第一話・序
「そうなのよ!!」
「………は??」
「何「わけがわからない」みたいな表情をしてるのよ!日本は今大変なのよ!」
「まさにお前が今言ったそのまんまの状態だ!説明もなしにいきなり叫びだされて分かる訳ないだろう」
「何を言ってるのよ、このバカキョン!
いい?あたしたちが知っている歴史は、全部嘘だったの!
巨大な悪にそう思い込まされていただけなの!
しかも日本はこのままいくと朝鮮になっちゃうのよ!!」
「また訳のわからんこと言い出したぞ…」
「ほう。実に興味深いですね、涼宮さん。どういったことなのでしょう?」
「おお、素直な反応ね、古泉くん。やっぱり団員はこうでなくっちゃ。
今の日本は、巨大な悪の組織、 反日サヨクに裏から支配されているの。
あたし達はなんとなく日本の歴史を知ってるわね?でもそれは嘘の歴史なの。
反日サヨクにそう思い込まされているだけなの。
今は本当の歴史を知っている人はごく限られているわ。そして、その本当の歴史を知っている人が息絶えたとき…
日本は滅びて朝鮮に支配されてしまうのよ!!」
「えー、日本がなくなっちゃうんですかー!?そんなの嫌ですー」
「嘘の歴史を信じ込まされていたってどういうことだ?金閣や銀閣を立てたのは足利義満や義政ではなく、実は孫悟空だったとでもいうのか?
それより『反日サヨク』って何なんだ。
何よりまず、ほとんどの日本人が知らない本当の歴史とやらを、なぜお前が知ってるんだ」
「そんなにまくしたてないでよ。正しい歴史を知ってる人のホームページをネットで見たのよ。
まず、歴史に嘘があるのは、そんなに昔じゃないわ。歴史の改ざんがあるのは、明治維新から後。
反日サヨクの正体は、中国共産党を始めとする共産主義者、それから南北朝鮮人ね。
もちろん日本国内にも協力者はいっぱいいるわ。」
「ハア?怪しげなホームページなんて信じるなよ。
ネットなんて、勝手なことがいくらでも書き込めるんだ、そんなもん嘘っぱちだろ、どうせ」
「いいえ。真実よ。たとえば、南京大虐殺ってあるでしょう?
あれも 反日サヨクが作り上げたフィクションなのよ。」
「南京大虐殺?日本史の授業で習いました…確か日中戦争中、日本軍が中国人をいっぱい殺したっていう…」
「そう、それよ。みくるちゃん、あなた、その話を知って、どう思った?」
「え?どうって言われても…
う〜ん、日本軍は昔は酷い事したんだなあって思いました。
あと、殺された人、かわいそうですー。」
「そうなのよ!まさにそれが反日サヨクの狙いなのよ!
いい?反日サヨクの狙いは日本を征服して朝鮮の支配に置くことなの。
だから、その目的のために、フィクションを作り上げたのよ。
・ 日本人は過去に中国・朝鮮に申し訳ないことをしてしまった!
↓
・ 過去に申し訳ないことをしてしまったのだから、謝らねば!
↓
・ だから朝鮮に侵略されて支配されてもしかたがない!
っていう感じでね。」
「二行目と三行目の間に、かなり無理があるような…」
「てなわけで反日サヨクは南京大虐殺のような嘘の歴史を日本人に教え込んだの。
全く、たいしたものね。こんな嘘をほとんどの人が信じちゃってるんだから。」
「ちょっと待て」
「何よ、キョン。ちょっとさっきからあんたぶつくさうるさいわよ。
常識にとらわれすぎね。もっと発想を豊かにしないと、ハゲるわよ。」
「余計なお世話だ。ハルヒの言うとおり、その反日サヨクとやらが日本中を支配して俺たちを騙しているってのが本当だったとしよう。
それだけでも十分に信じがたい話だがな。 しかしそれにしても、だ。
南京大虐殺って、日本以外の国の人にも知られているだろう。南京大虐殺をモチーフにした海外の映画もたくさんあることだ。
日本人以外の人間も知ってるってことは、特に日本人だけが信じこんでいる嘘ってことはないだろう。」
「ええそうね。ドイツやフランスやシンガポールやタイでも南京大虐殺は事実として扱われているわ。つまり…」
「つまり…?」
「反日サヨクは世界中の国を支配しているのよー!!」
「何だってー」
「だって捏造でしかない南京大虐殺を世界中の人が信じてるってことはそう考えるのが常識でしょ?
