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金融危機と中央銀行 Central Bakns and the Financial Crisis 急変した景気、シナリオは狂った

[Part1]市場が利下げ迫る 白川総裁、苦渋の決断

戦後初の賛否同数 最後は白川が決断
白川方明・日本銀行総裁=日銀旧館の渡り廊下で、小杉豊和撮影。旧館は、著名な建築家、辰野金吾が設計し、明治29年(1896年)に竣工した

12月19日午後、記者会見にのぞんだ日銀総裁・白川方明の表情は硬く、疲れが滲(にじ)み出ていた。
政策金利を0.3%から0.1%に引き下げた。個別企業の資金繰りを助ける支援策にも踏み込んだ。
「異例中の異例の措置です」。白川はそう強調したが、声に力はない。
利下げを期待していた政府や経済界に歓迎ムードが広がる中、日銀内部には無力感も漂った。「政策委員会はついこの間、何のために激しい議論をしたのか」
中堅幹部は空しさを隠せなかった。「総裁は、あれほど市場機能が大切だと訴えていたはずなのに」

わずか50日前のことである。
10月31日。日本銀行8階、ダークブラウンの壁に囲まれた会議室は、緊迫感に包まれていた。
「利下げ幅は0.2%とし、金融市場がしっかり機能するようにしたい」
「いや、金利変更は0.25%にすべきだ」
大きな円卓の周りに座っていたのは、日銀総裁、副総裁、審議委員、政府代表の計10人。9月中旬、米国の証券会社リーマン・ブラザーズの破綻(は・たん)に始まる金融不安はまたたく間に世界各国に広がり、景気は大きく後退。日銀も対応を迫られていた。

すでに米国などの中央銀行は利下げを繰り返している。
白川と副総裁二人は、政策金利をそれまでの0.5%から0.3%へ、0.2%幅引き下げることを提案した。あわせて、市場金利が動く下限を0.1%、上限を0.5%とし、ちょうどその真ん中を「誘導目標」とすることが望ましいと訴えた。

1人の審議委員は賛成した。だが、3人の審議委員は「下げ幅を0.25%にすべきだ」と譲らない。市場はすでに金利が0.25%で動くことを想定しており、0.2%という中途半端な刻みだと混乱を招くという見方だった。民間エコノミスト出身の審議委員、水野温氏(あつ・し)だけが、金利の据え置きを主張した。

午後2時に予定していた結果の公表時刻が迫る。円卓の後方で見守る日銀幹部の脳裏に「いったん水入りにして、発表時間は再調整するのかな」という考えがよぎったそのとき、白川が議論を打ち切って、宣言した。
「採決します」
白川の決断に驚きが走った。政府代表である財務副大臣・竹下亘と内閣府副大臣・宮沢洋一には議決権がない。2人が退席し、残ったのは8人。

事務局幹部が、執行部の提案する0.3%の金利案(下げ幅0.2%)が書かれたA4サイズの紙をクリップボードにはさみ、一人一人の席を回っていく。委員たちが、 賛成と反対の欄に名前を書き込む。最後にボードが白川のもとに戻ったとき、賛成には3人、反対には4人の名前があった。

白川は賛成の欄に署名し、淡々とした口調で「賛否同数ですので、議長案で決します」と告げた。他の委員たちはひと言も発言せず、会議室はしばらく沈黙に包まれた。

金融政策の採決で、賛否が同数になるのは、戦後初めてのことである。日銀の政策委員会は、全会一致や賛成多数で決まるのが常だった。
白川は今年4月、第30代日銀総裁に就任した。7年7カ月ぶりの利下げ、総裁として初の金融政策の発動は、波乱の幕開けとなった。

(文中敬称略)

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