初当選の報に沸く会場の片隅で、栄村の島田茂樹村長は、その光景をうつろな目で眺めていた。事の次第はこうだ。
現職市長の死去に伴う中野市長選が投開票された11月23日夜。新市長に市内の開業医、小田切治世さんが選出された。「バンザーイ」。歓喜の渦の中、同じ北信広域連合の首長として、島田村長も祝福に駆け付けた。
「就任おめでとうございます」。祝意を伝えたが、新市長の表情からは笑みが消えていた。傍らにいた次兄の小田切春洋さん(64)も複雑な面持ちだった。はて、どうしたものか。島田村長が不思議そうに見つめると、新市長が切り出した。
「大変申し訳ないが……兄に私の医院を継がせたい」
寝耳に水。内定していた後任医師の件が白紙に戻った瞬間だった。
「事情が事情だから仕方ないよな」。村長は頭が真っ白になり、そう答えるのがやっとだった。
◇ ◇ ◇
5月に着任した島田村長にとって当面の懸案事項は、市川俊夫医師の後任探しだった。「ピンチヒッターならいいよ」と快諾した老医師の契約は1年限定だったためだ。
予想に反して、後任医師は早々に固まった。7月、県国保連の医師紹介センターを通じ、定年退職を控えた64歳の医師が村の様子を見にやってきたのだ。
中野市出身の小田切春洋さん。医者一家4兄弟の次男。偶然にも実家の家政婦が栄村出身で、幼少時に村を訪ねた縁もあった。「大きくなってお医者さんになったら、村に来てね」。春洋少年は家政婦の言葉を覚えていた。
医師になり、岐阜県の飛騨市民病院に約30年間務め、地域医療を支えてきた。「ひとりで一つの村を診療してみたい。中野と同じ北信地域の力になれれば」。こうした思いから、8月には正式に着任を承諾した。
潮目が変わったのは10月9日だった。歯科医師出身の青木一・中野市長が急逝し、告示2日前に、ようやく候補者が固まる異例の事態。市内で開業医を営む弟治世さんが出馬を決意したのだ。しかし、村長は、これが村の一大事につながるとは露程も思わなかった。
12月3日、小田切兄弟が栄村を訪ね、村長に陳謝した。島田村長は市川医師を役場に呼んだ。
「実は、次の医師が来られなくなった」
「いやあ、それは困っちゃったなあ」
老医師は目を丸くした。
12月の定例村議会。
「医師探しが振り出しに戻り、困惑している」
登壇した島田村長は、議員にこう説明した。用意した挨拶(あいさつ)文は握りしめてしわくちゃになった。
混とんたる事態を象徴しているかのようだった。=つづく
毎日新聞 2008年12月12日 地方版