2008年12月2日

日本人爽やかなり、本多雅俊准教授人物爽然

爽然(そうぜん・心身のさわやかなさま)を言う。八戸市役所報酬3億7千万円の削減方法を探るなかで、この人物、本多准教授の名を見つけた。この人は政策研究大学院大学に籍を置く。
 小林八戸市長が市長政策参与として招聘(しょうへい・礼を尽くして人を招く)。ところがこの人物は一度来る度に8800円を貰うだけ、さらに頭の下がるのは、その金を全て協働の町づくりに寄付した。
 そして、就任の平成18年1月1日から平成19年の4月23日までに23回の助言を市長に託し、これにて我が事成れりと参与職を辞された。
 人物の評価は出処進退、日露戦争の折、乃木は拙劣な攻めで多くの将兵を失った。乃木更迭の御前会議で明治天皇は更迭すれば乃木は死ぬ、このまま続けさせよと言う。海軍の協力で巨大砲を据え付け、203高地を陥落せしめた。日露戦争で乃木は二人の子全てが戦死。
 戦争終結後、乃木は学習院の名物校長となり、白馬にまたがり勤務。明治天皇崩御の際に妻と共々おいばらを斬った。
 人はこうしたものだ。自分を採ってくれた恩顧を忘れぬ、生涯を通して忘れぬ。こうした気概が日本には多かった。これが日本人なのだ。
 八戸市民はそうした人物がまだ日本にいたこと。そして、八戸市の政策参与として活躍してくれたことを誇りに持ち、深く胸に刻もう。 日本人爽やかなり、本多准教授爽爽(さわさわ、あるいはさわさ)たり。見がたいものを見せていただけた。深謝