世界を支配する勢力なんてなく、21世紀になっても国と国との衝突が絶えないなんて嘘っぱち。
全ては」
「S 世界を」
「O 大いに支配する」
「S サヨクの団」
「 略して、SOS団の掌の上で踊っていたに過ぎないのよ!!」
「何だってー」
「俺たちはそんな巨大な組織に支配されていたのか…」
それで、真実を知ってしまった以上、どうするんだ?」
「決まってるじゃない。SOS団(世界を大いに支配するサヨクの団)を見つけ出して、彼らと楽しく遊ぶのよ!!!」
「………………は?」
「世界中の人を騙せるほどの巨大な力を持ってるのに、ほとんど誰にもその正体を見つけられないなんて。
素晴らしすぎだわ!!私たちも加わるのよ!!そして彼らと一緒に世界を支配するの。
当然でしょ!?刺激的でワクワクすることが待っているに違いないわ!!」
「ハルヒと俺とでは当然という言葉の意味の認識が地球とイスカンダルくらい離れているようだ…」
「実に興味深いお話です。涼宮さんのその野望を達成するために、さしあたってどこからはじめましょう?」
「そうね。じゃあまず、南京大虐殺がどう捏造なのかを調べましょう。それがいいわ。」
「関係ないだろ!その悪の組織の親玉に会いに行けばいいじゃないか!!」
「分かってないわね。キョン。
こういうことは、順番が必要なの。 ドラクエだって、いきなり魔王のところに行かずにスライム倒すでしょ!?
「悪いがその例えは意味がさっぱり分からん…」
「ってことで南京大虐殺について調べるわ。有希、何かいい本無い?」
スッ
スタスタ
「文芸部の戸棚にあるものはこれだけ。」
笠原十九司 「南京事件」 岩波新書
秦郁彦 「南京事件」 中公新書
ジョン・ラーベ 「南京の真実」 講談社文庫
「ふうん。これらが、通説で流布されている南京大虐殺の内容なわけね。
じゃ、まずは一般的に知られている南京大虐殺がどんなものなのか知りましょう。
キョン、これ、明日までに読んできて。」
「 俺かよ!」
「当然でしょ?こういうのは下っ端がやるものなの。」
「何で俺が…。ぶつぶつ」
「というわけで読んできた。これから、かいつまんで要点のみを話そうと思う。」
「お疲れ様です。キョンくん。大変だったでしょう。」
「いやいや、それほどでもないですよ。(本当は一日で読みきるのはかなり無理があると思うけど、話の都合上できたことにします)」
「まずは南京大虐殺に至るまでの道筋を大雑把に言おう。
1931年、満州事変からはじめることにする。ちなみに南京大虐殺は1937〜38だ。
1931年当時、中国は蒋介石率いる中華民国、日本は大日本帝国だった。 朝鮮は韓国併合の結果日本領だった
日本は、今の中国東北部(当時の言い方では満州)で走っている電車を爆破し、この爆破事件を中国軍の仕業だと発表する。
これを口実に満州全域に攻め込み、事実上日本の植民地にする。
これが満州事変だ。」
「要するに自作自演ね」
「当時、満州地方は蒋介石のNo2である張学良が支配していた。
張学良は日本軍の攻撃になんら有効な反撃もできずに敗走してしまう。
この隙に日本は満州を支配し、満州国という国を建てる。表向きは満州国という独立国だったけど、実質上は日本が支配していた。」
「全く中国人は情けないわね。ろくに戦いもせずに逃げるなんて」
「張学良、そして中華民国が日本軍に対して積極的な抵抗ができなかった理由は大きく二つ。
一つ目は、中華民国の国内が内輪もめでゴタゴタしてたこと。
中華民国を支配している中国国民党と中国共産党の間でドンパチがおき、また首都や都市部は支配できていても地方はそこまで把握しきれていなかった。
二つ目は、富国強兵のもと近代化に邁進していた日本の軍隊に比べて中国軍は圧倒的に弱かったことだな。」
「さすが日本軍ね。理由をわざと作って攻撃する積極性といい、その強さといい、今のヘタレ日本政府が嘘のようだわ」
「でも、嘘ついてよその国に攻め入るなんて、よくないですー」
「甘いわよ、みくるちゃん。世界はね、いつでも戦いなのよ。戦いは勝つことが正義なの。敗者が何を言おうとそれは言い訳よ!」
「ハルヒの言うことが正しいかは分からないが、結局中華民国に満州を取り返す力はなく、満州は日本が支配することになった。
この後、蒋介石は日本に対抗するより国内のゴタゴタの解決を優先し、軍隊の近代化を進めていく。
一方、日本は作り上げた満州国に入植を進め、開拓を奨励する。
つかの間の休戦状態が訪れた。」
「日中戦争が起こるのは、この後ですよね。」
「そう。満州事変から6年後の1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍と中国軍の間で謎の発砲事件がおき、両軍の間に小競り合いが起こる。
