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渦状言論へようこそ。

ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。

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虐殺問題についていくつか

ゼロアカの話題はしない、と記して幾歳月の東浩紀です。そんな方針は変わらないのですが、今日(12月1日)の日本経済新聞夕刊文化欄(最終面)に、大きくゼロアカの記事が掲載されていることぐらいは知らせておこうと思います。これはやばい。福嶋亮大や宇野常寛のコメントまで載っています。

門下生のあるチームも、ばーんとでかく写真が掲載されています。これは変なファンがつくかも。東工大の授業でも顔を合わせているゼロアカウォッチャーも、何人か写ってますねw。

といったところですが、その東工大の授業に関して、最近はてな界隈を賑わせているらしい標題の件について、いくつか記しておきます。当該の話題をご存知ない読者は、飛ばしてもらってけっこうです。

ちなみに、ぼくは最近、2ちゃんねるもはてなブックマークもなにも見ていません。精神の健康によくないからです。ですから、この件がはてなで話題らしいというのは、先週の授業のあと学生から直に聞きました。そういうわけで、ここでは伝聞を根拠に「こんなこと書けばいいのかな」ていどのことを書いているので、もしかしてブログ論壇的には的外れなのかもしれません。ただ、そもそもはこれはだれかに反論するためではなく、ぼくの立ち位置を明らかにするためのエントリなので、これで勘弁を。

ぼくはただ、ネットでぼくの話題を追っているひとが、ぼくにとってけっこう重要なこの「虐殺問題」について、不正確な引用だけを根拠にぼくの立場について誤解してしまうとまずいと思ったので、書くだけです。

というわけで、あらためて。

1.私的信念について

東浩紀は南京大虐殺は(規模の議論はともあれ)あったと考える。
これは随所で公言している。

2.公的真実について

東浩紀が「リアルのゆくえ」および今年後期の東工大の授業で展開している主張は、下記のとおり。

A.いまの日本社会に、南京大虐殺があったと断言するひとと、なかったと断言するひとがそれぞれかなりのボリュームでいるのは事実である。

B.ポストモダニズム系リベラルの理論家は、「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」と随所で主張している。

C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。

C'.逆に、もし「南京大虐殺がなかったと考えるなどとんでもない」と鼻から言うのであれば、そのひとはもはやポストモダニズム系リベラルの名に値しない。

C''. むろん、上記の主張は、右と左を入れ替えても言える。

D.ポストモダニズム系リベラリズムの立場とは、このようにハードで、ときに自己矛盾を抱えかねないものなのだ。

3.デリダについて

デリダが上記のような主張をしたとは、授業ではひとことも言っていないし、ぼくもそんことは主張するつもりはまったくありません。それは単純な誤解、というか速記の恣意的な読みこみです。したがって、「東浩紀のデリダ解釈がおかしい!」とか言っているらしいひとは、単に的を外しています。この点については速記者(id:nitar)に確認をとってもらってもけっこうです。

4.付録

ちなみに、ぼくは90年代前半に南京に旅行で言ったことがあります。同じ時期にアウシュヴィッツにも行きました。アウシュヴィッツ(ビルケナウ)にはまだ人骨が転がっていました。ぼくは、そのとき手で掬った灰の感触をいまでも覚えている。他方、南京のほうはといえば、記念館は異様に小さな作りで、しかもなかの資料は本田勝一の著書からの孫引きばかりだった(具体的には多くのパネルが本田の著書の拡大コピーだった)。これ、いささか政治的にやばそうな話だし、おまえの記憶違いだとか言われるとなにもこちらも証拠がないのでいままであまり書いたことがなかったのだけど、とりあえずぼくの記憶としてはそうです。ちなみに、東工大の授業でもこの話はしたのですが、速記者に言ってオフレコにしてもらいました。

だから、きわめて私的な印象として、ガス室の有無はぼくとしては疑いえない。そりゃむろん、ポーランドのクラコフ郊外にあるあの膨大な敷地がすべて偽物でトゥルーマン・ショーだったといわれればどうしようもないけれど、そうでないかぎりで疑いえない。けれど、南京大虐殺の有無についてはそのような強い実感がない。

これがなにを意味するかといえば、もしかりにこれから、「ガス室はなかった」「南京大虐殺はなかった」キャンペーンが大々的に始まったとして、ガス室については、ぼくは死ぬまで「じゃあ、あの俺がみたものはなんだったんだ」と思うことができる。けれども、南京についてはそんな思いは残らない。だから、ぼくは転向するかもしれない。それは弱さだけれども、しかし、南京まで出向いたあげく、ぼくの心のなかにそういう差異が生まれたことは否定できない。南京まで行って出会えたのは本田勝一だった、この失望は決して浅くない(ちなみにぼくは中学生当時の教師の影響で、本田勝一の朝日文庫はほとんど読んでいます)。むろん、それは虐殺の事実性に疑いを挟ませるものではない。それはむしろ、単純に当時の中国政府の余裕のなさ、というかある種の怠慢を意味しているだけなのかもしれない。それに、いまでは状況はかなり違うだろう。きっと新資料などもあるのだろう。しかし、いまよりも事件に近かったはずの、90年代の状況がずいぶん違ったことは事実です。

以上。これは基本的には本題に関係がない、というより、むしろますますぼくへの不信感を呼び、こんどはこっちの文章が根拠に叩かれるかもしれない私的な感想ですが、ぼくがただ適当に南京大虐殺の例を挙げていると思われたらいやなので、書いておきます。それに、歴史的真実が云々というのならば、ぼくにとっては、まず20歳代のときの以上の体験が「真実」です。

それにしても、前々から思っていたのだけど、右でも左でも、ネットや2ちゃんねるで歴史認識問題についてアツく語っているひとの、どれくらいが強制収容所のあととか南京の資料館とかに足を運んでいるのでしょうか。かくいうぼくも、別にバックパッカーで世界放浪とかいうタイプではないから偉そうなことは言えないのだけど、学部生のころは韓国にも中国にもドイツにもポーランドにも沖縄にも行って、半世紀前の記憶のあとをしみじみ辿ったりぐらいはしました。ネットだけで「歴史の真実性」について叫んでいるひとを見ると、やはり(デリディアンとしてこんなことは言いたくないけど)、文字情報の相対性や弱さに単純に無自覚なように見えてならない。「リアルのゆくえ」でぼくがいったのは、そんなふうに文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか、ということです。

5.付録の付録

文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。


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