2008年12月1日

八戸信金事件貸金四億四千万時効?3


ここでも明記されているのは債務が時効になり、存在しない、つまり返済しなくていいんだゾという主張を無しにして欲しいと言っている。不存在を認めれば返済計画案には乗ると言っているのだが、今回、筆者が暴露するに至ったということは、このガンコな前・管理部長の佐藤氏が全てをブチ壊したのだ。長寿温泉・プレイピア白浜の田中氏は不存在でなく、四億四千万円は認めて払うので平成十年の十月にかけられた競売は外して欲しいと嘆願している。
 星弁護士も不存在のことは問わず、借金は全額返済すると交渉。八戸信用金庫が競売の手続きを進めたように、長寿温泉・プレイピア白浜の田中氏は、現状では払いたくなくて払わないのではなく、払えない状態なので金利は減免して欲しいと懇請するが、金利を金く無しには出来ないと主張。大体、今件のような場合は相撲で言う死に体で、金利や違約金をとれば、なんとか息をしている病人に水をかける、首くくりの人間の足を引っ張る行為にも似て、人間ならばしてはならない行為だ。
 それでも星弁護士は公定歩合程度の金利は支払うと言うが、それも駄目、年八パーセントを払えと言ったのか三パーセントを払えと言ったのかは定かじゃないが、現今の支払い利息をみてヨ、一パーセンと夢のまた夢だ。病人や首くくりからむしりとった銭は何処の誰の懐に入るの? 預金者を踏みつけて、銀行員の懐かい? あんまりじゃないの。どうなってんの、この国は? ドレミファ・ドレミファ・ドレミファ・ドーナツて子供たちの歌じゃないがどうなってんのヨ。世の中間違ってるゾー。筆者は怒っている。何、お前のは怒るのが趣味? ハイ、その通りデ。
 それにつけてもオヤツはカールじゃない、八戸信用金庫はどうなってるの? この管理部長の佐藤氏だけが突っ張っている。貸金の金利を取らないと監督官庁から指導がきて、理事長の首が飛ぶと言ったが、その前に貴方の首を心配した方がいいのではないか。と、言うのも、この蛭子支店長の文書にあるように、時効による不存在を言わないなら交渉の席につくと言明しながら五月二十日に決裂したのは全て、自分に権限がないにも関わらずしゃしゃり出て、現管理部長の口をふさぎ、我のみ偉いとばかり理事長の首を心配する発言をしながら、気の毒で債務の支払いも滞った田中氏に嘘までついたのは何故なのだ。
不存在を言い出した詫びを勝田太三郎常務理事にいれろ、現金二百五十万円を毎月誠意として積めとせめよる
今年の一月に前・管理部長の佐藤氏は不存在などけしからん事を言いだしたのはお前(田中氏)がやったのか、弁護士がやったのか、詫びを勝田太三郎常務理事に入れろと河原木支店を通じ田中氏にせめよった。仕方ないので、田中氏は一人で本部に出かけた。佐藤氏・勝田氏と田中氏の三人の席上で
『田中さんエイ、あんた、競売を取り下げて欲しければ、毎月二百五十万返済できると計画を書いているのだから、その金を積んでみせたらどうだ、そしたら何カ月かその誠意を見て取り下げるから』
と切り出したそうだ。
 筆者が田中氏から相談を受けたのが、十月二十日だった。(平成十年の十月)筆者は早速試算表をみて熟考し、先ず、返済の原資を稼ぎだすことから着手。長寿温泉の売上、その他に長寿の湯という大杉平にある風呂を所有していることから、保健所と交渉、この営業時間の延長から開始。そして、一日湯治を考え、一日一杯風呂に入りのんびりしていただき、一食付いて千円、さらに寄席も開いて笑ってもらおうと、ヘルスセンター構想を打ち出し、それの推進役をかつて出た。筆者は落語家なみの喋りが出来る。講釈師が入門してくると、それの指導をしていたこともある。ヒゲでお馴染みの田辺一顧の門下生がそれ。十二月からそれを立ち上げた所、深夜十二時までの営業は市内何処の風呂屋もやっていないため、調理師や残業の人々から支持を得て、売上は順調に推移。田中氏が呼ばれた一月はまだ数字がハッキリしておらず、佐藤管理部長からの発言に応とは言えずに悔しい思いをしながら八戸信用金庫の本部を辞去。
 現在は毎月三万人程の人々に利用していただき、返済原資は確保できた。しかしながら、管理部長が言を左右にして交渉に乗らない。
 やれ資料が不足だ、本当に出来るのか、こんな嘘は聞き飽きたと幾らまともに交渉してもラチがあかない。四月になり、管理部長が異動となり、新任の工藤部長となったが、今件は佐藤が処理しろと言われているとしゃしゃり出てきている。
 ようよう経営も安定し支払い原資も確保できたため、佐藤氏の言うように二百五十万円を五月二十日に持参したところ、『受け取る訳にはいかない』と脆弁。あれは嘘だったのかと畳み込めばよかったのだが、気のいい田中氏は言わずに帰ってきた。席上、経営内容を説明する役の小田税理士は見るにみかねて、『ならば星弁護士の預金口座を作り、そこに入れるのは?』と口を添えるが佐藤氏は明後日の方を見たなり。まるで、市役所の道路課長のような人だ。あの課長も嫌な奴だったが、世の中何処にでも、このたぐいの人物がいるようだ。昔の八戸信用金庫にはこんな手合いは居なかった。何処でどう間違ったのか、現在の理事長の川勝氏になってから評判が悪い。
 首の皮一枚でブラ下がっているような人間、首に縄がかかっているような人間を蹴倒すのか?
 それが金融機関の仕事か。
 確かに巨額な借入をし、それが計画通りに弁済できないは悪い。だが、バブル崩壊以降何処でもこんな案件はあるのだ。
 佐藤氏もサラリーマン、その職場を失うのは死ねということと等しいだろう。この田中氏も返済計画通りにはいかなかったが、新しい計画案ならば返済は可能なのだ。
小田税理士も十二月から四月末までの数字を見て、十分にこれなら返済できると明言し、その返済計画書を何度も何度も作成し、信用金庫に持参しているが、八戸信用金庫に持参しているがいつも突き返されている。あれが足りない、これが不足だと言うばかりで見ようともしないのだ。最初から競売ありきだ。競売をしても、現今の不動産価格では元金を割る状態になるのは間違いない。
 それなら長くかかっても、元金を回収するのが筋。星弁護士はそれが金融機関の本来の姿ではないかと力説するが、佐藤氏は、高金利をむしり取り、自分の手柄にしようと目論んでいるのか、話し合いは全て、高金利ありきで一歩も譲ろうとしない。そして、田中氏に強要した二百五十万を毎月積めとの自分の吐いた言葉をも否定し、その金を受理しない。

