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今度は鈴木宗男(代議士) VS 千代の富士(現九重親方)が取っ組み合い!

軍配は元横綱!
故中川一郎氏からの後援会をめぐる「積年の確執」が火を噴いた!

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まったく話題に事欠かない人物である。
「ムネオハウス」疑惑に「白い粉」騒動。外相との対決に続き、
そして、今度は元横綱・千代の富士(現九重親方)との
大ゲンカが明らかになった。
鈴木宗男代議士−−−もはや”ニッポン一の悪役”だ。
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「鈴木を支援するとはけしからん」
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 それにしてもこの人、嫌われるだけ嫌われたものである。なんと、今度は、《白い粉》が届けられた。
 衆院第一議員会館2階の鈴木宗男事務所に、<自民小泉支援協議会>を差出人とする<鈴木宗男先生>宛の封者が届いたのは去る2月13日、バレンタインデー前日のことだった。

 秘書が、その封書を開けると、中には長さほ15aほどの針金2本とともに、白い粉が数c入っていた。
 秘書はすぐさま麹町警察署に届けたが、「鈴木事務所に白い粉」情報は一気に永田町に広まり、議員会館は一時、騒然とした雰囲気に包まれたのである。

「いたずらだとは思ったものの、鈴木氏の場合、ロシアや中東、アフリカ諸国のODA(政府開発援助)に深く関与している。発展途上国では日本からの援助金に様々な利権が絡むのが常で、あるいは本物の白い粉か、と気味悪い思いをした」

 とは、鈴木氏と同じ第一議員会館に事務所を持つ民主党議員の話である。
 粉の正体は単なる洗剤で、炭疽菌ではなかったが、鈴木事務所関係者は、

「こうまでバッシングが続くと、ほとほと参ってしまう」

 と、頭をかくのである。
 いくら「日本一の悪役」でも「白い粉」を送るとはシャレにもならず、卑劣な行為でこれは許し難いが、田中真紀子前外相更迭劇の一方の主役となって以後、鈴木氏の元には誹謗中傷のたぐいも含め、電話や手紙、ファックスによる批判の声が山と届いているのは事実だ。
 そんな中でもとくに鈴木氏と事務所が頭を抱えているのが、国民栄誉賞横網・千代の富士(現九重親方)との”ガチンコ対決”なのだった。

 騒動は鈴木氏のホームページ(HP)に、九重部屋のHPがリンクされていたことから始まった。「真紀子前外相が国会で、アフガン支援復興会議へのNGO出席拒否問題に、鈴木氏の関与を認めて以後、鈴木氏のHPへのアクセスが急増。鈴木氏への批判メールが多数送られたが、HPで”支援者”として紹介されている北海道出身の有名歌手やリンク先に対しても、『鈴木を支援するとはけしからん』といったメールが送られ始めた」(政界関係者)
 鈴木事務所と近い自民党の秘書が語る。

「実は、そうしたリンク先のひとつとして、九重部屋のHPが紹介されていた。そこで、『千代の富士は鈴木を応援しているのか』というメールが九重部屋にわんさか届いた。ところが、鈴木氏と九重部屋は現在、没交渉。怒り心頭の九重部屋が鈴木事務所に猛抗議した」

 その結果、鈴木氏側は1月末にHP上に<お詫び>の一文を掲載したのである。

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「九重部屋じゃない八角部屋だ」
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 騒動の発端となった鈴木氏のHPを見る。
『衆議院議員 鈴木宗男』と題された公式HPの冒頭は、『馬一頭の原風景』と題するページ。上京して拓殖大学政経学部に入学する際、貧しい父がなけなしの馬を売って学費を工面してくれたエピソードを紹介しているが、浪花節調にいささか鼻白む。

 そして、「鈴木宗男が日頃お世話になっている方や、支援者の方などのホームページヘリンクしています」という『鈴木宗男の繋がり』と題されたリンク集のページに、<お詫び>はあった。こうである。

<九重部屋のホームページとリンクされておりましたが、こちらの間違いで八角部屋を支援しており、九重部屋とは関係ありません。九重部屋関係者の皆様にご迷惑をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。鈴木宗男事務所>

