カタカタカタ……。
日付が変わった午前0時過ぎ。自らを「がん難民コーディネーター」と呼ぶ藤野邦夫さん(73)=西東京市=の自宅のファクスが、動き出した。
送り主はがん患者の家族。「父が余命3カ月と宣告されました。少しでも痛みをとり、長生きさせてあげたい。助けてください」
医療の質や情報に納得できず、よりよい医療を求めてさまよう「がん難民」。藤野さんが本格的に相談に応じるようになったのは5年ほど前だ。これまで200人以上の相談に乗った。
藤野さんは患者や家族からじっくり話を聞き、治療や病院選びなどについて助言し、病院で一緒に説明を聞くなど継続的にサポートする。
相談料は無料。「患者さんの喜ぶ顔を見るとつい手を差し伸べちゃう。お金を取ると気分よくできないんですよね」。母と弟、妹をがんで亡くした。自身も誤診で2度の「肺がん告知」を受け、5年前には前立腺がんを手術した。こうした体験も活動の原動力だ。
医療現場で働いた経験はない。出版社を退社後、本業は翻訳業。自身の体験を通じ、独学で学んだ豊富ながん知識と医療関係者とのネットワークを生かし活動している。
相談を通じて見えてきたのは「患者の話を聞く役割を放棄した医師の姿」だ。余命宣告ですら患者の顔を見ず、「壊れた機械」みたいに扱う。医療の網からこぼれ落ちた患者を、再び医療と結びつけたいと藤野さんは思う。
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今年6月、子宮頸(けい)がんの告知を受けた主婦、幸子さん(40)=神奈川県、仮名=は、医師の不誠実な対応に不安を感じた。
生理の大量出血で訪れた近くの大学病院。「これはがんですね」。ベテランの男性医師はさらりと告げた。8歳と3歳の子どもの顔が浮かんだ。治療方法など、聞きたいことは山ほどあった。しかし、医師は「きょうは時間がない。次回伺います」と説明を打ち切った。「医師には日常的なことかもしれないが、情のない対応に不信感をもちました」
子宮の摘出手術は8月初旬に決まったが、手術の場合、排尿障害など日常生活にかかわる後遺症が心配だった。治療成績が手術と同等の放射線治療を受けたかったが、東京都内のがん専門病院で受けたセカンドオピニオンの結果も「手術」。
あきらめかけていた幸子さんの背中を押したのは、子宮・卵巣がん患者の支援グループ「あいあい」(aiai@coo.net)で受けたセカンドオピニオンだった。元患者から体験談を聞き、放射線治療を決意。紹介された東京都内の大学病院では、医師が3時間かけて話を聞いてくれた。治療後は以前とほぼ同じ生活を送っている。幸子さんは「納得した治療に巡り合えず、危うくがん難民になるところでした」と振り返る。
医師で作家の久坂部羊(くさかべよう)さん(53)は自らの体験を基に「患者には『知る権利』、医師には『説明する義務』があるが、同時に『知らないでおく権利』もある。告知に反対ではないが、医師と患者の信頼関係がなければ、患者本人に合った告知にならない」と語る。【清水優子】
患者が治療方針を決める前に、主治医以外の医師に意見を聞くこと。一般に、病気の経過や主治医の所見を書いた紹介状と、検査結果やレントゲン写真などの診療情報を借りて、他の医療機関を訪ねる。80年代に米国で普及し、日本では90年代初めごろから知られるようになった。
毎日新聞 2008年12月25日 東京朝刊
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