これが盧溝橋事件だ。」
「この盧溝橋事件はあくまで現地の軍の小競り合いで、すぐに収束した。
このとき、日本政府も中国政府も全面戦争にする気は無かった。
戦争なんてしたって、傷つけあい、人が死んで金が浪費され、お互いに損なだけだからな。
しかし、日本軍にはある困ったことが起きていた。」
「困ったこと?」
「ああ。軍隊が勝手に戦争を始めるんだ」
「勝手に戦争を始める?」
「普通の軍隊ってのは、上官の命令は絶対だ。
どんな命令であっても、絶対に逆らってはいけない。文字通り命を懸けているわけだからな。
また、命令が下らないのに出動してもいけない。そんなことしたら作戦がめちゃくちゃになるからな。」
「阪神大震災が起きたとき、自衛隊は救助の準備が整っていたにも関わらず、実際に災害派遣が行われたのは地震発生のかなり後でした。
自衛隊の最高司令官である 内閣総理大臣の命令を待っていたからですね」
「そうですね。当時首相だった村山富一氏は、出動命令が遅かったことで神戸市民からめちゃめちゃ恨まれてるって聞きました…」
「そうだな。災害時に人の命を救うという緊急的かつ最重要課題でさえ、命令なしには動けないってのが軍隊なんだ。
なんたって、歩く殺人者集団な訳だからな。出動時は厳重に、慎重に、命令に従うしかできないのが軍隊の決まりだ。
ところが当時の日本陸軍は、 中央の命令を無視する現地参謀がゴロゴロいた。さっきでてきた満州事変も、関東軍作戦主任参謀だった石原莞爾が独断でやらかしたことだ。
現代に例えていうなら、 イラクに派遣された自衛隊が現地の判断で勝手にイスラエルに攻め込む級の衝撃。
盧溝橋事件以後に事態を拡大しようとしたのは、石原の部下の 武藤章だった。」
「この際支那を屈服させて概して
盧溝橋事件はそれを実現するため、願っても無い好機 の到来を示すものである。」
「武藤の直属の上司である石原莞爾は戦火を広げることに 猛烈に反対した。
石原は、 「今は満州国を作って間もない時期であり、満州国の完成に専念すべきである。
中国は全国が統一され、全面戦争になれば日本の力では勝てない。絶対に戦争は避けるべきだ」
と熱弁する。上司である石原は部下の粗暴な行動を止めようと奮闘した。
しかし武藤らに 「あんたが満州事変のときしたことじゃん」といわれ、結局押し切られてしまい、戦争を始めてしまう。」
「 北支って何ですか?」
「当時日本は、中国のことを支那(しな)と呼んでいました。
北支っていうのは中国の北の地方、ようするに華北地方あたりを指す言葉です」
「北支という言葉からも分かるとおり、武藤にしても、中国の北部だけを占領する気でいて、中国全域を占領する気は無かった。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。 武藤たち日本軍は、 「中国なんて弱小国家、ちょっと叩けばすぐに降参するさ」と甘くみていた。
ところが蒋介石は、国内が統一されたことを弾みに満州事変のときとは打って変わって 全面対決を指示。
ひとたび戦火が収まっても、日本には武藤以外にも 勝手に戦争を始める将校が多数いるし、
中国は中国で血の気の走った、別の言い方をすれば愛国心溢れた輩が侵略者である日本の占領地域を 勝手に攻撃する。
その報復の意味でまた日本側が新しい戦争を始める…という形で戦域はずるずると拡大していく。
そんなわけで、 軽い気持ちで始めた競馬で借金地獄にのめり込むサラリーマンのように日本は泥沼の戦争にはまり込んでいく。」
「結局、石原莞爾さんのいうことが正しかったってことでしょうか?」
「そうでしょうね。
ドイツの仲介による和平の試みがあったのだが(トラウトマン和平工作)、 日本側が蹴り、交渉は打ち切られる。」
「結局 日本の戦争目的は何だったの?」
「 何だったんだろうな。
一応、途中までは『中国に滞在している日本人の保護』という名目があった。
例えば日本が上海を占領した時には、実際に上海に駐留している日本軍を中国軍が攻撃する事件がおき(上海事変)、『上海在留の日本軍を助けねば』っていう名目を掲げていた。
しかし、戦場が拡大していくにつれ、途中から当事者の 日本政府でさえ何を目的として戦争しているのか分からんという状態になっていた。
日本はこれ以降1945年に戦争が終わるまで、八年間も不毛な戦いを続けていくことになる。」
「えー。そんなのひどいですー。」
「俺もそう思います。
とにかく、上海を占領した日本軍ですが、そこでまた 松井石根司令官 が 勝手に南京に攻め入ることを決定します。」
「やっと南京キター━(゜∀゜)━!!!!!キョンったら前置き長いんだから。」
「三ヶ月にも及ぶ上海戦で日本軍は多大な犠牲を出し、食料な武器などの物資は底をつき、兵士たちは疲弊しきっていた。
