November 28, 2008

ターザン山本氏のJ鶴田論に関して

今日はサンクスギビング。
ある種、日本で言うところの正月みたいなもの。

お店はみんなクローズだし、
翌日からは一年で一番大きなセールがあるという部分も
日本の正月に似ている。

今日の出勤、スタート時間が午後2時。
いつもは2時スタートでも朝7時か8時には起きるのだが、
目覚ましを9時にセット。

で9時に鳴った時に「あと1時間寝たい」と10時に変更。
10時に鳴った時、また11時に変更。
じりじりと11時起床。

なんか寝正月みたいだ。

さて、ターザン山本さんがターザンカフェで
ジャンボ鶴田さんの強さについて書いている。

話はグレート・カブキさんが「鶴田は強くなかった」と言ったこと
からスタートしている。

でもカブキさんの話はまったく具体的じゃない。
どこがどう強くなかったのかが書かれていない。

鶴田さんについてよく言わない人は多くいた。
カブキさんもそうだった。

馬場さんが日本プロレスから独立して全日本プロレスを
作った時、鶴田さんが入る前、馬場さんの後釜だの次期
エース候補として存在していたのは轡田さんだった。
轡田さんは「明るい将来」を胸に、馬場さんについて
日本プロレスを出た。

カブキさんは当時、高千穂明久という名前で日本プロレス
の若手ナンバーワン。そして馬場さんの元に移籍した。
移籍したとき、やはり「明るい将来」を胸に出たことは
間違いないだろう。

ところが鶴田さんが入ってすべてが狂った。
出世の道が閉ざされたのである。

鶴田さんは
196センチ(入門当時の発表)のアマレス・グレコローマンの
ミュンヘンオリンピック日本代表選手。
バスケットボールでも全日本選抜になったスーパーアスリート。

鶴田さんがアマレスを始めたのは大学1年の時。
中央大学法学部に在学中にオリンピック選手になっている。
たかだか4年足らずの経験でオリンピック選手になるとは
「どういう運動神経してるんじゃ」というレベル。

196センチという日本人離れした体格に圧倒的絶対的な
運動神経。

高千穂さんや轡田さんは当時素晴らしいレスラーだったが、
人間離れしていたわけではない。
人間離れした「別次元の男」である鶴田さんが入ってきて
すべてが狂った。これが答えである。

ある時、坂口征二さんの還暦パーティに参加させていただいた際、
坂口さんに「現役の頃、実現しなかった夢のカードってありました?」
と聞いてみた。

すると坂口さんは「鶴田とはぜひやってみたかったね。勝っても
負けても戦うに値する男だったと思うし、いい試合になったと思うよ」
と物思いにふけるように答えてくれた。

道場での練習をあまりしなかったとか、ガチンコに興味がなかったとか…
そんなことは普通の人間にしか当てはまらない負の要素。
しかしながらジャンボ鶴田は規格外。

日本のプロレス史における最もバランスの取れた、最強のレスラーである。



ジャンボ鶴田 第二のゴング
ジャンボ鶴田 第二のゴング
熱き若武者の叫び―ジャンボ鶴田"青春マインド"


jimmysuzukiusa at 01:48 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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