議長公用車廃止、タクシー利用で経費削減せよ


市議会議長に車が一台割り当てられている。年間走行距離は10843キロ、それも山形市や東松島市まで公用車を走らせたため距離が伸びた。
 遠隔地へは列車で行け。月平均走行距離は900キロ程度。これをタクシーに切り替えればいい。八戸市役所役所職員平均給与は720万、これには手当ては含まれていない。
 タクシーに切り替えれば月24万程度の出費ですむ。年間288万。これはもっと削減可能、と言うのも遠距離を列車で行けば2000キロが削減になろう。更にタイヤ、燃料代がいらない。燃料は35万程度年間で出ているが、これは議会事務局の車も含まれているそうだ。
 議会事務局は以前バスを所有、それは他都市から来た議員団を送迎するもの。ところが年間ではたいした数ではなく、市役所全体で使用。そのため議会事務局は241回バス利用のうち31回利用、12%を占めるだけ。このためタクシーで送迎し、その金額が66万円、議長が夜遅くまで市内でウロウロ、あるいは八戸駅に深夜到着時はタクシー利用、その金額が20万、都合86万が出た。
 ケシカランのは議会事務局員が他都市の議員を八戸市役所からタクシーで市内を見学させ、八戸駅まで送って行き、そのタクシーで市役所まで戻る。これは無駄。バスで帰ってこい。議会事務局員は他都市の議員ではない。それを勘違いしている。ケシカラン。改めろ。

