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2008-12-08 19:40:56 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙-『科学・社会・人間』No.104の感想-

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H先生



いただいた『科学・社会・人間』(No.104, pp.3-26(2008))のエッセー(吉岡「科学技術政策に関する備忘録・2007年」)を熟読・吟味してみました。私の知らないことは、何ひとつ記されておらず、深く失望しました。吉岡先生は、「中部電力浜岡原子力発電所運転差止訴訟判決」(pp.17-20)について、自身の関与を誇らしげに記していますが、客観的な評価は意に反し、芳しくなかったようです。参考のために記しておきますが、もし、吉岡先生の視点(新聞コメント等)が的を得たものであれば、当然、原告側の「控訴理由書」(409p.)に引用されてしかるべきですが、私のコメントは、引用されているにもかかわらず(注目すべき数名の識者コメントが引用されています)、吉岡先生のものは、まったく見当たりませんでしたが、いかがしたものかと、不思議でなりません。おそらく、原告の立場ではなく、被告(中部電力)の立場でのコメントであったために、無視されたものと推察します。原告側弁護人のひとりの海渡雄一弁護士は、本物とニセ者の区別のできる人物ですから、ごまかしはききません。


なお、以下は、静岡地裁の浜岡訴訟判決の前日と当日の私の社会対応です。記憶が定かではありませんが、本欄バックナンバーに記したような気がしますが、あるいは、他の研究会で発表して原稿掲載を了解したような気もしますが・・・・。


表題「浜岡訴訟判決時の静岡地裁前の様子と判決内容の感想」


浜岡訴訟は、住民(原告側)が中部電力(被告側)を相手取り、浜岡原子力発電所の耐震安全性に疑念を投げかけた民事訴訟です。私は、科学技術社会論を専攻する立場上(2004年4月から東大大学院総合文化研究科で科学技術社会論の研究をしています)、耐震安全性と社会の問題の現状を把握すべく、浜岡原子力発電所の耐震設計法を調査し、昨年二度、耐震補強の現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2006年1月28日と2006年10月31日)。裁判での論点を把握すべく、準備書面と証人陳述書も吟味しました。その後、新潟県中越沖地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が震災したため、原子炉建屋とタービン建屋の内部を中心に現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2007年8月14日)。


浜岡訴訟の論点は大きくふたつに分類できます。ひとつは、(A)想定地震の妥当性であり、もうひとつは、(B)老朽化評価の妥当性です。前者は、さらに細分化され、(A-1)中央防災会議が定めた地震応答スペクトルの妥当性、(A-2)プレート相互のアスペリティ(固着域)分布評価の妥当性、(A-3)想定地震(設計用最強地震と設計用限界地震)評価の妥当性からなります。


私は、1975年以降、伊方行政訴訟を初め、原子力施設の行政訴訟や民事訴訟の準備書面と証人陳述書の吟味に努めてきました。証人陳述書からは先端の技術の現状と安全確保の方法が読み取れ、興味深いものがありました。原告被告双方の主張内容のレベルは、高く、何物にも替え難い安全学の教科書と位置づけられます。


浜岡訴訟の判決は、偶然にも、「原子力の日」の2007年10月26日に下されることになっていました。判決の10日前に中部電力関係者に聞き取り調査を実施したましたが(2007年10月17日)、「判決の行方は、まったくわからず、半々」と言っていました。準備書面と証人陳述書の内容からして、私も半々であろうと推測していました。


静岡第一テレビ(日本テレビ系列)は、地元であることから、判決の前日と当日のニュース報道に力を入れていました。判決の一週間前、担当者から、両日のニュース番組への出演依頼がありました。その他、新聞社数社から判決の感想を求められていました。判決前日は、静岡第一テレビの18時15分からのニュース番組に10分間出演後、約1時間、近く放映予定のドキュメンタリー番組の録画撮りも済ませました。その後、当日のために、関係者と約2時間の打ち合わせを行い、ホテルにたどり着いたのは、22時を回っていました。


