2009.01.05
風化させてはならない新極真会支部長の連続強盗・強姦事件(大改訂版)
松井章圭をして、「コジマさんの会社は空手・格技界のCIAですね…」といわれる我が社には、全国または海外からも常にスクープ的な情報が寄せられています。それは<表>だけではなく、本来ならば表に出る事のない<裏>の事情・背景・情報もしかりです。
実は昨年、再び新極真会内部の人間がスキャンダル的刑事事件を起こしています。その詳細は十分な確証と取材を経た上で公開します。
また、以前から元・新極真会指導員が渋谷界隈で違法風俗店を複数経営しては警察の摘発を受けるというイタチゴッコを繰り返しています。その違法風俗店に新極真会関係者が出入りしているという情報もあります。暴力団絡みという事で私も慎重に見ていましたが、某超大物関係者を通して上部団体との調整がついたので、この問題についても近く追及するつもりです。
それはそうと、以下の事件を覚えているでしょうか!?
新極真会支部長・小木剣太が2006ー2007年にかけて起こした逮捕監禁・強盗強姦事件です。
2008年6月23日。
大阪地裁は、彼が通算5名にも及ぶ女性を車で拉致し、強姦した上に金品を強奪したという罪状で「情状酌量の余地なし」と言い放ち、懲役15年の実刑判決を申し渡しました。
また犯人の小木と、俗に<ペッパーランチ事件>といわれる事件の主犯との関連性・交遊関係が未だに疑われてもいます。それは事件の酷似性のみならず、彼らの居住地域や事件現場が近隣であり、また犯行時期が近く、犯行手口なども極めて似ているという事実。更に言えば彼らに共通する<特殊性>が主な憶測の理由とされています。かつて小木と親しかったというある人物は、私の取材に対し、小木と<ペッパーランチ事件>の主犯が顔馴染みだったと、証拠を示しながら証言しています。
<ペッパーランチ事件>自体が既に実行犯らへの判決が出ているにせよ、多くの謎を秘めている事は疑いのない事実です。この事件に対する警察側の異常な及び腰…。私にも幾つか確証めいた情報が入ってますが、これについては触れません。ただ、<ペッパーランチ事件>と小木の関係は明らかに<黒>であると私は確信しています。
人の噂は75日…などといわれますが、この、あまりに卑劣で非道な事件を私たちは決して忘れてはならないでしょう。単なる暴行・傷害事件ならばケンカ両成敗とも言えます。恥ずかしながら、私自身も街のチンピラや不良相手のケンカなどで幾度か警察の事情聴取を受け起訴寸前になった事もあります。
しかし、空手の師範・支部長が、5回(あくまで起訴された数字であり、まだ余罪があると警察関係は見ているようです)にもわたって起こした性的犯罪は、「武道家」云々のモラル的問題と言うより、空手が本質的に有する暴力性を利用して腕力に劣る女性の尊厳を踏みにじった点に於いて、単なる刑事犯罪として見過ごせるほど軽いものでは到底ありません。
勿論、犯人である支部長の除名措置のみで終わるものではなく、一般社会における組織ならばトップの辞任や幹部会の解散など、犯人が長年所属していた新極真会自体が責任を取るべき事件であった事は否定できないでしょう。
裁判の報告などの経緯を一切外部へは勿論、内部の会員にも秘密裏にし、単に「除名処分にした」「関係各位に謝罪した」という告知だけで頬被りを決め込んだ新極真会の卑劣かつ卑怯な姿勢に対しても、大いに疑問があります。そんな新極真会の消極的態度について、我々メディアが追及する権利を有している事は明らかです。
もっとも新極真会は<新極真空手>の団体であり、その他極真系団体のように<極真空手>とは別物の空手という点のみが、多少強引ながらも極真空手全体の汚名から免れたというのが微かな救いではありますが…。
これは私の私見であり皮肉です。すみません。
いずれにせよ、この小木事件が<極真>のみならず空手界全体の信用とイメージを落とした最低最悪の事件である事は論を待ちません。
私は現在抱えている仕事が落ち着き次第、小木事件の詳細について、小木自身にも接見し、事件経過の論証は勿論、小木と新極真会の関わり、小木を支部長に推薦したという三瓶啓二と事件の関わり、新極真会自体が孕む問題性などについても、積極的に取材を行うつもりです。そして、ひとつの「作品」にまとめようと思っています。その際、新極真会側が取材拒否を貫くならば、組織への世間による不信感は飽和状態に陥るに違いないでしょう。
(この支部長が事件の犯人です)
(この犯人は選手でもあったのですね。三瓶啓二に随分、可愛がられていたと聞いています。個人情報保護法に抵触すると言うなかれ! か弱き女性を狙った性的犯罪者に人権などありません)
読者・ファンの皆さま、以上の事件のみならず、空手特に極真系団体に関する情報をお待ちしています。
(了)
実は昨年、再び新極真会内部の人間がスキャンダル的刑事事件を起こしています。その詳細は十分な確証と取材を経た上で公開します。
また、以前から元・新極真会指導員が渋谷界隈で違法風俗店を複数経営しては警察の摘発を受けるというイタチゴッコを繰り返しています。その違法風俗店に新極真会関係者が出入りしているという情報もあります。暴力団絡みという事で私も慎重に見ていましたが、某超大物関係者を通して上部団体との調整がついたので、この問題についても近く追及するつもりです。
それはそうと、以下の事件を覚えているでしょうか!?
新極真会支部長・小木剣太が2006ー2007年にかけて起こした逮捕監禁・強盗強姦事件です。
2008年6月23日。
大阪地裁は、彼が通算5名にも及ぶ女性を車で拉致し、強姦した上に金品を強奪したという罪状で「情状酌量の余地なし」と言い放ち、懲役15年の実刑判決を申し渡しました。
また犯人の小木と、俗に<ペッパーランチ事件>といわれる事件の主犯との関連性・交遊関係が未だに疑われてもいます。それは事件の酷似性のみならず、彼らの居住地域や事件現場が近隣であり、また犯行時期が近く、犯行手口なども極めて似ているという事実。更に言えば彼らに共通する<特殊性>が主な憶測の理由とされています。かつて小木と親しかったというある人物は、私の取材に対し、小木と<ペッパーランチ事件>の主犯が顔馴染みだったと、証拠を示しながら証言しています。
<ペッパーランチ事件>自体が既に実行犯らへの判決が出ているにせよ、多くの謎を秘めている事は疑いのない事実です。この事件に対する警察側の異常な及び腰…。私にも幾つか確証めいた情報が入ってますが、これについては触れません。ただ、<ペッパーランチ事件>と小木の関係は明らかに<黒>であると私は確信しています。
人の噂は75日…などといわれますが、この、あまりに卑劣で非道な事件を私たちは決して忘れてはならないでしょう。単なる暴行・傷害事件ならばケンカ両成敗とも言えます。恥ずかしながら、私自身も街のチンピラや不良相手のケンカなどで幾度か警察の事情聴取を受け起訴寸前になった事もあります。
しかし、空手の師範・支部長が、5回(あくまで起訴された数字であり、まだ余罪があると警察関係は見ているようです)にもわたって起こした性的犯罪は、「武道家」云々のモラル的問題と言うより、空手が本質的に有する暴力性を利用して腕力に劣る女性の尊厳を踏みにじった点に於いて、単なる刑事犯罪として見過ごせるほど軽いものでは到底ありません。
勿論、犯人である支部長の除名措置のみで終わるものではなく、一般社会における組織ならばトップの辞任や幹部会の解散など、犯人が長年所属していた新極真会自体が責任を取るべき事件であった事は否定できないでしょう。
裁判の報告などの経緯を一切外部へは勿論、内部の会員にも秘密裏にし、単に「除名処分にした」「関係各位に謝罪した」という告知だけで頬被りを決め込んだ新極真会の卑劣かつ卑怯な姿勢に対しても、大いに疑問があります。そんな新極真会の消極的態度について、我々メディアが追及する権利を有している事は明らかです。
もっとも新極真会は<新極真空手>の団体であり、その他極真系団体のように<極真空手>とは別物の空手という点のみが、多少強引ながらも極真空手全体の汚名から免れたというのが微かな救いではありますが…。
これは私の私見であり皮肉です。すみません。
いずれにせよ、この小木事件が<極真>のみならず空手界全体の信用とイメージを落とした最低最悪の事件である事は論を待ちません。
私は現在抱えている仕事が落ち着き次第、小木事件の詳細について、小木自身にも接見し、事件経過の論証は勿論、小木と新極真会の関わり、小木を支部長に推薦したという三瓶啓二と事件の関わり、新極真会自体が孕む問題性などについても、積極的に取材を行うつもりです。そして、ひとつの「作品」にまとめようと思っています。その際、新極真会側が取材拒否を貫くならば、組織への世間による不信感は飽和状態に陥るに違いないでしょう。
(この支部長が事件の犯人です)
(この犯人は選手でもあったのですね。三瓶啓二に随分、可愛がられていたと聞いています。個人情報保護法に抵触すると言うなかれ! か弱き女性を狙った性的犯罪者に人権などありません)
読者・ファンの皆さま、以上の事件のみならず、空手特に極真系団体に関する情報をお待ちしています。
(了)
2009.01.03
2009年 極真空手の行方を考える(改訂版)
大山倍達が逝った1994年、自らの師匠や父親・夫の亡骸にまるで砂をかけるように始まった極真会館の分裂騒動。高木薫を中心に手塚が参謀格となって旗揚げした遺族派、そして三瓶啓二が首謀者となり緑健児が煽動役を務め、もうひとつの<反松井派>の首領・西田幸夫が呼応する事で、用意周到に行われた松井館長解任事件…。
あれから既に15年という歳月が過ぎました。この間、松井の極真会館に対抗するように、新極真会、極真連合会、極真館、その他幾つもの中小団体が生まれました。しかし、昨今の<格技不況>と相まって、極真系団体も再び整理・統合の動きが出てきたように思われます。
勿論、それは極真系団体が大山倍達の生前の状態にまとまるという意味ではありません。残念ながら、そんな事態は永遠にこないでしょう。つまり、乱立する極真系団体が潰れ、または他団体に吸収されていくという意味です。
大山倍達の正統な後継者・松井章圭率いる極真会館は常に国内だけで6万名を下らない会員数を誇ります。
ちなみに以前、私は格技研究家である宮田玲欧氏と共に、大山の生前(1990年前後)における<極真空手人口>(会費を払い定期的に道場に通っている会員数)を調査した事があります。結果を言うならば意外に少なく、15万名弱という数字が出てきました。松井章圭は館長就任直後、「活動している会員は10万人を超える程度」と語っていますので、決して的外れな数字ではないと思います。
生前、大山倍達は「極真空手人口は国内で百万、海外を含めて1千万」と豪語していました。しかし、これもまた、あながち法螺ではない事も判明しました。大山の語った数字は、過去の極真会館入門者の累計として理解すればよいのです。
極真会館ほど会員の出入りが激しい格技スポーツはないでしょう。特に1970年代後半から1980年前後、1日に100名が入門したとするならば、その日に10名が辞め、3日後には30名、1カ月後には最初の100名のうち90名が退会するというのが日常でした。経営的には極めて効率がよかったと言えますが、そんな具合に「極真会館は入門者のうち1年持つのは1%」という言葉が一般化していきました。この数値は、昔よりは随分稽古が楽になった…と言われる現在でもあまり変化はないようです。
ですから、1964年以降の極真会館累計入門者の数が軽く1千万名を超えているのはほぼ間違いありません。大山の生前、総本部事務局には5cm近い厚さの会員名簿が20冊以上並んでいたものです。
閑話休題。
いずれにせよ、現・極真系空手人口の過半数が<本家>である極真会館に集まっているのは会員カード登録者数からも明らかです。
一方、新極真会の存在感が急減に薄くなりつつある事は否めないでしょう。極真会館の<対抗団体>としての存在力がなくなったという事が最大の理由と考えられます。この15年間で多くの実力者が組織を離れていきました。
独立からほどなく、三瓶と並びリーダー格だった西田幸夫が組織を離脱しました。この事実が大きな衝撃を組織に与えた事は想像に難くありません。そして西田を追うように、続々と古参も若手も関係なく多くの支部長が組織を見限っていきました。彼らは、その殆どの理由が三瓶の独裁と、三瓶が起こした破廉恥なスキャンダルにあると語っています。現在の会員数も公称2万名とはいいながら、実質的には1万名前後と予想されます。
新極真会の最大の弱点は、自らの空手を<極真空手>と呼称してはいけないという法的な縛りを受けている点です。2002年当時、松井との商標権を巡る裁判に敗訴した新極真会は、松井との和解案のひとつ、「今後、極真空手とは名乗らず、新極真空手と名乗る事」という条件を受け入れました。
それでも最近まで、そんな事実さえ知らされない支部長が多く、単なる無知さ故に<極真空手>の看板を出し、何の疑問も抱かずに<極真空手>を名乗ってきた道場も少なくありませんでした。しかし、今後はそういう訳にはいかない事態になるでしょう。法を盾にした極真会館の締め付けが強くなると予想されるからです。新極真会が<新極真空手>を名乗る法的義務を負っている事を忘れてはなりません。
