(平成18年02月09日)
投稿者:
冷泉 文恵
世が世であれば、外務省の高級官僚として、日本外交の中枢にいたであろう小和田雅子さん。 その雅子さんが、皇太子妃殿下になったばかりに、失意のどん底に陥り、精神に病を発症する。
皇室というのは、この世のものとは思えないほど異常なワールドである。 どんなに理知で聡明でも、子供が産めなければ役立たずの烙印を押される。
反面、馬鹿でもチョンでも間抜けでも、繁殖力が旺盛なら、祝福の言葉と尊敬の念が寄せられるのである。 まるでサラブレッドの、繁殖牧場の様ではないか。 こういう世界に閉じ込められれば、雅子さんでなくても変調を来すというものである。
その点、秋篠宮殿下の繁殖力は折り紙付きだ。 ご自身が主催するナマズ研究所のタイ女性研究員を、妊娠もさせれば中絶もさせるといった経験もある。
結果、外交問題に発展しそうになり、宮内庁はてんやわんやの大騒動の末、莫大な慰謝料を払う羽目になった。 下半身も緩やかなら、繁殖力も旺盛、源氏物語の平安貴族を彷彿とさせる御仁なのである。
祖父の喪が明けぬ内に、婚約を発表することなど、長屋住まいの熊さん、源さんでも思いがつかぬ不逞の行いである。 結納を急ぐ子供が居たなら、「死んだ爺さんに申し訳ねえだろ」 と、たしなめるのが人の道、親の道というものだ。 その人の道に外れたこと、節操のないことを、国民の象徴たる天皇一家がやりのけた。
当然ながら、そこには深い仔細がある。 どうしても、やらねばならぬ理由があったのである。 長身にして端正なマスクの秋篠宮殿下は、学生時代から大層女性におもてになった。
何とか殿下の友達になりたいと、多くの女子大生が寄ってくる。 その中の一人に、川島学習院大教授の娘さんである紀子さんがいた。 二人は大層に気が合われ、その関係は恋人レベルへと上昇する。 学習院大キャンパスを背景に、プリンスと大学教授のお嬢さんといった、絵に描いたような恋人関係が誕生したのである。
皇位継承一位の皇太子と異なり、次位者の秋篠宮の警護は、さほど厳しくない。 ご学友たちと連れだって、日本各地を泊まりがけの旅行に出かけられることは日常化していた。
そして、その旅行に必ず同行されていたのが、紀子さんだったのである。 就寝タイムともなれば、気を利かせたご学友たちは、二人のために閨室を用意する。 そういうことが重なれば、妊娠するのが当たり前である。 それでなくとも、繁殖力が旺盛な殿下のお胤なのである。
世が世であれば、側室となり出産するという手だてもあったろうが、今の世の中では水子供養が常套手段となる。 一度であれば我慢もできるが、二度三度と重なれば、堪忍袋の緒も切れる。 父親である川島教授が、「申し上げます、代官様」 と、宮内庁に訴状持参で出かけたのも当然至極の行動である。
殿下と言っても、教授から見れば出来損ないの教え子に過ぎないのである。 その出来損ないに玩具にされた上、捨てられるようなことになれば娘が余りに不憫ではないか。 かくして、異例中の大異例、昭和天皇喪中の婚約発表と相成ったのである。
長子である皇太子が、慎み深く思慮深いのに対し、ナマズ殿下は強引であり残酷でもある。 皇太子夫妻の心中を思えば、三子を作るなど憚ってしかるべきが一般人の通念だ。 それを平然とやってのけるところに、この殿下の不気味さを感じる。 そして三子が男性であったなら、いつの日か天皇に即位するやも知れぬのである。
小泉にとって、まさしく想定外のことが噴出した。 強引に皇室典範改訂法案を閣議決定すれば、国論は二分され蜂の巣をつついたような騒動に発展する。 錦の旗を偽造した平沼一派が、倒閣運動を本格化させぬ共限らない。
だからと言って、解散も出来なければ刺客を立てることも出来ない。 ただひたすらに、三子が女性であることを願うしかないのである。 まさに丁半博打、小泉政権末期の命運が、ナマズ殿下のお胤で決せられる。
溜息の一つも、出ようというものである。
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