当日、打ち合わせどおり、静岡地裁前に10時半に到着しましたが、すでに、11時からの判決に備え、報道関係者数十名と原告関係者約200名で混雑していました。大変な熱気でした。上空にはヘリコプター1機が旋回していました。私は、静岡第一テレビの担当者と11時半からの現場中継のための打ち合わせを行った後、原告関係者の声を聞くため、関係者と雑談していました。原告側弁護士の海渡雄一氏とは、日弁連主催の「東電不正問題とエネルギー政策」シンポジウムで互いにパネリストを務めて以来、5年ぶりに顔を合わせた。海渡雄一氏は「勝てる」と言っていました。原告団のひとりの社民党党首の福島瑞穂氏も静岡地裁前に現れました。


静岡地裁民事第1部の宮岡章裁判長は、予定どおり、11時に開廷宣言しました。それから数分後、私の近くにいた原告関係者が「負けた」とつぶやき、左右の人差し指を交差させ、×印で遠くにいる知人に結果を知らせていました。まだ、正式報告がなかったため、私は、耳を疑いましたが、その直後、法廷にいた原告団のひとりが白布に黒で大きく「不当判決」と書いた垂れ幕を掲げて走り寄ってきました。その瞬間、静岡地裁前は、どよめきと怒涛に包まれました。正式発表前の「負けた」というのは法廷にいた原告団のひとりが携帯メールで仲間に知らせたものでした。原告団はその場で抗議集会を行っていました。騒然たる状況でした。地裁前には、最初から最後まで、被告関係者は、ひとりもいませんでした。


その騒然たる様子と静岡地裁建物を背景に、私は、11時半から始まるニュース番組のために、静岡第一テレビの担当者に14頁からなる判決文要旨の解説を行い、現場中継に備えました。


中継後、静岡第一テレビ本社に戻り、14時半頃、300頁からなる判決書を入手し、解読しました。原告側と被告側には開廷時に配布されていましたが、報道関係者には、13時半に配布されました。判決要旨からすると、原告ゼロ点、被告100点と解釈でき、被告の完全勝訴になっているため、私の関心は、判決要旨が判決文を的確に要約しているか否かにありました。


判決文は原子力安全の専門家が1年間かけなければできないような内容でした。全体の構成と論理展開はまずまずの出来栄えです。裁判官がいくら時間をかけて調査しても、それだけでは判決文のような内容に仕上げることはできず、被告側の準備書面を下敷きにしたものと推定されました。判決文の構成は、まず、一般論として、原子力発電の現状や沸騰水型原子炉の要素機器の機能と信頼性に始まり、論点に沿って、原告側と被告側の主張を相互比較し、たとえば、どのような技術基準や学術文献に拠るとか、判断の根拠を明確に示し、正しい側を決めて行くものです。相互比較された約100項目はすべて被告側の勝ちになっていました。よって、判決要旨は判決文を正確に要約していました。


私は、原告ゼロ点、被告100点というほど、いまの耐震指針や安全審査体制、発電所の安全管理技術がすばらしいとは思っていないため、静岡第一テレビの担当者を前に、判決文に対する私の解釈と感想を述べました。そして、当日の18時15分からのニュース番組のための録画撮りに入りました。私は、静岡第一テレビとの約束の仕事をすべて済ませたため、つぎの仕事のために、静岡駅発16時8分の新幹線で東京に向かいました。台風20号の影響で雨が降っていました。原告にとっては無念の涙雨、被告にとっては歓喜の涙雨でしょううか。


今回の判決でいちばん困惑したのは被告の中部電力でしょう。中部電力は、どこまで本気か計りかねますが、判決前、静岡第一テレビの記者に対し、「1号機と2号機については相当の覚悟をしている」と語っていたそうです。その事実から、判決に挑む中部電力の心理が読み取れました。


判決文には、簡潔な表現ではあるが、技術や検査法の限界、想定地震を超える地震の可能性等にも触れていますが、現実問題として、それらは、安全を左右する問題ではないと切り捨てています。原子力発電所の多重故障や非常用ディーゼル発電機の不作動も起こりえないとしています。


