November 30, 2008

うっかり…やっべ

ああ…大ポカをやっちまった…。
いま会社のウエブサイトで確認したら
明日のトレードが入っていない。
だから休みでダラスに1日だけ帰るつもりがオジャン。
ケアレスミスというか、参った…。
働くのはいいんだけど、元のままだから8時間。
やんなっちゃう。いやぁ参った。

家族でチャイナタウンに行ってチャイニーズ料理でも食べようと
息子が言ってたのに。

ま、神様がもっと働けと言ってるんでしょ。
YES。働きます。それにしても…。

ん?そういえば…

関川哲夫というおっさんがいた。
これはフランク井上氏が書いちゃったけど、
いつも「ミソパン」だったらしい。

で、その件は「らしい」としか書けないけど、
彼はとっても泣き虫だ。まるで子供のように
涙を流してボロボロ泣く。

桜田さんにプエルトリコで食らわされた時も
ボロボロ子供のように泣いた。

私の前でいきなり泣き出したこともある。
あれはテキサス州サンアントニオ。1983年の秋。

「俺は柔道あがりでセメントも強い」と
胸を張っていたミスター・ポーゴ。
確かサンアントンではブラックニンジャだったか
その辺の記憶は薄いが、ジョー・ブランチャードの
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング。

そのテリトリーに入ってきたポーゴは、
「俺様は強いんだい」ってな感じで胸を張っていた。

カチンときたのはブルーザー・ボブ・スウィータン。
ロートルレスラーだったがガッチリとした体格を
誇っていた。

どんなに強がっていても100キロのベンチプレスでヒーヒー
いっていた元中央大学の猛者。スウィータンの
ガチンコ・ジャンピング・パイルドライバーを食らって
シオシオのパー。

2ヶ月近くも欠場というか試合も干された。
何度か私に借金を申し込んできた。
500ドルぐらいは貸したけど、当時の私は学生をやりながらバイト的に
通信員をやっていただけだから、月収で2000〜3000ドル。
そんなに大金は貸せない。

借金を断った夜、関川のオッサンは「八千代ちゃん」に電話した。

八千代ちゃんとは当時の関川夫人。離婚はしていなかったが、
愛想尽かして日本に帰ってしまい別居状態だった。

安達さん(ミスター・ヒト)の形容だと、この八千代ちゃんは
「ぶっとばし漫才」の誰やらに似てるんだそうな。
身長140センチあるかないかの小柄な人だった。
(続く)

開運!珊瑚のうんこちゃんストラップ
開運!珊瑚のうんこちゃんストラップ


jimmysuzukiusa at 16:18 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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