 一方の九重部屋の公式HP。アクセスすると、突然、以下の一文が現われた。

<事務局よりご連絡 鈴木宗男氏との関係について
 最近『九重部屋掲示板』で鈴木宗男氏との関係を指摘されました。九重部屋と鈴木宗男氏とは一切繋がりも関係もありません。ご安心下さい。

 事務局が調査した結果、むしろ、鈴木氏が支援されているのは『八角部屋』です。九重部屋、及び事務局の了解もなしに勝手に掲載され、大変迷惑をしている状況です>

<心から九重部屋を応援していただいているファンの方には大変ご迷惑をおかけしております。今後このような事がごぎいましたら、事務局までメールを項ければ幸いです。 九重部屋後援会事務局>

「一切繋がりも関係もありません」という部分をわぎわぎ太字にしていることからも、この時期、鈴木氏とのつながりを”えん罪”だと否定する九重部屋側の必死さが見てとれるが、そりゃ、そうでしょ。鈴木事務所ではHPの担当者だという秘書が、恐縮しきった声でこう対応した。

「私は相撲のことはよくわからなくて、勘違いしてHPで九重部屋とリンクさせてしまったんです。今の九重部屋は先代(元横綱・北の富士)の部屋ではなく、今の八角部屋が、先代の流れを汲(ク)むそうなんです。私のミスで関係各所に迷惑をおかけしてしまったということです。うちのHPには”バカ”だの”死ね”だのという書き込みがあるんですが、それと同じようなのが(九重部屋のHPにも)あるということなんだと思います」

 それではと、九重部屋の後援会事務局に確認してみると、こちらは”腹の虫が収まらない”といった様子。

「あちらのHPを見た会員やファンの方から、うちのHPに”鈴木宗男さんと関係があるなら(九重部屋を)応援をしたくない”という書き込みがあったんです。私どもは故・中川一郎先生にはお世話になっていたんですが、秘書だった鈴木宗男さんとは関係がないんですよ。時期が時期なものですから、こちらとリンクしているのはちょっと……。関係ないのに、なぜリンクされるのかと抗議することになったんです」

 もう一方の八角部屋に聞くと、留守番と名乗る男性は、

「鈴木宗男先生は、間違いなくウチの後援会会長です。でも、最近は打ち上げパーティでもお顔を拝見しません」

 と答えるのだった。

 実はこの話、単なるネット上のケンカ、ではなく、九重部屋の歴史を遡ると、鈴木氏を巻き込んだ角界独特の確執が背景にあるのだ。

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「宗男VS昭一」の土俵代理戦争
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 九重部屋は、先々代の九重親方(元横綱・千代の山)が独立して開いた部屋で、高砂一門に連なっている。その高砂一門の関係者はこういう。

「そもそもの始まりは、故・中川一郎氏が北海道旭川出身の先代の九重親方(元横網・北の富士=現在は廃業しNHK相撲解説者)の後援会長をしていたこと。中川氏が自殺した後の地盤を引き継いだのが、息子の中川昭一氏と秘書の鈴木宗男氏だった。ともに昭和58年の総選挙で初当選した2人ですが、当時、同じ北海道5区の選挙区出身の有望力士が2人いたんですよ。広尾出身の北勝海(元横網。現八角親方)と、十勝出身の大乃国(元横綱・現芝田山親方)。九重部屋の後援会も、鈴木氏は故・中川氏から引き継ぎ、北勝海の応援に回り、昭一氏は対抗上、大乃国を応援。土俵上の代理戦争になったといわれたもんです」

 以降、鈴木氏は九重部屋後援会長として君臨してきたが、肝心の部屋が分裂することになってしまったのだ。
 92年4月に先代の九重親方(北の富士)が、当時陣幕親方だった千代の富士と名跡交換をして部屋を継承。自分は相撲協会の理事職の仕事に専念するつもりだった。