2008年11月30日

八戸信金事件貸金四億四千万時効?2

今件の八戸信用金庫の時効事件については、長期の証書貸付で発生。頭の巡りの良い読者なら、前に掲載した内容証明の文書から、不払いを起こしたのは長寿温泉・プレイピア白浜の経営者田中長次郎氏とその妻ツエさんであることを知っているだろう。内容証明の文書からは六億七千万円と借入金額が明記されているが、本当はこの外にもあり、八戸信用金庫からの借入総額は六億八千五百万円の巨額。そのうちの四億四千万円が時効にかかってしまった。
 もっとも八戸信用金庫の言い分では、裁判をすれば勝てると言うのだが、自分たちが適法に措置をしていれば、裁判の席上で争うこともない。それをしていないため 筆者はこの事件を昨年(一九九九年)に知人から処理して欲しいと依頼を受けてからずっと見守り続けている。六月号の大特集の階上町長の疑惑も、地元新聞の東奥日報もデーリー東北も深く突っ込んでは書かなかった。新聞はニユース性を重んじるため紙幅に制限があり、事実関係を知っても深く突っ込んでは書けない。しかしながら月刊誌の良い点は締切り時間が十分にあるため、面白いとなると徹底した時間を割いて調査に調査を重ねる。そこに新聞と月刊誌の違いがある。
 今回の事件も書きたいナと筆がムズムズするのを押さえに押さえていた。しかしながら八戸信用金庫と田中氏が決裂をみないうちに書く訳にはいかず、口惜しい思いで半年我慢。とうとう五月二十日に決裂したため、一気にここで真相を暴露。この問題は監督官庁に持っていけば必ず指導が入り、馬鹿なことをしでかした八戸信用金庫に咎めは必至。万人の金を預かる番人の八戸信用金庫がヘマをやらかしている。それも五年以上も放置し時効を迎えたのを知らなかった大蔵省の責任も大きい。あるいは八戸信用金庫が隠しに隠していたのかも知れぬ。しかし隠しに隠していたとしても、監督官庁の指導・監督が至らなかったのは間違いない。庶民の金を預かるのは法律で決められた所しか出来ない。許可・認可の権限は大蔵省が握っている。バブルが弾けて多くの金融機関がメタメタ。その中でも八戸信用金庫はバブルの影響を受けていない健全経営の信用金庫だと言われてきた。しかしながら、このていたらくだ。我々の金は本当に安全に管理・運営されているのだろうか。疑問・心配・不安になるのは筆者だけではないだろう。お年寄りの年金受給、虎の子のへそくりなどを安心して預けられるの? 市内最大の金融機関だが、前森理事長が辞めてからおかしくなったとの声をよく聞く。前森さんは立派な人だった。筆者も知っている。しかしながら現今の理事たちは一寸ならず変だ。
大体筆者は八戸信用金庫には恨みつらみがある。今まで言わなかっただけのこと。今回の時効事件の時も、東京の星弁護士が借り入れた金額の返済計画案を作成している際に発見したもの。
この星弁護士は早稲田大学法学部を卒業し司法試験に合格した新進気鋭の若者。この人が中学生の時、筆者が家庭教師をしていたことがある。新宿から京王線が出ているが笹塚の駅の近くで豆腐屋を両親が経営。その長女を教えたのがきっかけで、この青年も教えたことがあり、筆者の顧問弁護士でもある。誠実な人柄で筆者とは正反対。温厚な紳士を絵にかいたような人。ところが交渉相手の八戸信用金庫の前・管理部長の佐藤一雄氏が一級品の頑迷固陋。
 交渉の過程で何を血迷ったか、『オイ、星さんョ、あんた本当に弁護士なの』の発言をやらかした。
弁護士を騙ったのなら言われても仕方がないが、当事者では交渉がつきかねる難問に弁護士が登場するは当然のこと。まして、星弁護士は今回とは逆の立場で銀行を守る仕事を数多く担当している新進気鋭なれども金融事件ではベテラン中のベテラン。銀行の動きは知悉している。大体借金が払えなくなった事案はバブル崩営以後、山とあり五万と存在。銀行は貸金はまけないが金利はゼロか限りなくゼロにして不良貸付はなるべく出さず、元金だけは必ず手中に収めるのが鉄則。八戸はバブルの影響を良くも悪しくも受けなかったとは言うものの、現今の不動産価格は上昇するどころか下落しているのは間違いない。
 星弁護士は温厚な性格のため、前・管理部長の佐藤氏の話にも激怒することはなかったが、八戸はなかなか凄い所ですネと苦笑。
時効の件を撤回しなければ交渉の席には付かないと声高に叫ぶ。時効にならないように管理していればよかったのだが、自分がしでかしたことを大声で叫び、それを撤回しろ、裁判すれば必ず勝てるは金融機関の言うべきことではない。さらにこの時効事件が、八戸信用金庫の言うように時効でないとするならば、ただ笑って、『そんな馬鹿なことは言わないで下さい、我々はこのように新たな証書で時効は防いでいますヨ』と提示すればいい。何も力んで大声を上げる、あるいは弁護士を誹謗するような言葉は紳士なら吐かないものですゾ。
 大声で叫ぶ、あるいは怒鳴る、桐喝するは手口として容認の範囲であるが、文書をもって、それを撤回しなければ交渉しないと郵送するに至っては、何を血迷った のだろうと疑問に思う程だ。
 『お岩、迷うたな』は伊右衛門の言葉だ。自分がしでかした残虐非道な行いを恥じる部分があるから、お岩さんが迷って出たように錯覚するのだ。見えないものに対する恐怖が行動に走らせる。
 次のページの文書は八戸信用金庫河原木支店長の蛭子勝美氏が弁護士宛に出したもの。この人も温厚な紳士だ。しかしながら回収不能となった貸金の処理はすべからく本部が握っている。つまり前述した前・管理部長の佐藤氏だ。今の管理部長は工藤信行氏が就任しているが、この件に関しては担当理事から佐藤が担当するようにと言われているとは佐藤氏本人の弁。

2008年11月29日

羽仁もと子追補(ついほ・出版・著作物などで、追加・訂正、あとから補うこと)

