ会とマリア会合同での新年会があるそうです。わたしも出席して一曲は歌うようにとのリクエストをいただきましたから、そういたします。おいで下さい。

|

2009年1月 5日 (月)

ガーナでも新大統領

Ghana 今年のオソンソンのマリア祭について先日書きましたが、クリスマスにいただいたガーナの友人からメールに書いてありました。今年も盛大に行われたようですが、いつもより一週間早めに行われたと。というのも、12月7日には大統領選挙が行われたためだとか。そういえばガーナの大統領の任期は合衆国と同じ。つまり合衆国が大統領選挙で盛り上がっているときには、ガーナでも同じ事が起きているはずでした。

J.J.ローリングス氏によるPNDC(暫定国防評議会)政権が1981年から続いた独裁をやめ、民政移管を決意した1992年11月の選挙には、わたしもオソンソンの小学校投票所で立ち合いました。懐かしい思い出です。識字率がそれほど高くない事もあり、投票はそれぞれの候補の所属する政党のシンボルマークの横に拇印を押す形で行われました。ですから選挙期間中は、それぞれのシンボルマークの連呼でした。朝から晩まで、「傘・傘」やら「象・象」と叫ぶ声が、村中に響いていました。今はどうなっているのでしょう。

さてローリングス氏の跡を継いだクフォー大統領も2期目が終わりに近づき、3選は憲法で禁止されていますから、今回は新しい大統領の選出でした。一回名の投票では過半数を獲得した候補がおらず、12月28日に野党のジョン・アタ・ミルズ氏と与党のナナ・アクフォ・アド氏の決選投票となったそうです。結局選出されたのはジョン・アタ・ミルズ氏。1月7日の就任式には、小泉元首相が日本政府代表で出席するとのこと。

ミルズ新大統領は92年に民政移管されて、PNDCがNDC(国民民主会議)と衣替えをして政党となり、ローリング氏が大統領に選出されたときの副大統領でした。2000年までローリングス氏と一緒に国政に当たってきた人物です。ガーナの名門であるアチモタ・スクールを卒業してガーナ大学に進学。その後ロンドン大学でPh.D.を取得し、フルブライト留学生として合衆国のスタンフォード大学で法律を学び、それから25年間にわたりガーナ大学の法学部で教鞭を執っていたそうです。

ガーナは1981年のクーデターを最後に、一応これまで平穏を保ってきた西アフリカの優等生です。新しい大統領の手腕に注目したいと思います。(冒頭の写真はガーナの首都アクラで見かけたサッカーユニフォーム的シャツ屋さん)

|

2009年1月 4日 (日)

葬儀の帰りはユータン・ラッシュ

Okumurasogi1 先日帰天された神言会の奥村功神父様の葬儀は、昨日午前11時から、秋田教会で執り行われました。秋田は雪のちらつく寒い日でしたが、大勢の方が参列して下さいました。特に奥村神父様は長年にわたって、秋田地区での幼稚園教育に指導的立場であった事から、幼稚園関係の方も大勢参列されました。

奥村師は1931年に新潟の新津で生まれ、市役所勤めを始めてから教会と出会い、洗礼を受けて、神学校へ入ったと伺いました。1967年に36歳で司祭に叙階。その初ミサを故郷の新津教会で捧げたときの主任司祭が、現能代教会主任のミュラー神父様。奥村師より二つ年上という年齢の近さもあって、お二人は仲良くされていたようです。その縁で、葬儀の説教はミュラー神父様でした。

奥村師は助任時代を名古屋や東京で過ごされましたが、主任としては2年間の吉祥寺を除いて、秋田地区での司牧に徹しておられました。とにかく独立心の強い方で、何度も大病を患い大手術を受けても、そのたびに自分で何とかするからとあまり他人の手に頼らず、そして幾たびも乗り越えてこられた方でした。しばしばルルドへの巡礼にも巡礼団長として出かけておられました。一体何処にそんな体力があるのだろうと、不思議に思ったものです。数年前に腹部の動脈瘤の手術を受けられた頃から体力の衰えが目立つようになり、本荘教会主任を最後に秋田教会での引退の道を選択されました。しかし引退後も時間を見つけては、聖書の勉強会などを開いていたという事で、最後まで現役にこだわった人生でした。奥村神父様、ありがとうございました。R.I.P.