2007年の世界選手権では極真会館に見劣りしない盛況さを見せ付けた新極真会ですが、その運営の実態は酷いものでした。全国の少年部の保護者に対し、<入場料無料・弁当付き>というサービスを条件に観戦を半強制的に要請するという、なりふり構わない動員計画は関係者から大きな顰蹙を買ったものです。
大会後にも、一般会員やファンが知らない大騒動がありました。これも中心人物は三瓶でした。国内の幹部支部長たちには内密に、三瓶は海外支部長たちとコンタクトを図り、当時空席状態にあった(便宜上、緑が兼任となっていた)、IKO会長つまり新極真会世界組織のトップの座を狙っていたことが事前に判明したのです。
IKO会長を選任する選挙は世界選手権後の世界支部長会議に行われる予定でした。当然、会議は大混乱に陥りました。しかし三瓶は「2人の日本人支部長から強い要請を受けたから仕方なく従った」とシラを切り通しました。結局、実力者の三瓶の首に<鈴>を付けられる者は誰もいず、三瓶は不問扱いになりました。
可哀想なのは三瓶から名指しされた2人の日本人支部長です。如何なる経緯があったかはともかく、彼らが<推薦人>に名前を連ねていたのは事実でした。三瓶を責められない国内支部長たちの不満が彼らに集中したのは言うまでもありません。結局、心労が祟り某支部長は命を落とす事になります。
新極真会の元幹部支部長・柳渡聖人は断言しました。
「新極真会がクリーンなイメージを持って松井に対抗していく為には緑健児を代表として全面に出し続けるしかない」
館長公選制と民主合議制を大義名分に松井章圭を解任し、自らの理想を掲げて発足したはずの新極真会(元・支部長協議会派)の実体がこれです。
「公選制を取るならばいつまでも緑を代表にはしておけないのでは?」
そんな私の質問に、柳渡は平然と答えました。
「政治の世界にもあるじゃないか。談合とか密室での話し合いも時には必要悪になるのよ」
新極真会の解体または滅亡はそう遠くないでしょう。続きを読む
あれから既に15年という歳月が過ぎました。この間、松井の極真会館に対抗するように、新極真会、極真連合会、極真館、その他幾つもの中小団体が生まれました。しかし、昨今の<格技不況>と相まって、極真系団体も再び整理・統合の動きが出てきたように思われます。
勿論、それは極真系団体が大山倍達の生前の状態にまとまるという意味ではありません。残念ながら、そんな事態は永遠にこないでしょう。つまり、乱立する極真系団体が潰れ、または他団体に吸収されていくという意味です。
大山倍達の正統な後継者・松井章圭率いる極真会館は常に国内だけで6万名を下らない会員数を誇ります。
ちなみに以前、私は格技研究家である宮田玲欧氏と共に、大山の生前(1990年前後)における<極真空手人口>(会費を払い定期的に道場に通っている会員数)を調査した事があります。結果を言うならば意外に少なく、15万名弱という数字が出てきました。松井章圭は館長就任直後、「活動している会員は10万人を超える程度」と語っていますので、決して的外れな数字ではないと思います。
生前、大山倍達は「極真空手人口は国内で百万、海外を含めて1千万」と豪語していました。しかし、これもまた、あながち法螺ではない事も判明しました。大山の語った数字は、過去の極真会館入門者の累計として理解すればよいのです。
極真会館ほど会員の出入りが激しい格技スポーツはないでしょう。特に1970年代後半から1980年前後、1日に100名が入門したとするならば、その日に10名が辞め、3日後には30名、1カ月後には最初の100名のうち90名が退会するというのが日常でした。経営的には極めて効率がよかったと言えますが、そんな具合に「極真会館は入門者のうち1年持つのは1%」という言葉が一般化していきました。この数値は、昔よりは随分稽古が楽になった…と言われる現在でもあまり変化はないようです。
ですから、1964年以降の極真会館累計入門者の数が軽く1千万名を超えているのはほぼ間違いありません。大山の生前、総本部事務局には5cm近い厚さの会員名簿が20冊以上並んでいたものです。
閑話休題。
いずれにせよ、現・極真系空手人口の過半数が<本家>である極真会館に集まっているのは会員カード登録者数からも明らかです。
一方、新極真会の存在感が急減に薄くなりつつある事は否めないでしょう。極真会館の<対抗団体>としての存在力がなくなったという事が最大の理由と考えられます。この15年間で多くの実力者が組織を離れていきました。
独立からほどなく、三瓶と並びリーダー格だった西田幸夫が組織を離脱しました。この事実が大きな衝撃を組織に与えた事は想像に難くありません。そして西田を追うように、続々と古参も若手も関係なく多くの支部長が組織を見限っていきました。彼らは、その殆どの理由が三瓶の独裁と、三瓶が起こした破廉恥なスキャンダルにあると語っています。現在の会員数も公称2万名とはいいながら、実質的には1万名前後と予想されます。
新極真会の最大の弱点は、自らの空手を<極真空手>と呼称してはいけないという法的な縛りを受けている点です。2002年当時、松井との商標権を巡る裁判に敗訴した新極真会は、松井との和解案のひとつ、「今後、極真空手とは名乗らず、新極真空手と名乗る事」という条件を受け入れました。
それでも最近まで、そんな事実さえ知らされない支部長が多く、単なる無知さ故に<極真空手>の看板を出し、何の疑問も抱かずに<極真空手>を名乗ってきた道場も少なくありませんでした。しかし、今後はそういう訳にはいかない事態になるでしょう。法を盾にした極真会館の締め付けが強くなると予想されるからです。新極真会が<新極真空手>を名乗る法的義務を負っている事を忘れてはなりません。
2007年の世界選手権では極真会館に見劣りしない盛況さを見せ付けた新極真会ですが、その運営の実態は酷いものでした。全国の少年部の保護者に対し、<入場料無料・弁当付き>というサービスを条件に観戦を半強制的に要請するという、なりふり構わない動員計画は関係者から大きな顰蹙を買ったものです。
大会後にも、一般会員やファンが知らない大騒動がありました。これも中心人物は三瓶でした。国内の幹部支部長たちには内密に、三瓶は海外支部長たちとコンタクトを図り、当時空席状態にあった(便宜上、緑が兼任となっていた)、IKO会長つまり新極真会世界組織のトップの座を狙っていたことが事前に判明したのです。
IKO会長を選任する選挙は世界選手権後の世界支部長会議に行われる予定でした。当然、会議は大混乱に陥りました。しかし三瓶は「2人の日本人支部長から強い要請を受けたから仕方なく従った」とシラを切り通しました。結局、実力者の三瓶の首に<鈴>を付けられる者は誰もいず、三瓶は不問扱いになりました。
可哀想なのは三瓶から名指しされた2人の日本人支部長です。如何なる経緯があったかはともかく、彼らが<推薦人>に名前を連ねていたのは事実でした。三瓶を責められない国内支部長たちの不満が彼らに集中したのは言うまでもありません。結局、心労が祟り某支部長は命を落とす事になります。
新極真会の元幹部支部長・柳渡聖人は断言しました。
「新極真会がクリーンなイメージを持って松井に対抗していく為には緑健児を代表として全面に出し続けるしかない」
館長公選制と民主合議制を大義名分に松井章圭を解任し、自らの理想を掲げて発足したはずの新極真会(元・支部長協議会派)の実体がこれです。
「公選制を取るならばいつまでも緑を代表にはしておけないのでは?」
そんな私の質問に、柳渡は平然と答えました。
「政治の世界にもあるじゃないか。談合とか密室での話し合いも時には必要悪になるのよ」
新極真会の解体または滅亡はそう遠くないでしょう。続きを読む
2009.01.01
[改訂新版]教訓・趣味的アプローチと学習的アプローチ
私は自分が好きな音楽や映画、小説など趣味嗜好を強引に他人に勧めることが大嫌いです。
だから私は絶対に矢沢永吉さんの楽曲を「聴け!」とは如何に親しい友人にもいいません。「矢沢さんは最高なんよ」とはいいますが…。
ただし例外はあります。
例えば仕事絡みならば好き嫌いの問題ではなく、「仕事に必要だから○○を読め!」のひとことのみ。勿論、絶対命令です。
また、例えばその人がロックミュージックが好きで海外のものなど色々なミュージシャンの楽曲をある程度は聴き込んでいることを知っている場合。私から見て、その彼がどうも「浅いな」と思ったら、私は「これを聴いてみたら」と勧めます。
文学・小説も同様です。日本の低レベルな推理小説ではあっても、それなりに数を読んでいる人には「海外にはこんな素晴らしい小説があるから読んだらいいよ」といいます。
一般に「教養」を身に付ける為の方法論には2つのアプローチがあると私は思っています。
1つは「趣味的アプローチ」。
楽しみながら、つまみ食いのように浅く広く接する、誰もが無意識のうちに日常的に行っている方法論です。
もう1つは「学習的アプローチ」。
文字通り勉強のつもりで体系的に学ぶ、少々面倒な方法論といえるでしょう。
決して後者の方が上ということではありませんが、本当に「教養」を得ようと思うならば「学習的アプローチ」なくしては有り得ません。
例えばboxingを見るのが好きだという人の場合。単に「趣味的アプローチ」のみで、話題の世界戦くらいしか見ないのならば、現在のK-1(格闘ショー)ファンと何も変わりません。単なるストレス解消が目的になっているだけでしょう。だからKOシーンだけを期待するような浅薄さしかないのです。
しかし「学習的アプローチ」によってboxingの歴史やテクニックの発展過程、いろんな選手の戦い方を学び、可能な限り「選手の意識」に近づこうとするならば、自然とboxingが本来持っている格技スポーツとしての素晴らしさや、逆に問題点などが理解できてくるに違いありません。
もちろん「趣味的アプローチ」あってこそ、様々なことに興味を持てるのは事実です。「趣味的アプローチ」を否定してはいけない理由もそこにあります。「面白い」という感情的な興味を抱かずに、最初に「学習的アプローチ」をするほど苦痛なことはありません。
本来ならば「面白い」かもしれない数学や化学などに私たちが拒否感を抱くのも、学校で「授業」として接することを強いられたことの影響だと私は思っています。もし、数学を最初に「パズルだよ」なんて感じで勧められたならば、きっと数学に対する認識も変わったでしょう。
ただ、最近の日本の若者は何に対しても「趣味的アプローチ」しかできない連中が多すぎるような気がしてなりません。これは極めて問題だと私は思っています。
だから日本の音楽界も企業の広告塔、業界の消耗品に成り下がってしまいました。海外のメディアからは「現在、日本ほど音楽のレベルが低い国はない、過半数のポップスはパクリだ」と揶揄され軽蔑される状況に陥ってしまったのです。
小説などの文学も、まずメディアによる話題性ありきという現象が当たり前になってしまいました。「メディアミックス」といわれる企業とのタイアップあってこそ売れる現実。作家がいつしかタレントになってTVで茶番を演じる国は日本ぐらいでしょう。
私はコメンテーターなどと持て囃されてTVによく顔を出している物書きやジャーナリストに対して否定的です。勿論、櫻井よしこさんのようなしっかりとした主義主張を明言される人もいることは否定しませんが(私は櫻井さんを尊敬しています)。
「吉田拓郎の声が嫌い」だから吉田拓郎さんの歌は聴かないという人の気持ちは分かります。漫画も、漫画家のタッチが嫌いという理由だけで、読まないことの十分な理由になるでしょう。
しかし、私は矢沢永吉さんを「嫌い!」と私の前で公言する人間には食い下がります。声が嫌い、ファッションが嫌い、偉そうなところが嫌い…。
「なるほどね」
そういった主張ならば受け入れますし、それ以上、私は突っ込みません。しかし矢沢さんの「音楽性」自体を批判するならば、私が納得する説明を要求します。論理的に説明できず、最終的に感情論で終わってしまうならば、論理破綻ということで謝罪を要求します。
また、そういう面倒が厭なので、私は矢沢さんの歌を聴けと他人には勧めないのです。
最近の若者の多くは実に浅薄な感情だけでものの好き嫌いを口にする傾向があります。器量が狭く、何事も<感情>という自分の殻の中だけで解決してしまうのが短所のような気がします。
ものの好き嫌いを主張するのは大切なことだと思います。しかし、その理由が単なる感情や噂、ある有名人の言葉のみに依ってしまうのは極めて危険なことです。ただ外見やイメージだけで好き嫌いを判断すると、とんでもない陥穽にはまってしまいます。それを「偏見」というのです。
「K・KOJIMA」という人間を直接知ることもなく、私の著書も文章も満足に読んだことのない人が、根拠のない噂やイメージだけであることないこと悪口をいう…Netの世界では、その傾向が特に高いように感じます。
もちろん、Net愛好家の全てがそうだとは思いません。Netによって私を知り、今では親しい付き合いをしている人もたくさんいます。
もう20年以上も昔の話です。