もと子が羽仁吉一と結婚し報知新聞を共に退社、知人のすすめで雑誌「家庭之友」の編集開始。ここでもと子は婦人が苦労しながら生活する姿を取材、それが好評を得ることを知り、自分たちで出版を決意。明治四十一年、「婦人之友」がそれ。
 羽仁もと子と言えば家計簿と答えが返るが、これは明治三十七年「家庭之友」時代に創案したもの。「家庭之友」は後、改題され「婦人之友」となったと記されている本が多いが、「家庭之友」は明治三十六年四月号が現存、その出版社は内外出版協会で羽仁もと子が出版したと断定はできない。
 ともかく明治四十一年に「婦人之友」は創刊され今日に至る。羽仁もと子の婦人啓発雑誌は暮らしの中にこそ生きる意味を見つけよを標榜した新機軸の雑誌。他人の押し付けられるのが人生ではない。自分が暮らしの中で何を見出すか、何を考えるかを基本とした。
 それには出銭入銭の管理、日々、月ごと、季節の中で金をどのように管理するかの実践書が家計簿だった。
 また、自発的に処理する、これが何のためにあるのかの判断を基本とした、生活に即応するような教育こそ大切であると学校を創設。それが池袋の自由学園。
 帝国ホテル建設のために来日したライトが設計。ライトは六人の子どもと夫人を捨て不倫相手と逃避行、又二人の子を得るが不倫相手と共々惨殺され、ライトは失意のうちに設計依頼の来た日本に渡った。彼の設計は草原様式と呼ばれる高さを押さえ、水平線を大事にした安定感のなかに、部屋を区切り細分しない家族のぬくもりを大切 にしたもの。
 羽仁もと子は大正十年に草原様式の自由学園を造った。二年後に関東大震災が襲うも自由学園、帝国ホテル共少しの損壊もない。しかし、アメリカの新聞はライトの帝国ホテル倒壊の報を流す。そこへ、大倉喜八郎から電報、「ホテルハ貴下ノ天才ノ記念碑トシテタチ壊ワレズ家ナキモノ多数完全ナサービスヲウケ祝辞ヲノブ」
 大倉は渋沢栄一と共に明治、大正期の実業界の双璧。ロイド設計の帝国ホテルは多額な追加費用を要し、渋沢、大倉が支えた。大倉は越後新発田の産、日本橋の鰹節問屋に丁稚、乾物屋を興すも、時代を見て武器商人へ転じ戊辰戦争で巨万の富。商社から土木業と転じ、大倉組、現在の大成建設を作る。鹿鳴館も彼の手になる。
 羽仁もと子が新聞記者をしていた頃、郷土の偉人、西有穆山を訪れ対談記事を発表。その記事を八戸湊小学校校長を務めた伊藤勝治氏が発見。それが今年活字になった。
自由学園明日館ホームページから
羽仁もと子 1873(明治6)-1957(昭和32)青森県八戸市生まれ。幼い頃から理解できるまで徹底的に考える子供でしたが、たいへんに不器用で、また音痴だったため、絵画や唱歌を習うのに苦労したそうです。このことは後にもと子が自由学園の芸術教育に力を注ぐ要因となりました。   その後、1889年(明治22)に上京。東京 府立第一女子高等学校へ入学しますが、その後、目指していた女子高等師範学校の受験に失敗。当時、少女たちの人気雑誌であった『女学雑誌』の編集長、巌本善治が校長を勤める明治女学校へ入学しました。明治女学校時代には『女学雑誌』の校正を手伝い、雑誌作りの基礎を学びました。また明治女学校での規則正しい寄宿舎の生活は、自由学園における生活重視の教育に反映されています。   1892年、もと子は郷里に戻り、小学校や女学校の教師となります。この頃結婚しましたが半年で離婚となり、一からやり直す覚悟で再び上京、報知新聞社に校正係として入社、持ち前の才能から女性初の新聞記者として大活躍することになります。    羽仁吉一(1880-1955)と社内結婚したのはこの頃です。吉一は山口県三田尻村(現防府市)に生まれ、漢学塾に学び上京、報知新聞社に入社し政治記者として活躍していました。   1903年、二人は新婚生活の中から題材を得て、婦人誌『家庭之友』(『婦人之友』の前身)を創刊し、数年後、独立して婦人之友社を設立しました。雑誌を通じて、古いしきたりにとらわれていた女性たちに、自分の才覚で家を切り盛りする知恵と勇気を与えました。   1921年(大正10)、もと子と吉一は、知識の詰込みではない、新しい教育を実現するため、自由学園を創立しました。生徒に自ら昼食を調理させるなど生活と結びついた教育はまさに大正デモクラシー期における自由教育運動の象徴と言えましょう。
             
