戦時中、麻生首相の親族が経営していた旧麻生鉱業(福岡県)の炭坑に外国人捕虜が約300人いたことが18日、厚生労働省の保管する公文書でわかった。首相は同鉱業に捕虜がいたとの外国メディアの報道に対し、「事実関係は確認されていない」と反論してきたが、公文書が見つかったことで、改めて説明責任が問われることになる。
公文書は1945年8月15日付で、旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所にオーストラリア人197人、英国人101人、オランダ人2人がいたとし、同年7月にはオーストラリア人2人が死亡したとの記述もある。陸軍省を引き継いだ旧第一復員省などが作成し厚労省が保管していた。民主党の藤田幸久参院議員の照会に厚労省が回答した。
同鉱業の捕虜問題は、米紙ニューヨーク・タイムズが06年11月に取り上げ、外務省が在ニューヨーク日本総領事館のホームページ(HP)で反論していたが、状況が変わったとして17日に削除した。首相がかつて社長を務めた麻生セメントは同鉱業の流れをくむ。
藤田氏が別途入手した米国立公文書館保有の資料にも、同鉱業が外国人捕虜に採炭作業をさせていたとの記述があるという。藤田氏は「これまで政府が認めてこなかった。首相には説明責任がある」と語っている。