「(中国から)帰国したころ、息子たちは苦労した」と話す比嘉春さん=比嘉さん宅
県出身の中国残留邦人帰国者、比嘉春さん(88)=那覇市=は27年前、61歳の時に沖縄に帰ってきた。長男と中国人の長男嫁、次男の3人と共に沖縄で新たな生活をスタートさせた。
「わたしは日本語が話せたのでまだ良かったが、息子夫婦は話せず、4、5年は苦労した。独学で学ぶしかなく、就職も大変だった」と、言葉の壁で息子たちが苦労した経験を振り返った。
比嘉さんは1940年ごろ、20歳で中国へ渡り、看護師を30年間、日本語教師を11年間務めた。帰国の5年ほど前に中国人の夫が亡くなった。それを機に帰国を考え始め、一時帰国。その間持病を治療し、医師に「継続治療が必要」と言われ、帰国を決意した。
長男は中国の大学を卒業し中国の企業で働いていたが、比嘉さんの帰国を機に、中国人の妻も一緒に沖縄で生活することを決意。帰国後は「言葉のやりとりが少ない」との理由で、建築現場で働いた。比嘉さんは「息子は自分で決意してわたしに付いてきたので苦労話など愚痴は一切言わなかった」と言う。
だが、長男の妻の話では、重労働で手が腫れ、疲れ果てた中、懸命に独学で日本語を学ぶ一方、お金がなかなかたまらず、焦りがあったという。
それをふびんに思った比嘉さんは看護師の経験を生かそうと、県内の病院でパートタイムの夜勤業務に従事。お金をため、長男夫婦と次男夫婦の結婚披露宴の費用を工面した。
比嘉さんは現在、国の生活給付金を受けている。
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