私は私なりに音楽に対して一家言を持っていました。しかし友人に散々「オマエの聴いてるのは商業ロックなんだよ。そんなの聴いているから耳が腐るんだ」などと罵倒されました。でも私は怒りませんでした。彼が私以上に音楽に通暁していることを知っていたからです。逆に、私は彼の言葉から音楽の在り方を学んだと思っています。
昔々のガールフレンドからも、「私は矢沢永吉の〜が正統派ロックからはみ出しているし、彼の〜という点に疑問があるから好きじゃない」と正面から否定されました。
しかし、彼女なりの理屈が通っているので私は反論をしませんでした。第一、彼女がそこまで論理的に矢沢批判ができるのは相当、矢沢さんの楽曲を聴き込んでなければいえないことが分かっていたからです。
正直いえば、感情の部分で彼女の主張を何もかも受け入れられた訳ではありません。それでも、音楽に対する「学習的アプローチ」という意味においてはとても勉強になった記憶があります。
音楽も、文学もスポーツ(見る側としての)も、最初は「趣味的アプローチ」で一向に構いません。しかし、それだけで楽してる人間には、絶対に本物は理解できません。
「学習的アプローチ」ができない人間には、ものの本質を把握できないし、本当の楽しみ方もできない…それが私の信念です。
(了)
だから私は絶対に矢沢永吉さんの楽曲を「聴け!」とは如何に親しい友人にもいいません。「矢沢さんは最高なんよ」とはいいますが…。
ただし例外はあります。
例えば仕事絡みならば好き嫌いの問題ではなく、「仕事に必要だから○○を読め!」のひとことのみ。勿論、絶対命令です。
また、例えばその人がロックミュージックが好きで海外のものなど色々なミュージシャンの楽曲をある程度は聴き込んでいることを知っている場合。私から見て、その彼がどうも「浅いな」と思ったら、私は「これを聴いてみたら」と勧めます。
文学・小説も同様です。日本の低レベルな推理小説ではあっても、それなりに数を読んでいる人には「海外にはこんな素晴らしい小説があるから読んだらいいよ」といいます。
一般に「教養」を身に付ける為の方法論には2つのアプローチがあると私は思っています。
1つは「趣味的アプローチ」。
楽しみながら、つまみ食いのように浅く広く接する、誰もが無意識のうちに日常的に行っている方法論です。
もう1つは「学習的アプローチ」。
文字通り勉強のつもりで体系的に学ぶ、少々面倒な方法論といえるでしょう。
決して後者の方が上ということではありませんが、本当に「教養」を得ようと思うならば「学習的アプローチ」なくしては有り得ません。
例えばboxingを見るのが好きだという人の場合。単に「趣味的アプローチ」のみで、話題の世界戦くらいしか見ないのならば、現在のK-1(格闘ショー)ファンと何も変わりません。単なるストレス解消が目的になっているだけでしょう。だからKOシーンだけを期待するような浅薄さしかないのです。
しかし「学習的アプローチ」によってboxingの歴史やテクニックの発展過程、いろんな選手の戦い方を学び、可能な限り「選手の意識」に近づこうとするならば、自然とboxingが本来持っている格技スポーツとしての素晴らしさや、逆に問題点などが理解できてくるに違いありません。
もちろん「趣味的アプローチ」あってこそ、様々なことに興味を持てるのは事実です。「趣味的アプローチ」を否定してはいけない理由もそこにあります。「面白い」という感情的な興味を抱かずに、最初に「学習的アプローチ」をするほど苦痛なことはありません。
本来ならば「面白い」かもしれない数学や化学などに私たちが拒否感を抱くのも、学校で「授業」として接することを強いられたことの影響だと私は思っています。もし、数学を最初に「パズルだよ」なんて感じで勧められたならば、きっと数学に対する認識も変わったでしょう。
ただ、最近の日本の若者は何に対しても「趣味的アプローチ」しかできない連中が多すぎるような気がしてなりません。これは極めて問題だと私は思っています。
だから日本の音楽界も企業の広告塔、業界の消耗品に成り下がってしまいました。海外のメディアからは「現在、日本ほど音楽のレベルが低い国はない、過半数のポップスはパクリだ」と揶揄され軽蔑される状況に陥ってしまったのです。
小説などの文学も、まずメディアによる話題性ありきという現象が当たり前になってしまいました。「メディアミックス」といわれる企業とのタイアップあってこそ売れる現実。作家がいつしかタレントになってTVで茶番を演じる国は日本ぐらいでしょう。
私はコメンテーターなどと持て囃されてTVによく顔を出している物書きやジャーナリストに対して否定的です。勿論、櫻井よしこさんのようなしっかりとした主義主張を明言される人もいることは否定しませんが(私は櫻井さんを尊敬しています)。
「吉田拓郎の声が嫌い」だから吉田拓郎さんの歌は聴かないという人の気持ちは分かります。漫画も、漫画家のタッチが嫌いという理由だけで、読まないことの十分な理由になるでしょう。
しかし、私は矢沢永吉さんを「嫌い!」と私の前で公言する人間には食い下がります。声が嫌い、ファッションが嫌い、偉そうなところが嫌い…。
「なるほどね」
そういった主張ならば受け入れますし、それ以上、私は突っ込みません。しかし矢沢さんの「音楽性」自体を批判するならば、私が納得する説明を要求します。論理的に説明できず、最終的に感情論で終わってしまうならば、論理破綻ということで謝罪を要求します。
また、そういう面倒が厭なので、私は矢沢さんの歌を聴けと他人には勧めないのです。
最近の若者の多くは実に浅薄な感情だけでものの好き嫌いを口にする傾向があります。器量が狭く、何事も<感情>という自分の殻の中だけで解決してしまうのが短所のような気がします。
ものの好き嫌いを主張するのは大切なことだと思います。しかし、その理由が単なる感情や噂、ある有名人の言葉のみに依ってしまうのは極めて危険なことです。ただ外見やイメージだけで好き嫌いを判断すると、とんでもない陥穽にはまってしまいます。それを「偏見」というのです。
「K・KOJIMA」という人間を直接知ることもなく、私の著書も文章も満足に読んだことのない人が、根拠のない噂やイメージだけであることないこと悪口をいう…Netの世界では、その傾向が特に高いように感じます。
もちろん、Net愛好家の全てがそうだとは思いません。Netによって私を知り、今では親しい付き合いをしている人もたくさんいます。
もう20年以上も昔の話です。
私は私なりに音楽に対して一家言を持っていました。しかし友人に散々「オマエの聴いてるのは商業ロックなんだよ。そんなの聴いているから耳が腐るんだ」などと罵倒されました。でも私は怒りませんでした。彼が私以上に音楽に通暁していることを知っていたからです。逆に、私は彼の言葉から音楽の在り方を学んだと思っています。
昔々のガールフレンドからも、「私は矢沢永吉の〜が正統派ロックからはみ出しているし、彼の〜という点に疑問があるから好きじゃない」と正面から否定されました。
しかし、彼女なりの理屈が通っているので私は反論をしませんでした。第一、彼女がそこまで論理的に矢沢批判ができるのは相当、矢沢さんの楽曲を聴き込んでなければいえないことが分かっていたからです。
正直いえば、感情の部分で彼女の主張を何もかも受け入れられた訳ではありません。それでも、音楽に対する「学習的アプローチ」という意味においてはとても勉強になった記憶があります。
音楽も、文学もスポーツ(見る側としての)も、最初は「趣味的アプローチ」で一向に構いません。しかし、それだけで楽してる人間には、絶対に本物は理解できません。
「学習的アプローチ」ができない人間には、ものの本質を把握できないし、本当の楽しみ方もできない…それが私の信念です。
(了)
2008.12.31
[改訂新版]本当の強さと弱者のアピール
私は虚勢を張ったり自己アピールをする人間が大嫌いです。
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が何と多い事か!? 私はその都度、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。私も同様です。
私の前で無理して虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを千回以上やる人間がワンサカいるけえ。千本蹴りだって日常茶飯事じゃけん。そんなに体力と根性に自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1万回やれ!」
まず100%の人間がビビり震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>、裏に見え隠れする<媚び>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。その時の文句もだいたい共通しています。「コジマさんを信じられなくなった」と言うのはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
森松英明、松山徳寿…。みな綺麗事を吐くだけ吐いて砂をかけるように逃げていった元<兄弟>たちです。
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私のパートナーである塚本ヨシコは、この20年近い付き合いの中で一切、自己宣伝をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。しかし、そこまでくると、さすがに私は怒ります。
「たまには弱音を吐けよ。いつ訊いても<大丈夫です>じゃ分かんねえだろ。頼むから少しはアピールしてくれよ」
最近、やっと彼女は少しだけですが私に素顔を晒してくれるようになりました。だからこそ、私は塚本が愛しいし、私になくてはならない存在なのです。
松井章圭も同じです。
極真会館の分裂騒動以来、松井を<厚顔無恥><独裁者>などと揶揄する人間が腐るほどいます。結局、松井を否定・批判しながら実は松井の<強さ>に怯み、たじろいでいるだけなのです。
たしかに松井章圭の精神的な強さは現在の空手界随一と断言してもいいでしょう。松井に対抗出来る存在と言えば、唯一、盧山初雄のみしか私には思い浮かびません。
松井章圭といえば、選手時代は「極真空手の貴公子」と呼ばれ、クリーンなイメージが浸透していました。およそ「不良」などとは程遠い存在だったと言えます。
しかし、それは緑健児や黒澤浩樹のように自ら武勇伝を一切口にしなかったからに過ぎません。本当の松井はガキの頃からケンカの「修羅場」を幾度も潜ってきた本格派のヤンチャ小僧でした。緑や黒澤の武勇伝など松井のそれに比べれば<お遊戯>のようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
しかし、松井はそんな自分を決してアピールしてきませんでした。極真会館館長である現在、役職上<強いリーダー>を演じなくてはならない時もあるでしょう。それでも松井の態度は常に自然体です。
ある時、私は仕事に限界を感じ、ペライベートのいざこざにも疲れ切り、つい松井に弱音を吐いてしまいました。すると松井は怒ったように私に言いました。
「僕は強くなんかない。弱い人間です。でも弱い自分が嫌だから、嫌で仕方がないから強くあろうと精一杯努力しているんです。自分が守らなければならないもの、自己の誇りであったり愛する人であったり、命を懸けてでも守らなければならない。だから強くありたい、絶対、弱みを見せない。努力して強くあろうと頑張っているんです。逃げるのは誰でもできますよ、逃げないで踏ん張るしかないんです。僕は弱いコジマさんは嫌いです」
私は松井の言葉にある種の衝撃を受けました。たしかに最初から強い人間などいないのかもしれません。でも、松井章圭だけは別だと思っていました。しかし松井も普通の人間だったのです。誰もがそうであるように、強くあろうともがいて生きてきたのです。もがいてもがいて…だから絶対に松井は何に対しても逃げなかったのです。
本当に強い人間は虚勢を張る事を嫌います。アピールもしません。時には謙虚過ぎるほど、頭を低く垂れる事も厭いません。かといって、誰も舐めたりできない<威圧感>が周囲に漂っているものです。ギスギスした威圧感ではなく、眩しいほどに慈愛に溢れた…それを陳腐ないい方で表現すれば<オーラ>があるということになるのでしょう。
本当の強さとは、そういうものだと私は信じています。
(了)
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が何と多い事か!? 私はその都度、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。私も同様です。
私の前で無理して虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを千回以上やる人間がワンサカいるけえ。千本蹴りだって日常茶飯事じゃけん。そんなに体力と根性に自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1万回やれ!」
