いりゃあせ名古屋

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いじめ後遺症:ある少女の死/中 戻る記憶、パニックに PTSDと戦い続け

 「体育の時間に机に置いていたスカートを切られたんだよ」。03年、中学2年になると同時に名古屋経済大学市邨(いちむら)中学(名古屋市)から愛知県岩倉市の自宅近くの公立中学に転校した高橋美桜子(みおこ)さんは、同じ児童劇団に所属する林優衣さん(19)と頻繁に会うようになっていた。

 おしゃべりの場所は名古屋市内の林さんの学校近くのショッピングセンター。美桜子さんはいつも地下鉄で訪れ、校門近くで林さんを待った。「ロッカーに入れていたポスターもびりびりにされたんだよ」。その明るい口調に、林さんは「強い子だな」と感心したという。

 だが同じころ、美桜子さんは自分の学校の教室の前に来ると別の顔を見せた。「みんなが囲んで入れてくれない」。かつての光景がフラッシュバックし、足が動かなくなった。

   ◇    ◇

 05年、豊田市の私立高校に入学した後も、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状は改善しない。学校にはいつも使い慣れた枕を持っていった。フラッシュバックが起きた時、鼻がつぶれるほど顔を押し付けて悪いイメージが去るのを待つためだった。

 同年暮れ、名古屋市内のホールで劇団のクリスマス会に参加した美桜子さんは、母典子さん(50)に泣きながら電話してきた。「市邨の先生たちがいる。美桜子のことを追ってきた」。同じ施設で会合を開いていた市邨中学の教師を見かけ、パニックになっていた。

 このころの美桜子さんは典子さんと一緒の布団で寝ていた。ある夜、典子さんはすすり泣きで目を覚ました。美桜子さんが久しぶりに登校し、期末テストを受けた日だった。「『ヘド、ヘド』って言われた」。何年も前の記憶と戦う美桜子さんの背中を、典子さんはなでるしかなかった。

   ◇    ◇

 松田和夫・名古屋経済大学事務局次長は「傷が癒えず3~4年後に自殺したと言うが、本当に亡くなった理由なのか疑問がある」と話す。一方、名古屋大医学部付属病院勤務当時、主治医だった小石誠二医師は「パニック状態で話す内容がいじめの内容に直結していた」として、いじめと自殺の因果関係を主張する。

 高校1年の時、美桜子さんは「自分との戦い」という題の作文を書いた。

 <いじめを受けた人は深い心の傷を負い、いじめを思い出しては何年も苦しむのです/私は今日まで生きることが出来たけど、いじめを受けた人の中には本当に死んでしまう人もいるほどです/いじめは人の心を殺します。絶対にあってはいけないものです>

毎日新聞 2008年11月9日 中部朝刊

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