「そのころ、北の富士は協会のナンバー3といわれ、初代の広報部長を務めるなど、いずれは理事長の目もあった。ところが、千代の富士に部屋を譲った後は2人の仲はしっくり行かず、北の富士は北勝海を引退させ、八角親方の名跡を入手させ、93年9月に八角部屋を創設したんです」(地元紙記者)

 八角部屋は北の富士名義の旧九重部屋のビルを使い、八角親方はいまだに自分の部屋へ通勤している状態。このビルの階上に住んでいるのはもちろん、北の富士である。

 部屋の独立と同時に、鈴木氏も自動的に「八角部屋後援会長」に鞍替え。九重との関係はぷっつり途切れた。

「以来、千代の富士は宗男さんを、顔も見たくないほど嫌うようになった」(前出の高砂一門関係者)

 さらに、3年前に行なわれた相撲協会の理事選が、北の富士と千代の富士師弟の関係を決定的にした。

「一門ごとに2人を選出する理事に、北の富士が再選されなかったのは、千代の富士が師匠を裏切って投票しなかったからといわれています。当時、角界では”千代の富士の大陰謀”とさえいわれました。やる気をなくした北の富士は、その後、廃業届を出してあっさりと親方を辞めてしまいました」(前出の地元紙記者)

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横網を利用して陣笠を脱却
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 そもそも、鈴木氏が現在のように中央政界で「大物」として君臨するまでの過程で、角界との深い関わりを利用したという指摘もある。

「千代の富士が前人未到の53連勝を達成するなど、破竹の活躍を続けていた頃、既に鈴木氏は故中川一邸氏の後を引き継ぐ形で、名誉後援会長に収まっていた。平成元年に千代の富士が海部首相から国民栄誉賞を受賞した時、鈴木氏は、まだ政治家としては駆け出しの防衛政務次官だった。
 しかし、その年の年末に都内のホテルで行なわれた受賞祝賀パーティでも、鈴木氏は海部首相の代理として記念の盾を贈り、臆面もなく”恩師・中川一郎先生も喜んでくれていると思います”と語るなど、相撲の政治利用が目立ち始めた」(前出の地元紙記者)

 当時、国民的人気を一身に集めた千代の富士である。彼が現われる所には、必ず鈴木氏の姿があったという。

「本場所中も千秋楽が近付き千代の富士の優勝が濃厚になると、朝稽古に顔を出してテレビカメラに映り込んだり、支度部屋での万歳シーンはもちろん、優勝パレードでもオープンカーに同乗して、顔を売ってました。圧巻だったのは、平成3年5月場所の引退発表。鈴木氏は早朝から千代の富士に伴い、引退会見にまで同席していましたね」(相撲担当記者)

 先にも紹介した北勝海は、故中川一郎氏と同じ広尾町出身だった。地元では柔道少年として知られていた北勝海が番付を上っていくに従い、鈴木氏と千代の富士との間に隙間風が吹き始めた。

「現役を引退した千代の富士は、師匠の北の富士と袂を分かって独立したが、実はこれは鈴木氏にとってもっけの幸いだった。千代の富士は北海道出身でも福島町出身で鈴木氏の選挙区ではない。その点、弟弟子だった北勝海の出身地・広尾町は、中選挙区制時代は鈴木氏の選挙区でもあった。当時、そろそろ先が見えてきた千代の富士と、日の出の勢いの北勝海、鈴木氏はまんまと乗り替えたわけです。それ以来、北勝海の個人後援会の会長に就任し、総選挙の第一声には、必ず北勝海が有名歌手と一緒に左右を固めて応援演説をするようになりましたね。また、防衛族として、硫黄島の自衛隊の基地に慰問といって北勝海を独断で自衛隊機に乗せて連れていったことが物議を醸したこともありました」(前出の地元紙記者)

 そして、北勝海と大乃国の一番は、鈴木氏と中川昭一氏の骨肉の争いの代理戦争となり、より白熱したというのだから、鈴木氏と角界の因縁を感じないわけにはいかない。
 今回、ネット上のお詫びの裏には、かくも凄まじき両者の因縁があったのである。

週刊ポスト 2002年3月1日号 (C) 小学館