劇団”群” 冬期公演

12月4日、5日に劇団“群”の冬期公演が行われました。演目は「ミエルの世界」。
わかりやすい脚本だったので、登場人物の感情など思いをめぐらせながら鑑賞できる公演でした。

 

1206-1

 

1206-2

 

1206-3

あらすじ...
とあるお屋敷に体が弱くベッドから起き上がれない少女「沙織」が住んでいます。両親は既に亡くなっており肉親は兄「満永」のみ。沙織は
生まれながらにして病弱の上、目が見えません。
沙織が生まれたとき、それを不憫に思った父はある嘘を考えます。「100年ほど前から人類は視力が弱くなり、ついに世界中の人間が盲目になってしまった。目が見えないのは沙織だけじゃない」。
その嘘の世界で17年間過ごしてきた沙織は「見える世界のキレイ」に強い憧れを持ち、その嘘を疑うことはありません。
そんな中、そのお屋敷の新しい使用人として雇われる「きえ」。その「嘘」の説明を受け、沙織が傷つかないように自分も目が見えない振る舞いを続けます。沙織の「見える世界への憧れ」の清らかさに「きえ」は心惹かれていきます。お互いに友として信頼関係が築かれていく様子とそんな2人に関係を、兄、満永はあまりよく思っていません。
満永は昔からその嘘には反対で、沙織の病状が悪化したことをきっかけに事実を沙織に打ち明けようとします。それを「きえ」は寸前のところで制止し口論になります。
満永は、「きえ」に「明日の晩までにお前が沙織に事実を話せないなら、もう来なくていい。クビだ。」と苦渋の選択を迫ります。「きえ」は、沙織の失望感・孤独感を考えると打ち明けられません。またこの職を失ってしまうと2度と仕事につけなくなってしまうのではという不安。沙織から離れてしまうと自分自身も孤独になってしまうこと。さまざまな思いが交錯して「きえ」はどのような行動に出るのか・・・。

芸術を志す皆さんは、はじめから「見える」ことを前提として表現を学んでいますよね。
造形を学んでいる人が、目の見えない人からの「色ってどんなもの?」「朝日ってキレイなの?」、そんな質問に対してどう説明しますか?たとえば音楽の場合でもそうです。楽譜を見る、指揮を見る、仲間とアイコンタクトを取るなど視覚に頼る部分が多い世界の中で活動しているはずです。
色々な思いが出ると思います。芸術大学で学ぶ人たちには是非見てほしい公演でした。

私の友人にも、目が見えないけれど底抜けに明るく美術と向き合っている女性がいます。
以前まで見えていたものが失われていく感じはどの様なものだったか、見えていたものを記憶に止めておこうとするとき自分ならどんな気持ちになるだろうか?
そんなことを考えながら拝見した演劇でした。

小劇場劇団「群」は大学開学当時からある歴史のある劇団です。
一時期、部員が少なくなり存続が危うくなった時期もありますが、現在部員15名。モットーは「授業優先」。体育会的な過酷さのないようにしています、と部長の南さんがお話してくれました。
年功序列的な運営ではなく、新入部員の方、経験者・未経験者問わず積極的に役者さん、裏方さんの仕事をやってもらうそうです。公演は撮影しDVD化しているそうで、ジャケットのデザインはデザイン学科の部員の方が担当しているそうです。こんなところでも個人の強みを活かして活動されています。舞台芸術・映像・デザインのコラボ。芸大ならではですね。
劇団「群」では学科学年を問わず部員を募集しているそうです。
月・水・金の放課後、8-11教室をのぞいてみて下さい、とのことでした。

大阪芸術大学ブログトップへ

 

About

2007年12月06日 12:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「広嶋桃二郎 作 「疾風のテル」」です。

次の投稿は「学内人権週間2007」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。