しかし、過去の産業事故において、多重故障は起きており、多重故障が起こるからこそ、大事故に陥っているのです。2007年9月19日には、北海道電力の泊1号機の運転中の監視試験において、設置されていた2台(原子力発電所によっては、ひとつの原子炉に2台のものと、たとえば、柏崎刈羽発電所のように3台のものがあるため、記載法には注意を要する)の非常用ディーゼル発電機(欄外の(注)参照)の起動に失敗しており、即刻、原子炉を停止している。


判決文では、震災した柏崎刈羽原子力発電所について触れ、致命的問題が発生していないことを評価し、その結果の一般性がまだ科学的に検証されていない段階にもかかわらず、耐震指針を肯定的に位置付けていますが、もっと深い吟味が必要のように思えました。と言うのは、柏崎刈羽原子力発電所は、岩盤が相対的に軟らかく、しかも他より倍も深いため、原子炉建屋の三分の二が地下に収められ、これら二点の特殊性が偶然にもよい結果に結びついた可能性も否定できないからです。さらに、泊1号機の非常用ディーゼル発電機不作動問題には、まったく触れていません。そのため、判決文は、2007年7月上旬頃には完成しており(柏崎刈羽原子力発電所の内容については、震災後、急遽追加した物と推察されます)、ごく最近の事例まで考慮されていないように解釈できます。


現代技術には白黒を付けられないグレイゾーンが存在していますが、判決は、そのグレイゾーンに目を瞑り、判断の基準をすべて国の技術基準と安全審査の考え方に依存した技術解釈に終始しており、もう少し客観的な深い吟味が必要なように思えました。


(判決当日の2007年10月26日脱稿)


(注) 『日本原子力学会誌』2007年9月号の神山弘章「私の主張 中越沖地震と原子力発電について」(p48)には、「仮に、中央制御室と原子炉建屋が物理的に遮断されたとしても、原子炉建屋の1階または地下室にある非常用ディーゼル発電機が自動的に起動し、直ちに炉心冷却が開始される。このような設備は原子炉に2つある。そのうちの、1つが作動すれば炉心冷却は十分に可能である。」(下線引用者)と記されていますが、非常用ディーゼル発電機は、ひとつの原子炉に2台とは限らず、たとえば、柏崎刈羽原子力発電所では、7基ともひとつの原子炉に3台設置されています。よって、下線部の文章は間違いです。調査・認識不足から間違ったことを記載した責任は、神山氏にありますが、それをそのまま掲載した編集委員会にもあります。 『日本原子力学会誌』の内容は、時々、一次資料を確認することなく、軽い判断から、誤りが掲載されていますから、注意して読まなければなりません。

桜井淳

2008-12-07 23:01:33 stanford2008の投稿

桜井淳所長からいちばん下の弟への手紙-「ローマ帝国の歴史・文化と国教としてのキリスト教」を肴に-

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弟へ


先日は水戸の拙宅まで足を伸ばしてもらいご苦労様でした。

配偶者・子供も他人、たとえ兄弟でも他人であり、ひとそれぞれ価値観も異なるため、人生に必要な物などと言うのもやぼなことと思いますが、・・・・それでも、一言。

映画には、半世紀の著作権があるため、歴史上の最高の映画「ベン・ハー」(私が高校1年の時に、封切りされ、高校近くのスカラ座で友人と観ました)は、まだ、DVD化されていませんが、二番目に注目された70年前の「風と共に去りぬ」は、DVD化されており、わずか、税込み500円でその辺の本屋でも入手できます(㈱ファーストトレーディング)。4時間の大作です。70年前の作品でも、映像が非常にきれいで、今の社会に対比しても、遜色なく、セットと時代背景もすばらしく、永遠の一般的価値を有するように思えます。学ぶべきことの多いスケールの大きな作品です。ぜひ、観てください。

