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ボクシング情報 2006年10月

世界夢散…嘉陽 土下座で謝罪

7回、ワンディ(右)の左アッパーを浴びダウンを喫する嘉陽
Photo By スポニチ

 カンムリワシ2世は追い風に乗れなかった。WBC世界ライトフライ級暫定タイトルマッチ12回戦が9日、東京・後楽園ホールで行われ、元WBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高氏(51=白井・具志堅スポーツジム会長)の愛弟子・嘉陽宗嗣(23=白井・具志堅スポーツ)が、体重超過で試合前に王座をはく奪された前王者ワンディ・シンワンチャー(26=タイ)に0―3の判定で敗れた。嘉陽が勝てばタイトル奪取となる試合だったが、ワンディの強打で7回にダウンを喫し、絶好のチャンスを逃した。ジム会長として3度目の世界挑戦だった具志堅会長への恩返しは、できなかった。

 7回、嘉陽はワンディの左アッパーをあごにもらい、へたり込むようにキャンバスに崩れ落ちた。10カウントが入ったように見えた際どいタイミングで何とか立ち上がった。残り時間は2分。レフェリーが試合を止めてもおかしくない中、もうろうとした意識でこの回を乗り切った。

 結局、12回フルに戦い抜いたが、採点は2人が5ポイント差をつける完敗。1・2キロも体重を超過したワンディの悪いイメージが採点に反映されるまでもなく、結果は明白だった。試合後は右あごが腫れ上がり、口からの血が止まらなかった。判定を聞くとリングに土下座をして観客に謝罪。関係者を通じて「負けた僕から何も言うことはない」とコメントし、会見に姿を見せなかった。

 悔やまれるのは序盤。戦前「相手にペースを奪われないようにしたい」と話したが、強打を振り回すワンディの前に後手に回った。左構えの嘉陽が、鋭い踏み込みからワンツーの左をヒットさせたのは、7回のダウン後からだった。野木丈司トレーナー(46)は「3回までを取りにいかせたが、後半になってから動けるようになった。調整ミスだったのかもしれない」とかばった。

 1976年10月10日。ちょうど30年前に世界初戴冠を果たした具志堅会長が、王者グスマンをKOしたのと同じ7回に試合の大勢は決した。イスに座り込んだまま判定を聞いた嘉陽。この屈辱をバネにはい上がるしかない。

 ≪ワンディ意地見せた≫体重超過で王座を失ったワンディだが、前王者の意地は見せた。地元タイではテレビで生中継されており「前日は人生の中でも最も悔しい1日だったが、国のために戦った」と投げ出さずに最後まで戦い抜く姿でファンに“謝罪”した。嘉陽については「凄く気持ちの強い選手だった。あごが折れていないか心配だ」と気遣っていた。

[ 2006年10月10日 ]

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スポニチ てれびぃ

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