明日館の設計者フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)は、アメリカ合衆国が生んだ20世紀を代表する建築家の一人です。日本では、旧帝国ホテルの設計者として名を知られていますが、90年以上の人生の中で、800以上の計画案を遺し、そのうち400棟ほどを実現させている多作家としても有名です。   1867年にウィスコンシン州リッチランド・センターで生まれたライトは、1893年、住宅作家として独立、終生一貫してより豊かな人間性の保証に寄与する建築、つまり「有機的建築」の理想を追求し続けました。作品の殆どが彼の母国アメリカ合衆国の各地に残っており、代表作としてはカウフマン邸(落水荘)、グッゲンハイム美術館などがあります。   彼は「貧富の別なく人間は豊かな住生活が保障されるべきである」という信念を実践し、人々の生活の拠点を作り続けました。明日館は学校として設計された建物ではありますが、「家庭的雰囲気の中で子供たちにのびのびとした教育を与えたい」という創立者の思いを、ライトは見事に形にしたと言えましょう。
羽仁もと子は三人の子に恵まれた。長女は説子、女婿を五郎、この人は参議院議員をつとめ、国立国会図書館の設立に尽力、次女は幼くして病死、三女は恵子。
説子と五郎の子に進、この人は映画監督として著名、記録映画、ドキュメンタリーで新境地、渥美清をアフリカに連れ出しプレハブ住宅を造る映画は出色。この人の手腕の凄さを示した。
羽仁 未央は進と左幸子の子、羽仁もと子からはひ孫にあたる。この人は随筆家として名を揚げる。世界を駆け巡り、映像製作者として活躍、香港を機軸としてアジアはまるで庭の如し。
 この人の活躍に羽仁もと子の現代版を見るのは「はちのへ今昔」だけだろうか。八戸が狭く東京に飛び出し、出版界、報道に籍を置き、西有穆山を取材、そののち教育に目覚め、当時最新のメディアである雑誌を普及し、多くの信奉者を集め確固たる地歩を固め、堂々と時代を切り開いた。
 その子、孫、ひ孫とどれも異色の存在。その源になったのが八戸、南部の魂。西有穆山がはち十一で曹洞宗総持寺管主になり、八戸中学で講演をされた。諸君は皆政治家になるべく八戸中学に来た。
 私は八十一になり宗門の長となった、面倒だからと断ることもできる。だが、諸君、我が南部人は請われたとき、否やを言わぬのが南部の魂なのだ。この歳で、いわば花婿を見たようなものだ、億劫といえば卑怯、堂々たる人生を歩めと教えた。何と気骨のある人だったか。そして、羽仁もと子も堂々たる人生を送られた。
 この二人の中に生き続ける南部魂、よもや我々は忘れた、そんなものがあったげなの言葉はもらすな。気が弱くなったとき、羽仁もと子を思い出せ、西有穆山を忘れるな、生きる力を貰えるぞ。

