茨城県古河市出身のハンセン病元患者で、国立療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)の入所者、平沢保治(やすじ)さん(81)が4日、約70年ぶりに実名で帰郷し、幼なじみ3人と再会した。
平沢さんは当時の古河男子尋常高等小学校(現市立古河第二小)を卒業後、13歳でハンセン病と診断され、翌年、多磨全生園に入所した。人権回復運動の先頭に立ち、国家賠償訴訟の原告になった。これまで、母の葬式に出ることも許されず、表立っての墓参もかなわなかった。
母校で講演した平沢さんは「頑張らなくていい。あきらめないで生きてほしい」と、卒業の際に担任に贈られた言葉を紹介し、自らの生き方と重ねた。
幼なじみの羽兼尚一さん(84)らとも会った平沢さんは「誰も来てくれないと思っていた。私には古里はないと思っていたが、やはり古里はここにあった」と話した。【八田浩輔】
毎日新聞 2008年12月4日 20時50分(最終更新 12月4日 23時18分)