まず100%の人間がビビり震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>、裏に見え隠れする<媚び>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。その時の文句もだいたい共通しています。「コジマさんを信じられなくなった」と言うのはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
森松英明、松山徳寿…。みな綺麗事を吐くだけ吐いて砂をかけるように逃げていった元<兄弟>たちです。
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私のパートナーである塚本ヨシコは、この20年近い付き合いの中で一切、自己宣伝をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。しかし、そこまでくると、さすがに私は怒ります。
「たまには弱音を吐けよ。いつ訊いても<大丈夫です>じゃ分かんねえだろ。頼むから少しはアピールしてくれよ」
最近、やっと彼女は少しだけですが私に素顔を晒してくれるようになりました。だからこそ、私は塚本が愛しいし、私になくてはならない存在なのです。
松井章圭も同じです。
極真会館の分裂騒動以来、松井を<厚顔無恥><独裁者>などと揶揄する人間が腐るほどいます。結局、松井を否定・批判しながら実は松井の<強さ>に怯み、たじろいでいるだけなのです。
たしかに松井章圭の精神的な強さは現在の空手界随一と断言してもいいでしょう。松井に対抗出来る存在と言えば、唯一、盧山初雄のみしか私には思い浮かびません。
松井章圭といえば、選手時代は「極真空手の貴公子」と呼ばれ、クリーンなイメージが浸透していました。およそ「不良」などとは程遠い存在だったと言えます。
しかし、それは緑健児や黒澤浩樹のように自ら武勇伝を一切口にしなかったからに過ぎません。本当の松井はガキの頃からケンカの「修羅場」を幾度も潜ってきた本格派のヤンチャ小僧でした。緑や黒澤の武勇伝など松井のそれに比べれば<お遊戯>のようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
しかし、松井はそんな自分を決してアピールしてきませんでした。極真会館館長である現在、役職上<強いリーダー>を演じなくてはならない時もあるでしょう。それでも松井の態度は常に自然体です。
ある時、私は仕事に限界を感じ、ペライベートのいざこざにも疲れ切り、つい松井に弱音を吐いてしまいました。すると松井は怒ったように私に言いました。
「僕は強くなんかない。弱い人間です。でも弱い自分が嫌だから、嫌で仕方がないから強くあろうと精一杯努力しているんです。自分が守らなければならないもの、自己の誇りであったり愛する人であったり、命を懸けてでも守らなければならない。だから強くありたい、絶対、弱みを見せない。努力して強くあろうと頑張っているんです。逃げるのは誰でもできますよ、逃げないで踏ん張るしかないんです。僕は弱いコジマさんは嫌いです」
私は松井の言葉にある種の衝撃を受けました。たしかに最初から強い人間などいないのかもしれません。でも、松井章圭だけは別だと思っていました。しかし松井も普通の人間だったのです。誰もがそうであるように、強くあろうともがいて生きてきたのです。もがいてもがいて…だから絶対に松井は何に対しても逃げなかったのです。
本当に強い人間は虚勢を張る事を嫌います。アピールもしません。時には謙虚過ぎるほど、頭を低く垂れる事も厭いません。かといって、誰も舐めたりできない<威圧感>が周囲に漂っているものです。ギスギスした威圧感ではなく、眩しいほどに慈愛に溢れた…それを陳腐ないい方で表現すれば<オーラ>があるということになるのでしょう。
本当の強さとは、そういうものだと私は信じています。
(了)
2008.12.28
「狼たちの遠吠え」/長渕剛と極真空手(最終完全版)
ささやかな自惚れに酔いしれ幸せの群れからはぐれても
俺は過去を素直に受け入れ慎ましく我が道、旅に出る
赤い山並みの上に青白い三日月が架かる
くたびれ切った月の砂漠をトツトツとゆく
荒れ果て尽きた大地に突っ立ち
この一本道、どこへ流れ続くのか
ふと聞こえる狼たちの悲しい遠吠え
銀色の牙を剥き、雨を刺し風を打ち、焼け焦げた魂を引き裂いても
寂しくて、逢いたくて、耐えきれず哭きながら
そして人は明日へ歩くのだ
君に聞こえるかな、透き通る瞳に届くかな
希望が西の果てに沈んでもありったけの命で叫ぼう
今こそ叫んでみよう、大切な人の名を叫ぼう
胸の高鳴り、遮らないで
一番大切な人の名を叫ぼう
荒れ果て尽きた大地に突っ立ち
一本道、どこへ流れ続くのか
ふと聞こえる狼たちの悲しき遠吠え
銀色の牙が折れ、雨がやみ風がやみ、焼け焦げた太陽が昇る頃
愛しくて耐えきれず、哭きながら駆け上がれ
そして人は名もなき小さな花を咲かせる
(T・NAGABUCHI)
これも長渕剛の作詞・作曲、「狼たちの遠吠え」という楽曲です。
<愛>の対象は<愛する女性>にも取れるし、また<人間愛>とも理解出来ます。私はこの楽曲から直ぐにパートナーである塚本ヨシコの事を想い浮かべましたが…。
いずれにせよ、「狼たちの遠吠え」は人間が生来背負う諸々の辛さ、人生を語った作品だと言えるでしょう。
この楽曲は元々、演歌歌手・森進一に贈る為に作られたもので、曲調はいつもの<長渕節>というより微かに<演歌調>であるところが特徴です。
「神風特攻隊」のコラムでも触れたように、本来の長渕剛は極めてナイーブな<臆病で弱い>自分に長くコンプレックスを抱いて生きてきたと私は確信しています。90年前後の<変身>は、単なるミュージシャンなとしての商業的戦略だけでなく、彼本人の願望そのものだったに違いありません。突然の変貌に、時にはアピールと揶揄されたり、チンピラと批判される事も少なくありませんでした。私もそんな1人だった事は否定しません。
しかし20年の間、長渕剛は明らかに変わりました。まだ、微かにヤワさの欠片が残っていますが、現在、これだけメッセージ色の濃い強烈な歌を、微妙なナイーブさを垣間見せながらも豪放磊落に唄えるのは彼しかいないのは事実です。
矢沢永吉さんや吉田拓郎さんような泰然自若とした<自然>さがなく、常に肩意地張っているところも、長渕剛の魅力かもしれません。
「狼たちの遠吠え」は彼の歌としては未発表曲のようですが、やはり森進一が唄うより長渕が唄ってこその楽曲と私は思っています。何故なら、この歌には長渕剛の<魂>が宿っているからです。
紛れもない名曲です。
話は全く変わります。
長渕剛も私と塚本ヨシコの共著である「大山倍達正伝」の愛読者と聞いて、思い出した事があります。
約15年前、彼は幼稚園児の息子を極真会館の道場に預けてきたのが切っ掛けで、極真分裂騒動後は新極真会の熱烈な支持者と思われています。新極真会の<テーマソング>まで自ら制作している事からも、極真系団体の関係者やファンからそう見られても仕方がないでしょう。
しかし彼もまた1994年の大山倍達の死後に勃発した分裂騒動の犠牲者の1人なのです。大山総裁の生前、後に新極真会(支部長協議会派)に与する事になる道場に息子を預けていた長渕は、分裂後、妻である志保美悦子さんのアドバイスもあり、極真会館に息子を移籍させる事を真剣に考えました。
何故なら、息子をその道場に通わせたのは、現極真会館の某重鎮のアドバイスに従った故の事だからです。彼は当然の<筋>を通すべきだと考えたのです。
「息子を極真会館に移したい」という提案を、長渕はかつて世話になったその極真会館幹部師範に申し出ました。しかし、某師範は「少年部なのだから自宅から近い道場でやればいい。こんなゴタゴタに巻き込まれて悩む事はありません」と、寛大な心で長渕夫婦を説得しました。
長渕は、それに恩義を感じ、その幹部師範と松井章圭館長を自宅に招待し、<義理>を尽くしました。
自分たちは、ただ純粋に<極真空手>を息子に学ばせ、時には自分も時間が取れ次第学ぶつもりです…こうして彼は、試割りの杉板に<絆 統合我夢想>の文字を左手に持った筆で記し、松井館長と幹部師範に贈ったのです。ちなみに、長渕が筆を取る時は左手で書くと決めているとの事です。
この逸話は当事者同士しか知らない、しかし紛れもない事実です。
その時の長渕直筆入りの杉板を、ある事情により私が某師範から預かる事になりました。<預かって>いるのであり、<譲られた>ものではないと私は解釈しています。それでも、後に彼が「大山倍達正伝」を手にし、私と塚本を知る事になるのは、まさに奇遇と言えるでしょう。
ただ残念ながら、長渕が自らの書に託した想いは果たされませんでした。極真会館の分裂は、もはや修復不可能が決定的です。いずれにせよ、長渕は以上のような事情から新極真会との関係を強めていったというわけです。
しかし、その新極真会が内部崩壊の危機にある事に、彼が少なからずの失望感を抱いた事は否めません。この先、「極真空手」の名前を残していける団体は極真会館と極真館のみと私は予想しています。
そもそも新極真会は自らの空手に「極真空手」と呼称する事自体、法的に禁じられています。彼らは「新極真空手」と名乗る義務を負っているのです。これらの背景も「大山倍達の遺言」で明らかになります。
私たちの「大山倍達の遺言」を読み、そして如何なる道程を経て現在の新極真会が成立したのか? クーデター事件の真実を知った時、長渕夫妻がどのような想いに駆られるのか、<他人>の仲ではないだけに、私自身、複雑な思いです。
いずれにせよ、長渕剛の<男気>は単なる表面上のスタイルアピールではありません。彼は<弱い>自分を受け入れ、遮二無二<強い人間>であろうと汗水流してきた努力家です。少なくとも1990年代半ばの長渕剛が<筋>を重んじる硬骨漢であった事は間違いありません。
(長渕剛が極真会館某師範に贈った書)
(了)
俺は過去を素直に受け入れ慎ましく我が道、旅に出る
赤い山並みの上に青白い三日月が架かる
くたびれ切った月の砂漠をトツトツとゆく
荒れ果て尽きた大地に突っ立ち
この一本道、どこへ流れ続くのか
ふと聞こえる狼たちの悲しい遠吠え
銀色の牙を剥き、雨を刺し風を打ち、焼け焦げた魂を引き裂いても
寂しくて、逢いたくて、耐えきれず哭きながら
そして人は明日へ歩くのだ
君に聞こえるかな、透き通る瞳に届くかな
希望が西の果てに沈んでもありったけの命で叫ぼう
今こそ叫んでみよう、大切な人の名を叫ぼう
胸の高鳴り、遮らないで
一番大切な人の名を叫ぼう
荒れ果て尽きた大地に突っ立ち
一本道、どこへ流れ続くのか
ふと聞こえる狼たちの悲しき遠吠え
銀色の牙が折れ、雨がやみ風がやみ、焼け焦げた太陽が昇る頃
愛しくて耐えきれず、哭きながら駆け上がれ
そして人は名もなき小さな花を咲かせる
(T・NAGABUCHI)
これも長渕剛の作詞・作曲、「狼たちの遠吠え」という楽曲です。
<愛>の対象は<愛する女性>にも取れるし、また<人間愛>とも理解出来ます。私はこの楽曲から直ぐにパートナーである塚本ヨシコの事を想い浮かべましたが…。
いずれにせよ、「狼たちの遠吠え」は人間が生来背負う諸々の辛さ、人生を語った作品だと言えるでしょう。
この楽曲は元々、演歌歌手・森進一に贈る為に作られたもので、曲調はいつもの<長渕節>というより微かに<演歌調>であるところが特徴です。
「神風特攻隊」のコラムでも触れたように、本来の長渕剛は極めてナイーブな<臆病で弱い>自分に長くコンプレックスを抱いて生きてきたと私は確信しています。90年前後の<変身>は、単なるミュージシャンなとしての商業的戦略だけでなく、彼本人の願望そのものだったに違いありません。突然の変貌に、時にはアピールと揶揄されたり、チンピラと批判される事も少なくありませんでした。私もそんな1人だった事は否定しません。
しかし20年の間、長渕剛は明らかに変わりました。まだ、微かにヤワさの欠片が残っていますが、現在、これだけメッセージ色の濃い強烈な歌を、微妙なナイーブさを垣間見せながらも豪放磊落に唄えるのは彼しかいないのは事実です。
矢沢永吉さんや吉田拓郎さんような泰然自若とした<自然>さがなく、常に肩意地張っているところも、長渕剛の魅力かもしれません。
「狼たちの遠吠え」は彼の歌としては未発表曲のようですが、やはり森進一が唄うより長渕が唄ってこその楽曲と私は思っています。何故なら、この歌には長渕剛の<魂>が宿っているからです。
紛れもない名曲です。
話は全く変わります。
長渕剛も私と塚本ヨシコの共著である「大山倍達正伝」の愛読者と聞いて、思い出した事があります。
約15年前、彼は幼稚園児の息子を極真会館の道場に預けてきたのが切っ掛けで、極真分裂騒動後は新極真会の熱烈な支持者と思われています。新極真会の<テーマソング>まで自ら制作している事からも、極真系団体の関係者やファンからそう見られても仕方がないでしょう。
しかし彼もまた1994年の大山倍達の死後に勃発した分裂騒動の犠牲者の1人なのです。大山総裁の生前、後に新極真会(支部長協議会派)に与する事になる道場に息子を預けていた長渕は、分裂後、妻である志保美悦子さんのアドバイスもあり、極真会館に息子を移籍させる事を真剣に考えました。
何故なら、息子をその道場に通わせたのは、現極真会館の某重鎮のアドバイスに従った故の事だからです。彼は当然の<筋>を通すべきだと考えたのです。