命からがら上海戦を生き延びた兵士たちは、やっと勝利者として日本へ帰れると思っていたら、さらなる追撃命令が出されることになる。
上海から南京は約300キロ。大体東京名古屋間くらいだ。
それだけの距離を食料や弾薬も不足し、靴すらないので地下足袋(じかたび)で歩くことになった。」
「 上司が部下の肉体的な限界を考えずにムチャな命令を出す日本の風習は、そのころからあったんですね。 伝統なんでしょうか?」
「もとから日本人はクソマジメだし、上海戦までは日本軍の軍紀はかなり良かったんだ。
だが、兵士は目的を見失ったのもあってか、 極端に風紀、規律が悪くなり始める。
まず、日本軍は食料を 徴発するようになる。」
「徴発?」
「上海から南京までの道の途中に住んでる民家に押し入って、無理やり食料を奪い取ることだ。
食べるものが無いなら仕方がないといえば仕方がないが、現地民からすると略奪以外の何者でもないよな。
普通の軍隊は 行進と一緒に食べ物も持っていくのが当たり前なんだが、限界を無視したムチャな命令を出した松井石根の失策だろう。」
(11月22日)鶏の徴発に出かける。クリークをとおる支那人の舟を全部とめて片っぱしよりしらべそれにのり対岸にいたり、チャンチウ一壺を得て帰る。にわとり凡そ十羽もあるべし。中食うまし。
「ふ〜ん」
「秦郁彦氏は、「相次ぐ徴発で感覚が麻痺して残虐なんて気にしなくなってしまったのだろう」と言ってるが、
このころから日本軍が行軍中の部落に住んでいる中国人を 面白半分に惨殺したり、日本刀の試し切りに使ったり、民家に放火したりすることが多発しはじめる。」
(11月26日)四時、第二部隊は喚声をあげ勇ましく敵陣地に突撃し、敵第一線を奪取。住民は家をやかれ、逃げるに道なく、失心状態で右往左往しているのも可哀想だがしかたがない。
午後六時、完全に占領する。七時、道路上に各隊終結を終わり、付近部落の掃討がおこなわれた。
自分たちが休憩している場所に四名の敗残兵がぼやっと現れたので早速とらえようとしたが、一名は残念ながら取り逃がし、あと三名はとらえた。兵隊たちは早速 二名を小型シャベルや十時鍬でたたき殺し、一部は本部に連行、通訳が調べたのち射殺した。
(11月27日)支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵を殴り殺す(中略)鉄道線路上を前進す。休憩中に 五、六件の藁ぶきの家を焼いた。炎は天高くもえあがり、気持ちがせいせいした。
(11月28日)部落の十二、三家に出火すると、たちまち火は全村を包み、全くの火の海である。老人が二、三人いて可哀想だったが、命令だからしかたがない。次、次、と三部落を全焼さす。そのうえ、五、六名を射殺する。意気揚々とあがる。
(11月29日)武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、 老若男女をとわず全員銃殺す。
「さらに、中国人を勝手に徴用し、荷物を運ばせたり雑用をさせたりする部隊もあった。」
「ニヤって何?ライト様を殺したあのガキ? 」
「 違う!(なんなんだ『ライト様』って)
『中国人』を意味する蔑称(馬鹿にした言い方)だ。当時は血で血を洗う戦争中だからな。
中国は日本のことを「日本鬼子」だの「蝗軍」だの「小日本」だの散々言ってたし、日本もチャンコロだのシナビッチだの言ってた。」
「 軍隊でも、非戦闘員を殺すことや略奪は認められていないんでしょ?そんなことが許されたの?」
「しっかりした指揮官のいるところでは、現地民に危害を加えることは無かったし、軍律を守っていた。しかし、軍紀の乱れた部隊では殺害、強姦、放火、略奪などが多発し、きりがないため事実上黙認の状態だったらしい。」
「そんなわけで、放火やら略奪やらを繰り返して日本軍は南京を目指すわけだが、銃撃戦のうえ、 12月12日から13日にかけて、南京城は陥落する。
ここからは、南京城内で起きた虐殺を、1.捕虜の処刑、2.城内の掃討、3.その他に分けて見て行く。」
「南京城?お城なんですか?」
「そう。中国の都市はたいてい、都市全体の周りを城壁で囲んでました。
だから日本人がイメージする城とは大分違います。 南京城の城壁は34キロ、山手線とほぼ同じ長さです。」
「かなり広いわね」
「南京城での戦いが日本軍の勝利で大方の形勢がついたとき、中国兵は続々と投降してきて、 大量の捕虜がでる。」
「ほりょ?」
「捕虜だ。映画とかで見たことあるだろ?戦争でなすすべがなくなって、銃を捨てて白旗掲げたり手を上げてやってくるの。」
「ほーりょほりょほりょサカナの子…」
「 そんな歌はない!
