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つむぎ唄:春よ、来い 赤ひげ診療譚/5 診療生活スタート /長野

 ◇多忙極めた日々

 「お帰りなさい」

 08年4月、栄村診療所に着任した市川俊夫医師(80)を待ちわびていたのは患者だけでなかった。代用教員時代の教え子らが歓迎会を開いてくれた。村に残った3人に加えて、県内外から5人が駆け付けた。

 60年ぶりの再会。皆、立派に年輪を重ねた。かつて「天は人の上に人を造らず--」と説いた青年も、すっかり白髪となった。教え子たちは陽気に笑い、恩師は好きな日本酒を飲み干した。

 「一番出来が悪かったから、私をよく覚えているんでしょ」。島田房代さん(74)が破顔一笑すると、市川医師は「他の先生に殴られて顔が腫れた男子生徒のために、親御さんに謝りに行った時は参ったなあ」と往時を懐かしんだ。

 教え子だけでなく、同僚の姿もあった。旧水内中の元養護教諭、広瀬房子さん(80)は、ほのぼのとしたエピソードを思い出した。週1回、本校から白鳥(しろとり)分校へ足を運んだ。生徒の検便を顕微鏡でのぞきながら「虫がいないのかしら、よく見えない」と困っていたら、「僕が手伝ってあげるよ」と市川青年が助けてくれた。医大生だけあって、手際が良かったことを覚えている。

 「半年間しか教えていないのに、こんなに慕われるなんて」。広瀬さんは、市川医師の人望の厚さを改めて感じた。

  ◇  ◇  ◇

 つかの間の再会を喜ぶ暇もなくスタートした診療所生活は多忙を極めた。

 平日午前の診療に加え、週1回は車で小一時間かかる秋山郷での診察に向かう。往診や特別養護ホームへの回診もある。

 患者に処方する治療薬が東京時代と全く異なり、知らない名前がずらりと並んだ。

 看護師の勝家伸子さん(50)は「先生は、分からない薬は絶対に使わない。効能を調べるのに苦労していた」と振り返る。治療薬辞典は付せん紙だらけになった。市川医師は「覚えるのに1カ月かかった」と言う。

 さらに、前任医師は処方せんを残したが、民間経営だったためにカルテそのものの引き継ぎはなく、市川医師は一から患者のカルテを作成し直さなければならなかった。

 診療所には1日平均60人の患者が訪れ、多い時は80人にもなる。

 本人への聞き取りや、過去の他病院の紹介状を頼りに既往症やその処方せんなどを書き込む作業は深夜1時ごろまでかかることもあった。

 「いやあ、本当に大変だったよ」=つづく

毎日新聞 2008年12月6日 地方版

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