2008-11-26
■事実と虚構、日記を読んで思ったこと
小学生の頃の友達が、あれぐらいの年頃にはありがちなのかもしれないけど、よく嘘をつく子で、学校で告白されたとか他愛もない嘘から、おじいさまの家がお城だとか、いったい誰が得をするのか分からない嘘まで、会うたびに新しい作り話をしていました。
初めのうちはみんな「そうなんだー」と感心して聞いてたのですが、たくさん嘘を積み重ねていくうちに、辻褄が合わなくなってきて、敏感な年頃ですから「あの子ちょっと変じゃない?」とか言いながら離れていって、わたしも他に趣味の合う友達ができたこともあって、彼女に邪険にするようになりました。大人になった今なら「(そんな嘘をつかなくたって)大丈夫だよ、あなたの話を聞くよ」と言ってあげられるのかもしれないけど、子どもの世界は残酷です。
現実は生きにくい。
わたしは精神を病んで現実の認識ができなくなって久しいですが、普通の人でも一時的に「現実逃避」することはあるでしょう。普通の人と嘘つきな彼女との違いは、虚構の世界を自分の胸に秘めておくか、他人と共有するかの違いだけじゃないかと思います。
たとえば、わたしが別名義で書いていることは事実です。でも同時にフィクションでもあります。好きなこと・楽しかったことは写真つきで書く、傷つけられたり不愉快な思いをしたことはあまり書かない。日記の中でわたしはサブカル好きで外出好きでちょっと鈍感な物欲乙女(乙女とか気恥ずかしいですが、奥歯さんに倣って)です。日記を読み返すうちに、わたしは楽しい出来事だけ追体験して、嫌な出来事は忘れていきます。読者の中でも、日記が更新されるたびにN像が確立されていったようです。
こうして事実と虚構の境界ははてしなくあいまいになり、フィクションのほうが力を持ちます。しかし、その物語はもともと彼女の見ている夢なのです。他人に事実関係を暴き立てて、彼女の築いた世界を壊す権利はあるのでしょうか。彼女が「これはノンフィクションです」と宣言し、わたしたちがそれを信じるかぎり、物語は事実として有効であり続けるのではないでしょうか。
…ということをある方の日記を見ていて思いました。
2008-11-22
■子どもこわくない
山手線の座席に座っていたら、私立の小学生が3人乗ってきて、一緒に座りたそうだったので、席を代わってあげたら、「ありがとうございます!」「どうもありがとうございます!」とかわるがわるお礼を言われた。礼儀正しくて可愛かった。
10代の頃は本当に子どもが苦手で、ホームパーティーで外国人の子どもの相手をしなければならない時とか、うわああああという感じでした。西岡兄妹のモノローグを引用すると、
人は生まれてきて幸せになることなど
決してないのに
親はそのことを身をもって知っているのに
それでも子供をつくるなんてことは
ぼくは思う
(中略)
どうして子供は生まれてくるのか
生まれてきたのはしょうがないにしても
どうして自殺しようとしないのか生きていたってしょうがないのに子供をつくるだけな
のに子供に
には良識がないからだね良識
って世の中はいつまでたっても良くなら
ないわけで
でもはたちを過ぎて、身内に子どもが生まれたりして、よその子も自然に可愛いと思えるようになりました。だから、いま子どもが嫌いな人も、あまり思いつめないほうがいいと思います。
2008-11-21
■太宰治のラブレター
拝復 いつも思ってゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思ってゐました。正直に言はうと思ひます。
お母さんが無くなったそうで、お苦しい事と存じます。
いま日本で、仕合せな人は、誰もありませんが、でも、もう少し、何かなつかしい事が無いものかしら。私は二度罹災といふものを體験しました。三鷹はバクダンで、私は首までうまりました。それから甲府へ行ったら、こんどは焼けました。
青森は寒くて、それに、何だかイヤに窮屈で、困ってゐます。戀愛でも仕様かと思って、或る人を、ひそかに思ってゐたら、十日ばかり經つうちに、ちっとも戀ひしくなくなって困りました。
旅行の出来ないのは、いちばん困ります。
僕はタバコを一万円近く買って、一文無しになりました。一ばんおいしいタバコを十個だけ、けふ、押入れの棚にかくしました。
一ばんいいひととして、ひっそり命がけで生きてゐて下さい。
コイシイ
太宰治が『斜陽』の主人公のモデルにもなった、太田静子という女性に宛てて書いたラブレターです。寒い季節に読むとぐっときませんか?