戦闘に参加したのは日中両軍それぞれ10万人ぐらい、そのうち 三万人くらいの中国兵が捕虜になった。
本当は捕虜にしたら殺しちゃだめなんだが、『捕虜に食わす食糧なんてねえよ』ってことで、片っぱしから殺していく。」
最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として 抵抗断念して投降断念せば、助命する旨を含めて派遣するに、其の効果大にして其の結果我が軍の犠牲を少なからしめたるものなり。
捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。
【12月13日午後二時】
連隊長より右の命令を受く。
旅団命令により捕虜は全部殺すべし。
その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何。
【12月13日夕方】
各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなしたる結果、各中隊に等分に分配し 監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地西南凹地、第四中隊は路営地東南谷地附近において刺殺せしむることとせり。
ただし監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知されざる如く注意す
各隊ともに午後五時準備終り刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり
、
連隊に報告す。
第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり
。
捕虜は観念して軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣きわめき救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視の際は各所にその声おこれり。
「…………」
「あのー、最後の文の戦闘詳報なんですけど…」
「はい」
「『日本人は寛大だから投降すれば命は助けてあげる』って呼びかけて投降させたんですか?」
「そう書いてありますね」
「それで結局殺しちゃったんですか?」
「そのようですね」
「そんなのひどいですー」
「そうですね。しかし、 戦闘詳報に堂々と書いているってことは、日本軍は別に悪いことだとは思ってなかったんでしょうね。」
「次に南京城内の掃討に移ろう。南京城陥落の翌日の12月14日、松井石根大将は、17日に入場式をすることを決定する。
この陥落の直後に入城式をするという強行スケジュールが虐殺を一層大規模なものにする」
「入城式?なんですか?」
「実際の南京の入城式の様子です。
要するに 祝!勝利!って感じのパレードですね。
映像が残っていることからも分かる通り、マスコミや皇族なんかも呼んで大々的にやりました。」
「何だが、とっても平和ですね。ほんの数日前まで銃撃戦をする戦場だったのが嘘みたい…」
「そうなんです。前も言いましたが、南京城の広さは山手線の内側全てと同じだけの広さがあるんですよ。
いくら城が陥落したといっても、 全域を制圧したわけではない。どこかにゲリラが潜んでるかもしれない。
そんな中、皇族まで呼んで式をやるわけですから、絶対に安全な状態にしなければならないというのはかなりハードであると思われます。」
「当時は、 皇族といったら神様みたいな扱いでしたから、
暴動に巻き込んでケガさせるなんて、もってのほかですね。」
「南京城内には、脱ぎ捨てられた中国兵の軍服が大量に見つかった。
捕虜にならなかった中国兵が紛れ込んだのは確かだった。
ゲリラの危険があると見た日本軍は、入城式を挙行することに焦ったこともあって、 南京城内にいる老人・子供を除く中国人の男を全員しょっぴくことにする。」
「 便衣兵ね!便衣兵は殺していいのよ!なんたって卑劣な戦法なんだから!」
「おや、涼宮さんはお詳しいようですね。便衣兵とは何なのでしょう?」
「 一般人に見せかけて攻撃してくるゲリラのことよ。
軍服でなくて便衣(普段着)で攻撃してくるからこの名があるわ。
非戦闘員は殺してはいけないっていう決まりを逆手にとって、兵隊さんを油断させておいて攻撃してくるのよ。
卑怯でしょ?殺されても文句は言えないわ。」
「そうだな。確かに便衣兵は捕虜と違って陸戦法規の保護が適用されない。
しかし、南京城内で 日本軍が便衣を着た人から攻撃を受けた記録はない。
攻撃する気はなく、捕虜になったら殺されるので民間人の振りをしていただけらしいな。」
「え?そうなの?」
「しかも、 軍服を抜き捨てた兵隊と そこに住んでる一般人の見分け方も極めていい加減だ。