「息子を極真会館に移したい」という提案を、長渕はかつて世話になったその極真会館幹部師範に申し出ました。しかし、某師範は「少年部なのだから自宅から近い道場でやればいい。こんなゴタゴタに巻き込まれて悩む事はありません」と、寛大な心で長渕夫婦を説得しました。
長渕は、それに恩義を感じ、その幹部師範と松井章圭館長を自宅に招待し、<義理>を尽くしました。
自分たちは、ただ純粋に<極真空手>を息子に学ばせ、時には自分も時間が取れ次第学ぶつもりです…こうして彼は、試割りの杉板に<絆 統合我夢想>の文字を左手に持った筆で記し、松井館長と幹部師範に贈ったのです。ちなみに、長渕が筆を取る時は左手で書くと決めているとの事です。
この逸話は当事者同士しか知らない、しかし紛れもない事実です。
その時の長渕直筆入りの杉板を、ある事情により私が某師範から預かる事になりました。<預かって>いるのであり、<譲られた>ものではないと私は解釈しています。それでも、後に彼が「大山倍達正伝」を手にし、私と塚本を知る事になるのは、まさに奇遇と言えるでしょう。
ただ残念ながら、長渕が自らの書に託した想いは果たされませんでした。極真会館の分裂は、もはや修復不可能が決定的です。いずれにせよ、長渕は以上のような事情から新極真会との関係を強めていったというわけです。
しかし、その新極真会が内部崩壊の危機にある事に、彼が少なからずの失望感を抱いた事は否めません。この先、「極真空手」の名前を残していける団体は極真会館と極真館のみと私は予想しています。
そもそも新極真会は自らの空手に「極真空手」と呼称する事自体、法的に禁じられています。彼らは「新極真空手」と名乗る義務を負っているのです。これらの背景も「大山倍達の遺言」で明らかになります。
私たちの「大山倍達の遺言」を読み、そして如何なる道程を経て現在の新極真会が成立したのか? クーデター事件の真実を知った時、長渕夫妻がどのような想いに駆られるのか、<他人>の仲ではないだけに、私自身、複雑な思いです。
いずれにせよ、長渕剛の<男気>は単なる表面上のスタイルアピールではありません。彼は<弱い>自分を受け入れ、遮二無二<強い人間>であろうと汗水流してきた努力家です。少なくとも1990年代半ばの長渕剛が<筋>を重んじる硬骨漢であった事は間違いありません。
(長渕剛が極真会館某師範に贈った書)
(了)
2008.12.26
21世紀は女性の時代である(修正版)
私はかつて大学受験や、編集畑の仕事に進んで30年弱を経て実感しました。
女性は明らかに男より優れていると。
右脳が男で左脳が女で(その逆か)? まだ科学的・医学的に解明されていない俗説などに惑わされてはいけません。身近な例では、少なくとも我が夢現舎に於いて、この20年間、際立った能力を発揮してきたのは明らかに女性スタッフでした。
女性が論理的理解力に弱いなんて全くのデタラメです。もし、現実がそうだとしたら、男は社会に出て組織の中で揉まれ、女性は家庭の家事に専念するという長い風習というか伝統の積み重ねの影響に過ぎません。
以前、<オバタリアン>なんて言葉が流行しました。人前で常識知らずの自己中心的な言動をする熟年の女性に多いと言われました。確かに電車などに乗ると今のバカなコギャル女子高生と並んで、周囲の顰蹙を買う事を平気でする熟年女性は少なくありません。
しかし、彼女たちの世代は高度成長期の行け行けドンドンの猛烈サラリーマンが持て囃された時代であり、女性たちはせいぜいパートタイムの仕事を家事の合間にする程度でした。必然的に<社会性>を身に付ける機会を逸した世代の人たちです。
男女雇用機会均等法が成立し、社会に出て男と同様に働く志向を持つ女性が急増している現代、急激に女性の能力が社会を変えつつあると言っても過言ではありません。
ただ問題なのは、大企業に顕著に見られる傾向ですが、男女平等社会を未だに受け入れず、OLという名の<事務職>をさせておけばいいという旧弊に縛られている会社が意外に多い事です。出版界もイメージとは違い、意外に古い体質を残している業界です。一部ではありますが、相変わらず女性蔑視の悪弊を引きずる版元も少なくありません。日本最大の某教育出版社などでは、ニヤけた役付の男の上司たちが、就業時間中にもかかわらず女性社員を色目で物色しては卑猥な雑談に興じる姿を私は何度も目撃しています。そういう版元は必ず潰れます。
ただ唯一、男が女性に勝てるのは<腕力>だけです。
この事実が、武士という戦闘集団が社会に君臨して以来、約千年近く男尊女卑の社会を培ってきたのです。更には中国から入った儒教が朱子学となり、女性蔑視的社会観は決定的なものになりました。つまり中世以降の戦国時代を通じて世界は男社会になったのです。
しかし…、そんな時代は確実に終焉を迎えています。スポーツ界がそれを如実に表しています。かつてマラソンを筆頭に陸上競技は男性のスポーツと言われました。第一、女性のマラソンがオリンピックで正式種目になってから、まだ20年にもなりません。
日本の花形競技と言われたバレーボールもいつの間にか女性ばかりが注目されるようになりました。北京オリンピックにおける女子ソフトボールの活躍は野球の話題を消し去るほどの勢いでした。そして、格技の世界も女性上位現象が見られます。柔道もレスリングもメディアを賑わせるのは多くが女性選手です。女性のボクシングもいよいよWBAにより認定されました。
サッカーも例外ではありません。そのうち<なでしこJAPAN>で注目を浴びた女子サッカーの時代がくるでしょう。
とにかく、<腕力>以外では男は女性に勝てない事が次々と証明されつつあります。もちろん女性の中にも能無しで真面目さや貞淑さのカケラもないバカが蔓延している事も否定できません。前述した<オバタリアン>や、落ちこぼれの女子高生も確実に存在します。小室哲哉(逮捕されて化けの皮が剥がれましたが…)に狂い、安室奈美恵だ、倖田來未だ、EXILEだ…なんて似非ミュージシャンに騒ぐバカ女子高生たち。メディアにも責任があります。渋谷、池袋を歩けば明らかに売春(援助交際などと洒落た造語をメディアが作るから抵抗感が麻痺するのです)目的の、意味不明な日本語を使って低俗な優越感を誇示するバカ女子高生がたむろしています。
ちなみに、バカな女子高生の制服のスカートは異様に短かく、以前はルーズソックスが一世を風靡し、いまは紺の長いソックスが流行していますが…。ロシアやフランスなど欧米では、娼婦が日本の女子高生の制服スタイルで客引きしている現実を何人の女子高生が知っているのでしょう!?
しかし、現実にはそんなアホは極めて少数です。世の中はそうは捨てたもんじゃありません。多くの女性は、こんな時代だからこそ、男に負けず、<目的>を持って勉強をしたり仕事に努力しているのです。
実際、いまの若者、特に男連中は社会を舐め切っています。フリーター、ニートに始まり登校拒否、引き籠り…圧倒的に男が多いという現実。
その点、女性は強くなりました。多くの女性は純真無垢です。あまりにだらしない男ばかりなので、バカバカしくて付き合いたい男が急減したという理由もあるでしょう。強い女性は強い男(何も腕力だけを言っているのではありません)に惹かれるものです。しかし、強い男が最近は滅多にいなくなってしまいました。
女性は男より優れています。私はそんな女性を尊敬しています。<目的>を持ち、一生懸命に頑張る女性が好きです。
だから、私は唯一の武器である<腕力>を使って女性に暴力ふるう男は最低だと思っていますし、絶対に許しません。
もう何年も前の事です。まだ携帯電話が普及していなかった90年半ばと記憶しています。夕方、母校である早稲田大学を仕事で訪ねた帰り道、早稲田通りの公衆電話の前を通り過ぎようと思いました。
すると電話ボックスで、電話していた女性を、チンピラ風のヤサ男が突然「いつまで話しとるんや!」と強引にボックスのドアを蹴り破ると、女性の髪の毛を掴んで蹴りを入れ始めました。
反射的にではありますが、その男を半殺しにした事は言うまでもありません。私に殴られ蹴られながら「俺は○○組のもんや!!」と言葉だけ物騒な名前を連呼しました。残念ながら、私にはそんな脅しは効きません。理由はノーコメントにしておきます。これは決して武勇伝ではありません。私は私で、相手がいつ刃物を取り出すかヒヤヒヤものでした。決して英雄を演じようと思った訳ではありません。強いて言うなれば「力なき正義は無能なり」という人生訓を無意識に実践したに過ぎません。
ただ、またも警察の厄介になったのが面倒でした。しかし、最近の刑事さんは話が分かります。私は警察の事情聴取でこの20年間、特に不愉快な思いをした事はありません。明らかに先に女性に暴力を振るったのは相手です。かなりの怪我を負ってはいましたが、刑事さんは簡単な事情聴取だけで、本来ならば治療費などの和解問題になり、一歩間違えば暴行傷害で起訴もあり得る事態にもかかわらず、不問にしてくれました。あの時のS警部の粋な計らいにはいまも感謝しています。
話が脱線しました。
いまこそ女性の時代なのです。世の腑抜け男たちも、フラフラしていたらいつしか女性の奴隷に身を落とすでしょう。警告を!
だから弱い男たちよ…極真空手を学びなさい。
(了)
女性は明らかに男より優れていると。
右脳が男で左脳が女で(その逆か)? まだ科学的・医学的に解明されていない俗説などに惑わされてはいけません。身近な例では、少なくとも我が夢現舎に於いて、この20年間、際立った能力を発揮してきたのは明らかに女性スタッフでした。
女性が論理的理解力に弱いなんて全くのデタラメです。もし、現実がそうだとしたら、男は社会に出て組織の中で揉まれ、女性は家庭の家事に専念するという長い風習というか伝統の積み重ねの影響に過ぎません。
以前、<オバタリアン>なんて言葉が流行しました。人前で常識知らずの自己中心的な言動をする熟年の女性に多いと言われました。確かに電車などに乗ると今のバカなコギャル女子高生と並んで、周囲の顰蹙を買う事を平気でする熟年女性は少なくありません。
しかし、彼女たちの世代は高度成長期の行け行けドンドンの猛烈サラリーマンが持て囃された時代であり、女性たちはせいぜいパートタイムの仕事を家事の合間にする程度でした。必然的に<社会性>を身に付ける機会を逸した世代の人たちです。
男女雇用機会均等法が成立し、社会に出て男と同様に働く志向を持つ女性が急増している現代、急激に女性の能力が社会を変えつつあると言っても過言ではありません。
ただ問題なのは、大企業に顕著に見られる傾向ですが、男女平等社会を未だに受け入れず、OLという名の<事務職>をさせておけばいいという旧弊に縛られている会社が意外に多い事です。出版界もイメージとは違い、意外に古い体質を残している業界です。一部ではありますが、相変わらず女性蔑視の悪弊を引きずる版元も少なくありません。日本最大の某教育出版社などでは、ニヤけた役付の男の上司たちが、就業時間中にもかかわらず女性社員を色目で物色しては卑猥な雑談に興じる姿を私は何度も目撃しています。そういう版元は必ず潰れます。
ただ唯一、男が女性に勝てるのは<腕力>だけです。
この事実が、武士という戦闘集団が社会に君臨して以来、約千年近く男尊女卑の社会を培ってきたのです。更には中国から入った儒教が朱子学となり、女性蔑視的社会観は決定的なものになりました。つまり中世以降の戦国時代を通じて世界は男社会になったのです。
しかし…、そんな時代は確実に終焉を迎えています。スポーツ界がそれを如実に表しています。かつてマラソンを筆頭に陸上競技は男性のスポーツと言われました。第一、女性のマラソンがオリンピックで正式種目になってから、まだ20年にもなりません。
日本の花形競技と言われたバレーボールもいつの間にか女性ばかりが注目されるようになりました。北京オリンピックにおける女子ソフトボールの活躍は野球の話題を消し去るほどの勢いでした。そして、格技の世界も女性上位現象が見られます。柔道もレスリングもメディアを賑わせるのは多くが女性選手です。女性のボクシングもいよいよWBAにより認定されました。
サッカーも例外ではありません。そのうち<なでしこJAPAN>で注目を浴びた女子サッカーの時代がくるでしょう。
とにかく、<腕力>以外では男は女性に勝てない事が次々と証明されつつあります。もちろん女性の中にも能無しで真面目さや貞淑さのカケラもないバカが蔓延している事も否定できません。前述した<オバタリアン>や、落ちこぼれの女子高生も確実に存在します。小室哲哉(逮捕されて化けの皮が剥がれましたが…)に狂い、安室奈美恵だ、倖田來未だ、EXILEだ…なんて似非ミュージシャンに騒ぐバカ女子高生たち。メディアにも責任があります。渋谷、池袋を歩けば明らかに売春(援助交際などと洒落た造語をメディアが作るから抵抗感が麻痺するのです)目的の、意味不明な日本語を使って低俗な優越感を誇示するバカ女子高生がたむろしています。
ちなみに、バカな女子高生の制服のスカートは異様に短かく、以前はルーズソックスが一世を風靡し、いまは紺の長いソックスが流行していますが…。ロシアやフランスなど欧米では、娼婦が日本の女子高生の制服スタイルで客引きしている現実を何人の女子高生が知っているのでしょう!?