私は、フロリダ州ペンサコーラ空港からテネシー州ノックスビル空港に向かう時に、南部ハブ空港のきれいで大きなアトランタ空港で夜7時頃に乗り換え、大きな空港を1kmくらい歩き、乗り換え搭乗口にたどり着きましたが、建物の遠くには、「風と共に去りぬ」の舞台となったジョージア州アトランタの市街地の高層ビル群のきれいな夜景が見え、歩いている間、ずっと、映画のストーリーが頭に浮か びました。その作品も高校生の頃に教育の一環として全校生が映画館に移動して観ました。昔はそんなことが当たり前のこととして行われていました。

それから、もうひとつ。ぜひ、聖書を熟読・吟味してください。初心者には、入門編として面白く読める犬養道子『新約聖書物語(上)(下)』(新潮文庫、1980)がよいでしょう。私は、米東部の一流どころの大学の大学院神学研究科でキリスト教倫理学のレクチャを聞いたことがあります。

今度会う時には、極上のウィスキーをストレートですすりながら、私の最後の研究テーマの「ローマ帝国の歴史・文化と国教としてのキリスト教(聖書)」を肴に、人生の本質的なことについて話しましょうか。

最近は、東大本郷キャンパスにも出入りしていると聞きましたが、つまらないところには、出入りしないでください・・・・。

来春の偕楽園の観梅シーズンには、今度は、ぜひ、家族といっしょに、拙宅に泊まってください。

では、また。



桜井淳
2008-12-07 12:10:57 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のT先生への手紙-原爆の線量評価と被爆評価の研究者の考え方の相違-

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T先生



いただいた「「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」報告書」(KURRI-KR-114, 2004)を熟読・吟味してみました。10年前、私がワーキンググループリーダーを務めたモンテカルロ研究の会合で、星正治先生(広島大学原爆放射線医科学研究所)から連続エネルギーモンテカルロ計算コードMCNP(Monte Carlo N-Particle Transport Code)を利用した爆発時放射線シミュレーションの報告を受けたことがあり、この報告書にも同様なことが記されており、大変懐かしく感じました。当時、そのような研究結果まで含める必要があるのか、また、あらぬ誤解を招かないためにも、避けた方がよいのではないかと、迷ったものです。


新評価システムDS02を構成する計算コードシステムの内容(p.125)は、世界でもトップクラスであって、二次元放射線輸送計算コードによる前進計算(forward)のみならず、三次元モンテカルロ計算コードでの随伴線束計算(adjoint)までしており、なかなかのレベルだと受け止めました。T先生もそのような計算システムを使いこなしているとなると、日本でもトップクラスの計算科学研究者のひとりと位置づけられ、私のレクチャなど聞く必要は、なかったのではないでしょうか。


原爆の線量評価の研究者は、評価結果を吸収線量のグレイ単位(Gy)で整理しており(p.196)、被爆評価の研究者は、グレイ単位の値に放射線の種類(中性子線・ガンマ線・ベータ線等)によって異なる加重係数を乗じたグレイ当量(Gy・Eq)に整理しています。目的によって、考え方が異なるのでしょう。原爆の被爆評価の場合、原子力施設での被ばく評価や原子力発電所の災害評価での被ばく評価の考え方と異なり(JCO臨界事故のような特別な事故を除く)、加重係数も原子力研究に利用されているものとはやや異なる"急性放射線症"に特有のものであり、私のこれまでの原子力研究での認識とは、やや異なるものもありました。原爆急性放射線被爆評価と原子力研究被ばく評価を分けて考えないと、おそらく、吉岡先生のような混乱に陥るのでしょう。


工学の世界は、物理の世界と異なり、厳密性の維持だけではなく、評価誤差が優先される近似の世界です。計算コードにはそのような例は枚挙に暇がありません(たとえば、伝統的な決定論的放射線輸送計算コードでは、中性子エネルギースペクトルには、遅発中性子の影響は、考慮されてきませんでした)。吉岡先生がそのような真実を認識したならば、ことごとく、"無意味"と指摘し続けることでしょう。それから、計算科学では、厳密性と高速処理は、両立しないこともあるため、実用性を考慮して、厳密処理をいくぶん犠牲にして、処理速度向上を最優先することもありますから、そのような視点を持つことも欠かせません。


