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仕事を失い、住まいを追われ、明日からどうやって暮らせばいいのか。
そう途方に暮れる人が抱いている危機感や切迫感を、この国の政治家たちはどれだけ分かっているだろうか。
世界金融危機に端を発し、みるみるうちに国内へも広がった雇用削減の嵐に対し、民主党など野党3党が緊急の雇用対策法案を参議院へ出した。
採用の内定を取り消す場合には書面で理由を示すことを義務づける。非正社員として働く人の解雇を抑えるために、雇用調整助成金の対象を広げる。職とともに住まいを失った人へは、公的な住宅を提供したり生活支援金を給付したり、といった内容である。
これらは、麻生首相がすでに打ち出した雇用対策と重なる部分も多い。雇用危機は深刻で、早く手を打たねばと与党も考えているはずだ。
それなのに自民党は、野党の法案の成立には消極的だ。このままでは年明けの通常国会へ先送りされかねない。なんとも理解に苦しむことだ。
与党にしてみれば、雇用対策を先に決めたのは自分たちだという思いがあるのだろう。会期末になって法案を出し、麻生政権の無策ぶりを浮き立たせることを狙ったような民主党の作戦に対して反発もあるに違いない。
だが、もとはといえば、雇用対策の遅れは政府与党が招いたものである。雇用対策を含んだ第2次補正予算案の内容を決めておきながら、解散へ追い込まれることを恐れて、国会提出を来年へ先送りしたからだ。
景気の悪化は、1カ月前には想像もできなかったような急スピードで進行中だ。人員削減の波がいま、激しい勢いで押し寄せている。何万人もの失業者が街にあふれる事態が、まさに目の前に迫っている。
どちらが先に考え出したか、などというメンツにこだわることは許されない。与野党が「無策だ」「非協力だ」と責め合って、肝心の雇用対策が遅れるようなことがあれば、それは政治全体の責任放棄である。
政府や国会の対応の遅さにしびれを切らして、独自に手を打つ自治体も出てきた。これは痛烈な批判であると、各党とも受けとめるべきだ。
寒空のもと、年を越せるのかと不安を募らせる人がいる時に、年明けの国会まで対策を待つゆとりはない。与党の対策であれ、野党の法案であれ、可能なものから、できるだけ早く進めていかなければならない。
そのためにも自民党は、野党法案の審議にきちんと応じることだ。
いまは各党が対決するのではなく、知恵を出し合って危機に取り組み、対策を急いでもらいたい。法案に修正すべき点があるならば手直しして、会期末までに成立させるべきだ。政治は苦しむ国民を放置してはいけない。
いまの世界経済は、未曽有の経済危機という大滝を目の前にして、激流にもまれる船のようだ。すべての乗員が一致団結して力の限りこぎ続けなければ、船は滝底へと落ちてしまう。
ところが、その最初の一こぎは、息を合わせることさえできなかった。
「年内の大枠合意」をめざして調整が進められていた世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)は、合意のための閣僚会合の年内開催を断念した。主要国間の意見の溝が埋まらなかったからだ。
世界経済を揺さぶる金融危機と不況に対し、主要国が一致団結して立ち向かっていく最初の試金石だった。失敗のダメージがどれほど大きいか。単に合意が遅れるだけではない。
11月の金融サミット(G20)で首脳たちが「年内合意」というメッセージを発したのは、世界同時不況の様相が濃くなったためだ。保護主義の台頭を排し、貿易の縮小を食い止めようという狙いだった。それを実現できないのでは、主要国の決意そのものに疑問符がついてしまう。むしろ世界経済の先行きがいかに困難かを、世界に印象づけてしまったのではないか。
これでは、自国経済を優先して貿易規制を設けたり、排他的な経済ブロックを作ったりする国が現れかねない。事実、G20で「今後1年間は新たな貿易障壁は設けない」と約束したにもかかわらず、ロシアが来年1月から自動車関税を引き上げることを決めた。
挫折の主因は、米国とインド・中国など新興国との対立だ。農産物の輸入が急増したときに輸入制限を発動できる条件を巡り、厳しい基準を求める米国と、できるだけ緩くしたい新興国が対立した。先進国が求める自動車や電機など鉱工業品の大幅関税引き下げにも、新興国が抵抗している。
末期の米ブッシュ政権が国内での調整力を失っているとはいえ、米国発の金融危機から始まった経済混乱を止める大きな責任が、米国にはある。同時に、世界経済への影響力を格段に増した中国やインドにも、責任が重くなったことへの自覚を求めたい。
貿易の自由化は、各国がそれぞれ国内産業の「痛み」を受け入れて初めて実現する。だから交渉を先延ばしすればするほど、世界同時不況が深まって国内産業が苦しくなり、各国内の調整がますます難しくなる。
自由貿易を維持しようという世界の合意が消えうせれば、世界貿易は縮小へと逆回転する。それは、経済危機への回転速度を速める結果となろう。保護主義がやがて世界大戦へ発展した戦前の歴史を忘れてはならない。
越年しても、各国は合意へ向けた結束を解いてはいけない。1月に米オバマ政権が発足したら、すみやかに最終交渉を再開してもらいたい。