ゲーム職人への道 | 01 Sep 2008 (Mon) |
――前回の記事でお伝えした開発スタッフによるコラム。 まずはhaneのゲームプランナーから始めましょう。
『ゲーム職人への道』
辛く厳しく、無収入……。 しかし、最近ようやく、これが正解なんだと自覚できる心境に辿りつきました。 芸や物作りの世界においては、常に超越しないと、食べていけるまでにはならないのです。 作品が超越しないのは、単にゲーム制作を楽しむ修練が足らないせいなのですが、 もうちょっとカンネン的にでカッコいい言い換えをしますと、これは、 「ゲームと同一化できていないためである」と。
ガラス職人が、炎と吹き竿と、水あめのようなガラスからできてゆく「何か」と同一化して、 エゴをも溶かしきってしてしまうように、ゲーム職人も、コンピューターと同一化し、 「彼」と対話(そのほとんどが数字だけど)して、自己存在の「尖り」を 作品から抹消してしまわなければなりません。 私が作らせてもらったゲームのジャンルがまるでバラバラなのは、この「尖り」との 間断のない衝突と和解によるもので、いわば結果論です。
もう一歩踏み込んで言えば、 ゲームは、表現でありながら、別の訴えかけができてしまう「危険な何か」だという事。 (これはまあ直感なのですが……。) いずれにしても、美しいガラス細工より、表現、いや「物として」危ないのは、 おおむね本当だと思います。 これは、モラルや子供への影響などの観点からのみならず、例えば、 ゲームの素材の一つであるデータと言う物は、きわめて繊細で壊れやすいのに、 簡単にコピーできて、無数の複製品ができる情報の集積体に過ぎないという不可思議。 これだけとっても危険であるという事実を「本質的に理解する」事は、結構大変な話なのです。 まして、それをビジネスにして回そうなどとは、いやはやなんとも……。 私自身の資質の問題もあるかもしれませんが、道のりはまだまだ果てなく遠いでアリマス。
とは言え、夏も終わりhane本部は、そろそろ作品の商品化計画を実現段階まで持ち込んだ模様。 一人のゲーム職人の視点で見ると、そうした金銭関係が発生しうる仕組みの方が、 よほど、ゲーム的な印象があるのですが、さて皆さんの目には、どう映る事でしょうか。
それではまた、気まぐれに現われます。 残暑と大雨にご注意を。
↑イラストタッチの絵をドット絵に。あえてドット絵にする理由は、見栄えを良くするだけでなく、 最低限の工数で、最小の容量にするのが狙い。今回は、絵柄のおかげで、工程も比較的楽だった。
haneゲームプランナー・木邨圭太
|