ところで、JCO臨界事故の被ばく評価では、"急性放射線症"の考え方が適用され、被ばく線量をグレイ当量で表示してありましたが、中性子線の加重係数は、意外と小さく、1.7が採用されているようです(一般には、公開されていませんが、医学関係の学会論文誌の論文には、記載されているかもしれません)。低エネルギーの中性子線の寄与を重要視したためと推察されます。人間の体は、大部分水ですから、入射した中性子線が水素原子核と衝突・減速され、中性子エネルギースペクトルが、非常に、軟らかく(低エネルギー成分が多くなること)なってしまうためではないかと推定しています。いちばん多く被ばくした人は、16Gy・Eq程度ではなく、その倍くらい被ばくしていた可能性もあるのではないでしょうか。1.7の根拠が知りたいものです。



桜井淳

2008-12-06 21:59:47 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のT先生への手紙-チェルノブイリ4号機反応度事故の反応度過小評価-

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T先生



チェルノブイリ4号機反応度事故の印加反応度の大きさについては、これまで、何度か触れてきましたが(本欄バックナンバー参照)、いただいた文献を読む限り、すべての文献において過小評価、それも、著しく過小評価しており、炉物理研究者は、そのことの意味に気づいているのかどうか、不思議でなりません。


特に、T. Wakabayashi, et al. ; Analysis of the Chernobyl Reactor Accident(II)-An Examination of the Improvement Measures concerning the Accident of the Chernobyl Power Plant-, Nucl.Eng.Design, Vol.106, pp.163-178(1988)における反応度事故計算コードEUREKA-2による正味印加反応度値は、過小評価どころか、小規模な反応度事故さえ説明できないほど小さな約1ドル(ボイド反応度約4ドル-ドップラー反応度約3ドル=約1ドル)であり、著者の若林利男氏(当時、動燃)は、炉心の大規模な破壊の現実をどのように考えているのか理解できません(1ドル程度では炉心は壊れません)。



桜井淳

2008-12-05 17:26:39 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙-『科学・社会・人間』No.106の感想-

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H先生



いただいた『科学・社会・人間』(No.107, pp.33-48(2008))のエッセー(吉岡斉「核災害による放射線影響の評価について」)を熟読・吟味してみました。これは、同人誌のエッセーですから、学会誌論文のような査読付論文ではないため、厳しいことを言うのは、酷です。学会誌論文には引用できません。そのため、ここで、第三者として率直な感想を申し上げておきましょう。


人によって読み方は、異なるものと思いますが、私は、以下の八箇所での吉岡先生の批判に違和感を持ちました。項目の下に簡潔にコメントを記しておきました。


【六ヶ所村再処理工場の想定事故の根拠、pp.34-35】

原子力発電所や再処理工場の使用済み燃料貯蔵プールの安全管理には、絶対的な信頼性が要求されており、もし、貯蔵プールからの大量冷却水漏洩や冷却系冷却能力低下・故障が生じれば、崩壊熱のために、使用済み燃料は、溶融します。そうすれば、大量の放射性物質が施設内外に放出されることになります。よって、安全評価や災害評価においては、考慮すべき代表的な事故です。設置許可申請書において、記載していないのは、不必要だからではなく、現実的に、非常に困る想定になるためです。批判の対象になっている原子力資料情報室の上澤千尋先生の想定事故(事故原因は、特定せず、燃焼度55000MWD/tで冷却期間1年間の貯蔵燃料3000tの1%の30tが溶融し、各組成核種が放出されると想定、「原子力資料情報室資料」No.381, p.6より)は、災害評価の考え方として、不自然ではありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【静的な施設の事故発生確率の解釈、p.40】

確率論的安全評価研究者の間では、「停止中の原子炉は安全か」という問いかけがありますが、この場合の原子炉とは、軽水炉を想定しており、たとえば、原研では、過去にそのような研究を実施しており、論文が発表されていますが、結論は、運転中のものと大差ないというもので、決して、静的な施設が安全でも、事故発生確率が低いわけでもありません。よって、山名元『間違いだらけの原子力・再処理問題』(ワック株、2008, p.99等)を引用しても、論証にはなっていません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【プルサーマル炉心での想定事故におけるプルトニウムの環境放出の解釈、p.40】