しかし、現実にはそんなアホは極めて少数です。世の中はそうは捨てたもんじゃありません。多くの女性は、こんな時代だからこそ、男に負けず、<目的>を持って勉強をしたり仕事に努力しているのです。
実際、いまの若者、特に男連中は社会を舐め切っています。フリーター、ニートに始まり登校拒否、引き籠り…圧倒的に男が多いという現実。
その点、女性は強くなりました。多くの女性は純真無垢です。あまりにだらしない男ばかりなので、バカバカしくて付き合いたい男が急減したという理由もあるでしょう。強い女性は強い男(何も腕力だけを言っているのではありません)に惹かれるものです。しかし、強い男が最近は滅多にいなくなってしまいました。
女性は男より優れています。私はそんな女性を尊敬しています。<目的>を持ち、一生懸命に頑張る女性が好きです。
だから、私は唯一の武器である<腕力>を使って女性に暴力ふるう男は最低だと思っていますし、絶対に許しません。
もう何年も前の事です。まだ携帯電話が普及していなかった90年半ばと記憶しています。夕方、母校である早稲田大学を仕事で訪ねた帰り道、早稲田通りの公衆電話の前を通り過ぎようと思いました。
すると電話ボックスで、電話していた女性を、チンピラ風のヤサ男が突然「いつまで話しとるんや!」と強引にボックスのドアを蹴り破ると、女性の髪の毛を掴んで蹴りを入れ始めました。
反射的にではありますが、その男を半殺しにした事は言うまでもありません。私に殴られ蹴られながら「俺は○○組のもんや!!」と言葉だけ物騒な名前を連呼しました。残念ながら、私にはそんな脅しは効きません。理由はノーコメントにしておきます。これは決して武勇伝ではありません。私は私で、相手がいつ刃物を取り出すかヒヤヒヤものでした。決して英雄を演じようと思った訳ではありません。強いて言うなれば「力なき正義は無能なり」という人生訓を無意識に実践したに過ぎません。
ただ、またも警察の厄介になったのが面倒でした。しかし、最近の刑事さんは話が分かります。私は警察の事情聴取でこの20年間、特に不愉快な思いをした事はありません。明らかに先に女性に暴力を振るったのは相手です。かなりの怪我を負ってはいましたが、刑事さんは簡単な事情聴取だけで、本来ならば治療費などの和解問題になり、一歩間違えば暴行傷害で起訴もあり得る事態にもかかわらず、不問にしてくれました。あの時のS警部の粋な計らいにはいまも感謝しています。
話が脱線しました。
いまこそ女性の時代なのです。世の腑抜け男たちも、フラフラしていたらいつしか女性の奴隷に身を落とすでしょう。警告を!
だから弱い男たちよ…極真空手を学びなさい。
(了)
2008.12.24
「神風特攻隊」…長渕剛(加筆修正版)
スポンジみたいな人生かい
あんな大人になんかなりたかねえ
尖った怒りたちも失せちまってる
今夜はしたたか酒に酔っ払っちまった
誰かが冒した過ちなんて
簡単に言うなよ、どの面下げて
例え純粋さをへし折られたとしても
決して諦めず、ただただ人を愛し貫いていけ
神風特攻隊のように
傷つく事を恐れないで
神風特攻隊のように
真っ直ぐな愛で立ち向かっていけ
役立たずの兵士が百人いるよりも
たった1人のかけがえのない本当の友がいい
どこを斬っても血も出ねえ、真実味もねえ
そんな腑抜けな戯言など糞っ喰らえ
赤い涙を強い絆で結わえて
昨日よりも美しい明日を探してゆくんだと
愛する者たちへの祈りを捧げたら
いま、絶望の縁からオマエの名を叫ぼう
神風特攻隊のように
清らかな温もりを身に纏い
神風特攻隊のように
真っ直ぐな瞳で愛に立ち向かってゆけ
どうせ1度っきりの粗末な人生なら
他人の煙に燻されて生きるより
野生の牙をひん剥き、焼け焦げるほどの魂を
黄金の太陽へ突っ込み、むしり取ってやれ
破れかぶれの真っ直ぐな命をガリガリ奥歯で噛み砕き
悲鳴を圧し殺し、愛しき者たちのために
生きる掟をいま真っ直ぐに奮い立たせろ
神風特攻隊のように
一途な愛を犬死にさせてなるものか
神風特攻隊のように
誠実な優しさを身に纏い
神風特攻隊のように
気高い光を放ち傷つくことを恐れないで
神風特攻隊のように
真っ直ぐな瞳で愛に立ち向かってゆけ
長渕剛の作詞・作曲による「神風特攻隊」という楽曲の歌詞です。
音楽好きの私ですが、少なくとも近年でこれほど衝撃的な楽曲に出会ったことはありません。ただ単純に感動した…という訳ではないのです。とても複雑な想いに駆られました。ただ、この歌詞が私の持つ信念や想いと殆ど瓜二つの事を語っていることに強い共感を覚えた事実は否定しません。
難しい理屈は後回しにしますが、私がこの作品に衝撃を受け、此処のところ毎日聴いている事だけは確かです。
最初に「神風特攻隊」を聴いた時、サウンドがあまりに矢沢永吉さんの楽曲に似ていることに当惑しました。ベースをフルで効かせ、ラッパがバックで鳴り響き、女性コーラスが間を取る、下半身にズシンとくる重いスローテンポのロック…矢沢さん特有のサウンドです。ラストのハミングなど、うっかりすると矢沢さんが唄っているのか? と勘違いしてしまいそうです。
そして、左翼・進歩派文化人が眉を潜めるような「神風特攻隊」というタイトルと<神風特攻隊のように>のリフレイン。よくぞ、ここまで挑発的なタイトルを付けたものだと、皮肉ではなく純粋に感心しました。
私はこんな長渕の姿勢を全面的に支持します。
太平洋戦争で兵士として戦場に送られ、必死で戦いつつ命を落としていった何十万人もの若者への追悼と敬意が長渕の作品には多く見られます。この作品ではひとつの喩え、象徴として「神風特攻隊」という言葉を選んだのでしょうが、そこに彼の包み隠さない本音を感じることができます。
日本人ミュージシャンのなかで、長渕ほど「日本人の魂」を訴え、戦争で逝った人々を想う心を顕に唄う人間は皆無と言ってもいいでしょう。
元々、日本の<フォークソング>は戦争反対を唱える平和運動から始まりました。それが次第にエスカレートして自衛隊を茶化したり、戦争で戦い命を犠牲にした兵士たちまでも愚弄するような歌が何の疑問もなく、それも極めて軽薄に唄われてきた歴史があります。
長渕剛は、そんなフォークソングの伝統的な<悪弊>を見事に崩したのです。「朝日新聞」系の偽善者進歩派文化人のハラワタを突き刺すような長渕の歌は極めて痛快であり、現代日本においてはとても貴重だと私は思っています。
歌詞は極めて荒削りです。語句の重複が多く、文法的には狂いのある言葉の羅列が続きます。
それでも、よく聴き込んでいくと、その荒削りな歌詞が妙な威圧感と現実味を以て心に響いてくるから不思議です。サウンドも、よく聴けば矢沢さんに似ているものの、徹頭徹尾、<長渕調>で貫かれているのが分かります。
約30年前…。長渕剛は、裏声を使ったヤワな女性好みの歌を唄い、熱烈な女性ファンたちから<フォークの貴公子>なんて呼ばれていました。長渕剛をリアルタイムで聴いてきた私には、そんな軟弱な印象が強過ぎるが故に、90年前後に歌唱法から全てスタイルを一新した、つまり<変身>した彼について、常に肯定感と拒否感の相剋、葛藤がありました。
しかし、「神風特攻隊」を聴いて何故か私の複雑な想いは吹っ切れたように感じます。
長渕剛は<男>になった。
本当の彼はナイーブな臆病者で、腕力に対して劣等感の塊だったと私は確信しています。その反動が過激な攻撃的姿勢になって表れ、必死に<ツワモノ>をアピールし続けてきたのです。こうして、暴力性かつ粗野な豪放さを売り物に20年が過ぎました。
私は自分自身とオーバーラップする長渕剛に、戸惑いを覚えてきました。そして、「オマエ、歌と外見だけはコワモテになったけど、ほんまは戦えるのかよ!」などと反発も度々抱いてきました。
しかし、ここまで究極的とも言える楽曲を堂々と叫ぶ長渕剛に、私は<乾杯>しつつ<完敗>です。
「神風特攻隊」…。
最高です。
(了)
あんな大人になんかなりたかねえ
尖った怒りたちも失せちまってる
今夜はしたたか酒に酔っ払っちまった
誰かが冒した過ちなんて
簡単に言うなよ、どの面下げて
例え純粋さをへし折られたとしても
決して諦めず、ただただ人を愛し貫いていけ
神風特攻隊のように
傷つく事を恐れないで
神風特攻隊のように
真っ直ぐな愛で立ち向かっていけ
役立たずの兵士が百人いるよりも
たった1人のかけがえのない本当の友がいい
どこを斬っても血も出ねえ、真実味もねえ
そんな腑抜けな戯言など糞っ喰らえ
赤い涙を強い絆で結わえて
昨日よりも美しい明日を探してゆくんだと
愛する者たちへの祈りを捧げたら
いま、絶望の縁からオマエの名を叫ぼう
神風特攻隊のように
清らかな温もりを身に纏い
神風特攻隊のように
真っ直ぐな瞳で愛に立ち向かってゆけ
どうせ1度っきりの粗末な人生なら
他人の煙に燻されて生きるより
野生の牙をひん剥き、焼け焦げるほどの魂を
黄金の太陽へ突っ込み、むしり取ってやれ
破れかぶれの真っ直ぐな命をガリガリ奥歯で噛み砕き
悲鳴を圧し殺し、愛しき者たちのために
生きる掟をいま真っ直ぐに奮い立たせろ
神風特攻隊のように
一途な愛を犬死にさせてなるものか
神風特攻隊のように
誠実な優しさを身に纏い
神風特攻隊のように
気高い光を放ち傷つくことを恐れないで
神風特攻隊のように
真っ直ぐな瞳で愛に立ち向かってゆけ
長渕剛の作詞・作曲による「神風特攻隊」という楽曲の歌詞です。
音楽好きの私ですが、少なくとも近年でこれほど衝撃的な楽曲に出会ったことはありません。ただ単純に感動した…という訳ではないのです。とても複雑な想いに駆られました。ただ、この歌詞が私の持つ信念や想いと殆ど瓜二つの事を語っていることに強い共感を覚えた事実は否定しません。
難しい理屈は後回しにしますが、私がこの作品に衝撃を受け、此処のところ毎日聴いている事だけは確かです。
最初に「神風特攻隊」を聴いた時、サウンドがあまりに矢沢永吉さんの楽曲に似ていることに当惑しました。ベースをフルで効かせ、ラッパがバックで鳴り響き、女性コーラスが間を取る、下半身にズシンとくる重いスローテンポのロック…矢沢さん特有のサウンドです。ラストのハミングなど、うっかりすると矢沢さんが唄っているのか? と勘違いしてしまいそうです。
そして、左翼・進歩派文化人が眉を潜めるような「神風特攻隊」というタイトルと<神風特攻隊のように>のリフレイン。よくぞ、ここまで挑発的なタイトルを付けたものだと、皮肉ではなく純粋に感心しました。
私はこんな長渕の姿勢を全面的に支持します。
太平洋戦争で兵士として戦場に送られ、必死で戦いつつ命を落としていった何十万人もの若者への追悼と敬意が長渕の作品には多く見られます。この作品ではひとつの喩え、象徴として「神風特攻隊」という言葉を選んだのでしょうが、そこに彼の包み隠さない本音を感じることができます。
日本人ミュージシャンのなかで、長渕ほど「日本人の魂」を訴え、戦争で逝った人々を想う心を顕に唄う人間は皆無と言ってもいいでしょう。
元々、日本の<フォークソング>は戦争反対を唱える平和運動から始まりました。それが次第にエスカレートして自衛隊を茶化したり、戦争で戦い命を犠牲にした兵士たちまでも愚弄するような歌が何の疑問もなく、それも極めて軽薄に唄われてきた歴史があります。
長渕剛は、そんなフォークソングの伝統的な<悪弊>を見事に崩したのです。「朝日新聞」系の偽善者進歩派文化人のハラワタを突き刺すような長渕の歌は極めて痛快であり、現代日本においてはとても貴重だと私は思っています。
歌詞は極めて荒削りです。語句の重複が多く、文法的には狂いのある言葉の羅列が続きます。
それでも、よく聴き込んでいくと、その荒削りな歌詞が妙な威圧感と現実味を以て心に響いてくるから不思議です。サウンドも、よく聴けば矢沢さんに似ているものの、徹頭徹尾、<長渕調>で貫かれているのが分かります。