昨日の秋田から新潟への戻りは、まさしくユータン・ラッシュの真っ直中でした。秋田から東京方面に向かったある司祭も、結局「こまち」には乗れず、立ち席も手に入らないという事で、わたしと一緒に「いなほ」で秋田から新潟へ向かい、そこから夜の上越新幹線で東京へ。最悪立つ事になっても、新潟から東京までの2時間。秋田から東京までの5時間を立つ事に較べればという事でした。しかしその「いなほ」も、指定券売り切れは言うに及ばず、始発の秋田駅ですでに自由席は満席状態。1時間近く早く出かけて、並んでやっと座れました。

これが酒田を過ぎ鶴岡に至って、通路まで満杯状態。こんなに乗車率の良い「いなほ」は初めて見ました。普段これくらいなら、JR東日本ももっと増発してくれる事でしょうし、車輌も多少は新しくしてくれるでしょうに。通路まで満杯になると身動きがとれず、トイレにも到達する事が難しくなりますから、しんどかったです。

|

2009年1月 1日 (木)

09年、年頭司牧書簡と世界平和の日説教

新潟の元旦は、天気予報と異なり、とても落ち着いた穏やかな日となりました。皆様の地域はいかがでしたか。明日は神言会の奥村功神父様の葬儀などに参列するため秋田へ移動するのですが、この時期は本当に天候頼みです。教区の中を移動するだけなのに、予定通り到着できるか、戻ってこられるか、不安です。日本海沿いの鉄道は、風に弱いのです。

さて元旦に発表させて頂いた年頭の司牧書簡を、私のホームページにも掲載しておきました。それから新年一番の深夜ミサとして行った世界平和の日のミサ説教も同じく掲載してあります。こちらをクリックすると、「司教のページ」へ飛びますので、その左下、スクロールすると「2009年」のところがありますから、そこの各タイトルからお入り下さい。

それではよい正月をお過ごし下さい。

|

あけましておめでとうございます

新潟教区の皆様

新年、あけましておめでとうございます。

2009年が皆様お一人お一人にとって、豊かな神の祝福に満たされた充実した一年となる事をお祈りいたします。新潟教区のためにも、司祭、修道者、司教のためにも、どうぞ皆様の変わらぬお祈りをお願い申し上げます。一緒になって、よりふさわしく福音宣教の業に励んでいく事ができるように、皆様のお力添えをお願いいたします。

「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません(使徒20:24)」

年頭司牧書簡「あかしに生きる」を、皆様の小教区にもお届けしてあります。本日以降、それぞれの小教区で、是非一部おとりになって下さい。上に掲げた聖書の言葉で、司牧書簡を書き始めました。私たちは殉教者を福者として頂く教区となりました。殉教者たちとその時代を生き抜いた多くのキリシタンの生き方を通じた信仰のあかしに倣い、私たちも日々の生活の中で、福音をあかしする生き方を選択して参りましょう。

|

2008年12月31日 (水)

秋田教会、奥村功神父様、帰天

秋田教会で隠退生活を送られていた神言会員の奥村功神父様が、本日午前8時6分に帰天されたという連絡をいただきました。77歳でした。奥村功神父様は新潟の新津出身です。

通夜は1月2日(金)の午後4時から、葬儀は3日(土)の午前11時から、秋田教会で執り行われます。永遠の安息のためにお祈り下さい。

|

2008年12月30日 (火)

大晦日にも、教会へどうぞ

大晦日と言えば、二年参りの神社で年越しという方も少なくないでしょう。実は教会でも、大晦日に祈りを捧げるところも多くあります。今年の大晦日には、教会へどうぞ。

新潟教会では、12月31日の深夜12時、つまり年が明けて一月一日になった瞬間に、ミサをはじめます。司式はわたしです。一月一日は新しい一年の初めという節目の日ですが、教会にとっては同時に神の母聖マリアの祝日でもあり、世界平和の日ともされています。教皇様は先日、恒例となっている世界平和の日のメッセージを発表されています。「貧困と闘い、平和を築く」と題されたメッセージは、現在の世界規模の経済危機に対して、既存の価値観に対して強く警鐘を打ち鳴らすものです。(翻訳は中央協議会のホームページのこちらをどうぞ)。新潟教会の深夜ミサは毎年、世界平和を祈願するミサとなっております。わたしも教皇様の平和メッセージに関してお話をさせて頂く予定です。

なおその後、新潟教会の一月一日には、午前11時から、神の母聖マリアの祝日を祝うミサも捧げられます。

以前、ガーナの教会で主任司祭をしていた頃は、大晦日の夜10時くらいからみんなでルルド前の信徒ホール(といっても屋根だけ)に集まり、信徒会長が一年の教会や村の主な出来事を読み上げて、感謝の祈りの集いをしていました。そして12時になった瞬間に、村中には銃声が響いて、それから後は、このホールは夜明けまで踊りの場と化すのでありました。あの喧噪が懐かしいです。

|

«青年再会の集い