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重荷に…ホンダ F1から完全撤退

記者会見でF1撤退を表明するホンダの福井威夫社長(右)。左は大島裕志執行役員
Photo By 共同

 ホンダが5日、自動車レースの最高峰F1シリーズから撤退することを表明した。ホンダの福井威夫社長(64)が東京・港区の本社で会見し、経済情勢の悪化で年間600億円もの資金がかかるF1活動が重荷になったと説明。今季の製造者部門で10チーム中9位と低迷したこともあり、F1からの完全撤退を決めた。今後はチームの売却交渉を進めていく。なお、来年にホンダ傘下の鈴鹿サーキット(三重県)で3年ぶりに開催される日本GPは予定通り開催するとした。

 世界中でレーシングカンパニーとして圧倒的な存在感を誇ってきたホンダが、F1から姿を消すことになった。若い頃はモータースポーツの技術開発に携わり、日頃から「F1はホンダのDNA」と発言していた福井社長は「F1から完全に撤退し、将来のことは白紙。悔しいし残念だが、世界的な金融危機で自動車産業を取り巻く環境は厳しい」と苦渋の表情で話した。

 米国発の金融危機による世界的な景気減速が影響を及ぼした。本業の経営は米国などの自動車市場低迷で大苦戦。10月に09年3月期連結決算の業績を下方修正し、売上高を7月公表より5300億円少ない11兆6000億円にした。埼玉製作所(狭山市)など国内4工場で来年1月までに計約760人の期間従業員の削減を決定。こうした事情も重なって、ついに年間の運営費が600億円とも言われるF1からの撤退に踏み切った。

 ホンダは自動車メーカーとして新参だった1960年代初頭、創業者の故本田宗一郎氏が参戦を決断し、64〜68年は単独チームで活動した。第2期の83〜92年はエンジン供給の形で参加し、ピケ、セナ、プロストが王者の座に就くなど黄金時代を形成。00年からはエンジン供給で活動を再開し、06年からは再び単独参戦したが同8月のハンガリーGPで1勝しただけと大苦戦。宣伝効果も薄れていた。

 今季はフェラーリの黄金時代を築いた名将ロス・ブラウン氏を代表に招へいし、来季へ向けて始動していた矢先の決断だった。今後はチームの売却交渉を進めるが、買い手がつかない場合はチームを解散することになる。「F1では目標とした成果を出せずに、ファンや関係者に対して申し訳ない」と福井社長。ホンダが資金や技術供給を行ったスーパーアグリに続いての消滅で、日本からの参戦はトヨタだけとなった。

[ 2008年12月06日 ]

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