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社説

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ガザ侵攻―国際社会は停戦に動け

 パレスチナで戦争が激化している。年末から自治区ガザを空爆していたイスラエル軍が、戦車などで本格的に攻め込んだ。

 空爆でこれまでに500人以上が死んだ。ガザにある独立系の人権団体は、その2割が子供たちだと報告している。地上戦でも犠牲者が出ている。

 この事態に、国際社会はまったく無力だ。国連安全保障理事会は即時停戦を求める決議はおろか、声明さえ採択できないでいる。イスラエルを擁護する米国が反対しているからだ。

 ガザを支配するイスラム過激派ハマスが昨年来、イスラエルへのロケット弾攻撃を始めた。これに対して自国民を守る自衛権がある。これがイスラエル側の攻撃の理由であり、米国なども理解を示している。

 だが、空爆や侵攻はパレスチナ側の犠牲があまりにも大きく、過剰な武力行使というよりない。イスラエルは直ちに侵攻を停止し、交渉による事態の沈静化をはかるべきだ。

 今回の対立激化の根底にあるのは、パレスチナ勢力の分裂だ。長く自治政府を担ってきた主流派ファタハは腐敗などから住民の支持を失い、06年の選挙でハマスに敗れた。だが、ハマスはイスラエルに対する武闘路線を捨てず、中東和平は頓挫してしまった。

 ハマスとファタハは一時は連立政権を築くなど連携を模索したが、結局、07年夏にハマスがガザからファタハを追い出し、ヨルダン川西岸を支配するファタハとの間で分裂状態になった。

 イスラエルはガザを封鎖して締め付けを強める一方、米欧や日本も含む国際社会もハマスを批判し、政治的にも経済的にもガザは孤立を深めていた。

 イスラエルとハマスがようやく合意した半年停戦が先月中旬に終わると、ロケット弾攻撃が再開され、これがイスラエルに武力侵攻の口実を与える結果になった。2月のイスラエル総選挙を控え、政権側は軍事強硬路線に出ることで支持取り付けを狙ったものとも見られている。

 ただ、今後に展望があるとはとても思えない。イスラエルはハマスをたたいたあと、いずれアッバス議長率いるファタハにガザ統治を委ねるつもりなのだろうが、これだけ多くの犠牲者を出しては、ハマス支持の厚い住民たちの反発は避けられまい。パレスチナの混乱は深まるばかりだ。

 アラブやイスラム世界の民衆の怒りは、イスラエルを制止できない米欧や国連に向かう。米国などを標的にする国際テロ組織アルカイダへの支持が広がらないか心配だ。

 フランスのサルコジ大統領が停戦仲介のため中東入りした。今月から国連安保理の非常任理事国になった日本も、ガザの流血を止めるためにもっと積極的に動くべきだ。

難民受け入れ―もっと門戸を開けよう

 難民の受け入れに消極的だといわれてきた日本が、変わるべき時に来ている。

 帰国のめどがないまま海外の難民キャンプで暮らしている人たちを受け入れる第三国定住に、日本も今年から取り組むことになった。タイにいるミャンマー(ビルマ)難民を対象に、今春から準備を進めて、2010年度から受け入れを始める方針だ。

 まずは3年間の「試行」という位置づけだが、日本社会の門戸を開く一歩である。ぜひ定着させたい。国連も「アジアで初めてで、日本は地域のモデルになる」と歓迎している。

 迫害を逃れて祖国を後にした難民は、世界で1150万人。そのうち約600万人が、5年以上も避難生活を送っている。生まれてから鉄条網の中しか知らない子供たちも増えている。キャンプ生活の長期化が、難民の生活に悪影響を及ぼすのは明らかだ。

 だが海外の難民に対して、門戸を開いている国は少ない。他国に滞留している難民を引き取る第三国定住を実施している国は、欧米諸国など十数カ国に限られていた。日本もその仲間に加わることになる。

 受け入れる難民は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が推薦リストを作り、日本政府の担当者がキャンプで面接して決める。

 ただし受け入れ数は年に30人、3年間で計90人にすぎない。慎重な審査は当然だが、あまりに少ないのではないか。定住者たちが孤立しないためには、仲間同士で助け合えるコミュニティーを形成できる人数が望ましい。

 異なる文化で育ってきた人たちを迎えるには、きめ細かい対応が必要だ。受け入れの成否は、地域社会の協力がカギをにぎる。日本語の習得、就職先の確保、子供の就学など、自治体、企業、学校が一体となって態勢をつくる必要がある。経済が厳しい時期だが、温かい配慮を示してほしい。

 日本は81年に難民条約に加入したが、難民と認めたのは07年までに451人にすぎない。認定の厳しさから「難民鎖国」という批判も浴びた。

 だがこの数年、日本での難民申請者が急増しており、昨年は約1500人に達した。認定数も増えつつあり、条約上の難民とは認められなくても、人道的配慮から在留が認められる例も出ている。

 日本がベトナム戦争後に受け入れたインドシナ諸国(ベトナム、カンボジア、ラオス)の難民からは、医師や実業家などとして活躍している人たちも出ている。亡命先の米国で活躍したアインシュタイン博士のように、難民は貴重な人材になりうるのだ。

 海外の難民も、新たな隣人として迎えよう。開かれた日本社会に向けて、小さな一歩を大きく育てていきたい。

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