(旧字体に直しました。(1:30))
■傷心…
今日は楽しみにしていた集まりがあって、髪もメイクもばっちり決めて出かけたのですが、あまり愉快な会じゃなかったので("turned out to be. . . "ってやつです)、早めに切り上げてきました。池袋駅に着いて、何か甘いものが食べたくなったので、「ハーゲンダッツのアイスにしようか、カフェ・デュ・モンドのベニエとチコリ入りのカフェオレにしようか、エディアール(のクレープと紅茶)はもう閉まっちゃったし…」と逡巡していたら、丸の内線の中で見かけた男性に声をかけられました。話しぶりが父の知り合いのようだったので、何かの集まりで紹介されたのだろうと思い、「晩御飯がまだだったらご一緒しませんか」と言われて、「今日はなんだか輝いてますね」「化粧品のせいでしょうか」「いやいや」とか話しながら着いていったのですが、最後に「ホテル行きませんか?」と言われて、さすがに間違いに気がついて引き返してきました。
帰りのバスの中で見かけた、横顔にあどけなさの残る男性は、同じ停留所で可愛らしい彼女と連れ立って降りていきました。わたしは失恋記録を更新しました。丸の内線のあの男性は今ごろ「俺もまだまだ」とか思っているのでしょう。先生は郊外のアパルトマンで文芸誌の原稿でも書いていらっしゃるのでしょうか。
何はともあれ、金曜の夜です。皆さんが幸せでありますように…。
2008-11-20
■加藤ゑみ子『お嬢さまことば速修講座』
こんばんは。今夜は加藤ゑみ子さんの『お嬢さまことば速修講座』という本をご紹介します。わたしは数年前に初版を古本で入手しましたが、その後版を重ねて、現在は新装版が手に入るようです。
- 作者: 加藤ゑみ子
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2000/12/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
(わたしには一銭も入りませんので、安心して飛んでください)
雑誌やテレビで紹介されたそうなのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、インテリアデザイナーの加藤ゑみ子さんが一般にお嬢さまと呼ばれる人たち*1のことばを分析し、実践を第一に、簡単で使用頻度の高い順に紹介している本です。本文がお嬢さまことばで書かれているので、読んでいるうちについ移ってしまいます。…と書くと本気にしてはげむ方がいるかもしれないので断っておきますが、あくまでパロディ本です。
面白いところをいくつかご紹介します。
お嬢さまをめざすあなたさまに、最初にお慣れになっていただくよう、お勧め申し上げるのが、この「恐れ入ります」。どのようなときにも、おつかいになれる重宝なことばでございます。たとえばあなたさまが、ふだん「どうも」とか「すみません」をつかわれる場面で、代わって、おつかいになることができます。
(略)
以前、高貴なお生まれとお噂の華道家の方とごいっしょさせていただいたことがございましたが、見事なまでに、この表現をつかいこなしていらして、「恐れ入ります」以外におつかいになられたことばを思い出すことができないほど、印象的でございました。
おかしいでしょう?
Q&Aがまたふるっているのです。
お店の方には目で合図するとのことですが、ファミリーレストランやラーメン屋さんでは、どうしましょうか?
という問いに対しての答えはこうです。
お嬢さまは、そのようなお店にはまいりません。
と申したいところですが、そのように言い切れませんのが、現代のお嬢さまでございましょう。この場合には、いくつかの方法が考えられます。まず、たとえ、ファミリーレストランのような大衆的なお店でも、のろのろしていては永久に注文をとっていただけないようなラーメン屋さんでも、あくまでも、お店の方と視線がお合いになるまで、お待ちになることです。
(略)
もうひとつは、お連れの方に、おっしゃっていただく方法でございます。お嬢さまは、レストランであれ、ファミリーレストランであれ、ラーメン屋さんであれ、決して、おひとりでは行かないものでございます。必ず、お連れの方がいらっしゃるはずです。そして、ファミリーレストランやラーメン屋さんに行かざるを得ない場合というのは、相手の方のご意向があってのことでございましょうから、その方が「すみませ〜ん」と大きな声をお出しになって、あなたさまのために、お店の方を呼んでくださるのをお待ちになればよろしいのです。それがお嬢さまというものでございます。
(略)
もし、あなたさまが、お嬢さまではなく、ニューヨークのキャリアウーマンのように有能な女性らしくお見せになりたいのでしたら、ここでお教えしましたのと、まったく逆のことをなさればよろしいでしょう。すなわち、お話は、早口で、簡潔に、結論から。反応は、素早く、断定的に、特に、否定は明確に。
