2008年 12月 17日
何事も、すぴりと・さんと Spirito Santo なのだ、まる 数日前、ネット散歩をしていたら、リヨン大司教区 le diocèse de Lyon に二人目の補佐司教が置かれたことを知りました。二人目の補佐司教さまはヂャン・ピエール・バテュ Jean-Pierre Batut とおっしゃる。
....はて、このお名前、どこかで聞いたことがあるぞ。と、我がツル脳の中をたどって出てきたのが、花の都はお巴里は9区にござるサン・ユヂェヌ-サント・セシル la paroisse Saint-Eugène Sainte-Cécile 教会の主任司祭であるバテュ師であります。ここの教会ですが、1988年夏、ヴァチカンからエクレジア・デイ Ecclesia Dei なる公文書が発せられたとほぼ同時に当時のパリ大司教であったリュスティヂェ Jean-Marie Lustiger 師から1962ミサと呼ばれる背面ミサを行う認可が下された教会です *、**。このバテュ師はもちろん1962典礼を完璧に司式される司祭としても知られていますが、リヨン大司教であるフィリップ・バルバラン Philippe Barbarin 枢機卿も1962ミサの司式からフォークロックミサに至るまで応用自在で身も心もやーらかい枢機卿で知られる 以下URLをぜひともクリック。トーク番組にご出演のカーディナル・バルバランであります。http://the-ou-cafe.france2.fr/index-fr.php?page=emission&id_rubrique=98 途中、ニュウスが流れますが、その後、番組が再開しますので。 バテュ師をリヨンに取られてしまったサン・ユヂェヌ-サント・セシル教会の皆さまの胸中は複雑でもあるらしいですが、これも教皇さまが決められたこと、教会ホームページには"adieu à Monseigneur Batut” なんて永遠の別れの言葉が用いられています。 それにしても、リヨンだからこそ旧典礼を良く知る長上さまがもうひとり必要だと教皇さまが考えられたのでしょうか。リヨンはいいなあ、リヨンは。 この事実を知って、ま・ここっつぁんが思い出したのは10月終わりにココんち地元の神父さまとの雑談で聞いた話です。それはボルドーの下、バスクとの国境に近いバイヨンヌ、レスカ・エ・オロホン教区 Le diocèse de Bayonne, Lescar et Oloron に新しい司教さまが置かれた、と。まあ、そこまでは世界中どこのカトリック教会でも永遠の繰り返しであり、教区長(司教)が空席になれば聖職者のどなたかが教皇さまにより選ばれてその席に着くなんでありますが、神父さまがおっしゃるには教皇さまが置かれたこの司祭の所属がおもしろいよ、と。まずはトラディショナリストとおっしゃったので、まっさか創立二十周年のペトロ兄弟会 La Fraternité Sacerdotale Saint-Pierre からの選出ですかよ~、と驚いたら、「それよりちょっと手前のコミュノテ・サン・マルタン Communauté Saint Martin の所属なんだよ」と神父さまがおっしゃる。「知らない?」と問われたので「知らない」と返答したら、1976年に創立され、現在もパウロ6世時代の生き方を続ける司祭団なのだ、と教えてくらしゃいました。トラディシオナリストと聞いたところで、鍵となる時代がひとつ(例えばひとつの「第二ヴァチカン公会議」)ではないようで、まだまだ私には知らないことがある、喜び~でありますが、この団体は小さいながらも宣教活動も行い、中高教育に携わり、神学校も持ち、巡礼者のための宿泊施設も持っており、なぜ今この団体の、地中海側の修道院から一司祭を選んで大西洋側に教皇さまが置かれたンでしょうね?・・・・と、つぶやいたら、「聖霊が決めたことだから、そうなんです。それが疑いのない「正」です。」と神父さまがおっしゃいました。つまりこの事実を受け止めるのみで詮索は一切、ご自分はなさらない、ということ。 時は流れ、先の11月30日にバイヨンヌでは新司教さまの着座式が行われ、当日の写真 を拝見しますとこれまたどこかで見たお顔。はい、ミシェル・アイオ・マリ michelle Alliot-Marie 内務大臣が参列なさってたのですね。昨日は爆弾をしかけられたプランタン・パリに颯爽と現れた共和國警察長上のアイオ・マリ女史ですが、きょうび共和国内のカト的儀式の担当もアイオ・マリたんだよねー。すっかり定着。 それにしても、二連発でトラディシオナリストの司教さまが着座されたフランス共和國のカトリックざます。教会人事において教皇B16さまの真のお考えはいったい・・・・(って、それを考えちゃいけないンだってば。