富士登山記     2008,9,12

2008年9月11日。現場を早めに切り上げ、いよいよ富士登山への旅がスタートとなった。19時8分発札幌行きの列車に乗る為に釧路駅到着。12日は早朝から空港へ行かなければならない為、晩飯はみほの家で食わず、お互い晩飯を済ませておくって段取りになっていたんで釧路駅で食う事にした。

 

18時25分、釧路駅構内にあるそば処『霧亭(きりてい)』に観光客のふりをしながら入店し、カツカレーそばとライスを頼んだ。周りの客が皆観光客ばかりなので、それにならい俺も釧路人である事を誰一人として悟られぬ様、キョロキョロしまくった。霧亭は高校生の頃2回くらい行った事のあるそば屋。釧路駅構内には昔は『豆地蔵』とか真の初デートに使われた名前は忘れたけど結構大きなお店があったが、この霧亭と豆地蔵しかなくなっていてちょっとしんみり・・・・。他にも真と一度に棚一列全部の本を盗む事に成功したBOOKS2分の1の店の場所が変わってた。結構釧路寂びれてるなぁ〜。

19時8分。札幌行きの列車が発車した。そばを食った後だったんだけど、旅気分を味わう為にキオスクで駅弁を購入。サーモンとカニの押寿司みたいな弁当しかなかったんだけど、固い米がノドを詰まらす感じが駅弁を食ってるなぁ〜と思わす感じで列車の旅を満喫させる事に成功。

22時30分札幌駅到着。駅の北口までみほが迎えに来てくれたので、みほん家まで行き、ザック内や持ち物、着る物の最終チェックをし0時就寝。翌朝12日早朝4時50分起床。5時45分麻布行きのバスに乗る所。麻生から地下鉄で札幌駅まで行き、札幌から千歳空港行きの列車に乗らなければならない。飛行機の離陸時間は8時50分頃。今回は初登山にして富士山を登る。そして休みもあんまりないから超ハードスケジュール。何かひとつ時間に遅れたら富士山を登る事はできないのだ。みほがメモしておいた時間割りに沿って行動しなければならない。頼むぞみほ。

千歳空港到着。搭乗手続きを済ませ、ザックを預けようと荷物預かりコーナーへ。『すいません。こちら中を確認して宜しいでしょうか?』50を過ぎたと思われるネクタイ短めの空港職員が俺のザックの中身にイチャモンをつけにやってきた。どうやら頂上で飲もうと思ってたコーヒーを沸かす為のストーブ用のガスボンベは飛行機内の持込が禁止されているらしい。送るのもダメなんだと。そりゃないぜ・・・・。『もう、こういうガスボンベ類や可燃性の液体はどんな手段を使っても海を渡らせる訳にはいかないのです。』ネクタイ短め男はそう言い放った。『どういう手段を使ってもって・・・・。そしたらこのガスボンベは北海道で生産してんのかよ。どういう手段を使ってもってのは言い過ぎだろ。鎖国政策かよ。』へりくつを言っても仕方が無い。『ここに廃棄する事を許可する欄にサインしろ』ネクタイ短めオヤジは更に俺に買ったばかりのボンベを廃棄する為の署名を求めた。断固拒否。自分の物を捨てるのにわざわざサインするのも面倒なので、ボンベ以外の荷物だけを預け、ボンベは空港内便所のゴミ箱に自分の手によって廃棄する事にした。わずかばかりのテロ行為。

ネクタイ短め男とのやりとりが終わり、山梨に住んでいるというみほの同級生トモヤンにお土産を購入するみほ。生キャラメルと牛乳プリンみたいな物を購入し、ガスボンベを便所に置き去りにしたまま飛行機は無事離陸。羽田空港に着いたのは11時頃。無事俺のザックはコンベアーから流れてきた。羽田からは京浜急行にて品川へ、品川からは山手線に乗り換え新宿へ向かう事にした。山梨県への列車が新宿から出ている為だ。写真は新宿駅での列車待ちをする人だかり。マジで暑苦しい。人ごみ嫌いなのに・・・・・。

新宿で一度街に乗り出した。千歳空港で没収されたガスを買うため。前に仕事で東京に住んでた頃に発見してたアウトドアグッズ屋で無事ガスをゲット。1個150円のショートタイプを2個購入。さぁ山梨に向かおう!と思った瞬間にみほが何かを思い出した。『新宿・南口から5分程度・柔らかいドーナツ』この3つのキーワードから店員に問いかけ、クリスピードーナツだかっていう人気のドーナツ屋へ急きょ向かう事に旅は変更された。山梨行きのバスの発車時間は刻々と迫ってきているというのに・・・・・。そしてドーナツ屋に並ぶみほの写真を撮った時に北に関する決定的な1枚を撮る事に成功してしまった。前に一度ディズニーランドに極秘で遊びに来ようとして強制送還された金正日の息子である金正男。今度は柔らかいドーナツを買いにまた極秘で来日していた模様。髪型こそ前より短く刈り上げてるものの、その風貌たるやまさしく正男そのもの。俺は正男をそっとしておく事に決めた。