約30年前…。長渕剛は、裏声を使ったヤワな女性好みの歌を唄い、熱烈な女性ファンたちから<フォークの貴公子>なんて呼ばれていました。長渕剛をリアルタイムで聴いてきた私には、そんな軟弱な印象が強過ぎるが故に、90年前後に歌唱法から全てスタイルを一新した、つまり<変身>した彼について、常に肯定感と拒否感の相剋、葛藤がありました。
しかし、「神風特攻隊」を聴いて何故か私の複雑な想いは吹っ切れたように感じます。
長渕剛は<男>になった。
本当の彼はナイーブな臆病者で、腕力に対して劣等感の塊だったと私は確信しています。その反動が過激な攻撃的姿勢になって表れ、必死に<ツワモノ>をアピールし続けてきたのです。こうして、暴力性かつ粗野な豪放さを売り物に20年が過ぎました。
私は自分自身とオーバーラップする長渕剛に、戸惑いを覚えてきました。そして、「オマエ、歌と外見だけはコワモテになったけど、ほんまは戦えるのかよ!」などと反発も度々抱いてきました。
しかし、ここまで究極的とも言える楽曲を堂々と叫ぶ長渕剛に、私は<乾杯>しつつ<完敗>です。
「神風特攻隊」…。
最高です。
(了)
2008.12.23
[シリーズ]私の生き方と教育について<後編>(完全版)
●倅、そして塚本ヨシコ
ここで突然、私の倅の話になります。
倅は格技・空手の世界では<コジマの御子息>などと特別扱いされて成長しました。たかが初段レベルで、少年部時代は別にして何の実績もない倅が、松井章圭や盧山初雄、大山泰彦や郷田勇三、山田雅稔、黒澤浩樹…といった斯界の頂点に生きる空手家たちに可愛がられ、会食に同席したり、彼らから電話やメールまで貰う立場にいる事がそもそも異常なのです。
それは勿論、倅の<力>ではなく、親である私の<力>によるものである事は言うまでもありません。
しかし、倅が自ら空手を学んでいくにあたり、このような恵まれた環境は決してプラスだけをもたらす訳ではありません。超一流の空手家たちに可愛がられているという事実が、時に多大なプレッシャーになるのは自明と言えるでしょう。倅は倅なりに、極真会館に入門した幼稚園児の頃からずっと<コジマの息子>という周囲からの視線のなかで苦しんできた事は想像に難くありません。
松井章圭はかつて言いました。
「僕が大山総裁に可愛がられ、エリートのレールを敷いてもらって随分、得したと言う人はたくさんいます。仮にその通りだとして、ならば僕の立場になってどれだけ大きなプレッシャーを背負わなくてはならなかったかなんて考えてくれる人は何人いるでしょう? 僕はむしろ総裁に無視され、期待もされず、自由な立場で空手をやりたかったと今も思います。黒澤君や増田君が羨ましかった…。そんな気持ちが分かりますか?」
レベルも次元も違うものの、私の倅も松井のケースに極めて似ている事は間違いありません。
極真空手ではない、例えば柔道やボクシングの世界にいる方がどれだけ気が楽か! 中学・高校と、倅はいったん空手を離れ(後々の空手生活の為に敢えて空手以外の格技を学ばせようと思いました)、講道館で柔道を、ヨネクラジムでボクシングを学びました(ボクシングは現在も続けています)。見るからに倅は生き生きとしながら柔道とボクシングの練習に夢中になっていました。私も柔道の黒帯であり、多少なりともボクシングの経験もありました。しかし私は一切、これらの事に口を出さなかったし、一緒にトレーニングをした事も皆無でした。
ボクシングのパンチングボールやロープワークを覚える度に、倅は嬉しそうに私に話して聞かせました。柔道も気が付くと講道館指定選手に選抜されるレベルにもなりました。試合に勝ったというと、喜び勇んで私に報告の電話をしてきたものです。
こんな倅の積極的な姿勢は空手では1度も見た事がありませんでした。城西支部の少年大会で連覇した時も、全日本少年大会で準優勝した時も、倅の表情には喜びよりもむしろ<安堵感>の方が強く感じられました。
極真空手を学ぶにおいて<コジマの息子>であるという事実はとてつもなく大きな精神的圧力を倅に強いてきたのです。また、その圧力故に倅はなかなか極真空手への強い情熱を持てず、一般部黒帯という誇りも抱く事なく、いつしか稽古も義務感で行うようになっていきました。組手で勝とうが負けようが、喜びも悔しさも表す事がない倅の姿勢に私はとうとう堪忍袋の緒が切れました。
ある日、私は激昂しながら倅を叱咤しました。顔面がスイカを割ったように血まみれになるほど殴りました。そして、何故私が倅に極真空手を学ばせているのか…、これまでも何度か口にしてきた事を改めて強く言って聞かせました。以下は、その概略です。
――道場に一歩でも足を踏み入れれば、そこは年齢も学歴も職業も関係のない徹底した縦型社会であり、同時に<強さ>こそが最大の意味をもつ実力社会でもある。仮に相手より歳上であろうが、東大・慶應を出ていようが、医師や教師だろうが道場では何の価値もない。
私とは正反対に、倅は少なくとも物理的には極めて恵まれた環境で育ってきた。「悔しい!」という感情すらせいぜい1、2度しか抱いた事がないだろう。以前、私は矢沢永吉さんの『成りあがり』を倅に読ませた。
ちなみに、私が『成りあがり』を初めて読んだのは大学1年の夏だった。他の友人たちのようなショックも感動もなく、ただ「ああ、悔しいガキの時代を過ごし、怒りをエネルギーにして生きてきたのは俺だけじゃないんだ」という、何故かホッとする共感だけが心に残った。だからこそ、矢沢さんは一般のファンがスターのように崇める異次元の存在ではなく、あくまで自分が目指すべき<目標>なのだ。
しかし『成りあがり』を読んだ倅はやや当惑の色を浮かべながら言った。
「永ちゃんが凄いのは分かったけど、ただ僕は永ちゃんや父さんのような幼い頃の悔しい思いとか辛い思いとか、怒りみたいなものを経験した事ないから、自分には永ちゃんみたいな生き方が出来るかどうか分からないんだ…」
だから極真空手をやらせているんだ!
だから強くなる事に貪欲にならなければならないのだ!
親父の<力>ではない、自分の<力>を持たなければ、厳しい社会を生き抜いていけないんだ!
――私は殴りながら、コンコンと倅に言い続けました。
ある意味、極真空手の稽古ほど苦しいものはありません。例えルールがあろうが、素手素足で人間同士が渾身の力で叩き合い、倒し合う行為は、現代社会において極めて稀です。KOされて負けた時の屈辱感は計り知れないものがあります。
また組手・試合に勝とうとするならば、単に腕力だけではどうにもなりません。相手の心理を読み、時に機先を制し、また自分から誘い込むなど<戦いの構成>も必要になります。
戦略と戦術を明確にしつつ、それを現実的に実践してこそ、勝利の道は拓けるのです。また、それ以前に組手をするに足るパワー、スピード、スタミナなどの基礎体力も最大限伸ばすトレーニングも欠かせません。極めて地味で辛いだけのトレーニングが下地になって、初めて極真空手のスキルが生きるのです。続きを読む
ここで突然、私の倅の話になります。
倅は格技・空手の世界では<コジマの御子息>などと特別扱いされて成長しました。たかが初段レベルで、少年部時代は別にして何の実績もない倅が、松井章圭や盧山初雄、大山泰彦や郷田勇三、山田雅稔、黒澤浩樹…といった斯界の頂点に生きる空手家たちに可愛がられ、会食に同席したり、彼らから電話やメールまで貰う立場にいる事がそもそも異常なのです。
それは勿論、倅の<力>ではなく、親である私の<力>によるものである事は言うまでもありません。
しかし、倅が自ら空手を学んでいくにあたり、このような恵まれた環境は決してプラスだけをもたらす訳ではありません。超一流の空手家たちに可愛がられているという事実が、時に多大なプレッシャーになるのは自明と言えるでしょう。倅は倅なりに、極真会館に入門した幼稚園児の頃からずっと<コジマの息子>という周囲からの視線のなかで苦しんできた事は想像に難くありません。
松井章圭はかつて言いました。
「僕が大山総裁に可愛がられ、エリートのレールを敷いてもらって随分、得したと言う人はたくさんいます。仮にその通りだとして、ならば僕の立場になってどれだけ大きなプレッシャーを背負わなくてはならなかったかなんて考えてくれる人は何人いるでしょう? 僕はむしろ総裁に無視され、期待もされず、自由な立場で空手をやりたかったと今も思います。黒澤君や増田君が羨ましかった…。そんな気持ちが分かりますか?」
レベルも次元も違うものの、私の倅も松井のケースに極めて似ている事は間違いありません。
極真空手ではない、例えば柔道やボクシングの世界にいる方がどれだけ気が楽か! 中学・高校と、倅はいったん空手を離れ(後々の空手生活の為に敢えて空手以外の格技を学ばせようと思いました)、講道館で柔道を、ヨネクラジムでボクシングを学びました(ボクシングは現在も続けています)。見るからに倅は生き生きとしながら柔道とボクシングの練習に夢中になっていました。私も柔道の黒帯であり、多少なりともボクシングの経験もありました。しかし私は一切、これらの事に口を出さなかったし、一緒にトレーニングをした事も皆無でした。
ボクシングのパンチングボールやロープワークを覚える度に、倅は嬉しそうに私に話して聞かせました。柔道も気が付くと講道館指定選手に選抜されるレベルにもなりました。試合に勝ったというと、喜び勇んで私に報告の電話をしてきたものです。
こんな倅の積極的な姿勢は空手では1度も見た事がありませんでした。城西支部の少年大会で連覇した時も、全日本少年大会で準優勝した時も、倅の表情には喜びよりもむしろ<安堵感>の方が強く感じられました。
極真空手を学ぶにおいて<コジマの息子>であるという事実はとてつもなく大きな精神的圧力を倅に強いてきたのです。また、その圧力故に倅はなかなか極真空手への強い情熱を持てず、一般部黒帯という誇りも抱く事なく、いつしか稽古も義務感で行うようになっていきました。組手で勝とうが負けようが、喜びも悔しさも表す事がない倅の姿勢に私はとうとう堪忍袋の緒が切れました。
ある日、私は激昂しながら倅を叱咤しました。顔面がスイカを割ったように血まみれになるほど殴りました。そして、何故私が倅に極真空手を学ばせているのか…、これまでも何度か口にしてきた事を改めて強く言って聞かせました。以下は、その概略です。
――道場に一歩でも足を踏み入れれば、そこは年齢も学歴も職業も関係のない徹底した縦型社会であり、同時に<強さ>こそが最大の意味をもつ実力社会でもある。仮に相手より歳上であろうが、東大・慶應を出ていようが、医師や教師だろうが道場では何の価値もない。
私とは正反対に、倅は少なくとも物理的には極めて恵まれた環境で育ってきた。「悔しい!」という感情すらせいぜい1、2度しか抱いた事がないだろう。以前、私は矢沢永吉さんの『成りあがり』を倅に読ませた。
ちなみに、私が『成りあがり』を初めて読んだのは大学1年の夏だった。他の友人たちのようなショックも感動もなく、ただ「ああ、悔しいガキの時代を過ごし、怒りをエネルギーにして生きてきたのは俺だけじゃないんだ」という、何故かホッとする共感だけが心に残った。だからこそ、矢沢さんは一般のファンがスターのように崇める異次元の存在ではなく、あくまで自分が目指すべき<目標>なのだ。
しかし『成りあがり』を読んだ倅はやや当惑の色を浮かべながら言った。
「永ちゃんが凄いのは分かったけど、ただ僕は永ちゃんや父さんのような幼い頃の悔しい思いとか辛い思いとか、怒りみたいなものを経験した事ないから、自分には永ちゃんみたいな生き方が出来るかどうか分からないんだ…」
だから極真空手をやらせているんだ!