吉岡先生は、p.40における大橋弘忠先生(東大)の反論が正しいとして、原子力資料情報室の作成した検討結果を批判していますが、何が正しくて、何が間違っているのか、いまのところ、判断基準がありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【チェルノブイリ4号機事故におけるプルトニウムの環境放出の解釈、p.41】

たとえ、「プルトニウムによる放射能汚染密度は、チェルノブイリ近傍(10-40km)ではセシウムの2桁ほど下回るにとどまるが、遠方(200-250km)では、4桁も下回る」(p.41)なる第三者の論文の一部を引用しても、参考資料にはなるものの、事故時の諸条件によって、大きな差が生じることが推定され、チェルノブイリの事例だけでは、論証不十分です。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【自身のディフェンス能力、pp.43】

吉岡先生は、「筆者は原子力工学の専門家ではないこともあり、核施設の苛酷事故リスクについて緻密な議論を展開する能力を持たない。言い方を換えれば、政府審議会の場において、苛酷事故リスクを主たる論拠として核施設の廃止を主張し、なおかつ、その主張をディフェンスする能力を持たない」(p.43)と自己弁護していますが、ならば、批判する能力は、まったくありませんので、お止めなさい。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【瀬尾コードにおける急性放射線症の取り扱い方法、pp.35-37】及び【瀬尾コードの利用価値、p.44】

瀬尾コードにおける急性放射線症の取り扱い方法は、吉岡先生がかんぐっているような故・瀬尾氏による理解力の欠如に拠るものではなく、WASH-1400(1975)においても同様の取り扱い方法になっており、吉岡先生がこだわっている原爆での急性放射線症の取り扱い方法と異なり、原発災害評価では、被ばく線量に寄与する放射線は、放射線線量から被ばく線量の算出に大きく影響する加重係数の大きな中性子線やアルファ線ではなく、加重係数1のガンマ線やベータ線であって(想定条件によってはアルファ線の影響も多少考慮しなければなりません)、利用に当たって、工学的には、有意な差は生じず、支障がありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


【瀬尾コードによる原発災害評価の信頼性、p.44】

上記項目での根拠からして、信頼性は、損なわれていません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。


全体に共通していることは、吉岡先生は、根拠のない原子力界の建前論を尊重し、引用していることです。行政側と対峙しないで、故人となってしまった高木仁三郎氏や瀬尾健氏を批判の対象にしているだけでなく(生存している時に批判せず、反論できない故人になってからの批判は、好ましいやり方ではありません)、原子力資料情報室の上澤千尋先生まで俎上に乗せており(論点はあまり本質的でないいちゃもん)、目的が何なのか、理解に苦しみます。特に、瀬尾コードに対する議論の仕方は、石川夫氏(元原研)や「エネルギー問題に発言する会」(原子炉メーカー等の退職者により構成されている組織)のような原子力界の右派と同じです。私が吉岡先生の議論の仕方に許容しがたい違和感を持ち始めたのは『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)からでした。今回はそれよりもはるかに質が悪くなっています。


私は吉岡先生の以下の点について疑念を持っています。いつか学術的・体系的に整理しておかなければなりません。


(1)査読付原著論文が少ない(特に、ファーストオーサーの英文原著論文がない)(学位論文が書けない)

(2)査読付原著論文における論証の不十分さ(文献引用が不適切)

(3)著書における物理的・工学的内容の記載の意識的ごまかし(物理学者や工学者ならば、もっと、ポイントを具体的に記載するはず)

(4)著書に解釈ミスが目立つ(たとえば、『原子力の社会史-その日本的展開-』等)

(5)右往左往する思想(著著を刊行順に読むとそのことがよく分かる)(現在、自身で、"異論派御用学者"と名乗っているようです)


なお、(2)(3)(4)については、本欄バックナンバー参照。



取り急ぎご報告まで



桜井淳

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