「 靴づれのある者、極めて姿勢の良い者、目つきの鋭い者」(歩兵第七連隊)なんていい加減な基準で便衣兵だと決め付けたり、
「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなす」(歩六旅団)なんつーところもあった。
記録によれば、 警官、消防士、電気技術者なども殺してしまったので火事も消せずに電灯もつかないで殺した日本軍が逆に困るというありさまだった。」
「………………」
「付け加えれば、日本軍が摘発した中国人は、百歩譲って便衣兵だったとしても、処刑するには裁判をする義務がある。
裁判していなければまだ『容疑者』の段階だからな。どう考えても「便衣兵の疑いがある」ってだけでいきなり殺していいはずがない。
まねごとだけでも軍事裁判をしていれば評価はまた違っていたかもしれないな。」
「でも、 中国の民間人が巻き添えで殺されたのには、中国兵が軍服を脱いで民間人に紛れ込んだのにも原因はあるわ。
どっちにしろ殺されるんだから、おとなしく捕まっていれば民間人の巻きぞえなんて出なかったのに、せめて住民を守ろうっていう気概は無かったのかしら?」
「結果論でなおかつ生死の瀬戸際にいる人にはたいそう酷な論理展開のような気もするが、確かにそうかもな。」
「ここからは、その他の日本軍の残虐行為について見ていこう。捕虜の大量虐殺や城内の掃討は組織的なものだが、これらは散発・同時多発的なものだ。
このような行為は南京城内で多数あったのだが、おそらく残虐行為を働いている日本兵それぞれはお互いに自分以外の兵士がやっていることを気づかないままだったに違いない。」
日本刀の試し斬り
日本軍は、戦場に日本刀を携えていくことが多かった。
日本刀の切れ味を試してみたいと、生身の中国人を斬ってみることが日本軍でははやっていた。
はやっていたというとビックリマンチョコやたまごっちみたいなたわいもない流行を喚起するかもしれないが、まぎれもなく実際に人を斬ることが流行ってたんだ。」
略奪
「日本兵による略奪も横行していた」
「南京安全区国際委員会って何ですか?」
「当時南京にいた外国人で作られた委員会です。イギリス、ドイツ、アメリカ人などで構成されていました。
後に日本はドイツと同盟を組んでアメリカ、イギリスと敵対することになりますが、この当時は イギリスもドイツもアメリカも中立でした。
目的は南京の現地民を戦闘に巻き込ませず保護する 国際安全区を作ることです。
国際安全区(上の地図参照)の中は外国人の目があるので他の地域に比べて治安は比較的マシでした。」
「それでも掠奪や拉致などは耐えなかったんですね」
「まあ、国際委員会のメンバーはわずか15名。それだけの人数の外国人で何十万人もの人を見張るのは無理だからな。」
強姦
「現在、南京市内にいるクーニャン(若い娘)で日本軍の暴行を受けなかったものは一人もいないとまでいわれるまでに強姦も多発した。
さらに、建前では強姦はしてはいけないことになっているので、
証拠隠滅のために殺害、さらに放火することも多発した。
「ひい〜」
「ごめんなさい、朝比奈さん。女性には刺激が強すぎました」
「怖いです〜」
「大丈夫です、朝比奈さん。70年前の南京と違って、ここには俺がいます。
もしこの地球のどこかに朝比奈さんに危害を加えようかというアケメネス級の不届き者がいても、
俺が命に代えても、いや、俺の命ほど朝比奈さんは安っぽくないけど絶対に守りま…」
「こら!、キョン、なんでみくるちゃんの手を握ってるの!
どさくさまぎれにいやらしいことしようとした罪で逮捕するわよ!説明の途中でしょ!最後までやりなさい!」
「……。へえへえ。」
(ニヤニヤ)
殺人
「最後になるが、日本軍の中には中国人への殺人もよくあった。
今まで見てきた殺人は、曲がりなりにも動機があったが、退屈しのぎだの面白半分だのまともに動機もなく趣味で殺人に及ぶ人もかなりいたらしい。」
「…とまあ、ここまでが現在あったと信じられている南京大虐殺をかいつまんでほんのわずかだけ要点を述べたものだ。
少しはしょりすぎて説明部分のところもあるだろうが、かんべんしてくれ。」
「十分長いわよ!ここにたどり着くまでに何人の読者が読むのをあきらめて←戻るボタンを押したと思ってるの!」
「いや、その理屈はおかしい」
「まあいいわ。それで、その南京大虐殺、「あった」という証拠はあるの?証拠が一つもないのなら、単なる作り話よね。」
「ある。証拠は数にすれば何千個とある。」
「そんなに?」
「といっても、南京大虐殺は一つの事件ではなく、今まで見てきたように、1937年の年末から1938年の始めにかけて広い地域に渡っておこった大小さまざまの殺人事件、盗難・放火事件、強姦、捕虜虐待などの集合だ。
