NEOOITA

2002・4 Vol.44
 
NEO対談 今井 彰 + 平松 守彦
プロジェクトは語る〜熱い挑戦〜


プロデューサーの仕事
平 松 番組や著書を拝見しながら、佐伯市出身の今井さんのご活躍ぶりを大分県民として大変うれしく思っています。
今 井 ありがとうござます。
平 松 今井さんは、人気番組が多い時間帯に、どちらかと言えば硬いイメージの番組、『プロジェクトX』をスタートして定着させました。私は、この番組づくりこそが、今井さんが追い続けている「ゼロからの挑戦」、究極のプロジェクトXではないかと思います。
今 井 そう言っていただくと、プロデューサーみょうりに尽きます。
平 松 私も大分に戻って知事になって、「大分には何もない」と言われるゼロの状況の中で、「各地域の誇りとなるモノを作ろう」と呼びかけ一村一品運動を始めました。焼酎などの県産品を上京するたびに持って行き、売り込みにまわりました。そこから、焼酎、しいたけ、カボスなど多くの全国ブランドが生まれました。
今 井 その取り組みが評価されて、第一回「年間最優秀プロデューサー賞」(*)を受賞されたわけですね。確かに、こうやってお話すると、まるで先輩プロデューサーとご一緒しているように感じます。
平 松 地域の人を力づけ励まし、みんなのやる気を起こさせるのが、「株式会社大分県」の社長である私の仕事だと考えていましたので、「知事とはプロデューサー」だと言われて、大変感激しました。
今 井 プロデューサーの仕事は企画と実務です。企画というのは夢に近い部分です。それを実現するための具体的手法を組み立てていく、それがプロデューサーの仕事です。
平 松 『プロジェクトX』に関するその辺りのお話を聞かせてください。
今 井 実はこの番組の企画では、局内がもめにもめました。九時台の視聴率激戦区という状況に加えて、九時十五分という中途半端な時間から番組が始まるということ、企業名がたくさん出るということ。それから、田口トモロヲさんの独特のナレーション「…だった」は、日本語を守るNHKとしてはいかがなものかという声もありました。番組が評判になってくると、「…だった」を疑問視していた部署のスタッフたちが、「…だった」と言って雑談していました(笑)。
平 松 スタートにあたっては今井さんにも不安があったのではないですか。
今 井 テレビには有名人が一人出れば視聴率が一%〜二%伸びるという傾向があるのですが、『プロジェクトX』に登場する人はほとんどが名も無き方々です。「黒四ダム・総監督の中村精さん」と申し上げても、その方を知っている人は数百人規模です。いくら我々がテーマを込めたとか、いい仕上がりの番組だと思っても、多くの方々に見ていただけなければ番組はすぐ打ち切りになります。
平 松 しかし、今では多くの視聴者を獲得して、ひとつの社会現象になりましたね。
今 井 番組開始当初は、反響はありましたが、新聞、雑誌が全く取り上げてくれず、視聴率は伸びませんでした。ところが、そのうちにこんな話まで聞こえてくるようになりました。スナックのママさんがたまたま『プロジェクトX』を見ていると、酒を飲みにきたサラリーマンたちも一緒にそれを見て、番組が終わるやいなや、「今日はカラオケを歌わないで頑張る」と言って帰ってしまったそうです(笑)。そういう話が次から次に広がって、視聴者のみなさんが支持してくれるようになったのだと思っています。
(*)年間最優秀プロデューサー賞・・・社会に新鮮な驚きと喜びを送り出した功績をたたえ、日本の社会をさらにエキサイティングにしていく一石とすることを目的として1983年に設立された。