八戸信金事件貸金四億四千万時効?1



200年8月号から
 世の中に金融機関は多けれど、八戸最大の金融機関八戸信用金庫はどうもまともじゃない。これが正しいなら八戸は間違いだらけ。
 金貸しが土地を担保にとってバブルで弾け、困った挙げ句に国に泣きついて、庶民の金利が限りなくゼロに近づいたのは周知の事実。
それに便乗し、健全経営の中小零細金融機関も追随。しかし、驚嘆するのは銀行員の給料の高さ、昨年の長者番付が発表されたが、国に泣きついた悪徳銀行の頭取等の報酬の高さには唖然。信じられる? 自分たちがしでかした事を棚に上げて、給料ばかりを貪るのは許せるのか。明治時代のように、庶民に気骨があった頃なら暴動がおきて当たり前。
 我々が歴史で学ぶ帝国憲法の草案者、わが国初代総理大臣、伊藤博文は立派な人だとの印象があるが、当時の人々にはそうは写らない。あんな助平の爺の銅像を建て
るなと、その銅像にフンドシを巻き付けて市内を引回して川原に捨てたそうだ。根性があるゾ。
 八戸信金の理事長が幾ら給料を貰っているかは知らぬが、安い額じゃない筈。その給料は何処から出る? それは我々庶民の金を借りたい人に貸付、その利ざやで運営しているのだ。つまり、我々庶民の金が適法に運用されるが大前提。しかしながら、本当にそうなのだろうか。筆者のもとに平成十年十月二十日に相談が持ち込まれた。それは八戸信金から担保に人れた土地・家屋が競売されて困ったとの厄介なもの。困った人、弱い人を見ると助けたくなるのが筆者の根性。俄然張り切る。今までもお婆さんからビルが建ってテレビが見えなくなったが、NHKに言っても何もしてくれないので何とかして欲しいという気の毒な話も、そのビルの屋上に共同アンテナを建ててもらい解決、東北電力が焼け出されたお婆さんから、家もないのに毎月定額の電気料を取られていたのを返却させるなど、弱者救済を趣味にしている。今回の事件は不思議な点が多く、商売が左前になりつつある人には、どのような手順で金融機関が貸金の取立をしてくるかを勉強してみる。
先ず、四億四千万円が時効にかかったという点から見てみよう。
借りた金が時効になれば当然支払い義務はない、そんな愉快な話があるのだろうか。ある!
 金融機関の借金払わないで済む魔法の法律時効とは
時効とは何か。人殺しをしても十五年逃げると時効になるのは読者諸兄も御存知の通り。
 最近テレビ・新聞を賑わした福田○子の事件を思い出していただきたい。人殺しをして逃げに逃げ回って、元の杵柄のホステスをやっていたが、テレビで時効を知った人がそう言えば似てると警察に通報し逮捕になったが、このまま逃げきれば、公訴に関する時効で堂々と人前に出れる。しかし、殺人の罪が無くなる訳ではないので、良心があれば煩悶はするだろうが、強かな奴じゃどうにもならない。殺人罪の判決を受け脱走して逃げ回る時は三十年の歳月が必要になるが、それでも時効は成立する。かくほど左様に時効というものは恐ろしい力を持っている。
時効の概略を記す。
時効・一般取引についての時効で原則十年。
短期消滅は三年、二年、一年。
商事時効・商取引に関する時効で原則五年。
刑事時効・刑罰に関するもの一年から三十年。
公訴に関するもの一年から十五年。
その他の時効・税金などは五年。
 今回の貸金は八戸信用金庫のなした業務であるから商事時効に属する。商法の五二二条には〔債権の消滅時効〕として商行為に因りて生じたる債権は本法に別段の定めある場合を除く外五年間之を行わざるときは時効に因りて消滅す、と定めている。つまり、五年間利息も元金も払わないときは貸手はその貸金を失うことになる。
 相手は天下の八戸信用金庫、人さまの金を預かり、それを運用し利潤を上げるのが仕事、そんなズサンなことがある訳はない! そう筆者も思っていたが、これを発見したのは弁護士だった。
 天下の八戸信用金庫にも大きなミスがあった。意外と日常業務を行う側にミスが多いのは鉄道、飛行機、交通事故など。毎日繰り返している業務の中でポカをやらかすことがあるが、これもそれと同様なミスだ。
 借金の合計は六億七千万円になっている。しかし、貸手の八戸信用金庫の金を貸す手段方法に間違いがあった。
金融機関から金を借り入れるには二つの方法がある
一つは設備資金などの長期の借入。もう一つは運転資金などの短期のもの。
●長期の場合には金銭消費貸借と称して借入元金に貸出利息を上乗せし、それを六十回とか百回に分割返済していくもの。これを証書貸付と呼ぶ。
●短期の場合には借入額面から金利を先に引かれて、期日が到来した時に一括弁済するもの。金融機関は顧客(借り人)に金を貸付け、顧客は借用証書代わりに手形を金融機関に交付するもの。この場合の手形は顧客の振り出した約束手形または自己引受為替手形で、銀行が受取人であり、裏書きのない(単名手形)ものであり、金融機関は原因債権(貸金債権)と、手形債権の二つを持っている。
 手形の場合は商事行為の中でも時効の期間は短い。三年で時効になる。(手形法七十条一項、七七条一項八号)。つまり銀行に渡した手形が落とせずに、何のかんのと言い訳をしながら延滞利息も入れずに頑張れれば、三年で時効になる。これには一寸した根性と度胸がいるゾ。銀行員も一皮むけばインテリヤクザで、手形が廻ってきて預金不足。三時になれば、各支店は手形を持って本店に集合する。その際、引き落とせるだけの金額がないと不渡りになる。自分の支店から不渡りは出したくないので、手形振出人に矢の催促が来る。これは受けた者じゃないと判らぬが、ソリャ厳しいことを言う。
何とか金をかき集めて持って行くと、『今回は待ってやったが、次回はまたないぞ社長、いいか』などの発言は平気のへいざだ。
これは商業手形の場合で、自振の金融機関へ出した単名の場合は大体金利を入れて書換えてくれる。これは何度でも応じてくれるが、次第に険悪な表情になり、馬鹿野郎程度の発言は往々にしてある。何故筆者がそんなことを知っているか? 散々言われた口なので知悉。普通、証書貸付にせよ単名にせよ、三年も五年も放置するということは先ずあり得ない。それは金融機関も敵はさるもの、引っ掻くもので、なかなか逃げきれない。また監督官庁があり、ズサンな経営を監視している。

