東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

再起『次は職』 『派遣村』申請全員に生活保護

2009年1月10日 朝刊

生活保護の決定通知書を手にする男性。住所はなくても「日比谷公園内派遣村」で申請できた=9日、東京都千代田区で

写真

 職と住居を失った派遣労働者らを支援する「年越し派遣村」に集まった約五百人のうち、生活保護の受給を希望していた二百七十二人全員に八、九の両日、受給決定が出た。今も約三百人が身を寄せる施設の使用期限が十二日に迫る中、アパートを借りるのに必要な敷金・礼金も生活保護で賄われることになった。途方に暮れていた労働者らは「次は仕事探し」と再出発に向けて踏み出した。 (橋本誠、出田阿生)

 大みそかに派遣村が開設された東京・日比谷公園のある千代田区には二百二十二人が生活保護を申請。五日に都内四カ所の公共施設に分散したため、中央、練馬、大田区にも計五十人が申請した。

 九日午後、千代田区役所。今月分十二万円余りの生活保護費を受け取った元派遣労働者の男性(46)は「光が見えてきた」と、安堵(あんど)の笑顔をみせた。職探しと雇用促進住宅の申し込みのため、ハローワークへ向かった。

 男性は昨年十月、派遣先の神奈川県厚木市の自動車部品工場で契約を打ち切られ、派遣会社の寮も追われた。ネットカフェを転々とし、大みそかに東京・新宿で派遣村のチラシをボランティアから受け取った。「あの時、受け取っていなかったらどうなっていたか」としみじみと話した。

 勤め先が倒産し、家賃滞納でアパートを出たという男性(36)は、半年ほど漫画喫茶などを泊まり歩いた。住所不定で就ける仕事はアルバイトや日雇い派遣だけ。正社員になるのはあきらめていた。

 「家があれば仕事を探すことができる。派遣村に参加できて幸運だったが、派遣村に来た人以外にも家を失った人は大勢いる。期間限定でいいから住居を手当てしてほしい」

 七年前から日雇い労働で暮らす男性(60)は「生活保護を受けられるなんて知らなかった。アパートが決まったので、シルバー人材センターで仕事を探したい」と笑顔を見せた。

 東京・山谷地区で段ボールを敷いて年を越した男性(36)は「だらしない生活だったのでこれからは自立したい。派遣村の村長が『これからは各個人の戦いです』と言っていた。おんぶに抱っこではなく自分の力で住居を勝ち取る」と話していた。

◆住居支援行政は周知不足

 生活保護の受給が決まった人に朗報となったのは、アパートを借りる際の敷金・礼金も支給されることだ。これは特例ではなく、もともと制度として生活保護の住宅扶助に含まれている。だが、現状は住居のない生活困窮者が生活保護を申請しても、窓口で制度の説明を受けることはまずないという。

 この制度では、敷金・礼金のほか、保証人がいない人の保証会社への手数料など計二十七万九千円まで受給できる。生活保護に詳しい渡辺恭子弁護士によると、実際には「申請が受理されても自立支援施設や簡易宿泊所に収容されることが多い」という。

 制度の説明をしないだけでなく、新宿区で路上生活していた男性(58)が昨年、区に生活保護を申請したが、アパートの入居を希望したため却下されたという事例すらある。

 派遣村に来た男性(36)も「過去に何回か生活保護を申請したが『住所がないとだめ』と受給できなかったこともあった」と証言。渡辺弁護士は「窓口でなかなか申請を受け付けない『水際作戦』によって、生活保護制度は本来の運用がなされていない」と批判する。

 住居確保の扶助金を知らない人が圧倒的に多い背景には、生活保護費を抑制したい行政側の作為すら感じさせる。就職や自立に住居は不可欠だ。行政は早急に制度を広く知らせ、制度にのっとった運用をすべきだ。 (菊谷隆文)

 

この記事を印刷する