全体に渡る証拠があるわけじゃなく、あくまで個々の事件の証拠が大量にある。全体像を描くのは、さまざまな証拠の積み重ねだな。」
「まず重要視されるのは、実際の日本兵が当時書いていた日記だ。加害者側が、誰かに見せるつもりなんて無く書いたものだから、信憑性はかなり高い。
いままででも随所に登場してもらった。」
「といっても、わざわざ嘘の日記をつける兵士ももしかしたらいるかもしれない。
考えにくいことだが、無いとはかぎらない。そういうときは、同じ部隊の兵士の日記とつき合わせる。
同じ部隊の人なら同じ事件に遭遇している可能性は高い。違う人の日記に同じ日に同じ事件が書いてあったら、信憑性はさらに高くなることになる。」
「なるほど、道理ですね。」
「また、。前にも一回登場した第一一四師団六六連隊第一大隊戦闘詳報のように、日本軍の公式な書類にも、虐殺の様子が書いてあるものがある。」
「 日本軍上層部も南京に派遣された現地軍が残虐行為をしているということは把握していたんですね。」
「ああ。ただ、この事実は 国民には一切知らされなかった。
新聞などのメディアは検閲され、一般国民に知らせるのは明るいニュースだけだった。」
「大本営発表と言えば、今でもプロパガンダの代名詞ですものね。」
「それから、当時南京にいた 外国人が残した書類も、重要な証拠になる。」
「彼らは日本にも中国にも味方でない第三国の人間だ。しかも、これは日本大使館への抗議文書の内容だ。
わざわざ嘘をついて日本の大使館に抗議しにいく馬鹿はいない。
それから、当時の外国人の日記も重要な証拠だ。なかでも、ドイツ人のジョン・ラーべが書いた日記はきちんと整理されて書かれていて、当時をしる重要な手がかりとなっている。」
「その方は知っています。確か、熱心なナチス党員でしたね。」
「そう。ナチスだからかは知らないが、日記には中国人差別みたいなことも書いてある。
ただ、南京大虐殺以来、大の日本嫌いになり、ヒトラーが日本と同盟を結ぶことに強硬に反対したんだそうだ。」
「それから、被害者である中国人の生き残りの証言も、証拠として扱われている」
「証言?証言は証拠にはならないわ。嘘をついてるかもしれないじゃない。
世界の同情をひくために、嘘をついたのよ。中国人は息をするように嘘をつくんだから!」
「確かに、普通の殺人事件でも被害者の証言ってのは、単独では重要視されない。
ウソをついて加害者を貶めようとしてる可能性の他にも、記憶のとり違いがあったり、恐怖で錯乱していたり、大げさに伝えがちであるからな。
しかし、内容が他の記録や証言などと一致していれば、証言も十分有力な証拠になる。
口からでまかせを言ったのなら、他の人の証言と矛盾するに決まっているからな。」
「上の 朝比奈さんが失神してしまった事件では、
殺されずに生き残った 夏淑琴(文章中に出てくる 七、八歳の妹)の証言、 アメリカ人マギーによる記録、
ラーべの日記、惨殺された家族の親戚で事件後現場を訪ねてきて事件を知った王芝如の証言が示す事件の内容が一致しているため、
決定的な証拠とされている。」
「ふん、まあいいわ。それで、虐殺された人数は何人なの?」
「詳しい数字は分からんが、秦氏は4万人程度、笠原氏は十数万人から20万人程度と推測している。」
「詳しい数字は分からない?なぜなの?はっきりしなさいよ。」
「それは仕方がないだろう。
1937年の南京占領から日本が敗戦する1945年までの8年間、南京は日本軍が占領し続けたんだが、その間日本軍は犠牲者数の調査なんて全くやらなかった。
そりゃあそうだ。自分たちのやらかした虐殺行為をわざわざ調べてカウントしてみようなんていうサービス精神あふれた軍隊なんて、絶対にあるわけない。
虐殺をやらかした当の日本兵だって、自分や周囲の人の殺した人数くらいは知っているかもしれないが、南京だけで10万人もいる日本兵全体で何人殺したなんて、想像もつかなかったろうさ。
日本軍が去ってからも、国共内戦が勃発、犠牲者数のカウントなんてやってる余裕はなかった。
南京で何人殺されたかをまともにカウントしだしたのは、事件後何十年も経ってからだ。
何百、何千って殺人事件を全部正確に把握するのなんて、無理ってもんだろう。」
「それにしても、4万人くらいと十数万から二十万人程度じゃ随分違うわね。随分いいかげんじゃない?」
「殺人数が大きく違うのは、南京の範囲が違うからだ。
笠原氏の推計は、南京行政区全体で起った殺人を推計している。だから、上ででてきた様な上海から南京への途中での日本兵の残虐行為も数にいれている。
秦氏の推計は、南京城内での殺人だけだ。」
「紛らわしいわね。 どっちが正しいの?」
「これは俺の意見なんだが、どっちも正しいんだと思う。どちらの意見にせよ、 南京でおこった大規模な虐殺ってことには変わりはないんだ。