だから強くなる事に貪欲にならなければならないのだ!
親父の<力>ではない、自分の<力>を持たなければ、厳しい社会を生き抜いていけないんだ!
――私は殴りながら、コンコンと倅に言い続けました。
ある意味、極真空手の稽古ほど苦しいものはありません。例えルールがあろうが、素手素足で人間同士が渾身の力で叩き合い、倒し合う行為は、現代社会において極めて稀です。KOされて負けた時の屈辱感は計り知れないものがあります。
また組手・試合に勝とうとするならば、単に腕力だけではどうにもなりません。相手の心理を読み、時に機先を制し、また自分から誘い込むなど<戦いの構成>も必要になります。
戦略と戦術を明確にしつつ、それを現実的に実践してこそ、勝利の道は拓けるのです。また、それ以前に組手をするに足るパワー、スピード、スタミナなどの基礎体力も最大限伸ばすトレーニングも欠かせません。極めて地味で辛いだけのトレーニングが下地になって、初めて極真空手のスキルが生きるのです。続きを読む
2008.12.21
[シリーズ]私の生き方と教育について<番外編>
ここで少し、誤解のないように書いておきます。
私はよく「アイツはペンの暴力を使っている」と言われます。極真会館の分裂騒動が起きた1995年以来、三瓶啓二氏が吹聴しているのを幾度も耳にしました。しかし三瓶氏はかつて私が早稲田大学の極真同好会に在籍していた頃、「ペンやマスコミは権力になりうる。だから俺はテレビマンユニオンに入って自分の主張をしていくんだ」と言っていました。テレビマンユニオンは優秀なノンフィクション&ドキュメンタリー番組の制作者たちが集まって作ったTV番組制作プロダクションです。
三瓶氏の言動には明らかな矛盾があるとだけ、はっきり言っておきます。
そんな三瓶氏がテレビマンユニオンへの道を閉ざされた後、今度は政治家を目指す事になります。私が福昌堂に入った青二才の頃、三瓶氏は「オマエは偉くなってペンで社会を動かせるようになれ。俺は政治で日本を動かす」と言ったものです。
そして大山総裁が亡くなり私が松井章圭氏を2代目館長として支持している事を知ると、三瓶氏は私に向かって吐き捨てるように言いました。
「ペンは剣より強しというが、オマエのペンが剣より強くなるなんて100年早いんだよ。その前にオマエのペンを折ってやるよ」
そして今も「アイツはペンの暴力を使っている」と言い続けています。
私は自らの<ペン>が時に<権力>になる事を自覚しています。私は綺麗事が嫌いな人間です。清濁併せ呑む事でしか、生き長らえる事が出来なかったし、<濁>を承知で<ペン>を使った事もあります。しかし、それは<格技空手界>という特殊な世界において、必要悪だという意識に則ったものでした。
私は「力なき正義は無能なり」という理想を実践する為に、死に物狂いで自分の<ペン>に<力>をつけてきました。それでも、私の<ペン>を<暴力>と受け止める人たちがいる事実は理解していました。そう自戒しなければ、いつか<筋>を外してしまうと思ってきました。
勿論、私の信念として、<ペン>は正義の為の<力>であり、<暴力>として使った事は過去、1度もありません。もし、<ペン>を意識的に<暴力>として使うような生き方をしてきたならば、「大山倍達正伝」は書けなかったと断言します。そして、ルポルタージュ作家としてメジャーに評価もされなかったでしょう。
それでも…、「大山倍達の遺言」が上梓されれば必ず、半数近い読者は「アイツはペンの暴力を最大限に使った」と罵倒するに違いありません。しかし私には、それは<暴力>でも<権力>でもない、まさに正真正銘の<正義>だという絶対的な確信があります。何故なら、私たち(塚本ヨシコとの共著)は<事実>しか書かないからです。
私にとって、<ペン>が<力>である事は、事実です。しかし、その<力>は<正義>でなければならない…これが私の物書きとしての信条なのです。
(了)
私はよく「アイツはペンの暴力を使っている」と言われます。極真会館の分裂騒動が起きた1995年以来、三瓶啓二氏が吹聴しているのを幾度も耳にしました。しかし三瓶氏はかつて私が早稲田大学の極真同好会に在籍していた頃、「ペンやマスコミは権力になりうる。だから俺はテレビマンユニオンに入って自分の主張をしていくんだ」と言っていました。テレビマンユニオンは優秀なノンフィクション&ドキュメンタリー番組の制作者たちが集まって作ったTV番組制作プロダクションです。
三瓶氏の言動には明らかな矛盾があるとだけ、はっきり言っておきます。
そんな三瓶氏がテレビマンユニオンへの道を閉ざされた後、今度は政治家を目指す事になります。私が福昌堂に入った青二才の頃、三瓶氏は「オマエは偉くなってペンで社会を動かせるようになれ。俺は政治で日本を動かす」と言ったものです。
そして大山総裁が亡くなり私が松井章圭氏を2代目館長として支持している事を知ると、三瓶氏は私に向かって吐き捨てるように言いました。
「ペンは剣より強しというが、オマエのペンが剣より強くなるなんて100年早いんだよ。その前にオマエのペンを折ってやるよ」
そして今も「アイツはペンの暴力を使っている」と言い続けています。
私は自らの<ペン>が時に<権力>になる事を自覚しています。私は綺麗事が嫌いな人間です。清濁併せ呑む事でしか、生き長らえる事が出来なかったし、<濁>を承知で<ペン>を使った事もあります。しかし、それは<格技空手界>という特殊な世界において、必要悪だという意識に則ったものでした。
私は「力なき正義は無能なり」という理想を実践する為に、死に物狂いで自分の<ペン>に<力>をつけてきました。それでも、私の<ペン>を<暴力>と受け止める人たちがいる事実は理解していました。そう自戒しなければ、いつか<筋>を外してしまうと思ってきました。
勿論、私の信念として、<ペン>は正義の為の<力>であり、<暴力>として使った事は過去、1度もありません。もし、<ペン>を意識的に<暴力>として使うような生き方をしてきたならば、「大山倍達正伝」は書けなかったと断言します。そして、ルポルタージュ作家としてメジャーに評価もされなかったでしょう。
それでも…、「大山倍達の遺言」が上梓されれば必ず、半数近い読者は「アイツはペンの暴力を最大限に使った」と罵倒するに違いありません。しかし私には、それは<暴力>でも<権力>でもない、まさに正真正銘の<正義>だという絶対的な確信があります。何故なら、私たち(塚本ヨシコとの共著)は<事実>しか書かないからです。
私にとって、<ペン>が<力>である事は、事実です。しかし、その<力>は<正義>でなければならない…これが私の物書きとしての信条なのです。
(了)
2008.12.20
[シリーズ]私の生き方と教育について<前編> (加筆修正版)
●半生
人生についての私の価値観や生き方は、その殆どが少年時代に帰決すると言えるでしょう。
既に色々なところでも書いています。私はまだ小学生の頃に、「力なき正義は無能なり」という「パンセ」のなかの一節を自己解釈した大山倍達総裁の格言と、ほぼ同じ考えを抱いていました。勿論、「力なき〜」のような文学的、または哲学的な言葉で理解していたわけではありません。ただ、私はガキの頃から毎日のように自分自身に問い掛けていたものです。
「何故、自分は間違っていないのに、自分だけ辛い思いをしなければならないのか?」
「大人は何もかも正しいといって子供の俺に無理強いする。親も学校のセンコーも、皆々大人が正しくて、子供の自分が間違ってると決めつける。何故、自分の気持ちを分かってくれないのか?」
考え抜いた末、私は納得しました。
子供だから…、弱いからに違いない。絶対に強くなってやる。強くなければ、いくら自分が正しくても笑われるか無視されるだけなんだ…。
幼年期から少年時代、例えようもなく私の家庭は複雑でした。いつも周りの大人たちから侮蔑の眼で見られていました。第1、親戚の大人連中が私を余計者として嘲り笑ったのです。ですから、そんな大人の倅たちも親の影響をそのまま受けて、当たり前のように、背景も分からず私をバカにしました。
本来ならば児童(子供)を守るべき学校のセンコー(小中学校時代の教師たちを、私は絶対「先生」と呼ばないと誓って以来、それは今も断じて変わりません)までが、職員室などで私の家庭の噂をツマミに暇潰しをしていたものです。私の姿を見付けるとセンコーたちはわざわざ私を呼び寄せ、好奇心に満ちた醜い顔で私の家庭を詮索するように訊くのが習慣でした。
子供の私にとって、耐え難い屈辱でした。教師たる者が、自らの権力を嵩にきて、弱い子供の心をズタズタになるまで弄んだのです。そこには間違いなく<良心>の欠片もなかったはずです。
特に1年生の担任だった大高雅子、3年生の担任・村田緑、学年主任の郡司昇の3人はよくつるみながら、私と私の家庭について異常な関心を顕にしていました。
「お父さん、まだ賭け事とかして悪い人たちと悪い事してんの?」
「お母さんはどこに行っちゃったの?夜、どこかで働いてるんだって?」
他に児童がいようがおかまいなしでした。私にそんな事を訊いては話のタネにするのが、あの3人の楽しみだったのです。
私は必ず、この3人を殺そうと決心しました。
ある日、博徒の父親がいつも身近に置いていた銃剣で私は1人を刺しました。最初から3人を殺害する計画でした。しかし、直ぐに他の教師たちに取り押さえられ、私は2人を取り逃がしてしまいました。
その時の悔しさと後悔は今も忘れません。同時に、40年近く経った現在でも2人への殺意は消えていません。続きを読む
人生についての私の価値観や生き方は、その殆どが少年時代に帰決すると言えるでしょう。
既に色々なところでも書いています。私はまだ小学生の頃に、「力なき正義は無能なり」という「パンセ」のなかの一節を自己解釈した大山倍達総裁の格言と、ほぼ同じ考えを抱いていました。勿論、「力なき〜」のような文学的、または哲学的な言葉で理解していたわけではありません。ただ、私はガキの頃から毎日のように自分自身に問い掛けていたものです。
「何故、自分は間違っていないのに、自分だけ辛い思いをしなければならないのか?」
「大人は何もかも正しいといって子供の俺に無理強いする。親も学校のセンコーも、皆々大人が正しくて、子供の自分が間違ってると決めつける。何故、自分の気持ちを分かってくれないのか?」
考え抜いた末、私は納得しました。
子供だから…、弱いからに違いない。絶対に強くなってやる。強くなければ、いくら自分が正しくても笑われるか無視されるだけなんだ…。
幼年期から少年時代、例えようもなく私の家庭は複雑でした。いつも周りの大人たちから侮蔑の眼で見られていました。第1、親戚の大人連中が私を余計者として嘲り笑ったのです。ですから、そんな大人の倅たちも親の影響をそのまま受けて、当たり前のように、背景も分からず私をバカにしました。
本来ならば児童(子供)を守るべき学校のセンコー(小中学校時代の教師たちを、私は絶対「先生」と呼ばないと誓って以来、それは今も断じて変わりません)までが、職員室などで私の家庭の噂をツマミに暇潰しをしていたものです。私の姿を見付けるとセンコーたちはわざわざ私を呼び寄せ、好奇心に満ちた醜い顔で私の家庭を詮索するように訊くのが習慣でした。
子供の私にとって、耐え難い屈辱でした。教師たる者が、自らの権力を嵩にきて、弱い子供の心をズタズタになるまで弄んだのです。そこには間違いなく<良心>の欠片もなかったはずです。
特に1年生の担任だった大高雅子、3年生の担任・村田緑、学年主任の郡司昇の3人はよくつるみながら、私と私の家庭について異常な関心を顕にしていました。
「お父さん、まだ賭け事とかして悪い人たちと悪い事してんの?」
「お母さんはどこに行っちゃったの?夜、どこかで働いてるんだって?」
他に児童がいようがおかまいなしでした。私にそんな事を訊いては話のタネにするのが、あの3人の楽しみだったのです。
私は必ず、この3人を殺そうと決心しました。
ある日、博徒の父親がいつも身近に置いていた銃剣で私は1人を刺しました。最初から3人を殺害する計画でした。しかし、直ぐに他の教師たちに取り押さえられ、私は2人を取り逃がしてしまいました。
その時の悔しさと後悔は今も忘れません。同時に、40年近く経った現在でも2人への殺意は消えていません。続きを読む