ベトナム戦争中の1968年3月16日、米陸軍のウィリアム・カリー中尉率いる部隊が当時の南ベトナム・クアンガイ省のソンミ村(現ティンケ村)を襲撃、子供ら無抵抗の村民504人を殺害した事件。上空で米軍ヘリを操縦していたヒュー・トンプソン准尉が目撃、ヘリを米部隊の前に着陸させ、米軍側に銃を向けて虐殺拡大を阻止。事件は翌年に明るみに出て、ベトナム反戦運動の高揚につながった。
(2008年3月27日掲載)
ベトナム戦争中の1968年、米軍が無抵抗の女性や子供ら504人を殺害したソンミ村虐殺事件から40年。虐殺に参加した元米兵と、奇跡的に殺害を逃れたベトナム人生存者の対面が初めて実現した。消えぬ憎しみからの糾弾と、ひたすら謝る悔悟の声が悲劇の現場で交差した。
元米兵はケネス・シエルさんで、生存者は事件現場の虐殺事件記念館で館長を務めるファム・タイン・コンさん(50)。中東の衛星テレビ局アルジャジーラがシエルさんを現場に招き、今月16日に実施された40年追悼式典を前にした10日、対面が実現した。
館長によると、虐殺を行った部隊にいた元米兵105人のうち、虐殺部隊にいたことを明かして生存者と対面したのはシエルさんが初めてという。
館長の説明によると、当初、シエルさんが虐殺部隊にいた元米兵と知らされていなかったため、「虐殺に加担した人」と紹介を受けると即座に席を立った。しかし「会話などしたくはなかったが、平静を取り戻して」積年の疑問をシエルさんにぶつけることに決めた。
「どうして老人や子供を殺したのか」「命令に従うしかなかった」「命令が誤りなら、拒否する権利があるはずだ。あなたは人間か」と畳み掛ける館長に対し、シエルさんは「すみません、すみません」と謝罪。「この村で何人を殺したのか。虐殺後の夕食はおいしかったか」と問うと、シエルさんは泣き始め、ひたすら謝り続けたという。
米国への帰還後も家族に虐殺部隊にいたことは一切明かせなかったというシエルさんは「あまりに恥ずかしく、話せる過去ではない。どうして(虐殺の拡大を阻止した元米兵の)ヒュー・トンプソン氏らのように行動できなかったのか」と悔やんでいたという。
約3時間の対話が終わり2人は握手した。館長は「これは『さようなら』の意味の握手。決して友情を示す握手ではないですよ」と告げた。
シエルさんは「追悼式典に参加してもよいか」と許可を求めたが、館長は「遺族が大勢参加する。身の安全を保証できない」と拒否した。
館長は事件当時、10歳。現れた米兵に家族と防空壕(ごう)に入るよう命じられた後、投げ込まれた手りゅう弾で母や妹ら家族5人全員が死亡し、自分だけが助かった。
「自分の中にまだこんなに怒りがあるとは知らなかった。彼と会い、怒りとぬぐい切れない嫌な思いだけが残った。良い経験ではなかった」。対話した日の夜、館長は眠れなかったという。「だがもう一度会えば、心が穏やかでいられるだろう。彼の前では既に怒りをぶちまけたからだ」と振り返った。
(ハノイ共同)