November 26, 2008
結婚記念日
いまから25年前、
1983年11月26日。
我々はメキシコのソノラ州アラモスにある教会で結婚式を挙げた。
その約半年前、83年の5月、結婚の承諾をもらいに
私は家内の実家を訪ねた。
家内の父親であるレオポルド・アコスタ氏はランチェロ。
日本語で言うところの牧場主。
アラモスという町に広大な牧場を持ち、更に「デュードランチ」
のビジネスもやっていた。
得意客のリストにはかのロックフェラー家や、
ヒルトン・ファミリーなど多くの大富豪が名前を連ねていた。
そのつながりで家内の姉の一人はロックフェラー財団に就職している。
もう一人の姉もカリフォルニアの一流ワイナリーで働いている。
レオポルド氏は当時63歳だった。
私の家内は10人兄弟の9番目。
5人の姉と3人の兄、1人の弟がいる。
レオポルド氏は63歳という老齢に関わらず185センチぐらいの長身で、
アメリカ合衆国の元大統領であったロナルド・レーガン氏に似ていた。
「レーガンさんに似てますね」と多くの人が言い、
そう言われると、満更じゃないらしくニコニコしていた。
さて「親の承諾」をもらいにいった私。
当時の私はまだスペイン語が話せなかった。
そしてオヤジ(レオポルド氏)をはじめとするアコスタ家の多くの人たちは
英語が堪能だった。
それでも親の承諾をもらうにはスペイン語だろうと、私は必死に暗記した。
「ノソトロス・ケレモス・カサール・エン・エル・ベインテセイス・デ・
ノビエンブレ。ネセシタモス・ス・ペルミソ」
(我々は11月26日日に結婚したいと思っています。しいては貴方の承諾
を頂戴したい)
オヤジは条件付で承諾してくれた。
「メキシコ政府の正式な国際結婚の許可を得たら許してやる」とのこと。
実は、その2年ほど前に、家内の姉(小児科医)がコスタリカ人の医師と
結婚したのだが、メキシコ政府の許可がペンディングのため、
メキシコでは結婚した形での入籍がされていなかった。
その時聞いたのは、国際結婚の許可はメキシコシティのレヒストロシビル
というところでもらうのだが、普通1年ぐらいかかるというが、
それは建前。実際には役人たちの机に大量の書類が溜まっていて
2年かかってももらえない人が多いとのこと。
半年後の結婚にどうやって間に合わせるんだ?
結婚記念日にあたり、25年前のそんな想い出がいま頭に蘇ってきた。
真っ赤なバラの花を25本とカスミ草をたっぷり…花瓶に入れて、
家内に「ここまでどうもありがとう。これからもよろしく」
と感謝の言葉を告げた。
節目には花。私はそう思う。
1983年11月26日。
我々はメキシコのソノラ州アラモスにある教会で結婚式を挙げた。
その約半年前、83年の5月、結婚の承諾をもらいに
私は家内の実家を訪ねた。
家内の父親であるレオポルド・アコスタ氏はランチェロ。
日本語で言うところの牧場主。
アラモスという町に広大な牧場を持ち、更に「デュードランチ」
のビジネスもやっていた。
得意客のリストにはかのロックフェラー家や、
ヒルトン・ファミリーなど多くの大富豪が名前を連ねていた。
そのつながりで家内の姉の一人はロックフェラー財団に就職している。
もう一人の姉もカリフォルニアの一流ワイナリーで働いている。
レオポルド氏は当時63歳だった。
私の家内は10人兄弟の9番目。
5人の姉と3人の兄、1人の弟がいる。
レオポルド氏は63歳という老齢に関わらず185センチぐらいの長身で、
アメリカ合衆国の元大統領であったロナルド・レーガン氏に似ていた。
「レーガンさんに似てますね」と多くの人が言い、
そう言われると、満更じゃないらしくニコニコしていた。
さて「親の承諾」をもらいにいった私。
当時の私はまだスペイン語が話せなかった。
そしてオヤジ(レオポルド氏)をはじめとするアコスタ家の多くの人たちは
英語が堪能だった。
それでも親の承諾をもらうにはスペイン語だろうと、私は必死に暗記した。
「ノソトロス・ケレモス・カサール・エン・エル・ベインテセイス・デ・
ノビエンブレ。ネセシタモス・ス・ペルミソ」
(我々は11月26日日に結婚したいと思っています。しいては貴方の承諾
を頂戴したい)
オヤジは条件付で承諾してくれた。
「メキシコ政府の正式な国際結婚の許可を得たら許してやる」とのこと。
実は、その2年ほど前に、家内の姉(小児科医)がコスタリカ人の医師と
結婚したのだが、メキシコ政府の許可がペンディングのため、
メキシコでは結婚した形での入籍がされていなかった。
その時聞いたのは、国際結婚の許可はメキシコシティのレヒストロシビル
というところでもらうのだが、普通1年ぐらいかかるというが、
それは建前。実際には役人たちの机に大量の書類が溜まっていて
2年かかってももらえない人が多いとのこと。
半年後の結婚にどうやって間に合わせるんだ?
結婚記念日にあたり、25年前のそんな想い出がいま頭に蘇ってきた。
真っ赤なバラの花を25本とカスミ草をたっぷり…花瓶に入れて、
家内に「ここまでどうもありがとう。これからもよろしく」
と感謝の言葉を告げた。
節目には花。私はそう思う。