聖霊の働きなんだからぁ。) ココんち地元のデカ鼻の大司教さまも2年後には定年ですので、後任にはどのような方がお座りあそばしますのか、実は気になっていたりなんかする私(単に私ゃ、この土地に寄生するヲッチャーなんですけれど)。司教座のお椅子には「ここに座す者は必ず社会司牧に没頭し、伝統打破するンである」なんて掘り込まれてはいない...と思う。そりゃ、第三代教区長は東方からニケア信条と聖歌歌唱という新しいもんを持ち込まれたんで、それを伝統打破と言うのなら~、ベベンベンベン。....妙に空しい。 le 17 décembre 2008, Gaël 註*: リュスティヂェ師はこの教会以外に2教会(Sainte-Odile,Notre-Dame du Lys)、すなわちパリ旧市街の計3教会に1962ミサ典礼を継続する認可を出しており、この3教会は現在に至るまでそれを継続しています。 註**: 現在、パリ大司教区では1988年から以上3教会に加え、更に2教会に1962ミサについての認可を出しました。cf. http://catholique-paris.cef.fr/379-Messes-celebrees-selon-le.html Commented at 2008-12-18 00:26 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented by Lucia at 2008-12-18 09:03 x "adieu à Monseigneur Batut” と書かれたのは、それだけを読むだけで、誰でもが、Batut司教様が伝統的な考え方を重んじる方だったと分かるからではないでしょうか? ヴェルディやプッチーニのオペラでも「さよなら」は常に"Addio"ですから…。しかもその言葉は、お別れする方、去っていく方への深い感謝と愛情を表しているようにも思えますが、それは考えすぎでしょうか? でも考えてみると、司祭が信徒と向き合うというのは、教壇に立つ教師と生徒の関係のようで、かえって古い考え方のようにも思えます。 司祭と信徒が共に、かつてはご聖体が収められていた聖櫃がその中心にあった祭壇に向かって祈ってこそ、司祭は信徒の空間の一部を占めながら彼らを導く、という関係が明瞭になり、教会の本来の在り方が象徴されているようだ、などと言うと、今ではお叱りを受けるのでしょうか? Commented by ma_cocotte at 2008-12-18 16:46 ★ Lucia さま、 フランス語の場合、再び会える可能性がある、つまり互いが生きている 時はAu revoir を用います。Adieu は à dieu (神の御下で)なので、 この世での永遠の別れの時に普通用います。ただ、今回の場合は世俗側が 主任司祭が二度とこの教会に戻って来ないだろう、ということでこの言葉を 用いたのかもしれません。教会のHPを拝見すると、リヨンでの式参列 ツアーなどの計画が立てられているので、これからは出向く形になりますね。イタリア語でも日常はアリベデルッチかアリベデルッラですよね。 西班牙語のAdios も A Dios が元と聞いているので、同様の深層が 含まれているかと思いますがどうでしょうか?聖俗の間だとこの言葉? 続きます。 Commented by ma_cocotte at 2008-12-18 16:52 ★ 典礼については難しいですね。 背面ミサは私も一度あずかりました。 http://malicieuse.exblog.jp/8604656 が、今の私には努力とお金がなじめるまでに必要だと思いました。 地元の60台前後の幼児洗礼者からの意見を聞くと、1962ミサは懐古に 過ぎないと言ったりしますが、その思想は多分に1968派の総意だったり します。 彼らの話だといかに旧ミサで自分が退屈し疎外感があったかという点、 反対に祭壇を食卓に例えて家族全員で囲むのが今のミサだそうです。 (いかにも68の考えですけれど) でも、私は現状において世俗信者の懐古についての疑問もわからなく でもありません。少なくとも教皇さまご自身は伝統主義でも懐古主義でも なく、もっと深いことをカトリック全員に求めてらっしゃる。 だから、現行のノブスオルドでも典礼文を重んじることやラテン語を一部でも 取り入れること、ミサ内の諸所作について教皇さまが指導されているのだと 思います。 続きます。 Commented by ma_cocotte at 2008-12-18 16:55 ★ となると、パウロ6世時代を継承する聖マルチノ共同体から司教を選ばれた 教皇様の意向がなんとなくわかってきたりもしませんか? 背面ミサの司式を司祭は「できない、知らない」と拒めるかもしれませんが、 ノブスオルドでラテン語使用や荘厳を醸し出すことができないとおっしゃる 司祭がいるとしたら、神学校に戻れるよう、教区神学校のプログラム改変 についても教皇さまは既に文書で述べられているのですから、司祭の モチベーションも問われますよね。 