名も無き挑戦者たちから学ぶこと
平 松 官僚や企業などの不祥事を発端に、今、日本の未来に対する信頼が急速に失われ、閉塞感に包まれています。『プロジェクトX』は私たちに、「こういう人々が日本にいた」ということを思い起こさせ、勇気と希望を与えてくれます。
今 井 登場する地域や小さな工場、あるいはそこで働くサラリーマンに、自分や自分の親の人生を重ね合わせ、「日本人というのは捨てたもんじゃないんだ」という気持ちになるからではないかと思います。戦後日本をつくってきたのは、民間産業や名も無き挑戦者たちの力であって、決して国家的リーダーが現れて引っ張っていったわけではありません。
平 松 私が最も印象的だったのは、襟裳岬の話です。昆布漁師の飯田常雄さんの「山が荒れれば海が荒れる」という言葉はそのとおりです。山は海の恋人なのです。ですから大分でも昨年、久住町で行った「豊かな国の森づくり大会」には、蒲江町や米水津村の漁協婦人部のみなさんも木を植えに参加しました。
今 井 襟裳岬のテーマをディレクターが提案してきた時は、「地味だ」と、私の方が否定的だったのです。ところが、現地に行って調べてみると、漁師の皆さんが砂漠化した土地を四十年間かけて緑化し、海を蘇らせ昆布の浜を取り戻したという知られざるドラマがあったのです。実は、知事がおっしゃった森と海のサイクルを理解している人はすごく少ないのです。
平 松 襟裳の漁師はそれを早くから知っていた。森に生まれ変わった時のお祝いに、漁師の方たちが「襟裳の春は、世界一の春です」と替え歌を歌ったそうですね。
今 井 現場の人々の知恵やものすごい意識が、崩壊しかけていた地域をもう一度蘇らせました。世界にも例のない壮大な快挙を成し遂げ、世界一の春を迎えたわけです。
平 松 三原島の噴火の時に全島民を一晩で避難させた助役さんの話にも関心させられました。
今 井 当時の大島町助役・秋田壽さんに、なぜああいう指揮が執れたのかと聞くと、「三十数年間こつこつやってきたから出来たんだ」とおっしゃいました。役場に入って担当した衛生、福祉、土木などの様々な仕事の積み重ねがあったので、火山弾が飛び交っている中で、「どこの家にお年寄りがいる」「あの道路は狭い」「どう連絡体制を取ればいい」ということが瞬時に判断できたのです。地域に生きるリーダーの果たすべき役割が見えた作品だったと思います。
平 松 襟裳岬の漁師の方もそうですが、「地域を愛する心」がそれを可能にさせたわけですね。
今 井 プロジェクトリーダーとしての資質があらゆる場面で出るということも、番組を制作していて学んだことのひとつです。ロータリーエンジン研究の山本健一さんは、「部下がついてくるかどうかは、リーダーが苦しんだ量に比例する」と述べられています。
平 松 あの言葉も名言だと思います。
今 井 山本さんのようなリーダーは、自分が益を取ろうとはしません。たとえ小さくても部下に必ず成功体験をさせます。それがいずれプロジェクト全体の成功として戻ってきます。優れたリーダーたちは必ずそういう戦い方をしています。