ふだんは、お嬢さまことばで、ゆっくりとお話しになる方が、お電話で抗議なさっているのをお聞きする機会がございました。彼女は、それまで彼女の口からは、お聞きしたことのなかったようなきっぱりとした口調で、いつもの二倍ほどの速さで、お叱りになっていました。
「名詞や形容詞に「お」や「ご」をつけるだけでお嬢さまらしくなる」というルールを紹介したあとの質問。
コーヒーではなく、お紅茶を召し上がるのが、お嬢さまでございます。お嬢さまは、レストランやティールーム、ご訪問先で、必ずお紅茶を召し上がります。「何になさいますか?」と聞かれて、「お紅茶」とは言えても、「おコーヒー」とは言えないからでございます。もし、あなたさまが、お紅茶をお好きでない場合は、お嬢さまを装いますのは、おあきらめになったほうがよろしいでしょう。
なお、外来語の中にも、「おビール」のように、「お」のなじみやすいものもございますが、この場合、お嬢さまというより、「夜のお嬢さま」という雰囲気が漂います。第一、お嬢さまは、ビールではなく、ワインかシャンパンを召し上がるものでございます。
先に「この本はパロディ本である」と言いましたが、嘘ばかり書いてあるというわけでもありません。お嬢さまことばを使わないわたしも普段気をつけていることがあったので、それを引用します。(最後はやはりおふざけですが)
お嬢さまことばを上手につかう第三の心得は、「お嬢さまことばにふさわしい話題を選ぶ」ということでござます。(原文ママ)
お嬢さまことばに似合うのは、音楽や映画、バレエ、演劇、お能、オペラなどの演劇の話題、お料理やファッション、インテリア、スポーツ、旅行などの生活文化の話題でございます。
逆に、似合わないのが、悪口や批判、露わな感情表現、お相手のプライバシーに立ち入ったお話やご自分の打ち明け話などでございます。それらのお話をなさりたいときは、お嬢さまことばを一時中断なさるおつもりでいらしてくださいませ。(実際、お嬢さまと呼ばれる方々も巧みにおつかい分けになっているように見受けられます。)
完全に余談ですが、大学生の頃、日雇いの封筒の糊付けのアルバイトをしたのですが、新しく入ったアルバイトのお嬢さんに仕事の手順を教えてあげたところ、お礼と「こちらにはよくいらっしゃいますの?」という可愛らしい質問が返ってきました。下町の埃っぽい工場と、本格的なお嬢さまことばとのギャップが印象的で、数年経った今でもよく覚えています。「ほんとうのお嬢さま」の社会勉強だったのでしょうか?それともこの本をお読みになった「インスタントお嬢さま」だったのでしょうか?(わたしはどうしてそんなアルバイトをしていたのか?それはご想像におまかせします)
学生の方は、これから就職活動などフォーマルな場に出る機会も多いかと思います。この機会に敬語に磨きをかけてみてはいかがでしょうか?しかし(この本にも書かれていますが)入社してからもお嬢さまキャラを貫くと、上司の方に気のきかないヤツだと思われる危険性がありますから、四月イッピをもってキャラクターチェンジする潔さも必要でしょうが…。
■"What's in a name? That which we call a rose By any other name would smell as sweet."
青山フラワーマーケットでバラがたくさん出ていたので少し買ってみました。
カップ咲きのバラはとても好きです。
食卓にバラが一輪だけ活けてあるのも好きです。テーブルに生花を活けているレストランは例外なく美味しい気がします。
AMERICAN RAG CIEで買った紫のグラスに活けました。このフランス製のグラスはどの花とも相性がいいので良い買い物をしたなあと思っています。
レジを通したあとでトゥルーズ・ロートレックを発見しました。次はロートレックにしよう…!
青山フラワーマーケットは大好きなのですが、一本一本が小ぶりなので生け花にはあまり向きません。定番の花や季節の花であれば、近所の信頼できる花屋さんのほうが良いものを置いていると思います。ただ青山マーケットは珍しい花が手軽に手に入るので、用途によって使い分けています。店舗によって扱っている植物が違うのも面白いですね。
来月はお正月の花も活けなければいけません。お正月休みは毎年帰省するので、東京の家から花材を持っていったり(いつかは特大のカサブランカで痛まないかひやひやしました)、祖父母の家で活けてあるものを許可を得て手直ししたりするのですが、1週間に何度も活けられるのはこの時期だけなのでわくわくします。お正月花の名脇役といえば南天ですが、母方の祖母の家の庭には立派な南天の木があるんですよ。買ったものと違ってぼろぼろ落ちてくるので活けにくいですが、昔の人はきっとこうして庭から切ったものを活けていたんだろうなあと昔に思いを馳せるのも楽しいものです。