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WBA王者・坂田健史さん、チャンプの原点語る…広島・安芸郡府中町出身

故郷・広島の思い出を語るWBA世界フライ級王者の坂田健史さん(後方の写真は協栄ジムの先代会長・金平正紀さん)

 広島県安芸郡府中町出身のプロボクシングWBA世界フライ級王者・坂田健史さん(28)=協栄=が、チャンプの原点を語った。大みそかに地元・広島で5度目の防衛戦を行う王者は、高校のボクシング部を3か月で退部。パンク系バンドに熱中する意外な青春時代があった。それでも夢を捨て切れず、高校2年の秋、当時府中町にあった竹原ジムに通い始め、ロードワークコースは自宅から広島駅までの約10キロ。今は広島新球場が建設される貨物ヤード跡地の懐かしい風景を思い起こした。

 あこがれていたのはマイク・タイソン、それから辰吉(丈一郎)さんや鬼塚(勝也)さん。高校で絶対ボクシング部に入ろうと思って、山陽高校を選んだんですが、3か月でやめました。かっこいいだけの理想像を描いていて、実際の練習は苦しいことばかり。一番の理由は、友達と遊びたかった。練習漬けだと翌日に友達と話が合わないじゃないですか。意外ですか? やめた瞬間は後悔はなかったですね。

 当時はバンドブーム。周りもみんなバンドをやっていて、僕はパンク系の4人組でボーカルをやっていました。文化祭とか卒業の時に歌うほかに、広島市内のライブハウスでもやっていましたよ。多い時は月に1、2回くらい。パンク系ファッションで、髪は金髪にしたこともありましたね。

 でも、バンドをやりながらも「もう一度ボクシングをやりたい」という気持ちが日に日に積もっていました。バンド仲間や先輩が「頑張れよ」と言ってくれたのも大きかった。自宅から近かった竹原ジムに通い始めたのは高校2年の秋。きつい練習だったんですけど「次こそはやり抜こう」と。バンド活動も卒業まで続けました。朝までライブの打ち上げで遊んだ後、「走ってくるわ」と言ってロードワークに行くこともありましたね。

 今回、念願かなって広島で防衛戦をやることになりました。当時走っていた時に見ていた風景は、思い出深いですね。自宅があった向洋(むかいなだ)駅から広島駅を回って帰ってくる道で、10キロ以上あった。今は広島新球場が建設されている場所が空き地で、貨物ヤードに貨物列車が並んでいて…。その風景が、映画「ロッキー」の景色とだぶって、すごくいい感じだったんです。

 バンドメンバーには、僕が走りに行く朝まで付き合ってもらったりもしていました。だからチャンピオンになった今でもその当時の話をしますよ。「あの時、頑張っていたな」と。最初にボクシング部をやめた時の僕は、いつもつらいことやしんどいことから逃げ出していた。でも、バンドもボクシングも「やり抜こう」と決めてからは変わっていった気がします。

 父は僕が高校のボクシング部をやめたことをしばらくしてから知って、がっかりしていたと思います。昔から約束を破ったり、家族を裏切ったりしていた。でも、今年8月、V4戦の祝勝会の席で父が協栄ジムのトレーナーに「広島にいた頃とは別人になっている。一体どんなしつけをしたんですか」と聞いていたんですよね。それで、あらためて自分自身も「ボクシングをしてから変わったんだな」と思いました。

 卒業後に移籍した東京の協栄ジムでは、先代の金平正紀会長(故人、広島市出身)が18歳の練習生の僕に「お前は絶対にチャンピオンになれるから、頑張れ」と声をかけてくれた。うれしくて、練習を頑張るようになり、いつのまにか僕の中から物事に対して「あきらめる」「面倒くさい」というのが減ってきました。責任感が出てきたんです。広島での世界戦は、育ててもらった人たちへの恩返し。盛り上げて、いい勝ち方をして、元日に護国神社に初詣でに行きたいですね。

 ◆坂田健史(さかた・たけふみ)1980年1月29日、広島県安芸郡府中町生まれ。28歳。山陽高卒業後、東京・協栄ジムに入門、98年12月プロデビュー。2001年4月、03年4月に日本王座を獲得し、通算5度防衛。07年3月に世界王座4度目の挑戦でパーラを下し王者に。豊富なスタミナと連打を武器とする163センチの右ボクサーファイター。戦績は、33勝(15KO)4敗2分け。家族は妻・志江(ゆきえ)さん。

 ◆安芸郡府中町 自動車メーカーのマツダの本社がある企業城下町として知られる。広島市に周囲を囲まれており、面積10.45平方キロに対して人口51861人(08年)と日本の町の中で最も人口密度が高い。江戸時代の府中村とほぼ同じ区域のまま1889年(明治22年)の市町村制施行により府中村となり、以後町村合併の歴史もなく、37年(昭和12年)には町制を施行した。出身の著名人は巨人・西村健太朗、ミュージシャンの吉川晃司、俳優の宇梶剛士ら。

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(2008年11月30日11時09分  スポーツ報知)

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