あの辺で当時に虐殺が多発したことを、後世の人間が「南京大虐殺」だの「南京事件」だの勝手に呼んでるだけなんだから、
きっちりと、 「この殺人は南京虐殺に含まれる」 「この殺人は含まれない」って線引きできる決定的な区切りなんて無いと俺は思う。」
「大阪の人口は?という質問に、大阪市の人口と大阪府の人口と二通り答えがあるようなものでしょうか?」
「かもな。」
「30万人ってよくけど、これは何の数字なわけ?」
「30万人ってのは、犠牲数は詳しいことが分からないけど、 とりあえずたくさんってノリで中国が戦時中に決めた数字らしい。
戦争が終わって、そこそこ正確な犠牲者数が推定できるようになってもなぜか中国政府の公式見解は30万人で変わってない。
秦氏も笠原氏も
どんなに多く見積もっても三十万人は多すぎ。そんなに殺されてないよって認識は一致している。」
「何それ。ずいぶんいい加減じゃない?」
「まあ、こんな国だからな。」
「緑化って、自然を保護するために、植物を植えることですよね…。
緑のペンキを塗るって自然をもっと害して本末転倒ですね。
こんなこと、政府がやるんですか?」
「信じられませんよね。全く、困ったものです。」
「それで、日本兵が、虐殺した動機はなんなの?どうして虐殺なんてしなきゃならなかったわけ?」
「しつこいようだが、南京大虐殺は色々な殺人事件の集合体だからな。
個々の事件によって、いろいろな動機があるさ。
これまで見てきたのは、食わす食糧がないことによる口減らし、略奪するのに抵抗されたから殺してしまったケース、
強姦して証拠隠滅に殺したケース、日本刀の切れ味を試したかった、あとは、趣味(殺人が楽しかった)などだな。
他には、戦争相手国である中国への敵愾心ってのも原因の一つだろう。
こんなケースから、虐殺する日本兵の心境を推察することができるかも知れん」
「………。」
「キョン、さっきから黙って聞いてれば、まるで南京大虐殺が本当にあったみたいな言い方ね。
そんなわけないでしょう?反日サヨクに洗脳されてるわね。、あなたそれでも日本人?」
「黙って聞いているという言葉の意味をもう一度小学校で習ってきた方がいいと思うが、
俺はただ、、今まであったと考えられてきた南京大虐殺がどんなものか紹介しただけだぞ?ハルヒが調べてこいっていってきたから調べてきたんだ。
俺はほとんど自分の意見は言っていない。 ただ、本に書いてあったことをまとめて、ハルヒたちに伝えてるだけだ。
『南京大虐殺はあったよ』という本の内容をそのまま伝えてるだけなんだから、そういう話の流れになることはしごく当然のことだ。
南京大虐殺が本当にあったかどうかなんてことは知らん。それは全く別の話だ。」
「……。それはそのとおりね。」
「とは言うものの、これだけ史料がそろっているんだから、やっぱり実際にあったことなんじゃないか?
いくらその反日サヨクとやらが強力な力の持ち主でも、日本軍の公式文書や大量の日記などまでを捏造できたとは考えられん。
個々の事件の詳細で間違いはあるかもしれないが、虐殺全体を否定することは不可能だと思うぞ。」
「いいえ、キョン。南京大虐殺なんて嘘っぱちよ。優しくて温和な日本人は虐殺なんてするはずがないわ。虐殺をするのは中国人よ。」
「………。何を根拠に?」
「日本人は温和で優しい民族だからよ。」
「今までの史料から分かるとおり、普段は温和な日本人でも戦場に出れば他国を凌駕するほどの残虐性を見せているんだが。」
「そんな史料なんてニセモノね。」
「………。何を根拠に?」
「日本人は温和で優しい民族だからよ。」
「今までの史料から分かるとおり、普段は温和な日本人でも戦場に出れば他国を凌駕するほどの残虐性を見せているんだが。」
「そんな史料なんてニセモノね。」
「………。何を根拠に?」
「日本人は温和で優しい民族だからよ。」
「今までの史料から分かるとおり、普段は温和な日本人でも戦場に出れば他国を凌駕するほどの残虐性を見せているんだが。」
「そんな史料なんてニセモノね。」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「(長門いたのか)とにかく、ハルヒは今まで出てきた史料は全て間違いだと言いたいんだな。」
「そうよ。その通りよ。ちゃんとした助っ人を連れてきたんだから。」
「助っ人?かんべんしてくれと言いたいところだが、
永遠に続く夏休みなんじゃないかと思うくらいのループが抜け出せるなら何でもこい。」
「どうも、亜細亜大学教授の東中野修道です。
今日は南京虐殺の証拠と言われている史料が全て嘘であることを皆さんに教えるためにやってきました。
どうもよろしく。ともにサヨクの洗脳から解き放たれましょう。」
「実在の人物かよ!っていうか実際の写真 と全く違うのはどうかと思うぞ」
「イメージ画像よ!細かいことは気にしない!」