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孤独の岸辺:/6 性風俗店で働く主婦

 ◇でも、居場所は家庭 「家政婦」以外の世界を求め

 帰宅すると、会社員の夫はワイシャツ姿のまま、冷め切って白い脂が浮く肉じゃがのラップをはがし、無言で白飯とともにかきこんだ。「今、チンするからね」。言いかけた言葉を、妻(43)はのみ込んだ。「うまい」とねぎらってほしいのに、温めることすらしない。切ないが、慣れてしまった。

 仕事に没頭する姿にひかれ、社員食堂で自らアプローチした。収入に不満はなく、東京の郊外にあるマンションで主婦業に専念する。まじめな夫を友人はうらやむが、退屈さとの境はかすんでしまった。もうずっと別々のベッドで眠る。

 高校生の一人娘は小学生のころ、発熱や嘔吐(おうと)を伴う自家中毒と診断された。「あなたは過保護すぎる」。小児科医に指摘され、はっとした。雨の日には傘と長靴を玄関に並べておく。事前に何でも準備してあげることが理想の母親だと信じてきた。でも、娘はストレスを感じていた。口出しを控えると頼られる回数が減り、娘の相談相手は友人に変わった。もっと子供を産んで面倒をみたかった。

 夕方、ドラマの再放送を見ながら家族の帰りを待つ。娘が少しでも帰宅の予定時間に遅れると、携帯電話で居場所を聞き、つい怒鳴る。「スケジュールを把握するのは母親の務め」。言い訳しても八つ当たりと見透かされた。家族の世話を焼くことが生活のすべて。床に落ちている髪の毛一本を見逃さず、おやつは手作りにこだわった。家事に力を入れるほど、自分が家政婦のように思えてきた。

 感謝の気持ちが薄い家族に腹が立ち、2年前、一晩家を飛び出した。「私は何のためにいるの」。友人に愚痴をぶちまけた。帰宅すると、何かが吹っ切れていた。

 「人妻があなたをお待ちしています」。半年後、歯科医院の待合室で手にとった男性向け週刊誌に、性風俗店の広告を見つけた。とっさに電話番号をメモした。「暴力団が経営しているのだろうか」。トラブルが頭に浮かんだが、家族への依存を断ち、想像もつかない世界に飛び込んでみたいという思いが背中を押した。1週間後、震える手で自宅近くの公衆電話の受話器を握っていた。

 髪形を変えても気付かない夫は派遣会社で働いているといううそを信じ込んでいる。「パートに出ることは恥ずかしいから誰にも言うな」と条件を付けることは忘れなかった。「好きなことをすればいいよ」と気遣ってくれれば、思いとどまったかもしれないのに。

 昼過ぎまでに家事を済ませ、サンダルをハイヒールに履き替える。かかとが地面を打つ音を聞くと背筋が伸びる。指名を受けると客の待つホテルを訪ねる。独身時代には軽蔑(けいべつ)していた職業だが、ロングヘアを褒められる度に女として見られる喜びを思い返した。PTAでは話せない「本音」をさらせるのも心地よかった。

 客に別の名前で呼ばれる時、どちらが本当の自分なのか、一瞬見えなくなる。「でも、家族がいることで私は守られている」。店からもらう給料には決して手を付けない。

 帰り道、なじみのスーパーの前で歩みを緩める。入り口に張られた安売りチラシを確認して家に向かう。冷蔵庫の中身が自然と思い浮かぶ時、家族の中の自分に戻っている。【津久井達】=つづく

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毎日新聞 2009年1月6日 東京朝刊

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