第2次世界大戦後、日本の戦争指導者らをさばいた極東国際軍事裁判(東京裁判)で、元首相の東条英機らA級戦犯15人が弁護団へあてた自筆の意見書の写しが、国立公文書館に保存されていた。裁判に不満をもらし、自衛戦だったなどと自説にこだわる姿が浮かび上がってくる。
28人いる被告の一部が意見書を記したことは知られていたが、顔ぶれや詳しい内容は公になっていなかった。肉声や弁護の内幕をうかがわせる貴重な資料といえる。A級戦犯の死刑執行から23日で60年となった。
東京裁判は46年5月に開廷。意見書は8月ごろに記されたらしい。弁護側の冒頭陳述で訴えてほしいことを約80ページにわたり書いている。弁護団のメンバーが持っていた資料を法務省が63年に複製。移管を受けた公文書館が07年夏から公開していた。
太平洋戦争に踏み切った東条(後の判決で死刑)は、他の2人と連名で提出した。戦争の本当の原因は、欧米の東アジアに対する半植民地的政策の影響と、世界の「赤化」を狙う共産党の策動だったと審理を批判。自身の政権下では、アジア各国とは対等の立場だったとも主張している。
また原爆投下など戦勝国の「計画的なる大量虐殺」を裁かない不公平も追及するように訴えている。
ほかに意見書を書いたのは、中国の奉天特務機関長だった土肥原賢二や元外相の重光葵(しげみつ・まもる)ら。36年の日独防共協定を結んだ時の首相で、文官としてただ一人死刑判決を受けた広田弘毅(こうき)や、天皇の側近だった内大臣の木戸幸一ら13人については、意見書が存在しなかった。(谷津憲郎)