脳の摂食調節機構

摂食調節の新しい概念

1.レプチン

Mayerの糖定常説が発表されてから40年後に、視床下部による摂食調節の図式に大きな変化をもたらす発見がありました。1994年に摂食抑制作用を持つホルモンであるレプチンが発見されたのです(レプチンはギリシャ語のleptosやせるに由来する)。遺伝的に肥満を示すマウス(ob/ob)(obはobese肥満の略)ではレプチンの遺伝子に異常があり、正常なレプチンが作れないことから肥満が起こります。興味深いことに、レプチンはそれまで単なるエネルギーの貯蔵庫と考えられてきた脂肪細胞で作られ、ホルモンとして血中に分泌されます。しかも、レプチンは脳、とくに視床下部に存在する受容体(Ob-R)に作用することも分かりました。もう一種類の遺伝性肥満マウス(db/db)(dbはdiabetes糖尿病の略)ではレプチン受容体の遺伝子に異常があることも発見され、グルコースに加えて、レプチンが末梢のエネルギーバランスを伝える重要な情報伝達物質として認められたのです。

図3. 遺伝性肥満マウスの併体結合実験(parabiosis)
図3. 遺伝性肥満マウスの併体結合実験(parabiosis) 当初、遺伝性肥満マウスであるob/obマウスとdb/dbマウスはどのような遺伝子に異常があるか不明でした。そこで二匹のマウスの皮膚と血管を外科的に結合する併体結合実験が行われました。すると正常マウスに結合されたob/obマウスの摂食量が減少するところから、ob/obマウスでは正常に存在する液性の飽食因子が欠如していると考えられました。また、正常マウスと結合されたdb/dbマウスは摂食が抑制されず、反対に正常マウスが餓死したことから、db/dbマウスでは液性の飽食因子に対する反応性が欠如し、飽食因子が過剰に産生されていると考えられました。今から半世紀前にすでにレプチンとその受容体の存在を予見していたことになります。(海老原ら、ホルモンと臨床47:539-547、1999を改変)
レプチンの作用
レプチンの分泌量は脂肪組織の量に比例します。ですから人が肥満して脂肪組織が大きくなるとレプチンの分泌量が増加して摂食を抑制します。このことから、発見された当時レプチンはやせ薬として使用できるのではないかと考えられました。しかし、多くの肥満症の人では血中レプチンは高値を示しており、いわゆるレプチン抵抗性が見られます。このような人にレプチンを投与しても痩せることはできません。
レプチンは主として長期のエネルギーバランスの調節に与ると考えられています。しかし、血糖値や、いろいろなホルモンの投与によっても血中レプチンの値は変化するので、短期の摂食調節にも作用する可能性があります。

レプチンが発見された時、このホルモンは当然、視床下部の満腹中枢と摂食中枢に作用すると考えられました。すなわちレプチンが満腹中枢のニューロンを刺激し、かたや摂食中枢のニューロンを抑制することで摂食を抑制すると思われたのです(図4)。しかし実際に調べてみると、確かにレプチンの受容体は視床下部に豊富に存在していましたが、その局在は腹内側核と外側野だけでなく、弓状核、室傍核、背内側核などの広い領域に認められたのです。そこで、レプチンはどのようなニューロンに作用するかに興味が移りました。

図4. レプチンによる摂食調節
図4. レプチンによる摂食調節体内のエネルギーバランスが正の時には、脂肪細胞が肥大し、レプチンの分泌量が増加する。レプチンは脳に作用し、摂食中枢を抑制し満腹中枢を刺激することによって、摂食を抑制し、エネルギー消費を増大させると考えられる。

