会場に着いたとたん、ダンスボックススタッフの横堀さんから「本日のレビューを書いてください」と言われる。なぜ、私に? と思ったが、見終わってなぞが解けた。それは、今回の女性ダンサーがみな美人だったからだ。
断っておくが、私はダンスとダンサーの顔は全く無関係と思っている。だからと言って美人が嫌いだという訳ではない。正直に言えば、その逆だ。「あなたのダンスの評価は見た目の顔が影響しているのね」と指摘されそうだが、幸いそんなことを聞かれたことはない。仮に聞かれても、「そんな事はない」と否定することを決めている。そんな私を見抜いている横堀さんが、えこひいき無しで見て欲しいという思いから、この日の批評を私に割り振ったのだろう。
山上恵理にとって、音は「空気の振動」ではなく、目に見えないほど小さな散弾銃の弾のような「物質の伝播」なのかもしれない。音が流れると、その物質が体にぶち込まれ、痛みを伴わないが、飛び込む位置や角度、大きさ、速さによって体のさまざまな部位がさまざまに動かされる、という感じである。後半は違ったけどね。
0九が光を受けながら壁際で踊ると、その影と一緒に踊るようで楽しく見えた。ところが、途中からその影が、ダンサーの動きとは異なる動きを始め、まるで、影が意思を持っているかのように踊り出した。エッと驚いた。よく見ると、影のように見えたのは壁に映し出された映像だった。非常に不思議な気分だった。こういう映像の使い方は、初めて見たので、いいなあと思った。
ポポル・ヴフってデュオだと思っていたので、なかなか2人目が登場しないなあ、なんてことを思いながら見ていた。結局、ソロダンスだった。座って片足を両手で持ち、その足をぶらぶら振り続ける場面があった。異様なほどの振り具合で、体の一部と思えなくなった。その肉体を非肉体化させる行為に嫌悪感を覚えるような、見てはいけないものを見る快感のような。極めて印象に残った。
ダンスボックスの事務所にはダンス公演前になると、「今度はハダカがありますか」という問い合わせが入るという。警察からではない。ハダカが好きな人からだ。今回の野田まどかについてはどう答えたのだろう。ハダカではない。しかし、今が冬ならあんな薄い布地では寒いだろうなと心配するような衣装であった。ハダカ好きの人でも納得したのではないか。いや、そんな事を考えて見ていたのではない。
時々、電車の中で車内放送より少し先に車内放送を始める人がいる。本人は非常に楽しそうである。もし、そういう人が突然、車内でダンスを始めればどうなるだろう。野田まどかのダンスがその答えのような気がした。そんな事を考えて見ていた。
私は、劇場でどこか正気でないような人が踊るダンスを見ると、「これだからダンス鑑賞はやめられない」と思う。本日もそう思った。もちろん、野田まどかは突然、車内で踊らないし、車内放送もしない。と思う。
プロフィール
名前:北出昭
年齢:47歳
職歴:1981年、新聞社入社。現在に至る。
ダンス歴:今のところなし。
ダンス鑑賞歴:2002年、知人の師匠のダンスを見て以来。
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