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インド占星術とヴェーダ思想
今日は正月なので、日頃書かない思索的な話を少し書き込まをさせていただく。

インド占星術と言うと、何か宗教的であるという印象、感想をもつらしい。確かにインド占星術は、バラモン教・ヒンズー教の根本思想であるヴェーダ思想の補助科学として、明確に位置づけられている。

当初は祭司重視だったヴェーダ思想は次第に知的経験を蓄積し、最終的にはウパニッシャド哲学として完成する。ウパニッシャド哲学の根本思想は梵我一如の思想にある。「梵我一如の思想」とは宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人存在の本体であるアートマン(自我)があり、その一致をめざすことである。

ウパニッシャドの思想で重要なことは、祭式を行うことによって天国に生まれることではなく、業に基づく輪廻から解脱することを人生の究極の目標とみなしている。そして宇宙の根本原理ブラフマンを知り、自我をブラフマンそのものに帰入する所に理想的境地を見いだした。このような境地を「解脱」と呼んでいる。「業、輪廻、解脱」という思想は、バラモン教・ヒンズー教だけでなく、仏教、ジャイナ教等インド思想全般の共通要素と考えてよい。

その前世からの業とは何かを知る手段がジョーティシュ(光の科学)と呼ばれるインド占星術であり、解脱の手段としてあるのが瞑想やヨガである。解脱に向けての修行を行う際に健康であることが必要になるので、ハタヨガやアーユルベーダ医学が貢献する。神々への讃歌・詠唱・真言がインド音楽を形作る。又、星の位置の正確な計算が数学・天文学の発達をもたらしたのである。このようにインド占星術は、ヒンズー教、ヨガ、アーユルベーダ、インド音楽、インド数学等々、インド精神文化の一環として位置づけられている。

だからインド占星術にはそもそも「遊び」的要素はない。占い文化の中に遊び的要素があることは認める。しかし、それをインド占星術に当て嵌め様とすれば、インド占星術はその精緻な体系と価値を失う。だから私はインド占星術に関しては、妙な商業主義は容認したくない。儲け主義だけでインド占星術に参入しようとする輩とは一線を画す。インド占星術学習者はあくまで真理追究の学徒であることが大切だ。

宗教文化と対立衝突をしてきたか、その体系の一環として発達してきたかと言う点で、同じ占星術でありながら、インド占星術は西洋占星術と違う。キリスト教会と常に対立の歴史を経てきた西洋占星術と思想面で根本的に違うところだ。同じ星の原理に基づいた占いでも、西洋占星術は個人主義の色彩が色濃い。これに対してインド占星術はその人生観、生活観、家族の重視の価値観等、極めて東洋的である。

ヴェーダ思想を必ずしも信じる必要はないが、インド占星術の学習者はこうした思想的背景は勉強した方がよい。なぜなら、ホロスコープのリーディングの過程でしばしばこうしたインド思想原理が顔を出す。単なる理屈だけの観念論でなく、それが実際に人生の中において現象化する姿を突きつけられるとしばしば驚愕する。そのような意味で、リーディング能力を深いレベルまで高めるには、こうした背景をよく理解していた方がいい。

宗教を文化的背景として明確に意識しない日本人は、こうした考え方に慣れていない。ヴェーダ思想を踏まえながら鑑定結果を言うと、まるで私自身の個人的価値観や信仰に基づいていると勘違いする人もいる。私自身は何の宗教団体にも属していないし、ヒンズー教だけでなく、イスラム、キリスト教、儒教、神道等客観的にみているつもりである。ただ、「インド占星術で精度の高い鑑定を行うならば、ヴェーダ思想の価値観にもとづいて判断するべきだ」という前提があるだけである。私自身がヴェーダ思想の信奉者であるわけではない。そこの所は、鑑定の為の一種のテクノロジーと割り切って考えている。

そもそもすべての占いの背景には宗教背景がある。中国占術の根元である易経の思想など儒教思想そのものである。儒教のもつ「男尊女卑」「立身出世」の価値観を中国占術はもっている。現世ご利益を追求する風水は、道教の影響を受けている。日本人は儒教や道教の思想を生活の中で生まれながらに自然に受け入れているので、中国思想による判断に違和感を感じない。又、近代以降西洋文化と接触受容が著しいのでその文化背景もある程度理解している。しかし、インド思想には慣れていない。日本の仏教は中国大陸経由で伝来したので、そもそもが「漢化された仏教」が入ってきた。だから、インドオリジナルなものとはかなり違う。その意味でヴェーダ的な考え方に慣れていないし、いくぶんか心理的抵抗感がある。それだけのことである。

キリスト教で「愛」を説き、儒教で「仁」を説くように、インド思想が業(カルマ)、輪廻、解脱を価値観としていることを理解して欲しい。インド占星術だけが宗教的であるわけではない。ましてやカルトなどとは一切無縁である。

| 占いの文化人類学 | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) | top↑ |
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