ドーナツ屋で無事ドーナツゲット。砂糖でコーティングされた甘くて柔らかいドーナツ。これは確かにうまい。これを6個とその他の種類のドーナツを6個買い、山梨行きのバスで食う事にして速攻バスターミナルへ向かった。

山梨行きの高速バスに乗り、河口湖まで約2時間。そこからトモヤンが手配してくれたエクシブというホテルの送迎バスに乗り、ホテルへ向かう事にした。北海道の石狩から出発して約9時間で山梨県。富士山までの道のりはまだまだ長い。

ホテル到着。超豪華な高級ホテル。しかも会員制だという。トモヤンの旦那の親が会員らしく、トモヤンの親経由で一人1泊5000円という超破格な料金で宿泊させてもらう事になっていたのだ。すぐ目の前に広がるのは我々が翌日目指すマウント富士。興奮してきたぜぃ。

晩飯を食いに出掛ける時にカメラの三脚がなくなっている事に気付く。ザックにしっかり入れといたはずなのに・・・・。どうやら空港かバスで落としてしまったらしい。たまたま乗ったタクシー運転手の手塚によると、河口湖付近にはカメラ屋が1軒しかないらしく、晩飯を食いに行きたい方向とは湖の反対回りで行けば何とかなるという言葉を信じ河口湖を1周して手塚の言う通りタクシーを走らせた。しばらくしてカメラ屋に到着。この段階でメーターは3000円を超えた。『高い三脚代になったなぁ〜』と思うのもつかの間、なんとシャッターが閉まってる。手塚超ピンチ!タクシードライバー手塚の発案により湖をあえて遠回りしたのにも関わらずこの有り様である。俺は平静を装う。手塚、焦る。更に俺は平静を装う。手塚、カメラ屋の裏手にある玄関先のピンポンを押したり、居間の窓の方に言って見たりしてる。『高田さ〜ん、高田さ〜ん!』どうやら手塚とカメラ屋の主、高田は知り合いのようだ。さすが田舎。俺は一切表情を変えない。手塚マジピンチ。バツの悪そうな表情でタクシー内に戻ってきた手塚。どうやら高田は居なかったらしい。まぁ見てたから解るんだけど。手塚発案による河口湖1周三脚探しの旅がここで幕を下ろした。まぁ湖を見れたから怒る事も無くそのまま飯を食いにまた湖を手塚運転のタクシーで走った。晩飯を食いに行くだけで6000円が飛んだ。手塚思わぬ所で6000円ゲッツ。

手塚に別れを告げた後、小作という山梨県名物ほうとう屋で晩飯を食う事に。平べったいうどんのような麺の他に季節のお野菜や肉が盛り沢山の食べ物らしい。ここで人生初となる熊肉のほうとう、イノシシ肉のほうとうを食う事にした。でっけぇ鍋が運ばれて来た。これで一人前。しかも漬物付き。いや〜これは美味い食べ物だった。ほうとうに舌鼓を打った後、ホテルに帰る為にタクシーを手配。なんとまた手塚が現れた。手塚はホテルへ向かう途中、俺とみほに昔話をはじめた。『お客さん北海道なの?北海道は寒いよねぇ。私も昔北海道に転勤になった事があるんですよ。そう、南富良野。あっ、私昔は自衛官だったんだけども、南富良野へ行くと10年はここ山梨に帰って来れないって言われましてね。当時25歳だったんですけども、10年でしょ?山梨に帰って来てから結婚して子供を作ったとして35歳でしょ?当時は定年40歳だったもんだから、40歳でまだ子供は5歳か6歳なんですよ。5歳や6歳の子供がいて40で定年はないだろうと思って辞めたんですよ。あの時辞めてなかったらなぁ〜』と長々と昔話をし終わった。何?結局北海道来てないじゃん!転勤の命令が出たけど嫌で自衛隊を25歳で辞めたって話だろが。思いっきりツッコミ入れようか迷ったけど、内容を理解するまでに数秒掛かってしまった為、突っこむタイミングを逃し、手塚に現在子供がいるのかどうかも聞く事が出来ず、やるせなさだけ残しながらホテルに帰った。さぁ手塚なんて忘れていよいよ翌13日は富士登山。

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