プロジェクト「日本」のカギ
平 松 欧米型の経営理念やインターネットの広がりなどにより、効率性に重きが置かれる時代になりました。その一方で、日本人は、努力することの大切さを徐々に忘れかけているような気がします。
 シドニー五輪の女子ソフトボール監督の宇津木妙子さんが言った「練習は裏切らない。必ず結果は出る」という言葉も、『プロジェクトX』から発信された貴重なメッセージだと思います。
今 井 社会人スポーツの中でも、女子ソフトは長い間日陰の存在でした。多くの会社で真っ先にリストラの対象になりました。宇津木さんには、自分たちが社会人スポーツを背負っているという使命感があるのです。シドニー五輪で銀メダルを取った後に宇津木さんは選手たちに、「浮かれるな、スターになるな」と言いました。「練習して負けないようにならないといけない。そのために努力を決して怠るな」と彼女は伝えたわけです。
平 松 奈良の薬師寺を復元した宮大工の西岡常一さんの話で驚いたのは、歳月の重みで屋根の反りが落ちることを計算して、千年後に設計通りになるように、屋根を支える部分を設計より余分に数センチ高く組んだという点です。千年後を見通す技術の力、名匠の器量とは、大変なものだと思いました。
 ドイツではマイスターと呼ばれていますが、日本では今、技能を受け継ぐ人が少なくなっています。大分県では、「豊の匠塾」や「豊のマイスター」認定制度というものを作って、若手の技能士を育成していくことにしています。
今 井 それはいいことですね。西岡さんが面白いのは、彼はまれな教養人であったという点です。書、歌、草花の生育にもすごく詳しい方でした。普通なら建築関係の学校に進むところを、西岡さんのおじいさんが農学校に行かせたんです。そこで作物を育てる三年間を過ごしました。そこで、木、特に檜が生きること、死ぬことについて考え抜いたわけです。それが、彼のリーダー観にも結び付いていきました。そういう意味で自然と近いところにいた宮大工と言えるのではないでしょうか。
平 松 これからの『プロジェクトX』はどう発展していくのでしょうか。
今 井 教育をテーマにしたものをやりたいという気持ちがあります。未来につなげるという意味を含めて、教育関係をどれだけやれるかということが一つの勝負だと思っています。
平 松 青少年の健全育成は重要な課題ですから、ぜひ、実現してほしいですね。
今 井 もう一つは、地域に密着した話題です。全国の地域に時々出かけますが、商店街などを見るにつけ、地方都市の悲鳴が随分聞こえてきます。たとえ地味でもきちんとやっていこうと思い、最近は分量を増やしています。
平 松 東京一極集中の裏で、地方は疲弊して過疎で苦しんでいますから、このテーマもお願いしたいです
今 井 今は、アメリカと日本のコンピューター産業のことを色々と調べています。そうしたら偶然、昭和三十年代半ばに平松知事が当時通産省で、コンピューターの国産化プロジェクトに関わり、ご活躍されていたということを知りました。
今井
自分や自分の親の人生を重ね合わせ、
「日本人というのは捨てたもんじゃないんだ」
という気持ちになるからではないかと思います。
平松
『プロジェクトX』は我々に、
「こういう人々が日本にいた」ということを思い起こさせ、
勇気と希望を与えてくれます。
平 松 あのころ、コンピューターの国産化に踏み出すか、それとも自由化によって輸入品に頼るか業界が迷っていた中で、私は日本の産業の将来を考え、技術者たちの国産機開発を必死で支えました。
村 上 あの時期に一歩譲っていたら、今の日本のコンピューター産業は成立していなかったでしょう。ものすごく熱い、骨のある官僚たちがいた時代ですね。
平 松 この話が「プロジェクトX」で番組になれば、プロジェクトで一緒に戦った部下たちも喜ぶと思います。番組のテーマ「思いは、かなう」の気持ちを抱いて、これからもお互いに頑張りましょう。

 

今井 彰(いまいあきら) 
1956年生まれ(46歳)佐伯市出身
1980年NHK入局。NHK教養番組部ディレクター、チーフプロデュー サーを経て、現在NHK社会情報番組部チーフプロデューサー。
NHKスペシャル「タイス少佐の証言〜湾岸戦争45日間の記録〜」で文化 庁芸術作品賞、NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」で日本ジャーナリズ ム会議本賞、放送文化基金奨励賞、「シリーズ弁護士・中坊公平」でギャラク
シー優秀賞を受賞。その後も「史上最大の不良債権回収」「アジアの従軍慰 安婦」「オウムが来た町」など、社会派ドキュメンタリーの旗手と呼ばれる。
2000年3月から、「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」(NHK総合・火曜日
午後9時15分放送)のチーフプロデューサー。
同番組は、第9回橋田賞、放送文化基金グループ部門賞、ATP特別賞、第49 回菊池寛賞などを受賞。


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