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【主張】佐藤元首相発言 核オプション放棄できぬ
中国の核実験直後、日米首脳会談で当時の佐藤栄作首相の「核報復」発言は、米国から抑止力を引き出すための戦略だった。外交文書の公開で確認された。あれから四十余年、日本を取り巻く核の環境は一層厳しい。
1965年に訪米した佐藤首相は、当時のジョンソン大統領らとの拡大首脳会談で、「中国が核を持つなら、日本も持つべきだと考える」と述べたことが、米外交文書で明らかになっている。
今回、外務省発表の文書では、翌日のマクナマラ国防長官との会談で首相が「(日中)戦争になれば」と仮定し、「米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と表明している。これに長官は「問題はない」と応じた。
今回の佐藤発言をもって、首相が「核戦争を容認している」と断定することは短絡的ではないか。むしろ、米側文書では大統領が「米国の核抑止力を必要としたときは、米国は約束に基づき防衛力を提供すると述べた」とある。
佐藤首相は「それが問いたかったことだ」と述べており、首相の最大の戦略意図が「核の傘」を確実なものにすることにあったとみるべきだろう。
日本の安全は、自衛隊はもちろん、在日米軍の存在と米国の「核の傘」によって保障されると考えられてきた。だが中国に加えて北朝鮮が核ミサイルで米本土をたたけるようになった場合はどうか。米国は本当に西海岸の自国民を犠牲にしてまで、日本を核攻撃した北への報復ができるだろうか。
ところが2年前に、当時の中川昭一自民党政調会長が「核の議論があってもいい」と言っただけで非難ごうごうだった。日本の国防観に従えば、自国の「防衛力」は許容できても「抑止力」は米国任せということである。
ここでいう抑止力とは防衛能力を通してではなく、相手が脅威を感じる攻撃能力があってこそ可能になる。その役割は日米同盟によって米国が担う。日本の悪夢は、その米国の「核の傘」が有効に働かなくなったときである。
核論議も許されないなら、米国から破れにくい「核の傘」を引き出すしかない。あらゆる事態を想定する安全保障を考えるなら、日米同盟が自壊した場合も議論する必要がある。目的はあくまでも日本の抑止力の強化であり、核のオプション(選択)まで放棄する必要はない。