2008年11月28日

八戸市役所不思議な入札方法




下水道がキャノンの大判カラープリンターを決めた。見積は704万、それを値切って631万で契約。これを現金で払えないのでリース会社の出番。
 入札指名通知が出され、その時示されるのが仕様書。これでリース金額を入札しろと言われる。これで入札価格は決められない。何故? 購入金額が分からないで誰が入札する? 
 車を考えてみよう。車の購入金額も知らずに毎月のリース金額を決められるか? それをしたのがあおぎんリース、しぐまリース、みちのくリースだ。11万4千円で落札したが、どのようにしてこの金額を決めたのだろうか。仕様書は見せるという。つまり、リース会社は仕様書からキャノンに電話して落札価格を聞く。あるいは懇意なキャノン販売店から情報を得る。リース会社には懇意なキャノンがいる。そこからもっと安く機械を仕入れるも知れないと言い張る人間がいたが、そうはいかない。すでにこの機械はキャノンシステムアンドサポート八戸営業所が納入を決めているのだ。
 いかにリース会社が顔が広くとも、そう易々と契約を更改できるはずもない。つまり、契約額がこれだから、契約期間を五年として、月々のリース金額を入札せよというなら理解もできるが、これはどうしたことなのか。リース会社に契約金額を示さず、手数のかかる契約金額を推測させる、聞き取りをさせなければならない理由は何処にあるのか?
 何を隠す必要があるのか。リース会社は金利を稼ぐところ、その金利をいかに安くするかに腐心すればいい。それを契約金額を探させる努力をさせるより、金利交渉をするほうが合理的。
 これは単に下水道だけの話ではなく、管財契約課も同様だと言うので開いた口がふさがらない。市役所はリース屋苛めに喜びを感じているのか。市民の代弁者として契約を結ぶのではないのか?
 これら妙な職員は入れ替えをするべき。若手を採用し五十以上は皆退職せよ。悪しき慣例に首まで漬かっているぞ。