2.視床下部の摂食関連ペプチド

レプチンが発見されたのとほぼ同じ時期に、視床下部に摂食に関連する神経ペプチドが多種存在することが明らかになりました。以前から、脳内に微量注入すると摂食を変化させるペプチドがあることは知られていましたが、レプチンの発見を機に、視床下部の既知あるいは新規ペプチドの摂食に対する作用が詳しく調べられ、多くのペプチドが摂食に関連することが分かってきました。それらの神経ペプチドは脳室内に投与した時に摂食を変化させることから、いずれも脳内で作用すると考えられ、実際、これらのペプチドに対する特異的な受容体は視床下部を含む脳の様々な領域に発現しています。

これらの摂食関連ペプチドは、摂食に対する作用によって大きく2つのグループに分けられます(表1)。摂食を促進するペプチドにはニューロペプチドY(NPY)、メラニン凝集ホルモン(MCH)、オレキシン(ORX)、アグーチ関連蛋白(AgRP)、グレリンGhrelinなどがあります。一方、摂食を抑制するペプチドには色素細胞刺激ホルモン(α-MSH)、コカイン−アンフェタミン調節転写産物(CART)、甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)、副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)、コレシストキニン(CCK)などが含まれます。これらの神経ペプチドは視床下部の様々な部位のニューロンで作られますが、とくにこれまで摂食やエネルギー代謝に関係するといわれてきた視床下部の弓状核、室傍核、外側野などに多く存在します。また、それらのニューロンは視床下部内部で相互に連絡するとともに、脳や脊髄に広く投射することも分かってきました。

ペプチドアミノ酸数細胞体
の局在
線維投射ノックアウトマウス
の表現型
摂食促進作用を
持つもの
NPY36弓状核視床下部正常
MCH19外測野脳全体摂食量・体重減少
ORXA:33、B:28外測野脳全体摂食量減少・過眠
AgRP50弓状核視床下部正常
Ghrelin28弓状核弓状核正常
摂食抑制作用を
持つもの
α-MSH13弓状核視床下部・脳幹摂食量増加・肥満
CART116、129広範囲**視床下部高脂肪食で体重増加
TRH3室傍核正中隆起高血糖
CRH41室傍核正中隆起正常
CCK8背内側核視床下部?正常
表1. 視床下部に存在する摂食関連ペプチド
*NPYと共存する。
**弓状核でα-MSHと共存する。
摂食関連ペプチドの遺伝子ノックアウトマウス(表1)
これらのペプチドの生理的な役割を調べる目的で、現在まで摂食関連ペプチドを欠損する遺伝子ノックアウトマウスが数多く作成されました。しかし、摂食や体重の変化に異常を示すマウスはごくわずかです。その中では、摂食促進ペプチドであるMCHを欠損するマウスは摂食量と体重が減少しますし、摂食抑制ペプチドであるα-MSHを欠損するマウスは過食と肥満を示します。その後、MCHとα-MSHに対する受容体の遺伝子ノックアウトマウスもそれぞれよく似た摂食異常を示したことから、少なくともこの2種類のペプチドは視床下部の摂食調節機構において生理的に重要であると考えられます。

レプチン受容体は、弓状核(NPYニューロンとα-MSHニューロン)、外側野(MCHニューロンとORXニューロン)、室傍核(CRHニューロンやTRHニューロン)、それに背内側核腹内側核に豊富に発現しています。とくに視床下部の内側底部は脳血管関門が欠如し、血中のレプチンが容易に脳内に侵入できることから、弓状核のNPYニューロンとα-MSHニューロンはレプチンの重要な標的であると考えられています。実際にレプチンの摂食抑制作用はα-MSHを興奮させることで誘導されますし、このときNPYニューロンはレプチンによって抑制されます。またレプチンの作用が欠如したob/obマウスやdb/dbマウスではNPYの発現が亢進すると同時に、α-MSHの発現が低下しています。以上のような新たな発見により最近10年間にレプチンと視床下部のペプチドニューロンによる新たな摂食調節の図式が出来上がりました(図5)。

図5. 視床下部の摂食関連ペプチドニューロンによる摂食調節機構
図5. 視床下部の摂食関連ペプチドニューロンによる摂食調節機構

・次回は「満腹中枢はどこにあるのか?」について説明します。