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がんを生きる:いのちの時間/中 心通った告知を

 ◇医学生、授業で模擬体験 無神経さに傷つく患者絶えず

 「つらいお知らせですが、末期がんです」

 「幼い子2人を残して死ねません。何とか助けてください」

 「お気持ちは分かります。でも、今の医療水準では……」

 「『でも』とは何だ。私の気持ちなんて分かってない!」

 10月中旬、慶応大の信濃町キャンパス(東京都新宿区)で行われた「期待される医師像とは」の授業。静まり返った教室で、医学部生たちはロールプレーイング(役割演技)の様子を、かたずをのんで見守っていた。

 05年度から始めた3年生向けの自主選択科目の一つで、受講者は9人。患者の病状や家族構成など大まかな設定はあるが、台本はない。患者役はプロの役者が務め、医師役の学生の言動を受け、感じたまま時には大声で怒鳴り、泣く。授業は1回3時間で年間12回。

 まだ患者を診た経験のない3年生たちは、戸惑いながらがん告知などを疑似体験する。授業後は自由討議で「医師」の説明の仕方や態度、「患者」に与えた影響などを話し合う。

 山本悠太さん(21)は「平和な時代に育った我々は死自体が身近でなく、死とは何なのかを考える貴重な機会になった。大学病院の勤務医は迅速に正確に患者を診ることを求められ、心をじっくり通わす時間がないと聞くが、人を診ていることを忘れずにいたい」と話す。出席者で唯一、6年生で出席している出野(いでの)智史さん(24)は「臨床実習で患者と接しているが、医師に体を預けている患者は、本当の気持ちをなかなか言えない。コミュニケーション技術の習得に走りがちだが、患者の本当の思いを推し量る気持ちを取り戻したくて時々参加している」と言う。

 講師の戸松義晴さん(55)は東京都内の浄土宗の寺の住職で、同宗総合研究所の専任研究員。授業中はロールプレーイングの様子を見守るが、学生が対応に戸惑ったり、疑問を感じると、さりげない助言やヒントを出して授業を進める。

 戸松さんは89年から3年間、米ハーバード大の神学大学院に留学した際に、同大医学部の授業でロールプレーイングを学んだ。帰国後、当時の慶応大医学部長から、「医師は宗教家と同じような気持ちで患者を診ることも大事。米国で学んだことを伝え、病だけではなく、人を診られる医師の育成を」と招かれた。

 戸松さんは「医師にとって『死』は日常的だが、患者と家族には生涯一度。告知や患者との接し方に正解やマニュアルはないが、患者と思いを共有することの大切さを忘れないでほしい」と願っている。

   *

 大阪市立大医学部は05年度から年1度、2年生向けにがん告知を体験する特別授業を始めた。医学生が医師と患者、家族役を演じる「模擬告知」や討論を行う。

 授業後のアンケートには「知識や技術は、思いやりや心情が根底にあって初めて意味をもつと思った」「小手先の技術を詰め込んでもいつかボロが出て失敗するので、全身、全心で自分を磨くことが必要と感じた」など初々しい感想が並ぶ。

 授業を担当する首藤(しゅとう)太一准教授は「医学部生は机上の勉強はよくできるが、無駄や回り道を本能的に避ける傾向があり、祖父母と同居経験がある学部生も20%。患者の多くは高齢者だが、世間話すらできない」と嘆く。1年生の時に看護師同行で医療現場での実習も行っており、「患者と信頼関係を築くには早めの準備が大切」と話す。

   *

 千葉県松戸市の耳鼻咽喉(いんこう)科医、小倉恒子さん(55)は、自身の乳がん治療で、同じ医師の無神経な言葉に傷ついた経験がある。

 小倉さんは34歳で乳がんが見つかり、左乳房を切除。その後、再発、再々発と続き、一時は全身転移まで進んだ。現在は一時的に症状が止まる「寛解」と呼ばれる状態だが、再発率は95%と予断を許さない。

 切除手術の6年後。引っ越しに伴い、かかりつけ医も変えた。

 「えー、こんなにリンパ節転移があるんじゃ、再発はほぼ間違いないね」。50代の男性医師は、カルテを見ながら大きな声を上げた。「同業者と知ったうえでの発言かもしれないが患者は患者。生死にかかわることをそんなに軽はずみに言っていいのか、と腹が立ちました」

 小倉さんが入会している患者会には「あと1年ぐらい(命が)もつかもしれないので、ハワイにでも行ったら」と言われた女性もいる。「患者の立場になれば、こんな言葉は出ないはず。医師は患者の尊厳を尊重し、重荷を一緒に背負う心構えが必要だ」

 医師として、自分にも言い聞かせている。【清水優子】

 ◇詳細な注意点並べ、教本に

 がん告知は患者に大きな衝撃を与え、医師は細心の配慮が求められる。しかし、医師への告知教育は海外に比べ大きく遅れているのが実情だ。

 国立がんセンター東病院(千葉県柏市)の精神腫瘍(しゅよう)学開発部は06年9月、外来患者への意向調査を基に、告知の技術習得のテキストを作った。「体を患者に向け、目や顔を見て話す」「礼儀正しく接する」「貧乏ゆすりやペン回しなどイライラした様子で対応しない」など詳細な注意点が並ぶ。

 これらの内容は、がん患者の精神的ケアをする医師らで作る「日本サイコオンコロジー学会」(代表世話人・内富庸介・精神腫瘍学開発部長)などが、厚生労働省の委託で全国の医師らに行う告知法講習会の教材としても使用。受講者は07年度に72人、08年度に110人の計182人の予定だ。内富部長は「生物学的な死ばかりを考えがちで、相手の苦しみに想像力を働かせられない医師が多い。告知で気持ちが谷底に沈んだ患者が希望を取り戻すよう、心で対応できる医師を育てる必要がある」と話す。

毎日新聞 2008年12月24日 東京朝刊

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