仏蘭西びとはきついので、司牧に熱心すぎる聖職者に「神学者でよろしい のでは?」などおっしゃる方々がいますよ。聖性が感じられない、なーんて ズバっと言ったりしてます。そうなんですよね、聖性がなくて、カトリックの 薀蓄をうだうだ語れる人は仏蘭西の世俗や無神論者にだっているのですからして。 Commented by Lucia at 2008-12-19 09:23 x 仰るとおり、イタリア語でも「さよなら」は普通 Arrivederci、あるいは相手の方に対して尊敬の念を示して三人称単数刑をもちいる時にはArrivederLa と言います。私は文学には詳しくないので、いつ頃からその挨拶が一般化したのかは申し上げられませんが、19世紀には Addio も使われていたのかな、と思っていました。オペラの台本では瞬時の別れにもそちらが使われているようですので…。 ごミサの形式や仕草、その他の変化に関しては、美術作品の図像の変遷と同じように、「感覚的にどれがより好ましいか」という問題ではなく、「どのような意味をその表現に見出しうるか」と言うことを深く考えることが次第に薄れていった結果のようだというのが、私の個人的な感想です。 あくまで個人的な感想でしかありませんが…。 宗教行事には、常に象徴的な動作が伴ったわけですが、最近の祭壇には聖櫃が設置されておらず、ご聖体の顕示もないのですから、ご聖体に敬意を表する背面ミサの意味はなくなりましたね。あるいは祭壇を単なる食卓と見なすためにそれを取り払ったのか。鶏と卵の関係でしょうか? Commented by Lucia at 2008-12-19 09:27 x 「単数形」が「単数刑」となったのはなぜでしょう?勿論私がチェックしなかったからですが、後者のような言葉をコンピュータが記憶しているとは…! Commented by ma_cocotte at 2008-12-19 20:53 ★ Lucia さま、 文学的となるとまた会話の世界と異なりますので、瞬時の別れにAddio を用いたとしても、それは「永遠の別れ」を読者に予期させる意図が含まれる 場合があるかもしれません。フランス語の場合、日常会話ではA Dieu は特別ですね。うっかりこれを使った時は「もうあなたとは二度と会わない」 ですから、フランスではたまにいる残忍な恋人が別れたい恋人に使ったり する可能性がちょっとあるくらいかも。ただ、教会の世界だとどうなんでしょうね。 パリのサン・ユヂェヌ~は教区教会なので、やはり階位が上がっての 見送りとなると、(容易にフランス人の場合は)いずれ枢機卿かはたまた 教皇か、と連想するので「戻ってくることはない」という意味でA Dieu を用いるのかもしれませんけれど。 続きます。 Commented by ma_cocotte at 2008-12-19 21:01 ★ B16が1962ミサについて聖務日課における自由を認められたこと になりますが、これはLucia さんがご推察のとおりに所作やら優美さへの 懐古のみで認可したのではなくて、近年、聖俗信者がミサの中身の意味を 軽視していることへの警告ですよね。ミサがヒトの中で義務化、形骸化 していること、どういう意味があるのか感覚的にわかるためには要理 教育の徹底なのだ、と。第二ヴァチカンを境にカトリックは「活動する 宗教」になったのはいいことだけれど、そうしたことで司牧に熱心になり 過ぎて、ミサや信心業を軽く甘く見る聖俗が増えたのも事実です。 ミサなくして、聖体拝領なくして、カトリックの原動力はありえないことを 再自覚するためにも、ミサの流れ、深い意味を体得することですよね。 漏れ聞いた話では、教皇さまが聖俗信者の聖体軽視を憂えているからこそ、 跪きや拝領の仕方を再考察するように私たちに勧めているのだそうです。 なるほど~~~、とうなずかざるをえない状況は、世界中のあちこちで 見かけたりするものですね。 Commented at 2008-12-20 11:03 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented by ma_cocotte at 2008-12-20 18:36 ★ 鍵11H03@20122008さま、
フランス国内の主日ミサではミサにあずかれない家族のためにご聖体を 世俗信者が持ち帰ることが確かにできます。が、動物は無原罪ですし、 それは世俗の「無知」でしょうね。Innocent 。もし故意に行っているのなら、 当人と教会の問題ではないでしょうか? |
その日暮らしのその日@ココんち
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